合唱の明るい未来2018年01月15日 23時44分30秒

埼玉ヴォーカルアンサンブルコンテストが始まり、寒い日曜日、久喜に行ってきました。概要は公式の発表に譲るとして、とても印象に残ったことを1つ、ご報告します。

これは少人数のアカペラ合唱を競うというコンテストです。この日はジュニア5団体、中学校41団体が出演しました。その中学校の部の中に、3つ、指揮者なしで生徒が歌った合唱団がありました。いずれも女声です。

うち2つが、蕨第一中学校でした。いつも熱心な学校ですが、いつからこうした試みを始めたか、存じません。しかしその成果は、画期的とも思えるものでした。もちろん、裏に回っての先生のご指導があってのことだと思います。

中学生の合唱は、当然ながら、指揮者の役割が大きくなります。結果として、指揮者の指示通りに歌っているが、生徒間の連携はとれていないし、取ろうとも思っていない、という傾向があり、コメントに何度も、他の人の歌を聴きましょう、と書いていました。ところが蕨の合唱団は、お互いに聴き合い確かめ合いながら、生きたハーモニーを、自発的に作り出していったのです。その柔軟性に私は驚き、これこそ中学生の合唱だよなあ、と感激してしまったのでした。

蕨第一中学は、合唱団をABの2つに分け、同じ曲を歌いました。そうするとたいていは、レベル差が生じるものです。

ところがこのABにはそれがなく、どちらも生徒同士の連携で歌いながら、はっきり個性のある方向を目指していました。それぞれにまとまりができ勢いが出て、向上していったのだと思います。

結果的に、揃って金賞。ということは、審査の先生方が高く評価されたということですよね。これもすごいことだなあと、私は思いました。なぜなら、自身が指揮者である先生方は、ここはこう指導したい、指揮者がいればこれは避けられたのに、と感じられて当然だと私は思うからです。

そういう中で審査委員長をさせていただき、合唱の未来を楽しみにしながら帰路についた私でした。指揮者がいて、生徒がなおかつそうなっている、ということになればすばらしいし、それは可能だと思います。

メダル掛け2017年11月28日 22時18分37秒

25日、26日の週末、全日本合唱コンクール全国大会の「大学職場一般」の部が行われました。場所は、池袋の東京芸術劇場。大阪での中高の部に続く激戦の審査を終え、前門の虎と後門の狼を、なんとかやり過ごした心境です。

想定外にも、今回は審査委員長を仰せつかってしまいました。ですので、内容にかかわる個人的な感想や苦心談は、書くのを控えておきます。想像通り、一般の部の競争レベルは恐ろしいほどに高く、みんな本当にうまいなあ、と感心しきりでした。

審査委員長と言っても権限はとくになく、審査はみな平等です。しかし特筆すべき仕事が、一つありました。それは、表彰式のメダル掛けです。金賞の団体の指揮者の方にメダルを掛け、おめでとうと申し上げ、ニッコリと、握手までしてしまう。これは光栄で、私としては嬉しい仕事でした。

もちろん私は代表としてそうしているわけで、選考結果をもとに、儀式を遂行しているわけです。胸を張ってできる場合ばかりではなく、罪深い気持ちにしばしば誘われたことは、推測していただけることと思います。

ともあれ、終わってほっとしました。12月には、それほど気持ちの負担になる仕事はありません。合唱の世界では、力不足で寿命をちょっと縮めたかもしれないけれど、今年もいい勉強をさせていただきました。

合唱の向かうところ2017年11月03日 14時30分46秒

一日目は全体の講評をやらせていただき、その後、皆様と会食。会食が間に入ると、次の場の緊張が和らぎます。散会後は部屋に戻り、早めに就寝しました。

夜中、物音に驚いて、目を覚ましました。高い音が強く、短く聞こえ、女性の悲鳴のよう。時計を見ると、ちょうど2時半です。すぐフロントに電話して調べてもらいましたが、何も変わったことはありません、との連絡でした。

ぱっちり目が覚めてしまって、寝つかれず。何か飲みたいと思いましたが、ビールを買いに出るのは心配です。なにしろミステリーの読者ですから、廊下で鉢合わせとか、いろいろなシナリオを考えるのです。そこでワインのハーフボトルをルームサービスで頼み、気を静めました。合唱の残像だろうとも言われましたが、外部の音だったとしか思えません。

これが厄落としになったのか、2日目(中学の部)は選考不能とも思える大激戦の中で、まずまず自分の考えに基づいた選考ができたかなと思います。関西支部の方々の笑顔一杯のもてなしがありがたく、朝日新聞社が社長以下取材スタッフを派遣され、物腰ていねいに対応されていたのも印象的でした。

その日は台風で、新幹線の遅れが伝えられていました。無理に帰るのもどうかと思い、泊まることにしたところ、主催者筋の方々が誘ってくださり、ほとんどの店が閉店になる中、やっと見つけた「庄や」で、祝杯。これが楽しく、重荷から解放された私はほとんど幸福な気持ちになって、2日間を終えたのでした。

1日目の講評に先立ち、私はハンガリーの審査員ネメシュ先生から、会場へのメッセージをお預かりしました。先生は出場校のレベルの高さを絶賛された上で、合唱は作品によって育てられる、だからすぐれた作品を選ぶことが重要だ、と述べておられました。これは、私がまさに言いたかったことでもあります。

多くの団体が演奏効果が高い曲を並べてきたのは、全国大会ならではの景観でした。とはいえちょっと行き過ぎなのではないか、というのが私の個人的な感想です。「それがコンクール向き」という通念は、定着しない方がいいと思います。演奏効果の高さが合唱を引き立てることは当然ですが、それは外側の問題であって、内側の価値を保証するものではないからです。

私は、合唱は自己目的ではなく、音楽という高い目標に向かう、すばらしい手段だと思う。どんなに上手な合唱が完成されても、音楽という目標はいつでもその先にあります。それは技術的な集大成としての目標ではなく、豊かな感動の源泉のようなものではないかと、私は思います。そこに近づく道の少なくとも1つは、すぐれた曲を基本に忠実に、共観をもって再現し、美しいハーモニーの向こうに、何か大切なものを感じさせることではないでしょうか。そうした演奏に自分も感動のアンテナを磨いて接したいというのが、審査の場に座っていて思ったことです。

前門を乗り越える2017年11月02日 13時03分59秒

無事、11月に入れました。というのは、10月最後の週末に大きな関門の一つが聳えていたからです。それは、全日本合唱コンクールの全国大会が大阪で催されるためでした。金曜日がNHKの録音3本、土曜日がコンクール高校部門、日曜日がコンクール中学部門、月曜日がNHKの録音2本という4日間になっており、大きなプレッシャーと共に、乗り切れるか否か、危惧を抱いていました。

放送は、準備をしておくことで対応できます。しかしコンクールは水ものですし、県大会、地区大会と勝ち抜いてくる出場校に対して差異を設けつつ採点することがいかに困難かは、身に染みてわかっていました。ですからこの週末が近づくにつれ、不安が増大するばかりでした。

大阪では、地下鉄を乗り継ぐ淀屋橋近辺でワインを飲み、気を静めてホテルへ。時計は待ってくれず、いよいよ高校部門Aグループ(小編成)の開始となりました。

経験上、最初で流れに乗れないと心臓に悪く、尾を引きます。ですので最大の緊張をもって、場に臨みました。来るのではなかった、という気持ちに何度もかられましたが、これはまあ、程度の差はあれ、いつも思うことです。

そうそうたる他の先生方の採点からあまり外れたくないと思うのは、現場にいるとどうしても抑えきれない心理です。第1ステージは私の1位と2位が全体の2位と1位ということで、ひとまず安堵。しかしこの安堵が、くせものなのです。

午後の高校Bグループ(大編成)は出場校も多く堂々たる激戦になりました。結果とは別に、ここで1つだけご紹介しておきたい出場校があります。全体の上位を取ることはできなかったが、私が感激をもって耳を傾けた高校です。

それは愛知県の聖カタリナ学園光ヶ丘女子校で、高田三郎先生の《イザヤの預言》から、〈神は仰せになる〉を歌いました。荘厳な頭句に続いて歌われる「慰めよ、わたしの民を」の言葉がいかにも心を込めて届いてきて、私は感動のひとときに、涙。ステージはまだ前半でしたが、この感動を最後まで覚えておこうと思い、採点の一部としました。

でも、感動を採点に反映させることは是か非か、ということも、考えておくべきかと思います。感動は主観であり、採点は厳密に技術や完成度という客観的な基準によるべきだ、という考えもあり得るからです。これは重要にしてデリケートな問題ですから、次の更新で、私見を申し上げます。


浮き世離れ2017年08月25日 05時00分22秒

8月最後の週末ですね。

今月末の段階でどこまでたどりつけるかが勝負という気持ちがありましたので、仕事が少なかったことを幸いにて、ほぼ連日、論文の準備に励みました。どんどん没入が深くなって、仙人のようとまでは申しませんが、浮き世離れしてきた実感があります。

ここへ来て発見した文献がいくつかあり、ほぼつながりのある全容が見えてきました。しかし第1部全5章、第2部全4章、第3部全9章の大構成となってきておりまして、仕事の増えてくる9月にこれをどこまで洗練し完成させられるか、相当困難に思えてきたのが現在です。註や引用、譜例などの整備にも、相当な時間がかかります。

論文を書きながら少しずつ整理しようと思った部屋は、結局整理手付かず。連絡だのお礼だの、いろいろなlことが後回しになっていてすみません。先に論文から取りかかり、疲れてしまって雑用もできず、ということの繰り返しでした。

そんな中、全日本合唱コンクールで新潟を訪れたのは、いい思い出になりました。土曜日の晩ホテルに着き、信濃川の夜景を見ようと外出して、古町まで足を伸ばしました。何度目かの新潟ですが、いいお店で飲食できて良かったです(珍しく、日本酒でお寿司)。

日曜日(20日)のコンクール、熊本とはまた別の合唱風土を感じました。弱音を大事にする奥ゆかしい感性が、いくつかの団体に。またラテン語曲を採り上げた団体が、しっかり掘り下げられた(啓和学園)、あるいは熟した表情の(新潟大学)解釈をテキストに示してくれたのは、平素気にしていることだけに、嬉しかったです。おもてなしをしてくださったスタッフの方々、ありがとうございました。

熊本で合唱シャワー2017年07月18日 23時34分07秒

合唱コンクールの審査で、熊本に行ってきました。15日(土)、16日(日)二日間でしたが、14日(金)に入り、17日(月)に戻ってくる、ちょっと贅沢な行程を消化しました。

皆さんの熊本イメージは、どんな風ですか?加藤清正の連想をついしてしまうのですが、それとは違うようです。

接触した方々、合唱を聴いた印象を併せて、謙虚でやさしく、遠慮深いのが、熊本の方々であるように感じます。合唱のレベルはなかなかで、とくに小学生が高いと思いました。全体にまじめで端正な取り組み。弱音を大切にする演奏が多く、絶妙のディミヌエンドを聴かせてくれる団体もありました。それでいて風土のおおらか感があるのが熊本のようで、あらためて、熊本が好きになりました。震災からの復旧も、ずいぶん進んでいるようですね。良かったです。

ドイツは「木」の国だと申しましたが、熊本の木も、すごいですね。堂々たる巨木が、たくさんあります。お城ですごい木が撮れたと思って準備したら、4月にアップしたのと同じ木でした(汗)。

土曜日の夜開いていただいた懇親会では、審査員仲間やお世話いただいた支部の方々と、本当にいい交流ができました。日曜日の夜に経験したことは格別なので、次回お話しします。写真は、その夕方、熊本駅近くから撮ったものです。



国際色横溢のコンクール&フェスタ2017年05月27日 09時07分11秒

ナビゲーターの仕事を終えたあと、20日(土)は大阪国際室内楽「コンクール」の本選を、21日は大阪国際室内楽「フェスタ」のセミファイナルを見物しました。

外国のすでにして高いレベルをもつ団体が次々と登場すると、いかにも国際コンクールだなあ、という実感が。弦楽四重奏曲の部では3団体がベートーヴェン、シューベルトの大曲を全曲弾きましたが、休憩もその都度置かれて、コンクールには珍しい、ゆったりした雰囲気があります。

こちらではアメリカの3団体が決勝に残っていて、トップ争い。後半は木管五重奏、金管五重奏、サクソフォン四重奏の部となり、フランス3、ドイツ1の対決になっていました。審査をしないと本当に気楽に聴くことができます。審査員の先生方は、長時間、本当にお疲れさまです。

「コンクール」はこのように正統派なのですが、「フェスタ」が独特で、面白いと思いました。2~6名であれば、編成自由、領域自由、年齢制限も国別制限もなし、民族音楽も可、という自由度の高さなのですね。しかもそれを、一般公募の審査員が、130人ぐらいで審査する。どんな進行になるのか、興味津々でした。

それでわかったのは、この「フェスタ」、一芸に自信のある人たちが世界から集まって、聴かせる、見せるの、じつに楽しいステージを展開するということです。セミ・ファイナルは2団体ごとに演奏→投票を3回繰り返し、3団体がファイナルに進むというシステムでした。ちょうと国会のように、審査員の皆さんがぐるぐる歩きながら投票し、休憩後即発表される。これも緊張が途切れないので、いいやり方です。

いつも審査員の側にいる私としては、そうなるとどういう判定になるのかに興味をもっていました。結果はまことに順当なものでしたが、どの比較でも結果がつねに7対5になったのが、価値観の多様性を反映して、面白いと思いました。

次は3年後です。きわめてユニークな楽しめるコンクールですから、皆さんに一訪をお薦めします。

コンテストで気づいたこと2017年01月30日 07時25分50秒

コメントに激励をくださった方々、感謝です。1月が思った以上に過密スケジュールになりましたが、日曜日に合唱コンクールを乗り切ったことで、ペースを取り戻せそうです。

正確には、コンクールでなく、「コンテスト」。20名以内、ピアノなしという室内編成が条件です。出演者にとってはいい勉強になるでしょうし、私自身にとってもありがたい形です。

始まるとコメントを書きまくりになるわけですが、その過程で、程度の差こそあれかなりのアンサンブルに共通の、一つのことを認識しました。

それは、ソプラノが和声作りに参加していない、ということです。ソプラノは指揮者に向けて一心に旋律を歌い、和声は下の声部にまかされる、という形に、多くのアンサンブルがなっているのですね。

でもそれでは、本当の和音は響きません。ソプラノが和音を聴き、自らもその担い手となって、旋律を歌っていなければならないのです。それだけで、和声はずっと生きてくる。先日ご紹介したザ・シックスティーンなど、いいお手本です。

埼玉県スタッフの配慮行き届いた(←すごい)サポートの中で、ハイテンションで1日を過ごします。すると帰路は、気持ちの興奮と身体の疲労が同居する状況になるのですね。家に帰るのも面倒になってしまいましたが、どうせならどこか新しいところで夕食を食べようと思い、東北本線を京浜東北に乗り換えて、川口で下車しました。

私は昔蓮田と大宮に住んでいましたので、京浜東北沿線は気持ち、縄張り。でも川口はまったく久しぶりで、予想どおり、全然違っていました。食べ物屋には困らないところと観察しましたが、食事は「千吉」のカレーうどん、辛口・ご飯付きを選択。食後感が、じつに爽快でした。今日から、新しい気持ちでやります。

格別の解放感2016年09月05日 09時26分14秒

仕事が集中している、この夏の終わり。前半のピークが過ぎたところです。

緊張と負担感の由来は、いつものごとく、合唱コンクールでした。今年は、埼玉県大会が昨日にかけて、土・日・日の3日間組まれていました。

その審査がたいへんなことは折にふれて述べていますが、もう一度強調させてください(笑)。開始が午前10時。表彰式の終わるのが、たとえば昨日は20時35分(演奏終了は19時13分)でした。その間、わずかの休憩を挟みながら、1団体数分の間に、演奏へのコメントやアドバイスを書き綴ってゆく。同時に採点をしつつ、順位を考えます。埼玉県のように参加数が多く実力伯仲が何団体も、というところでは、1秒もゆるがせにできない作業が続きます。

加えて、耳の疲労があるのですね。高い周波数を聴き続けるうちに耳が飽和してきて、聴覚の弾力が失われてしまうのです。この段階で大激戦が起こると、実感として、お手上げです。

それだけに、終わったときの解放感は大きい。ただしその前提は、後悔とか、罪の意識とかとの差し引きです。ある程度プラスになればいいのですが、マイナスになったら目も当てられません。

後悔や罪の意識は今年もありました。しかし疲労感も解放感も、かつてなく大きいと感じたのが今回でした。理想にはとても及びませんが、勉強の機会をいただいてきたおかげで、ある程度わかってきたかな、という気がしているのです。同時に、先生方との協力で進める審査の場合には、自分の価値観をブレずに貫き、そこで責任を取るのが最上、いろいろな配慮から修正しても結局いいことはない、という確信ももちました。当たり前と思われるかと思いますが、これは案外、困難なことなのです。

いろいろな団体をご紹介するゆとりはありませんので、とても感心し勉強になったことを一つだけ。

クール・ヴァン・ヴェールという女声合唱団がありますが、この団体はいつも、和声いのち、という演奏をされます。今年は自由曲にミクローシュの《サルヴェ・レジーナ》を歌われましたが、要所に出てくる不協和音をじつに美しく表現されることに感嘆しました。たとえばド・レ・ミが同時に鳴っている和音がフレーズの終わりにあるとしますね。普通はそれぞれの音程を正しく取ることが先決になりますが、この合唱団は、どうです、この和音美しいでしょう、と、耽溺するかのように立ち止まるのです。その集積として、なんとも甘美なマリア像が出現しました。

大人と子供2016年03月28日 07時30分35秒

声楽アンサンブル・コンテストの3日目、20日(日)は、一般部門。大学職場一般37団体の後に、小学校・ジュニア部門が5団体が置かれていました。併せて採点するのです。

迫力満点だった高校の部に比べると、一般の部はやや落ち着いて、熟したアンサンブルがインドネシア、フィリピンの団体をも交えて、味わいもさまざまに展開されました。つまるところ採点も比較的割れたのが、この日でした。

時計は回り、小学校の部が開始されたのが、17時27分。オトナの団体が熱戦を繰り広げた後に子供たちではいかにも気の毒、という思いで臨みました。

ところが。5団体が5団体ともめざましい合唱で、疲れを一気に吹き飛ばしてしまったのです。同じ基準で採点するのはどうかなと思っていましたが、それどころではありません。とくに福井市明新小学校が指揮者なしで(!)、4声曲を含む達意のアンサンブルを繰り広げたさまは壮観というほかはなく、あっけにとられたというところです(本選でも審査員特別賞を受賞)。これなら、最後に置かれていたことにも意味があります。

21日(月)、バッハの誕生日に、勝ち抜いた15団体による本選が行われ、福島県の合唱文化の高さ、厚み、広がりを立証する形で、コンテストの幕が閉じられました。おもてなしもいただき、高揚もしていましたので、疲れを感じる暇もない4日間でした。話題に事欠かない福島県ですが、行政・教育も一体となった音楽のパワーこそ、復興のシンボルであると思います。それにしても、これほどとは。