「向き合う」こと2017年09月10日 23時39分43秒

9日(土)は、広島に日帰り。広島大学の公開講座「芸術と老年」の枠で、お話をしてきました。「アンチエイジング」という言葉がこれからは使われなくなるそうで、講座に影響があるかなと思っていたら、講座の英語名は「アーツ・アンド・エイジング」なんですね。誤解していました(笑)。

今回は救済というテーマにかかわらせようと思って考えたのですが、老年と結びつけて救済の問題を考えると、すべてが「安らかな死」という方向に収斂するように思うのです。それに尽きる、というように思えます。でもこれって、バッハのテーマですよね。カンタータの多くが、まさにこのテーマに向き合っています。そこで、バッハのカンタータを材料にお話ししました。鑑賞したのは、82番の抜粋と、106番の全曲です。

広島の受講生の方は、こういう問題にきちんと向き合ってくださるので、率直にお話ができました。今週土曜日の湯河原の町民大学でも音楽と老いの問題を話しますから、今度は56番を使おうかなと思っています。

今日(日)は、サントリーのサマーフェスティバルで、「戦中日本のリアリズム」というコンサートを聴いてきました。4曲あって、1941年が1曲、43年が1曲、44年が2曲。私が生まれる前の話です。

感想は2曲に絞りますが、伊福部昭の《ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲》(1941年)には驚かされましたね。雄大なスケールと革新的(と言いたくなる)民族語法で、今聴いても、まったく新鮮なのです。小山実稚恵さんが、渾身の名演奏。

その後に、諸井三郎の交響曲第3番(1944年)がありました。日本音楽史上では有名な作品ですが、いつ聴いたか、思い出せないほど。今回きちんと聴いてみると、いわゆる「精神性」がすべての音符に宿っていて、思わず居ずまいを正してしまうような作品なのです。精神性って実在するんだなあ、などとあらためて思ったのが不思議。下野竜也指揮、東フィルの演奏は荘厳そのもので、じつに立派でした。

こうした作品が時代とどうかかわるのかは、簡単には言えないと思います。しかし、時代と向き合っていることは、確かなのだろうと思います。片山杜秀さんの企画に拍手。

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