今月のイベント2017年10月02日 22時35分20秒

運命の10月2日、その夜。「達成感」「解放感」「しみじみ感」の3つのシナリオを予想していましたが、そんな嬉しいものではなく、「茫然感」というあたりでしょうかね。話題はいろいろありますので、これから補っていきたいと思います。その前に、今月のイベント案内を。

第1,第3水曜日の朝日カルチャーセンター新宿校が、新サイクルです。午前の「オペラ史初めから」は18世紀に入り、4日がナポリ派、18日がヴィヴァルディ。わあ、準備しなきゃ。午後のバッハ講座が復活し、今期は《クリスマス・オラトリオ》です。両日の午後です。

朝日カルチャー横浜校も新サイクルですが、モーツァルトのピアノ協奏曲が終わったので、今季はウィーン時代の声楽曲を少しずつやることにしました。平素は第4土曜、今月は第2(14日)に変更していただいています。《後宮》を、2回でやります。13:00~15:00です。

早稲田エクステンションセンター中野校の秋のシリーズが、今週5日から始まります。毎週木曜日の午後15:00~17:00で全8回、という余裕あるスケジュールをいただいたので、モーツァルトの最後の年を、ゆっくりたどりたいと思います。といっても作品がたくさんありますから、ぐずぐずできません。

立川の楽しいクラシックの会は21日(土)の10:00からで、「《ばらの騎士》の美学」その2です。この作品、本当にしびれますね。その日の午後、15:00からサンシティ市民合唱団(越谷)で、《ヨハネ受難曲》の話をします。研究後最初のアウトプットです。

22日(日)は「すざかバッハの会」のワーグナー・シリーズ最終回。《パルジファル》その3です。12月の例会では、《ヨハネ受難曲》研究を終えて、という講演を予定しています(12月10日)。

28日、29日の終末、大阪で、全日本合唱コンクール全国大会の審査をします。以上、よろしくお願いします。--終末でなく週末でした。ずっと受難曲をやっていたので、つねに「終末」と変換していたのです(笑)。

【追加】7日(土)の13:30から、立川の武蔵野ホールで恒例のコンサートをするご案内を洩らしました。井坂惠さん(メゾソプラノ)、久元祐子さん(ピアノ)で、「自然を見つめて」と題し、美しい自然を歌った内外の名曲をご紹介します。満席かもしれませんが、ご案内させてください。

ほんとですか2017年10月05日 23時52分26秒

いろいろ書きたいことがありますが、疲れているのに休めていない、という状態なので、とりあえずつなぎの話題です。

4日(水)に、新国立劇場の《神々の黄昏》に行きました。新聞批評の対象になっており、まだ提出していませんので感想は控え、食べ物の話題を。

休憩が45分ありましたので、初台地区に行き、喜多方ラーメンを食べました。私、あらゆるラーメンのうちで喜多方が一番好きです(きっぱり)。とくに「ネギラーメン」を好んでいます。お店は「坂内」のチェーン店ですが、新しいお店だと思います。

待っている間に、張り紙の情報を見てびっくり。なぜなら、スープが豚骨だと書いてあったからです。恥ずかしながら、不肖私、豚骨ラーメンはラーメンではない、と叫ぶ一方で、喜多方ラーメン大好き、と言ってきたのでした。ラーメンを長いこと食べてきましたが、どうやら区別の根本が、誤っていたようです。もう一度、ラーメンを食べ直さなくてはいけません(汗)。

絶唱・《浜辺の歌》2017年10月08日 12時13分18秒

タイトルをご覧になって、イメージ、湧きますか。《浜辺の歌》--林古渓作詞、成田為三作曲(大正5年)の、皆様ご存じの歌です。その絶唱って、ありうるだろうか。あるとしたらどんなものだろうか。首をひねられて、普通だと思います。

それに、出会ったのですね。場所は、立川セレモア構内の武蔵野ホール。井坂惠さんのメゾソプラノ、久元祐子さんのピアノ、私が司会解説をする、「自然を見つめて」と題したコンサートにおいてでした。

このホールは5~60席しかないのですが永田穂先生の設計で音響効果がよく、遮音効果が高いので、空間を共有して音楽に没頭できます。プログラムはシューベルトで始まり、日本の歌曲を連ねてからロマン派のピアノ曲に戻って、モーツァルトで締める、という構成になっていました。


で、私の当たり前の解説の後、第5曲《浜辺の歌》になりました。私はなにげなく聴き始めたのですが、井坂さんの歌がただならぬ気配を発散し始めたため、にわかに緊張を覚えました。

この曲、一番は「あした(=朝)浜辺をさまよえば、昔のことぞ偲ばるる」と始まり、その先は叙景になる。二番は「夕べ浜辺をもとおれば、昔の人ぞ偲ばるる」となって、やはり叙景に移ります。ですので、私は叙景の歌だと思っていました。朝は昔の事を偲ぶ、夕方は昔の人を偲ぶというのも平明なバランスで、昔の教室で歌われるのにふさわしい、などと。

ところが、このまさに昔を偲ぶというところで歌に大きな感動がこもり、二番では涙を流されているように見えるではありませんか。そうか、林古渓にもそういう体験があって、それが一見平明な歌になっているのかも知れないな、と、これはすぐ思いました。

井坂さんは、「母の歌はたくさんあるが父の歌は少ない」と平素おっしゃり、父の歌を大切に歌われます。最高のレパートリーは、高田三郎先生の《くちなし》です。プログラムでは、《宵待草》をはさんで7曲目に《小さな木の実》、8曲目に《くちなし》が組まれています。そうか、そこへの流れでここに《浜辺の歌》が置かれていたのだな、と、流れの中で確信しました。


こうなると、唱歌は唱歌らしく、などという様式観の問題ではないですね。演奏によって歌の世界がどれほど広がるかの、すばらしい実例です。私、本当に勉強しました。

ホール備え付けのベーゼンドルファーによる久元さんのソロ(《愛の夢》と《小犬のワルツ》)が場を盛り上げたところで再登場された井坂さん、お得意のケルビーノのアリアで締めくくられました。衣装は、もちろんそれらしく。お疲れさまでした!



論文完了2017年10月10日 22時05分56秒

今日をもって、論文が完全に手を離れました。2日に本体は提出していたのですが、追加提出すべきものが若干あり、完了は今日、10日になりました。事務局には、本当に親切に対応していただきました。

審査等ありますので公表は先になりますが、概要だけ。

全3部。本体はA4の用紙で292枚、別冊の図版・譜例が102枚です(図版71、譜例223)。内容は、第1部がキリスト教関係(受難、福音書、礼拝、コラール等)で、68枚。第2部が受難曲の歴史とバッハの《ヨハネ受難曲》作品史を中心に、50枚。第3部が作品各論で、148枚、残りが参考文献と付録になります。ファイル3つを1点として提出しました。

がんばったと思いますが、いま、反動が来ています。言葉を換えると、消耗感ですね。ゆっくりお休みくださいと言ってくださる方もありありがたいのですが、消耗していると、心地良く休むこと自体が困難だとわかりました。時間が経つと元通りになるのか、論文を書いた代償として生命力をなにほどか失ったのか、それがわかりません。

ずっと机に向かっていました。ペースが戻った今も、仕事をするにしろしないにしろ、形はそのままです。そうしたらテレビで、座ったままというのは寿命を縮める、という番組をやっているではないですか。とはいえ、コンサート巡りといった活動は、まだ辛いです。

固有名詞をどう読むか2017年10月12日 23時27分08秒

標記のことに関して、印象的な出来事があったので書きたいと思います。

外国のことについて書いたり話したりしていて、もっとも気を遣うのがこのことです。悩んだ経験のある方も、たくさんいらっしゃることでしょう。

大学に入って間もない頃、杉山好先生から、ドイツ語をきちんと読むことについて強烈な洗礼を受けました。その中に、固有名詞の発音をきちんとすること、というのも入っていました。カタカナで覚えている人名や地名と本場の発音が大いに違うというのは衝撃で、きちんと勉強し、きちんと表記しようと、心に誓ったわけでした。

杉山先生はドイツ語教育に関しては職業的な使命感をお持ちでしたから、そのカタカナ化は厳格で、バッハの世俗カンタータにおけるギリシャ神話の登場人物についても、ドイツ語ではこう発音する、と注釈をお書きになる念の入れようでした。ただ、古典ギリシャ語の長短を持ち込むのは行き過ぎだとおっしゃり(「ソークラテース」のように)、日本なら日本人の口(Volksmund)に合った修正があっていい、と言われていたことを覚えています。重要なご指摘です。

音楽の研究を始めてみると、この世界にも、発音の厳格化を志す先生が複数おられることがわかりました。私も基本的に、その方向で出発したわけです。でもやってみるとそれはひじょうに困難なことで、長所も短所もあり、私は少しずつ、折衷的なやり方をするようになりました。

先日、国際陸上の中継を見ていたら、とても珍しい名前のドイツ人がいたのですね。でも綴りを見ると、ごく普通の名前。読み方の問題であるわけです。しかし私がわかったのはドイツ人だったからで、どう読むのやら、判定しようのないものが圧倒的多数です。知っているものだけ正したくなるのも狭量、という気もしますが、それぞれ正し合わないと進歩しない、ということもあるでしょう。もちろん、世界中の選手が出てきたのでは、それぞれを現地発音でというわけにいかないのは当然です。ただ、違う読み方がそのまま定着してしまう困るケースも、あるかと思います。

簡単な前振りをしようと思って書き始めましたが、皆様お気づきのように、これは気が遠くなるほど複雑なことです。しかし体験談自体はシンプルなので、次回に。

二人称代名詞2017年10月14日 22時55分57秒

承前。厳格な表記を行うには、指標が必要です。おそらく多くの人がそのために役立てているのが、ドゥーデンの発音(Aussprache)辞典なのではないかと思います。

これにはドイツ人だけでなくたくさんの人名が収録されています。しかしそこで記号指示されている発音は、理に適ってはいても、現実にはそぐわないのではないか、という思いが募ってきていました。そこで起こったのが、次のエピソードです。

いずみホールの仕事をするようになってから、ウィーン楽友協会の現芸術監督、トーマス・アンギャン夫妻の知己を得ました。ウィーン関係のイベントには欠かさず来日してくださるのですが、さすがの高貴なご主人であり、奥様で、卓越した社交術をお持ちです。多くを学ばせていただいています。

仕事上のお付き合いですからもちろん丁重に会話していたのですが、相当仲良くなってきて、これはもう友達づきあいに脱皮してもいいのではないか、と思うに至りました。すなわち、二人称をduで会話する(dutzen)よう、提案するということです。しかし貴族的な方々ですから、ためらいを感じます。

二人称代名詞がSieからduに変わるのは、旧世代の地位ある方々にとっては、1つの儀式なのです。ヴォルフ先生との間で交わされたその儀式については、本ブログでもご報告しました。リフキンさんとも会話はドイツ語ですが、これはどこからduに変わったか思い出せません。アメリカ人だからだと思います。また、福島でお会いしたピーター・フィリップスさんは、できればドイツ語で、とお願いしたらいきなりduで振ってこられ、これは面くらいました。もちろん、ありがたくdutzenしましたが。

「これからはduで話しましょう」という古来の儀式は、目上から言い出すのが鉄則です。アンギャンさんと私の場合、国際的な地位は先方が上、年齢は私が上、という関係です。まあ年齢が大事だろうと判断し、食事の席で隣になった時に、思い切って切り出してみました。すると、「それは嬉しい、ありがとう」というお返事です。儀礼的にそうおっしゃった可能性もあり心配しましたが、翌日どんどんduで話して来られたので、ほっとしました。

といういうわけで、左からトーマス(・アンギャン氏)、その奥様(後述)、私です。


さて、その奥様は、Eva Angyanとおっしゃるのです。この「Eva」がまさに読み方問題のよき実例。「E」を伸ばすか否か、「v」を濁るか否か、それが問題です。

子音1つの前の母音は長音、という原則からすると、「エーファ」か「エーヴァ」となります。そしてまさにその2つが、この順序で、Dudenの辞典に示されているのです。(もしかすると、最近の版では改められているかもしれません。)

「v」は、濁る場合と濁らない場合の両方があり、案外濁らないことが多いです。地名では「ハノーヴァー」ではなく「ハノーファー」、人名では「クサ-ヴァー」ではなく「クサーファー」が、私の知るかぎり普通です。

しかし奥様の言葉が「エヴァと呼んでね」と聞こえたので、「エーファ、エーヴァのどっち?」と聞き返したところ、「エヴァよ」とおっしゃるのですね。長年の疑問が氷解した瞬間でした。「エヴァ」なんて呼んでしまい、罪深い心境です(笑)。

おまけは、水もしたたる美音・美男のチェリスト、タマーシュ・ヴァルガさんとのツー・ショットです。どうぞご覧ください。



日本語でどう言うか2017年10月16日 22時31分47秒

duで話そう、という会話をしているとき、エヴァさんが、日本語では何というのか、と訊かれました。ドイツ語のSieとdu、フランス語ならvousとtuに当たる日本語は何か、という質問です。

日本語にそういう区別はない、と申し上げると、エヴァさんは、「じゃ、英語と同じね」とおっしゃるではないですか。そうか、英語ではあらゆる人が自分を「I」といい、あらゆる人が相手を「you」というわけですね。

頭にたくさんの言葉を思い浮かべつつ、日本語ではたくさんあるんだ、とお答えしました。1つにしてしまう英語も、たくさんある日本語も、どっちも別の意味ですごいなあ、と思いますが、選択肢の多い日本語のすばらしさを再認識しました。

ただこれは、翻訳のとき、いつも問題を生み出します。たとえばイエスがサマリアの女に声をかけるとすれば、「あなた」「お前」「君」のどれがいいでしょうね。自称も、いつも「私」では変だ、という気もします。

しかし外国人の立場に立ってみると、1人称代名詞、2人称代名詞がいくつもあって使い分けるというのは、学習意欲を失わせるほどややこしいことであるにちがいありません。同情します。

今月の「古楽の楽しみ」2017年10月18日 23時17分20秒

やっと録音を済ませたところです。今月の出番は最後の週で、パーセルを特集します。パーセル特集は2回目。極力新録音、というポリシーを守りました。全4回です。

10月30日(月)は、セミ・オペラ《アーサー王》の抜粋。演奏はフレデリック・ショーヴェ指揮、バロックオペラ・アムステルダムの2012年の録音です。バロックオペラを謳うだけあり、雰囲気のある、いい演奏です。

31日(火)は、ジャンルを超えたプログラムです。まず聖セシリア日のためのオード《ようこそ、あらゆる楽しみよ》(第1作)を、デュメストルの2016年最新録音で。次にザ・シックスティーンの2016年最新録音から、重唱曲、キャッチ、チェンバロ曲、アンセムの、とても気の利いた配列部分を切り出しました。最後は、名作とされるアンセム《心に湧き出る美しい言葉》を、シャンティクリアの演奏で。

11月1日(水)は、劇音楽にフォーカスしました。ホグウッド指揮の《アブデラゼル》組曲から入り、トリオ・ソナタとチェンバロの組曲を混ぜながら、アンドレアス・ショルのカウンターテナーによる歌を3曲。最後を《ほどかれたゴルディウスの結び目》組曲で結びました。ショルのCDに入っている、アカデミア・ビザンチナの演奏です。

2日(木)は、セミ・オペラに戻り、パーセルの遺作《インドの女王》(未完)を、ザ・シックスティーンの2014年の録音から抜粋しました(短いのでほとんど全部です)。

あらためて、パーセルの音楽の美しさを満喫。いままでセミ・オペラはみんな同じようなものに感じていましたが、今回ストーリーと突き合わせて調べ、特徴がよくわかりました。《アーサー王》と《インドの女王》、どちらも感服の名曲です。お楽しみください。

番組作り2017年10月25日 22時25分53秒

月日が経つのが早いというのは、週単位、月単位、年単位で感じるものですね。週単位で早いと感じさせるのは、テレビ番組の循環。年単位は、お正月とか、誕生日とか。私の場合、月単位の早さを痛感するのが、NHK「古楽の楽しみ」の巡りです。月末に、来月の企画を提出してください、という連絡が回るからです。

いまパーセルの特集が進行中ですが、すでに、来年1月の企画を提出したところ。今月は、パーセルの4本を含めて全部で9本の番組を作らなくてはならず、今週の金曜日と来週の月曜日に、来月分を録音します。論文の終わるのを待っていたために、今月、2ヶ月分を消化する必要が生じました。

11月が今年の終わりになりますので、バッハの新録音特集をします。今までわりと気軽に作っていたのですが、それではいけないような気がしてきて、配分を工夫しました。少し凝ろうと思うと、しっかり、時間がかかりますね。

よくしたもので、ぎりぎりの段階で到着する名演奏が、何点か。収録日との相談ですから、運もあります。CDにとっての運というより、私にとっての運です。私は特集制をとっていて、なるべく曲を重複しないようにしていますから、すでに放送した曲にいい新録音が出ると、こうした形で消化しています。バッハに限ってですが・・。

今月のCDは、シャイー指揮、スカラ座フィルの「スカラ座の序曲・前奏曲・間奏曲集」を選びました。有名曲、無名曲を取り混ぜた選曲がよく、イタリア・オペラの醍醐味が感じられます。

秋の実感2017年10月27日 10時39分50秒

広島、横浜DeNAに敗れましたね。ぶっちぎりの1位だったのに不合理だ、という意見ももっともだと思いますが、野球を楽しめる期間が長くなるという利点が大きいように感じます。横浜か巨人かで、最後まで楽しめましたし。

横浜は、昔大洋ホエールズだったころから好きなチーム。しかしソフトバンクが相手では、広島の方がよかったかな、と思わないでもありません。今年は例外的に、セ・リーグを応援することになりそうです。

ドラフトも面白いですが、育成を含めて114人も指名されたのですね。ドラフト外で入る人もいるわけですから、辞める人の数も多い、ということですね。なんとも厳しい世界です。でもその厳しさが、プロの世界を成り立たせているということでしょう。

最近、いろいろなところで新旧交代を実感します。将棋の世界でも、ここへ来て急速に新旧交代が始まったという感じがします。10月に入ったときにテレビのキャスターがかなり交代したときにも、それに近い思いを抱きました。そうか、議員さんたちも交代し、秋深まる、ということですね。

今日はNHKの録音をしてから大阪に向かいます。ちょうど日本音楽学会の全国大会が関西で開かれている時で、欠席となり申し訳ありません。盛会をお祈りします。