巨匠の実力2017年09月22日 00時41分42秒

「ウィーン・フェスト2017」で大阪に来ています。20日(水)のピアノ・トリオから、私も合流できました。曲目はベートーヴェンの《大公》とメンデルスゾーンの第1番。ヴァイオリンのダナイローヴァ、チェロのヴァルガ、ウィーン・フィルの両首席がピアノのブーフビンダーを囲むという豪華版です。

演奏はそのすばらしさに驚かされた、というのが正直なところです。ウィーンの底力を実感し、脱帽せざるを得ません。外側に広がるトリオでなく、内方集中的なアンサンブルなのですが、それでいて、正攻法でこそなしうる、スケールの大きさがある。若く優秀な2人の弦楽器奏者をブーフビンダーが豊かに包み、澄んだ美しい音で、音楽を進めてゆくのです。

メンデルスゾーンは作品が雄弁に書いてあるので、名人芸的な「丁々発止」感が加わり、いちだんとエキサイティングに。アンコールのハイドン《ハンガリー風ロンド》で、盛り上がりは最高潮になりました。お客様の反応は、ホールとして経験した最上のものの一つだったと思います。

21日(木)は、鉄板焼きで会食。私が中央の席で、右側にブーフビンダーご夫妻、その先にヴァルガさん、左側にアンギャンご夫妻。ホスト役、まことに光栄ではありますが、なにしろ語学力に限界がありますので、思うにまかせないのが残念です。しかし皆さん大の親日家で、日本を存分に楽しんでおられます。前オーストリア大使の田中さんにご同席いただき、お助けをいただいたのがありがたかったです。

興奮したせいかなかなか寝付かれず、深夜ですがご報告を書いています。22日(金)はアンギャンさんの講演会で私がインタビュアー、23日(土)が最後のコンサート=コンチェルトの会となります。

日替わりでいろいろな大曲を自在に演奏なさるブーフビンダーさん、そのレパートリーに驚きを申し上げたら、そうあるべきだと思って意識的にそうしている、とのことでした。巨匠です!

9月、ウィーン・フェストやります!2017年08月31日 23時22分56秒

放送の日にちが全然違っていたようで失礼しました(汗)。臨時放送が入ったようですが、再放送の時で良かったです。

今日は大阪へ、記者懇談会に行ってきました。場所はいずみホールのリハーサル室。ウィーン・フィルのチェロ首席、タマーシュ・ヴァルガさんとご一緒でした。

スマートに、感じよくお話くださったヴァルガさん、ホールのステージで写真を撮ってから、バッハのサラバンドを演奏してくださるびっくりプレゼント。潤い豊かな響きがホールを満たし、記者さんたちも大喜びでした。9月のステージが楽しみです。

その9月のステージが、懇談会のテーマでした。今までウィーン楽友協会との協力でいろいろなコンサートをやってきましたが、今年は「ウィーン・ムジークフェスト2017」という提携企画を、9月にやるのです。主役は、ウィーン・ピアノ界の最高峰と誰もが認める、ルドルフ・ブーフビンダー。氏は巨匠として最近本当に充実しておられ、楽友協会からも強い推薦をいただきました。ご挨拶等、いずみホールのサイトに載っています。

公演は3つあり、17日(日)(←日にち正しい!)がピアノ・リサイタル(モーツァルトのきらきら星変奏曲、ベートーヴェンの熱情、シューベルトの変ロ長調ソナタ)。

20日(水)がダナイローヴァ(ヴァイオリン)、ヴァルガ(チェロ)とのピアノ・トリオ(ベートーヴェンの《大公》とメンデルスゾーンの第1番)。

23日(土)が得意の弾き振りで、ベートーヴェンの三重協奏曲と、第1番のコンチェルト。オケはいずみシンフォニエッタ大阪、ソロはそのコンマス、小栗まち絵さんと、ヴァルガさんです。コンチェルトを、上質の室内楽としてお聴きください。

2万円のセット券を買っていただくと22日(金)の招待券が付きます。これは「楽都ウィーンの音楽生活とホール運営」と題して、楽友協会芸術総監督のアンギャンさんと私が対談します。アートマネージメントに関心のある方に参考になるようにと、内容を準備しています。

今後のためにもぜひ成功させたいと思っています。よろしくお願いします。(9月の予定、放送予定は、追ってご案内します。)

オルガンで満員御礼!2017年08月03日 12時20分22秒

7月29日(土)、いずみホールで、バッハ・オルガン作品全曲演奏会の第11回が開催されました。

このシリーズ、いつも大勢のお客様に来ていただいていますが、満員御礼は、さすがに稀です。今回それが実現したのは、シリーズのためにもたいへんありがたいことでした。

理由を考えてみると、2つありそうです。1つは、プログラムに超有名曲があったこと。もう1つは、出演したパリ・ノートルダム寺院のオルガニスト、オリヴィエ・ラトリー氏のスター性、カリスマ性です。

《トッカータとフーガニ短調》から始まる一番親しみやすいプログラムを、過去10人のオルガニストがどなたも採用されなかった、というのが、1つの偶然。私は、この曲をプログラムの導入に置いていたのですが(ほとんどそうではありませんか?)、ラトリーさんは全体を組み直され、ヴィヴァルディ編曲のコンチェルト( op.3-11)を冒頭に、ニ短調トッカータを、第1部の最後に置かれたのです。

静かに入って最後を盛り上げる形を取りたいという発想からと伺いましたが、その効果はたいしたものでしたね。なにしろ、傑出したテクニシャンで軽やかに、切れ味良くオルガンを弾かれ、じつにスマートなのです。長身で見た目も爽やか。インタビューもドイツ語で、見事に対応してくれました。

《音楽の捧げもの》のリチェルカーレ(6声)を壮麗に弾き上げてコンサートを終えた後、アンコールを弾く前に、手動でストップをほぼ全面的に入れ替えたられました。これは全然違う音になるぞと固唾を吞んでいたら、今まで聴いたこともないような軽快かつシャープな音色で、カンタータ第29番のシンフォニア(無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番第1楽章の編曲)を、鮮やかに。会場の盛り上がりが極限になるとまたストップを大幅に入れ替え、今度は色重視の選択で、シュープラー・コラールの《目覚めよ》を。ファン・サービスを兼ねた、洒落たパフォーマンスです。

そんな方なので、サイン会にはお客様が鈴なり。ツーショットを含めて、写真を撮る方の多さにびっくりしました。こういうオルガン・コンサートも、あるのですねえ。

偉大なる若者2017年04月06日 15時59分02秒

4日(火)、冨田一樹さんのバッハ国際コンクール優勝記念のコンサートを、いずみホールの「バッハ・オルガン作品全曲演奏会」の特別企画という位置づけで行いました。

ヴォルフ先生のリストに基づいて来日するオルガニストが毎回すごいものですから、オルガン演奏における本場の環境や伝統の強みをついつい感じてしまっていた、私。その意味でハードルが高いと思われるオルガン部門を、日本人の青年が、どのように制覇したのか、それはどんな演奏だったのか--。

私は半信半疑に近いほどの不思議な思いで、大阪に向かいました。このコンサート、ありがたいことに早々に完売になったのですが、同じ思いでチケットを買って下さった方も多かったのではないかと思います。

リハーサルにお邪魔し、演奏が始まってからこう思うまで、ほとんど時間はかかりませんでした。「こりゃあ、一位だあ」と。くだんのコンクールの審査員を調べてみると、委員長がラドゥレスク、委員にベーメ、ロト、リュプザムと、いずみホールのシリーズに出た一流の方々が並んでいて、加うるにわれらが松居直美さんと、ヴォルフ先生(+ロシア人一人)。この顔ぶれでの一位はすごいです。

バッハは18歳でアルンシュタットの教会オルガニストになりましたが、当時、これはすごいヤツが出てきた、と思われたわけですよね。私が冨田さんから受けた印象も、それと同質のものだったように思います。内側からほとばしるものがあり、ペダルの迫力は圧倒的。どの作品にも、正面から思い切りよく、まっすぐに切り込んでいるという印象です。

初めからこうではなかったでしょうから、何か飛躍のきっかけがあったのですか、と、舞台上のインタビューで伺ってみました。すると冨田さんは少し考えて、バッハの作曲技法を研究したからかもしれない、と答えられました。作品分析を怠らずやっている、という意味でしょう。

聡明なまなざしで爽やかにそうおっしゃる冨田さんに、私は舌を巻いてしまいました。そう思って後半を聴いてみると、まさに、バッハがその音符をそこに置いた理由が全部わかるように演奏されているのですね。

名オルガニストであるが、それ以上に総合的な音楽家として卓抜な冨田一樹さんでした。これほどの方が日本を中心に活動してくれるのは嬉しいことです。通奏低音奏者としても、指揮者としても成功されるだろうと思います。

イメージは仏様2017年03月26日 22時55分53秒

土曜日にいったん戻り、放送の準備をしてから、日曜日、ふたたび大阪へ。バッハオルガン作品全曲演奏会シリーズのコンサートが月曜日にあり、日曜日にはマスタークラスが開かれるのです。

ジャン=クロード・ツェーンダーさんは、演奏家としても研究者としても著名な方で、私はドルトムントのバッハ・シンポジウムでお目にかかっていました。ちょうど先生がドルトムント大学の名誉博士を取られたときです。その後『バッハの初期作品--様式、成立年代、作曲技法』という2巻本の研究書を出され、ブライトコプフからは新校訂楽譜を出版中、という大先生です。

にもかかわらず、仏様のように柔和な笑顔の、人当たりのいいお方なのですね。私も失礼がないよう、先生の研究を逐一参照して解説を準備しました。ちなみにグレーゾーンから入れていた小さい曲が2曲、偽作としてボツになりました(笑)。

月曜日のコンサート、最後のホ短調プレリュードとフーガを除いてすべてが、初期作品というプログラムでした。ホ短調とその関係調を軸とした選曲の結果そうなってしまったわけですが、普通の演奏家だったら、もたないだろうと思います。

しかしさすがに初期作品の権威で、この曲はこうあるべきと確信を込めてお弾きになり、少しもゆるみがありませんでした。笑顔に似合わず、強靱な構成力をもった演奏なのです。最後のライプツィヒ作品では、いずみホールのオルガンが、いままで経験したことのないほど壮麗に鳴り響きました。

報告するとこうなるのですが、私は休憩前のインタビュー・タイムを仕切るという責任があるので、良かった良かったでは済みません。今回といえば、オルガン席から戻り、演奏が始まったとたん、しまったあそこを訳し忘れた、あそこはもっとこう訳すべきだった、などと反省に襲われ、いつもより、後悔が長引きました。

自己採点は70点。そのぐらいが力に見合ったところなのでしょうが、なんとか100点を取りたい、と思うたちなんですよね。それをひきずっていたら、翌日新幹線までお連れしたスタッフから、先生が昨日のインタビューは本当に良かった、彼もきっとそう思っているだろう、とおっしゃっていたと聞き、一気に肩の荷が下りました。私がどう訳したかは、先生、お分かりにならないはずですが(笑)。

先生とは、国際音楽学会の場(藝大)であっけなく再会しました。コンサート後、先生をお弟子さんたちが囲んでいる写真をお見せします。先生(左から5人目)が小さくなっちゃってすみません。



シフという体験(2)2017年03月24日 22時45分13秒

ラブラドールさんがコメントに、「そこでピアノを弾いているのがシフさんなのかシューベルトなのかわからなくなる」不思議な体験をした、と書かれています。まことに、言い得て妙。シフの存在はいつしか透明化し、ひたすら、シューベルトの音楽が流れている。「この世のものとは思われない」という言葉が、何度も心に浮かびました。

紡がれる響きはまことに多彩で、千変万化の趣。では何色か、と言われると、なぜか、黒としか答えられないのです。しかし濃淡だけがある黒ではなく、矛盾した言い方になりますが、色合い細やかな黒。時間が経つにつれ、そこに温かな色合いが見えてきました。

千変万化というのは、シューベルトの和声--転調を内包した独特の和音運用を表現することによって、起こってくる印象です。私はかねてから、長調から短調へと「沈む」感覚がシューベルト特有のものと認識していました。しかし後期のソナタを聴くうちに、長和音も短和音も結局は1つのものではないか、という気持ちが起こってきたのです。喜怒哀楽は尽きずとも、それらは所詮、現象。それを突き抜けた一種イデア的なものが見えてきた、ということだと思います。

シューベルトの本質は「さすらい」だと言われますよね。確かに音楽には、さすらいのトーンが満ちています。しかし、シフの紡ぐさすらいは、足のそれではないように思われました。その主体は霊--あたかも、《冬の旅》の主人公が追いかける幻惑の光(第19曲)であるかのように感じられたのです。

ト長調ソナタ、イ長調ソナタ、変ロ長調ソナタからこの夜響いてきたもの。それは、さすらいの昇華された「永遠」の姿ではなかったか。でもその永遠は、たとえようもないほどの「はかなさ」と、表裏一体になっていました。永遠は超越世界のものですから、この世の人間の目には、はかなくしか映じないのだろうか。そうすると、永遠とは鏡のように、存在を映すものなのだろうか--。そういうこの世を超えた思いにいざなわれたのが、この日のコンサートでした。そこには彼岸との触れあいがあり、はかなさの中に、救いや慰めもあったと思います。

お客様の反応が、本当に熱かった。余韻を十分に楽しまれてから盛大な拍手が送られ、お立ちになる方もたくさん。立つのを遠慮される方も日本には多いので、事実上のスタンディングオベーションでした。

ついにコンサートが終わり、私は楽屋に駆けつけて、前述の通り、高揚感みなぎるシフさんにお会いしました。姿勢も表情も端正なシフさんですが、「いずみホールのお客様はすばらしいでしょう」と申し上げると大きく表情を崩し、「本当にそうですね」とおっしゃいました。またぜひ、お招きしたいと思います。

シフという体験(1)2017年03月22日 23時14分03秒

お待たせしました。

今年度のシューベルト企画、「こころの奥へ」の最後に、サー・アンドラーシュ・シフのコンサートが置かれていました。曲は、最後の2つのソナタ、第20番イ長調と、第21番変ロ長調です。

ところが、シフ氏から、《幻想ソナタ》(第18番ト長調)をぜひ弾かせてくれないか、というオファーが入ったのです。もちろんお客様への大サービスですから、ありがたくお受けしました。心配は、曲が長いのでお客様のお帰りに差し障りが出ること。チケットはすでに完売でしたから、売り上げに影響はありません。

でもこんなことができるのは、たくさんの曲が完璧に頭に入っている、シフさんならでは。シフさんは、ステージでピアノを弾くことから、もとい、名曲を弾くことから、限りない喜びを発見しておられるのではないか。その世界は「音楽の神様との語らい」としか言いようのないものですから、スイッチが入ったら長く弾きたい、その次元から離れたくない、と思っておられるのではないか。

ですから4曲もアンコールがあり、長いロザムンデの即興曲も入っていたので、終わりが10時になりました。でもイチローさん、楽屋に駆けつけたら、お疲れではまったくなかったですよ。あふれるような高揚感に包まれ、もっともっと弾きたかった、と表情が語っておられました。

話が先走りました。若いときからずっとシフさんを聴いてきましたが、受けるイメージはつねに清新。私より7つお若いし、風貌もつややかです。でも、考えてみれば60歳過ぎの、巨匠なんですよね。

演奏も、まぎれもなく巨匠のものでした。悠揚迫らぬペースで淡々と、自分の世界を作っていく。紡ぎ出される音は円熟していてナマなところは一つもなく、霊的な様相を帯びているのです。(続く)

写真速報!2017年03月19日 00時49分04秒

大阪で2泊。4連泊のはずだったのですが、放送の準備が間に合わないので、今日の午後、いったん帰宅しました。意外にがんばれて、2日分が一応準備できました。明日大阪に戻り、オルガンの公開レッスンと、コンサートに参加します。

ところで、このツー・ショットを、速報でお届けします。隣がどなたかは言うまでもないと思いますが、事の次第は急ぎでは書けませんので、追ってしっかりと。午後10時(!)、コンサート終了直後の映像です。



高貴なる探求2017年03月04日 10時16分01秒

いずみホールの「シューベルト~こころの奥へ」シリーズも、残すところわずか。28日(火)はケラス・トリオ(ファウスト、ケラス、メルニコフ)のコンサートがあり、終了後名古屋泊まり、翌朝は東京で仕事、という強行日程のもとに、聴きに行きました。

演奏は予想を上回る、すばらしいものでした。調弦の時点ですでに、演奏者たちの耳の良さと、音楽への純粋な向き合いが伝わって来るのです。ケラスのセンス抜群のチェロが中心にあり、そのかぎりなく繊細な掘り下げを、ファウスト、メルニコフが共にしていく。

ファウストが一心同体のようであるのはともかくとして、まったく違う性質の楽器であるピアノで、メルニコフはよく一体になれるものですね。ステージでは従者のように木訥なメルニコフですが、その貢献は大きいと思います。

シューマンの第3番、カーターの《エピグラム》、シューベルトの第1番というプログラムは、相当地味。演奏も、受け狙いのところなどどこにもない、高貴なる探求。それを受け止めて、熱烈な喝采を返すお客様もすばらしいなあと思いました。おかげさまで、ホールにとって、歴史に残るコンサートになりました。

無事東京に戻り、《ヴェスプロ》の講座、《フーガの技法》の講座を完遂しましたが、はなはだしく疲労。名古屋泊まりもなるべく減らそうと思います。と思って調べたら、4月に2回も出現することが判明しました。でもこれは、ダブルブッキングではありませんよね。

北村朋幹、ホールを奏でる2016年12月23日 21時51分55秒

思ったより忙しかった「師走」。やっと余裕が出ましたので、心に残る出来事の多かった1週間を、少しずつ振り返ります。

大学の授業を終えて大阪に向かった、16日(金)。翌日10:00に立川にいなくてはならないので、名古屋に中継ホテルを予約しました。チェックインして荷物を置いていこうと、名古屋で下車。スマホを見ながら、ホテルへと歩きます。

途中、おいしそうな台湾ラーメンの看板を掲げたお店があります。通り過ぎてしばらく、実際とは反対方向に歩いていたことに気づきました。かなり時間を無駄にして、ホテルに到着。ホテルとラーメン店は駅を挟んで離れていましたが、間に合うと踏んで夕食へ。

私、台湾ラーメンが大好きなのです。そうしたら、そのお店が、台湾ラーメン発祥の地だというではありませんか!道を間違えたから来られたわけで、これは幸運。マイナスはプラス、という持論を再確認しました。

夜は、いずみホールで、シューベルト・シリーズの第三夜。出演は北村朋幹さんで、ベートーヴェンのバガテル、クルターグの《遊び》を経てシューベルトに進むという、凝ったプログラムが組まれています。シューベルトは、《楽興の時》全曲と幻想ソナタです。

高い構想力をもつ北村さんのことだから何かあるのだろうと思っていましたが、前2曲がシューベルトへの絶妙の道程になっていることに感嘆。かぎりない弱音で弾かれたクルターグから、そのままシューベルトが立ち上がって来たのです。

北村さんの連ねる繊細なソノリティに、会場が水を打ったように聴き入っています。私には、ピアノというよりいずみホール自体を北村さんが楽器として奏でているような気がしてきました。こんなコンサートができて、本当に幸せです。別のホールでは、きっとまったく違う演奏をなさることでしょう。