ドイツ2016淡々(8)~光の奇跡2016年06月24日 13時01分25秒


今回の体調不良は、ドイツの食事に身体が対応できなかったことが原因だと思います。19日(日)のお昼、ベトナム系のお店を見つけて塩味のさっぱりした麺を食べ、ああ良かったと思ったら、かえって気分最悪に。今後に自信がなくなり、予定を変更して帰国することを考え始めました。

なんとかがまんして、北方にあるミヒャエル教会(写真)へ。ベルリン・バロック・ゾリステンの「コンチェルトと組曲」と題するコンサートが、ここで開かれました。管弦楽組曲第2番とロカテッリのコンチェルトを聴いたところで引き返したのは、《ロ短調ミサ曲》のプレレクチャーをするため。しかしこの演奏、私には新鮮味が感じられませんでした。

いよいよ、終了コンサートの《ロ短調ミサ曲》です。ウィリアム・クリスティ指揮のレザール・フロリサンはあまりにも有名で、ラモーやヘンデルはすごいし、モーツァルトもやっています。しかしバッハはどうなのでしょう。手持ちのCDにもないですし、やったという話を聞きません。いずれにしろ、ライプツィヒ・バッハ祭のトリということで、意欲的な取り組みだったはずです。

合唱は21名、ソリスト(ソロ専従)4名、管弦楽はヒロ・クロサキさんを筆頭に30名(日本人がもう2名)。けっして大編成ではないですが、引き締まって華のある、すばらしい響きです。〈グローリア〉は、まるで花園。煌々たる光の芸術、といったらいいでしょうか。

ホルン(女性奏者スコットが名演)とファゴットのバス・アリア(アンドレ・モルシュ)が終わり、「聖霊とともにCum Sancto Spiritu」が始まるところでは、天使たちが燦然と出現して地上の歓呼に和すイメージが浮かびました。そうか、〈グローリア〉は冒頭も、羊飼いに天使が出現するテキストですよね。

朗々たる聖歌引用で始まった〈ニカイア信条〉の出色は、中央の〈クルツィフィクスス〉。パッサカリア低音を強調し、テンポを抑えて重厚に進められました。器楽をたっぷり鳴らしていたので、それが沈黙jに転ずる第13変奏(「死」をあらわすとされる部分)が浮かび上がり、ト長調への転調が、意味深く表現された。ソプラノが最後の小節に前打音を付けたのには驚きましたが(「レードシドーシーー」でなく「レードシドードーシ)、たしかにこれもありでしょう。

きびきびと進んで、最後の〈ドーナ・ノ-ビス〉へ。平和の祈りが湧き上がるさ中に、教会のガラスから光が差し、場内が明るく照らし出される一幕が。太陽がちょうどその位置にいて、雲が移動したのだと思いますが、奇跡のように思われた瞬間でした。

平素から、典礼文に則りグレゴリオ聖歌を引用するこの作品にはフランス系の演奏家がアドバンテージをもつ、と申し上げていますが、まさにそのことを裏書きする名演奏で、すばらしい締めくくりになりました。同行の皆様も大いに湧き、やっぱり演奏は大切だ、とおっしゃる方も(注:前日との比較)。ホテルのバーで開いた二次会には多くの方がいらっしゃり、深夜まで、話が盛り上がりました。

今月の「古楽の楽しみ」2014年08月14日 23時56分18秒

8月25日(月)から28日(木)まで放送される、今月の「古楽の楽しみ」。ご好評をいただいていると聞く「リレー演奏」方式で、《ロ短調ミサ曲》を取り上げました。今日3日目、4日目の収録を行いましたが、作品のすばらしさは圧倒的で、こみ上げる感動を抑えながらの収録となりました。

CDの何を使うかはじっくりと考え、手持ちしていなかった輸入盤数点を加えて選考しました。その過程で痛感したのは、汎用型の大指揮者・著名指揮者の録音がよりよいわけでは決してない、ということです。やはり専門的な内容理解や、バッハ演奏への習熟が鍵を握ります。また、購入に迷われるときには、新しい方をお選びになるのも一案です。この難曲に対する演奏水準が、相当に向上しているからです。

25日(月)は、〈キリエ〉から〈グローリア〉の4曲目までをヘンゲルブロックの指揮で聴き、残り時間で、〈キリエ〉の冒頭を、古今の演奏で比較しました。対象は世界初録音のコーツ(1929)、定番のリヒター(1961)、最新のバット(2009)です。

26日(火)は、〈グローリア〉を冒頭からヤーコプスの指揮で聴き直し、残り時間で、ヴィンシャーマン~ドイツ・バッハ・ゾリステンの岡山での録音から、〈グローリア〉の合唱曲部分を聴きます。

27日(水)は〈ニカイア信条〉。ここで選んだのは、通しがロバート・キング指揮、テルツ少年合唱団のもの、比較が、アーノンクールによる中央の合唱曲3つと、ベーリンガー指揮、ヴィンツバッハ少年合唱団による最後の合唱曲2つです。2つの少年合唱団に囲まれると、アーノンクールの1986年の演奏には、大人の作為が感じられます。ヴィンツバッハ少年合唱団はあまり知られていないと思いますが、優秀ですね。

28日(木)は〈サンクトゥス〉以下。ここに、21世紀の録音を集めました。ミンコフスキ(2008)と、フェルトホーフェン~オランダ・バッハ協会(2006)です。どちらもいい演奏ですが、スタジオでは、軽快で躍動感のあるフェルトホーフェンの演奏に、最大の支持が集まりました。

放送の中でも言ったのですが、昔は「《ロ短調ミサ曲》という曲はない、個々の楽章があるだけだ」というスメント説の影響もあってか、《ロ短調ミサ曲》は残念ながら後半に力が弱まる、と言われていました。恥ずかしながら、私も長いこと、そう思っていたのです。今ではもちろん、そうは思っていません。《ロ短調ミサ曲》は、終わりに近づくにつれてますます感動深くなると、確信しています。そのためか、放送も、21世紀の演奏を使った4日目に、クライマックスが来ているように思います。もちろん、3日間があってこその、4日目であるわけですが・・・。

希有の体験2014年04月01日 23時27分23秒

合唱団CANTUS ANIMAEといっしょに1年がかりで準備してきた《ロ短調ミサ曲》の公演が、3月29日(土)、渋谷のさくらホールで行われました。私は監修、当事者なので、客観的な報告にはならないかもしれませんが、感じたことを率直に報告させていただきます。まず、リハーサル風景から。


指揮者雨森文也さんと合唱団のお考えで、徹底的に勉強しようという前提で始まった企画。言い換えれば、研究と実践の共同ということになります。私のレクチャーは、延べ18時間に及んだとか。話せるだけのことを話しておき、あとは自由に発展していただこう、というのが、私の前提。しかしその後の猛練習(週に3回、4回、5回と有志が集まったとか)が研究成果にたえず立ち戻り、私の提言を確認し合って進められたということを教えられ、びっくりしました。もちろん、研究と実践の位相は違います。私の考えがすべて実践されたということではなく、私の考えが演奏者にも深く共有されて、真のコラボレーションが実現されたと考えています。こんなすばらしいことが、人生に何度もあるとは思えません。


何よりそれは、テキスト、すなわちラテン語典礼文の完璧な理解にあらわれていました。私は、これほどテキストの内容がよく把握され、演奏の方向がテキストに即して統一されていた《ロ短調ミサ曲》を、少なくとも身近では、聴いたことがありません。全曲を通じて演奏から感じられた豊かな情感と潤いは、テキスト理解のたまものです。こう書いていると身びいきもあるかなと思うわけですが、世界を聴き歩き、高い理解力をお持ちのtaiseiさんが、三本の指に入る、とまでおっしゃってくださいましたので、一定の客観性はあるかなと思います。テキストへの努力の垣間見える画像を、ひとつ。


私が心配していたことのひとつは、意欲と若さにあふれる合唱が独走し、ピリオド楽器の合奏を圧倒してしまうのではないかということでした。ところが、まったくそうではなかった。合唱はつねに抑制され、器楽に耳を傾けて、響きを共にする姿勢に貫かれていました。これは、合奏の側にも言えることです。結果として、落ち着いて柔らかい響きが確保され、ピリオド楽器ならではの陰影が、実現されていました。打ち上げで、客分の方々から「CAの平素の演奏とはまったく違う」「自分を聴かせるのではなく、バッハを聴かせる演奏になっていた」という感想が寄せられたのは、そのためでしょう。こういう風に生かせるのであれば、ピリオド楽器を使って、本当に良かったです。コンマスの大西律子さんが、適切な人選で、いいオーケストラを組んでくれました。


期待でもあり、懸念でもあったのは、私の手駒である若い声楽家が、コンチェルティストの大役を担ったこと。《ロ短調ミサ曲》の合唱を歌い、ソロも歌うほど困難なチャレンジは、ほかにありません。しかし合唱の練習に少し付き合ってくれれば、という期待を含めて依頼した5人が、合唱団に溶け込んだばかりか、パート練習まで積み重ねたという献身的な対応をしてくれたのにはびっくりし、感動しました。それによって、彼らも、大きな勉強をしたわけです。課題はもちろん残るにしても、大健闘だったと思います。その晴れやかな達成感があらわれた終了後の写真をどうぞ。左から、大野彰展君(テノール)、安田祥子さん(ソプラノ1)、川辺茜さん(ソプラノ2)、高橋幸恵さん(アルト)、小藤洋平君(バス)。


こんなありがたい体験をさせていただき、ツキを使い果たして、しばし放心状態になった私でした。《ロ短調ミサ曲》の偉大さに、身も心も奪われる体験でした。

自信が芽生える2014年03月25日 12時06分32秒

23日(日)に、29日にさくらホールで開かれる合唱団CANTUS ANIMAE《ロ短調ミサ曲》公演のオーケストラ合わせがありました。

猛練習で盛り上がっている、という情報はしきりに入っていましたが、じつのところ、不安もありました。ピリオド楽器のオーケストラと響きを融合させて歌うのは経験を要することで、張り切りすぎるとかえってダメ。1日かけてどのぐらい歩み寄れるか、というぐらいの意識で、練習場に出かけました。一般論として、合唱団にとって、オーケストラ合わせは鬼門なのです。

でも身びいきなしで、とてもいい練習でした。合唱団にはっきりした気持ちの備えがありましたし、指揮の雨森文也先生は、私の5回にわたるレクチャーの内容をすべて頭に入れた上で、オーケストラ・パートも詳細に勉強されていたのです。奏者は大西律子さんが集めてくださった方々で、なじみの顔もかなり。そのみんなが、合唱団といっしょの音楽作りに、熱心にまた謙虚に、入ってきてくれたのですね。そうそうないことだと思います。

うたい文句にしている「研究と実践の共同」が、器楽のレベルでも確保される見通しがつき、本番に向けて、一定の自信が出てきました。土曜日の18:30、さくらホールにぜひお出かけください。

《ロ短調ミサ曲》公演ご案内2014年03月07日 11時40分36秒

合唱団CANTUS ANIMAE(雨森文也指揮)の《ロ短調ミサ曲》公演が、いよいよ迫ってきました。ご案内します。3月29日(土)18:30から、会場は渋谷の大和田さくらホールです。前売り4000円。いつものように、コメント欄にメールアドレス付きでお申し込みいただければ、係からご連絡申し上げます。

この公演、「礒山雅監修」と謳われています。演奏の主役はもちろんステージに上られる方々で私は脇役ですが、監修の立場から見ると、この公演には3つの売りがあると思います。

第1は、実践と研究の共同。5回にわたる公演を行い、その都度練習にも立ち会っていっしょに《ロ短調ミサ曲》を作るという、幸せな経験をさせていただきました。合唱団の方々の熱意と旺盛な吸収力に、その都度驚かされました。

第2は、器楽がピリオド楽器アンサンブルであること。アマチュア合唱団とピリオド楽器アンサンブルの共演は、まだ先例が少ないと思います。ピッチの問題、練習の問題など、ハードルがいくつもあるからです。《ロ短調ミサ曲》は、トランペットやホルンを始めとして、ピリオド楽器を使いたい曲がたくさんありますので、成果を期待しています。大西律子さんを中心に、櫻井茂さん(コントラバス)など、優秀な方がたくさん入っています。

第3は、コンチェルティスト方式を採用したことです。合唱各パートのリーダーがソロを兼ねるというのは、その長所がわかっていても、なかなかできないこと。歌い手にかかる負担が、とりわけ《ロ短調ミサ曲》において、並大抵ではないからです。テノールは、さんざん歌ったあとに〈ベネディクトゥス〉があり、アルトも、力尽きた頃、〈アニュス・デイ〉が控えています。プロの技倆が要求されることは、いうまでもありません。

そこで、くにたちiBACHの仲間だった5人の若手声楽家に、コンチェルティストを依頼しました。第1ソプラノ 安田祥子さん、第2ソプラノ 川辺茜さん、アルト 高橋幸恵さん、テノール 大野彰展さん、バス 小藤洋平さんです。須坂/立川のカンタータ公演とほぼ重なっていますが、《ロ短調ミサ曲》のために集まった顔ぶれから、カンタータもできたということです。みんな合唱にも想像以上にかかわってくれて、ありがたく思っています。

合唱団の練習がものすごく盛り上がってきているとの情報が入っています。たくさんの方が聴いてくださるとうれしいです。どうぞよろしく。

感動の仕事始め2014年01月08日 10時37分02秒

須坂のカンタータ/受難曲コンサートのリハーサルをしていた時のことです。アンサンブルは演奏者自身に作っていただき、私は説明したり、要望したり、助言したりしていたのですが、ちょっと力が入って、一瞬、指揮の身振りをしてしまいました。

そうしたら、弦楽器の音がワッと寄ってきてびっくり。鳥肌が立ちました。これが指揮かとも思いましたが、私は指揮という仕事がどんなに困難かよく知っていますので、自分で指揮棒を握りたいとは思いません。ただ、このように演奏家の方々と一緒に音楽を作っていく作業には、言い知れぬ魅力を感じます。その場合、遠慮しながらというのでは、かえってダメ。踏み込んで初めて、いい結果は出るものです。そのための必須の条件は、演奏者との信頼関係です。

そのモデルケースとも言えるようなコラボレーションが、目下進行中。合唱団「CANTUS ANIMAE」との《ロ短調ミサ曲》です。1月4日、朝10時から夕方17時までやった練習が、今年の仕事始めになりました。楽しい懇親会付きで、久々に二次会まで行きました。

この合唱団、全日本合唱コンクールの東京大会で、7人の審査員が全員1位をつけた金賞を取ったとか。常識ではとうてい考えられないことで(意見は必ず割れる)、実力の証明です。全国から集まってくる団員の熱意がものすごく、音楽への取り組み方が爽やか。指揮者、雨森文也さんの情熱、信望、探究心のたまものだと思います。

企画のご相談をいただいたときに、私からは、ピリオド楽器の使用、コンチェルティストの採用という2点を提案しました。4日の練習にはコンマス(大西律子さん)と通奏低音(西澤央子、櫻井茂、廣澤麻美の皆さん)も加わり、準備が進んできました。コンチェルティスト、と口で言うのは簡単ですが、なにぶん大曲ですから、合唱のリーダーとソロを兼ねる負担は、なみなみではありません。しかし安田祥子、川辺茜、高橋幸恵、大野彰展、小藤洋平のiBACH勢がパート練習まで司ってくれる熱心な取り組みで、成果があがりつつあります。

というわけで、自分としても大事なコンサートになりそうです。3月29日(土)、渋谷のさくらホールで公演しますので、ご予定いただけると嬉しいです。

「善き志」の発見、秩序の建設2013年04月05日 23時56分36秒

〈グローリア〉部分は、すでにして統一されています。それは、中世の絵画にあるような、天使がラッパを吹き鳴らす光景です。3/8拍子は〈グローリア〉で唯一のもの。軽やかに演奏しないと、天使が地上に落下してしまいます。

バッハの時代の3拍子は3/8、3/4、3/2の3種があり、それが同時に、テンポを指示していました。速く軽快なテンポを、3/8は要求します。これを1拍子に取って、弱拍を抜くのが、古楽の感覚。弱拍を等価に、克明に演奏すると(それがモダンの感覚なのですが)、音楽の推進力が失われてしまうのです。

さて、100小節が過ぎたところで、〈エト・イン・テッラー〉の部分に入ります。バスにある唐突な下降音型は、地上の情景への、強引な切り替え。神の3拍子は人(地)の4拍子になり、音域は低く、楽器は休止して、すべてが別世界に入りこみます。

ため息モチーフの突然の氾濫は、あたかも地上の人々が救いを求めてあえぐかのよう。音楽はしばらく、方向性を失います。歌詞も「そして地上では平和あれ、人々にEt in terra pax hominibus」で行き止まりになる。罪深い人間たちに、そのまま平和が恵まれるはずはないのです。

12小節目に至って、先を模索していた諸声部は、ようやく停滞を打開し、「善き志のbonae voluntatis」という言葉にたどりつきます。不安定だった音楽は、ここでホ短調のカデンツを構成し、安堵する。平和の前提として人々のもつべき「善き志」が、ここで発見されるわけです。

すると7小節の間奏をはさんで、フーガ(フガート)が起こってきます。フーガ主題は、「善き志の」を含めた、すべてのテキストを歌い込んだものです。これは、善き志の人々が、地上に「秩序」を建設しはじめたことを示すものではないか。秩序の建設は進み、フーガは盛り上がってきます。するとこの段階で、トランペット群が加わってくる。ここで地上と天は奏楽において一体化し、異次元を包み込む、壮大な絵が完成するわけです。

実例:〈グローリア〉冒頭曲2013年04月04日 23時42分37秒

〈グローリア〉の最初の曲を例にとってみましょう。第4曲〈グローリア〉、第5曲〈エト・イン・テッラー・パークス〉は、通して演奏され、実際には一体をなしています。《ロ短調ミサ曲》前半部における名曲のひとつです。

〈グローリア〉は、ニ長調、3/8拍子で展開される神の栄光の讃美。トランペットが輝かしく鳴り渡ります。しかしト長調、4/4拍子の部分に入ると音楽は突然静まり、「ため息」のモチーフとともに、地上にうごめく人の姿が見えてくる。そこからやがてフーガが起こり、盛り上がるうちにトランペット群が回帰して、曲はクライマックスを迎えます。

以上は、よくある解説。資料や分析に関する情報はまだたくさん盛り込めますが、その記述はいずれにしろ、客観的な観察の成果になります。研究の役割はそこまで、という考えもありうるでしょう。

しかし私は、曲がなぜそうなっているのか、作曲者はどんなメッセージをそこに託したのかを考察するのも研究の範囲で、それには曲の内側に入っていかなくてはならない、という考え方です。すなわち、分析の先にある解釈の段階に、研究者は踏み込みべきだと思うのです。解釈に必要な客観的な知識を、研究者はアドバンテージとしてもっているはずだからです。

〈グローリア〉冒頭曲でまず押さえるべきことは、そのテキストが先行する3曲のような典礼文としての祈りではなく、聖書の引用であることです。出典は、ルカ福音書第2章のクリスマスの場面。野宿している羊飼いに天使があらわれ、救い主の降誕を告げる。すると天の大軍がこれに加わって、神を讃美した。その言葉が典礼テキストとなり、ここで合唱されます。それは、「いと高きところには栄光神にあれ、そして地には平和、善き志の人々にあれ」(ラテン語からの試訳)というものです。

バッハは前半と後半を時間差で対比的に作曲していますが、メッセージ自体は、1つのものです。絵を見てみましょう。「天使の顕現」を描いた絵として、フリンク(オランダ)の《キリストの誕生を羊飼いに告げる天使たち》(1639年、ルーヴル)という作品を、ネットで検索できます。地上界への聖の顕現が、光と影の効果によって、1枚の絵の中に描き込まれた絵です。

天と地をひとつの空間の中にとらえるのはバロック絵画お得意のモチーフで、エル・グレコの《オルガス伯の埋葬》(プレ・バロックですが)では、下半分に現世で逝去した伯と遺骸を囲む人々が、上半分に来世でキリストと聖母にまみえる伯の姿が、上昇する運動感をもって描き出されています。こうした異次元の共存する空間という時代好みの発想を頭に入れて、バッハの音楽を見ることにします。(続く。長くなって恐縮です。)

尽きない発見2013年04月03日 11時25分26秒

私がゲスト音楽監督を務めている合唱団CANTUS ANIMAEの《ロ短調ミサ曲》、準備が進んできました。バッハの実践にならってコンチェルティスト方式を採ることにし、コンチェルティストには、いっしょに勉強してくれる人ということで、くにたちiBACHコレギウムのメンバーを選んでいただきました。コンサートミストレスの大西律子さんのもと、ピリオド楽器のメンバーもあらかた揃い、合唱団は早くも盛り上がっています(公演は来年3月29日)。

3月末日の日曜日は、〈グローリア〉に関して私が講演し、そのあとテスト演奏、解釈に関するディスカッションを行いました。野球で言えばGMと監督(指揮者の雨森文也さん)が綿密に意見交換するようなもので、なんともありがたい信頼関係です。

このために、私は、かなり時間をかけて準備しました。プレゼンテーションに凝ったからばかりではありません。ヴォルフ先生の訳書(おかげさまで増刷になりました)を作るさい、またiBACH公演に向けて、相当勉強したつもりでしたが、今になって気づくことが次々と出てくるのです。

それは主として、「この曲はなぜこうなっているのか」を説明しようとするときに、見えてきます。実践家を対象にお話しするさいには、演奏の指針を示す必要がありますから、音楽学的な知識の切り売りで済ませるわけにはいきません。だからこそ、自分にとってたいへん勉強になることだと感じています。

ひとつ実例を挙げたいと思いますが、長くなりますので、明日更新します。

《ロ短調ミサ曲》新企画2012年12月30日 08時48分30秒

1月15日以降も講演や授業の素材として取り上げ、たいへんお世話になった《ロ短調ミサ曲》。この曲がらみで、新しい企画が生まれました。思わぬきっかけでいただいたお仕事です。

私の尊敬する名合唱指揮者、雨森文也さんからお便りをいただきました。開いてみると、CANTUS ANIMAEという合唱団(コンクールで聴いたことがありますが東京を代表する優秀な合唱団です)で《ロ短調ミサ曲》を取り上げるので、ご協力いただけないか、とのご依頼が、熱い文章で綴られています。どうやら、野球でいえばGMのような役割を考えておられるご様子。もちろん、喜んでお引き受けしました。

12月29日、今年の最後の仕事として、最初のレクチャーを行いました。《ロ短調ミサ曲》は成立の経緯がややこしく、そこから入ると遠回りになってしまいますから、今回は、合唱団が〈キリエ〉を練習しておくことを前提に解説を〈キリエ〉に絞り、実践に行き届くよう、具体的かつ詳細に行うという方針を立てました。

全員起立、はちきれんばかりの明るさで迎えていただき、パソコンのトラブルにもめげず始まった講演が、2時間半。自筆譜を投射したり、演奏の聴き比べを行ったりしながら進めましたが、これほどよく笑ってくださる聴き手は初めて。冗談を言わなくても笑ってくださるので、進行が楽です(笑)。その後、実際の演奏が始められ、私の考えを述べたり、議論したりしたのが、1時間強。力が入りすぎて、この時点でノドが枯れてしまいました。

信頼できる方々といっしょに音楽を作りあげてゆくのは、私の最大の喜びです。しかしここまで関与すると、責任重大という感じがひしひし。小舟で大海に乗り出したような不安も感じます(注:小舟というのは私のこと。演奏家ではありませんので)。何とか勉強して、結果を出したいと思います。

小さなお店が貸し切り、すし詰めになった打ち上げで、団員のエネルギーが爆発。大声で話しても会話が成立しにくい、という状況になりました。すでに声が枯れていては対応できず、楽しかったのですが、解散前に帰宅。来年に、大きな課題ができました。