11月のCD2017年12月01日 11時04分21秒

ボーナス商戦というんでしょうか、11月にはどっと新譜が出ます。しかも重量級のアーチストの勝負録音がまとめて出てくるので、ほかの月ならば選べるのに!ということが起こってしまいます。この11月も完全にそうなりました。そこで、私が推薦するまでもないものは外し(小澤/アルゲリッチのベートーヴェンとか)、特色のあるものを選びました。

それは、テオドール・クルレンツィス指揮、ムジカエテルナの《悲愴》(ソニー)です。重層的な視点から読まれたスコアを太い線でまとめ、「泥沼のような沈黙」と「怒濤のような衝迫」を行き来して、痛切なフィナーレに達します。そこにやっぱり、ロシアがあるのですね。

劣らず面白かったのが、ストラヴィンスキーの《春の祭典》と《ペトルーシュカ》のピアノ連弾(アールレゾナンス)です。青柳いづみこ+高橋悠治という意表の組み合わせは高橋さんの仕掛けのようですが、そこからいかにしてこのクリエイティブな連弾が出来上がっていったかは、青柳さんがライナーで面白く紹介しています。奇想天外なアプローチともいえますが、ピアノによる触感のぬくもりがあり、オーケストラは、私の心から飛んでいってしまいました。高橋悠治さんは、波多野睦美さんと《冬の旅》も出されましたね。すごい人だなあ、と本当に思います。

スペースがなかったので新聞には載せられませんでしたが、「〈1685〉後期バロックの3巨匠」と題した平野智美さんのチェンバロ曲集(ALM)は、たしかな様式観で、雰囲気も優雅にまとめられています。これからの活動が楽しみです。

12月のイベント2017年12月03日 23時09分27秒

11月末日で、早稲田のモーツァルト講座が終わりました。来年は《ヨハネ受難曲》を通年でやります。木曜日の15:00から前期と後期8回ずつで、シラバスを作成中です。

いま一番の切り札である《ヨハネ受難曲》の話、小出しにしていますが、10日(日)にすざかバッハの会で行います(須坂駅前シルキーホール、14:00~16:30)。ここでは少し前に《ヨハネ受難曲》を採り上げましたので、今回はわかりにくくならない範囲で、新研究の成果にしぼりたいと思っています。長いこと隔月でやらせていただいた須坂の講座も、これで一区切りです。

朝日カルチャー新宿校は、3回出番があります。継続講座は6日(水)と20日(水)で、10:00からの「オペラ史初めから」がラモー、13:00からの《クリスマス・オラトリオ》講座が第5部、第6部となります。加うるに、23日の休日10:00から、「光と闇(影)」という長期企画の中で、「音楽における光と影」というテーマを担当します。長調と短調の違いがもう一つわからない、という方もおられるので、そこをしっかりおさえ、「ピカルディ終止」を体感していただけるといいなと思っています。その日はただちに横浜に移動。13:00から、モーツァルト講座を行います。テーマはミサ曲ハ短調です。

立川の「楽しいクラシックの会」はベートーヴェン《フィデリオ》の第2回。4つの序曲の比較をするつもりです。

16日(土)はいずみホールで、ドニゼッティ《愛の妙薬》の公演があります。今月はそんなところです。

一つの区切り2017年12月09日 23時50分35秒

今週はコンサートに3つ行きましたが(うち2つが現代音楽)、主に時間を使ったのは仕事の準備です。朝カルのオペラ史には、欲張ってラモーを3コマ分取りました。しかし詳しいわけではないので、どこを鑑賞するか決め、情報をまとめるために四苦八苦。でもラモー、いいですね。同時期のイタリアに、かなうものはないと思います。

金曜日にはNHKの番組を3本取りました。放送は1月です。企画を「祈りの音楽」としたのはいいのですが、テーマにふさわしい音楽を集めるのに大汗をかきました。でもその過程で、いろいろな曲を知りました。

追われていたため、いつもは早めに送る須坂の資料を、いま作り終わったところです。明日が、最終回。ですのでいい形で終わりたく、2013~4年に勉強した《ヨハネ受難曲》の講義内容を、博論の新情報で補完することにしました。逆に言えば、こういうところで積み重ねたものが、博論の基礎になっているわけです。

私は今の千曲市で子供の頃を過ごしていましたので、その近くを抜けて須坂に行くのが、いつも楽しみでした。明日全力投球することで、将来へのご縁をつなぎたいと思います。

永生七冠になられた羽生竜王、たいしたものですね。いつも新しいものを勉強しておられるのが秘訣だというのは、間違いないと思います。将棋の世界でも、慣れた得意の戦法ばかりやるようになると、勝てなくなるように見えるからです。羽生さん、柔軟な方なのでしょうね。「かたくな」は困ります(笑)。

歌は言葉2017年12月13日 00時22分38秒

須坂の一区切り、無事終わりました。スタッフの方々、会員の方々、ありがとうございました。終了後、ずっと助手を務めてくれたまさお君と山田温泉に一泊。温泉は、閑静なところに限りますね。山田温泉の平野屋さん、お薦めです。あ、山田温泉というのは、志賀高原の中腹にある温泉です。

ところで、私はいつも、歌は言葉が大切だ、と力説しています。言葉が生き生きと、内容を伴って伝わるかどうかで、声楽の感動は根本的に左右される、と思っています。

ですので演奏に対する評価やコンクールの採点にそれがかかわってくるわけですが、問題は、世界にたくさんの言語があり、それぞれの歌があるのに、私が本当に評価できるのはドイツ語だけだ、ということです。本当はそれではいけないと心から思っていますが、ここで考えたいのは、聴く側がよくわかる言語の曲を演奏することは、演奏者にとって損なのか得なのか、ということです。

この問題がむずかしいのは、その外国語で本当に歌えているかどうかが、演奏者にわからない場合が多くある、ということです。一応学習してこれで大丈夫だと思っていても、生きたドイツ語としては伝わっていない、ということがあるわけですよね。そういう事態を、どう考えるか。

2つ、あると思うのです。聴いている人にわからない方が安全だ、と考えるか、あるいは、本当にわかる人に聴いてもらいたい、と考えるか。私はぜひ、後者であって欲しいと思います。私は残念ながらドイツ語しか本当には受け止められませんが、それぞれの言語に、本当にわかる方はいらっしゃることでしょう。

合唱コンクールの全国大会で、そのことをとても感じました。すばらしいドイツ語で驚嘆したのが、郡山五中です。中学生がなぜこんな完璧なドイツ語で歌えるのか、と信じられませんでした。他方、音楽的には本当にいいのだが、そこがいかにも惜しい、という団体もいくつかありました。ぜひ問題意識をもって取り組んでいただきたいと思います。ちなみにラテン語は、発音には複数の可能性がありますので、意味理解が大切になります。

先週オトマール・シェックの歌曲コンサートに行き、望月哲也さんのドイツ語に驚嘆しました。歌は言葉だ、と言ってしまうのは乱暴でしょうが、そう思っていただけるといいなあと思います。

オペラ漬けの週末2017年12月18日 01時26分07秒

この週末は、オペラ漬けになりました。

16日(土)は、毎年1回ずつ続けている、いずみホール・オペラ。河原忠之さんのプロデュースによるシリーズが、今年で一区切りになりました。2011年からの7年間でなんと3回も賞をいただいたのは、ホールとしてはありがたいかぎり。河原さん以下、ご協力いただいた皆さんに御礼申し上げます。

今年の演目がドニゼッティの《愛の妙薬》になったのも、平素の企画になかなか入れられないでいただけに、ありがたいことでした。合唱とオーケストラが大阪(大阪音大のザ・カレッジ・オペラハウス)、歌い手が各地からの寄り合い--今回は大阪(石橋栄実、田邉織恵)、名古屋(中井亮一)、東京(黒田博、久保田真澄)から--というのが、基本的な形態。オペラをやることなど少しも考えずに設計されているホールですからさぞやりにくいだろうと思いますが、その空間をもれなく使い、合唱を効果あらしめる粟國淳さんの演出は、さすがです。

東京からもぜひ観に来ていただきたいなと思うのは、大阪のプリマ、石橋栄実さんがますます輝きを増しているからです。アディーナは初役だそうですが、フロアでは、その美しさに賛辞が集中。音楽面も含めて、私もまったく同感です。つねに誠実に勉強され、崩れたところがないのです。

17日(日)は、立川の「たのくら」(楽しいクラシックの会)で、《フィデリオ》の勉強2回目になりました。第2幕のあと、4つの序曲を年代順に鑑賞。これは、興味深い経験でした。終了後は皆さんが感想や質問を述べられるのですが、今回は、ベートーヴェンのオペラ作法に疑問を呈する意見が次々に述べられ、ディスカッションに発展。皆さん、ご意見をお持ちなのです。

夜は、NHK音楽祭の《ワルキューレ》にチャンネルを合わせました。評判どおり、白熱の名演奏でしたね。ミュンヘンのオペラ・ハウスでサヴァリッシュ指揮の全舞台作品演奏に接したのは大切な思い出ですが、どうやら、昔は良かった、などとは言ってはいられないようです。昔は、フォークトのようなテノールはいませんでしたから。それを含め、最先端の演奏であったと思います。

私、老衰?2017年12月19日 22時58分33秒

実話ですが、ありがちなことかどうか。

月曜日に歯医者に行く際、診察券の発見に手間取りました。名刺の間から無事発見し、近くの医院へ。ところが、保険証は提示できたものの、診察券が見あたらないのです。財布の中身を全部出して調べましたが、なし。発見はしたが、家に置いてきた、ということのようです。

なじみのお医者さんなので、大丈夫ですよということになり、チェアへ。その時シャツの胸ポケットに入れたかもしれないと思い至り、調べるとありました。保険証を出した財布に入っているとばかり、思い込んでいたのです。

治療の最中に、お金が足りるかどうか、不安になってきました。日曜日にCDを購入してお札がなくなっていましたので、仕事でいただいた交通費の封筒をもってきたのですが、入っている千円札は4枚だけ。微妙なところです。足りないときにどうするかのシミュレーションを頭の中でしながら、治療を受けました。

チェアに乗るさいメガネを外しましたが、終わったら見つかりません。どこかに置いたのですが、と言っても、ありませんというお返事。探しているとアシスタントの方が、ポケットではないですか、とおっしゃいます。たしかに、上着の内ポケットに入っていました。普通、ここにメガネは入れません(と思う)。

支払いは、3000円台でセーフ。しかし帰宅してみたら、日曜日にいただいたギャラが、ポケットに入っているではありませんか。心配する必要は、まったくなかったのです。

われながら失笑する一連の経緯ですが、歯医者さんサイドから見れば、いよいよこの人も、ということになりそうです。特定の「症」に、歩みを進めていなければいいのですが・・。

カラオケで懇親会・新宿篇2017年12月21日 22時53分52秒

20日(水)には、朝日カルチャーのオペラ・クラスとバッハ・クラス合同の懇親会が予定されていました。講座の終了後です。

ところが、新宿で降りる頃、財布がないことに気づいたのです。持たないで出てきた可能性大ですが、落とした、掏られたという可能性も排除できません。歯医者に持っていった金一封を持ち越していたので、お金は何とかなりそうでした。

講座修了後、幹事さんの予約しておいてくれたカラオケへ。ただし横浜のような純粋のカラオケではなく、パーティスペースを兼ねた、パセラというお店です。部屋がちょうどいい広さで話しやすく、「懇親会はカラオケで」という横浜路線が実証される形になりました。やっぱり懇親会、必要ですね!皆さんとの間がぐっと近くなり、楽しかったです。

終了後有志で、歌舞伎町のHeart Dinin'Bar &Kへ。このお店、いったん店じまいして、その後再開したと聞いていました。しかし訪問は初めてです。食事メニューが簡素化されたようですが、飲む空間として快適なのは相変わらず。お薦めできると思います。

帰路がぜん気になってきたのは、財布が家にあるかどうかということです。前話のままですから現金は入っていませんが、カードは何枚も。紛失したとすると、処理が面倒です。しばらく探しましたが見つからず、あきらめて就寝しました。

今朝捜索を再開したところ、思わぬところから発見し、ほっとしました。思わぬところというのは、灯台もと暗し、という意味です。暗さは相当で、やっぱり、老衰のきざしありのようです。

付記:Apple IDを使用してiCloudにサインインした、というメールが来ました。アカウントを保護するためにIDはロックされている、という文面で、「アカウント情報を見る」というリンクがあります。私がiPhone6でログインするはずはないのですが、誰かが悪用したのかと思ってリンクをクリックしたところ、セキュリティが搾取のサイトだと表示してくれて、事なきを得ました。皆さん、ご注意ください。

計算がたいへんで・・・2017年12月24日 15時33分10秒

今年の仕事も、大詰め段階。22日(金)は、NHK「古楽の楽しみ」録音の最終日でした。

番組の準備には、かなり手間がかかります。手間の度合いは条件によって異なりますが、まちがいないのは、専門から離れるにしたがってたいへんになること。最近のように「・・の歴史」といった企画を立てると、離れたところから出発せざるを得ず、課題が多くなります。

予備知識が少ないですから、どんな曲があるか、どんな録音があるか、というところから始まり、集まった素材から趣旨にマッチするものを選び、それらを時代を追って、あるいは地域を経めぐる形で、並べてゆく。枠組みは「54分40秒」。少し短くても終了テーマが肩代わりしてくれますが、超えてしまうとアウトです。

歴史を遡るほど曲は短くなるので、たくさんの組み合わせが必要になります。候補曲のどれとどれを組み合わせるかは、最初は音楽的な問題ですが、進むにつれて、足し算引き算という数学的な問題になってゆきます。

私が計算に強ければ、それもまた、シンプルな作業でしょう。問題は、私が計算に弱い、しかも日々弱くなっている、ということにあるのです。間違った計算を含む形で帳尻合わせをしてしまうと、曲を差し替え、解説を書き換えなくてはなりません。そしてそれが、いつもの作業なのです。

準備したCDを郵送した後、メールでディレクターに解説原稿を送ります。すると、その段階で計算間違いを指摘される頻度が、じつに高い。原稿に大ナタを振るって帳尻を合わせたのに、じつは前の形でよかったのだ、などということになると、目の前が暗くなります。しかしまた、「ジャケットには7分と書いてありますが、計ってみたら11分でした」、といったケースも、まれにあるのです。そうなるともちろん、根本的な再検討を迫られます。

今回もそうしたことが起こりましたが、なんとか3本を録音しました。目下、「変奏曲の歴史」というシリーズを準備中です。

終了後、サントリー芸術財団の忘年会へ。私は三宅幸夫さんの思い出話をして、献杯をするという役回りでした。最近はいつも書いたものを持つのですが、今回は紙に書くタイミングを失し、まあ大丈夫だろうと、ぶっつけで本番へ。

そうしたら、計画した話の段取りを思い出せず、2回、立ち往生してしまいました。やはり、書いておかなくてはダメですね、この歳になると。

立食の会合では飲みながら歓談に専念し、帰路ラーメンを食べるのが、いつものことです。この日もそうしようと思い、スイカのチャージをしてから地下鉄に乗りました。その結果財布が空になったため、銀行でお金を下ろしてからお店に入ることにし、吉祥寺で下車しました。

そうしたら、銀行のことなどすっかり忘れて、お店に入ってしまったのです。はっと気がつき、カードが使えるといいが、と、心でお祈り。レジでは案の定「うちはカードは取り扱っておりません」とのことで、うなだれた私はいったん店を出てお金を補充し、お詫びして支払いをしました。

こんなことばかり書いていますね。自分は果たして大丈夫なのかな、と思うことの多い、この師走です。

綱渡りの仕事納め2017年12月25日 23時09分23秒

23日(土)が、今年の仕事納めでした。私が朝から緊張していたのには、2つの理由があります。1つは、午前中の朝カル新宿校の講座が、「光と闇(ないし影)」という分野横断の特別講座で、かなりのお客様が予想されたこと。もう一つは、午後に横浜校の定例のモーツァルト講座があり、時間内に移動できるかどうか、危惧されることでした。

新宿を12:00に終え、横浜を13:00に開始するためには、12:15の東海道線に乗車することが条件になります。過去に一度成功したことがありますが、カルチャーは駅から西、ホームは東端の1番線ですから、決死的に急がなくてはなりません。

とにかく、10時ぴったりに講座を開始することが先決です。しかし運が悪いのですね。中央線が事故で、しばらく止まってしまったのです。もう間に合わない時間でしたが最善を尽くそうと思い、動く歩道のところまで走りました。都庁に向けて3本の動く歩道があり、それでかなり時間を短縮できるのです。

ところがところが。この日は休日で、歩道が止まっているではないですか。ガックリきましたが、できるだけ急ぎ、なんとか5分遅れで開始することができました。

この日は、長調と短調の違いを、音階、和音、カデンツで学習し、その使い分けや相互乗り入れをさまざまな実例で鑑賞し、最後に、「短調を長和音で終える」ピカルディ終止の味わいを体得していただく、というメニュー。厄落としをしているので講座は快調に進み、質疑応答では、じつにたくさんの手が上がりました。

これはとても嬉しいことでしたが、必然的に移動が遅れ、横浜は結局13:10スタートとなって、延長で処理させていただきました。横浜の皆さん、ごめんなさい。

充実という点では、間違いなく今年指折りの一日。しかしものすごく疲れました。足をひきずって帰る姿は、人に見せられなかったです。

オペラ史の概念をくつがえす--今月のCD2017年12月28日 21時27分24秒

今月はすばらしいものがありました。ラファエル・ピションとピグマリオンが、「愛の蕩尽!」と題して、フィレンツェ・メディチ家の祝宴でオペラがまさに花開こうとする瞬間を復元したのです。今年のライプツィヒにおけるモンテヴェルディ《聖母マリアの夕べの祈り》の感動をまざまざと蘇らせる圧巻の出来映えで、本当のオペラはモンテヴェルディから、という認識に修正を迫ってきます。

1589年に上演された『ラ・ペレグリーナ』というドラマの幕間劇をベースに、由来さまざまな音楽を創造的に組み合わせて、4つの音楽劇が生み出されています。題して、「愛の帝国」「アポロの物語」「オルフェウスの涙」「高貴な恋人たちのバレエ」。

作曲家はファンティーニ、カッチーニ、マレンツィオ、マルヴェッツィ、ガリアーノ、ペーリ、カヴァリエーリ・・などなどの人たちで、ただ、モンテヴェルディだけがいない。しかし音楽はほとばしるような生気にあふれ、気宇壮大で、和声感も見事。この思い切りのよさこそ、古楽の最先端なのです。

カッチーニやペーリはいままでミニアチュアのように思っていましたが、それが古楽的でありながら、壮麗といいたいほど立派に聞こえるのですね。どの時代の音楽にもそれ自身のベストがあって、演奏によってそれが少しずつ発見されているのだ、という感じがします。

リュリ以前のフランスの音楽劇を再現したドセのCDで、似たようなことを書きました。同じハルモニアムンディの、縦長ケースのシリーズに属する新譜です。詳細な台本と解説の詳細な日本語訳がついていますから、ぜひお薦めします。