イタリア語 ― 2010年11月03日 23時45分04秒
音楽の世界でとりわけ重要な言語が、イタリア語です。
私は大学時代に2年間、イタリア語をとりました。いい先生で成績も悪くなかったのですが、専門のしからしむるところとして、あまりちゃんとやる機会がありませんでした。したがって、《ポッペアの戴冠》の台本訳も、既存の訳、諸外国語への訳を参照しながら、全部辞書を引き、全部変化形を確認するような形で進めています。かなりわかるようになってきた段階で、感想が2つあります。
ひとつは、ヨーロッパ言語のもっている、共通性です。語学の基本は同じだなあ、と実感します。たとえば、接続法や条件法への感覚は、1つの言葉できちんとやっておけば、相当まで、諸言語に生かすことができる。とりわけ接続法の勉強は欠かせないと思いますが、近年の語学教育では、省かれることも多いとか。会話でもひんぱんに使われるのに、なぜでしょうか。
もうひとつは、ブゼネッロの台本の、レベルの高さです。語彙豊富な絢爛たる文体は、いわゆるイタリア・オペラの台本と比べても、傑出していると思います。ついわれわれは発展史観でものを考えてしまいますが、ルネサンスから初期バロックにかけてのイタリア文学のレベルは、際だっている。こうした前提あってこそのモンテヴェルディのオペラなのだなあ、と思うことしきりです。
私は大学時代に2年間、イタリア語をとりました。いい先生で成績も悪くなかったのですが、専門のしからしむるところとして、あまりちゃんとやる機会がありませんでした。したがって、《ポッペアの戴冠》の台本訳も、既存の訳、諸外国語への訳を参照しながら、全部辞書を引き、全部変化形を確認するような形で進めています。かなりわかるようになってきた段階で、感想が2つあります。
ひとつは、ヨーロッパ言語のもっている、共通性です。語学の基本は同じだなあ、と実感します。たとえば、接続法や条件法への感覚は、1つの言葉できちんとやっておけば、相当まで、諸言語に生かすことができる。とりわけ接続法の勉強は欠かせないと思いますが、近年の語学教育では、省かれることも多いとか。会話でもひんぱんに使われるのに、なぜでしょうか。
もうひとつは、ブゼネッロの台本の、レベルの高さです。語彙豊富な絢爛たる文体は、いわゆるイタリア・オペラの台本と比べても、傑出していると思います。ついわれわれは発展史観でものを考えてしまいますが、ルネサンスから初期バロックにかけてのイタリア文学のレベルは、際だっている。こうした前提あってこそのモンテヴェルディのオペラなのだなあ、と思うことしきりです。
珍しく ― 2010年11月01日 23時19分14秒
私は風邪を引かないのが特徴で、何年に一度、引くか引かないかです。そう言っていたら、引いてしまいました。9月、10月とほとんど休みなしの激務だったので、先週のちょっとした気温の変動にやられたようです。
というわけで、今日は会議を休みました。ちょうど芸術祭期間で授業がないものですから、休養させていただきました。風邪もいろいろだと思いますが、普通の風邪であれば、神様の与える休養という意味合いもあるのではないでしょうか。関係の方々には、ご迷惑をおかけします。
というわけで、今日は会議を休みました。ちょうど芸術祭期間で授業がないものですから、休養させていただきました。風邪もいろいろだと思いますが、普通の風邪であれば、神様の与える休養という意味合いもあるのではないでしょうか。関係の方々には、ご迷惑をおかけします。
オペラ制作スタート ― 2010年10月29日 12時10分11秒
27(水)、28(木)の両日、モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の稽古に入りました。とりあえず準備のできたところを聴かせてもらいながら、できる範囲で指導したところです。ドクターコースの学生を中心にみな一定の実力を備えているので、かなりのところまで行くのではないかと楽しみです。キャストを発表します。
幸運の神フォルトゥーナ/小姓 川辺茜(ソプラノ)
美徳の神ヴィルトゥ/侍女 山崎法子(ソプラノ)
愛の神アモーレ 高橋幸恵(メゾソプラノ)
将軍オットーネ/乳母アルナルタ 湯川亜也子(メゾソプラノ)
ポッペア 阿部雅子(ソプラノ)
皇帝ネローネ 内之倉勝哉(テノール)
皇妃オッターヴィア 高橋織子(ソプラノ)
哲学者セネカ 狩野賢一(バス)
ヴァイオリン 渡邊慶子、大西律子
ヴィオラ・ダ・ガンバ 平尾雅子
指揮・チェンバロ 渡邊順生
音楽監督・演出 礒山 雅
12月26日(日) 14:00 須坂メセナホール小ホール
主催 すざかバッハの会
一応演出なので、イメージを温めています。プロローグにおける3神の争いをどうするかがまず問題ですが、「幸運」をど派手に、「美徳」を超みすぼらしく、という発想で、衣装のアイデアを求めてみました。するとある学生の曰く、「幸運」は小林幸子(歌手)をモデルにしたらどうか、と(笑)。まあ、楽しくやっております。
幸運の神フォルトゥーナ/小姓 川辺茜(ソプラノ)
美徳の神ヴィルトゥ/侍女 山崎法子(ソプラノ)
愛の神アモーレ 高橋幸恵(メゾソプラノ)
将軍オットーネ/乳母アルナルタ 湯川亜也子(メゾソプラノ)
ポッペア 阿部雅子(ソプラノ)
皇帝ネローネ 内之倉勝哉(テノール)
皇妃オッターヴィア 高橋織子(ソプラノ)
哲学者セネカ 狩野賢一(バス)
ドルシッラ 小島芙美子(ソプラノ)
ルカーノ 小堀勇介(テノール)
美の神ヴェーネレ 大峡喜久代(特別出演)ルカーノ 小堀勇介(テノール)
ヴァイオリン 渡邊慶子、大西律子
ヴィオラ・ダ・ガンバ 平尾雅子
指揮・チェンバロ 渡邊順生
音楽監督・演出 礒山 雅
12月26日(日) 14:00 須坂メセナホール小ホール
主催 すざかバッハの会
一応演出なので、イメージを温めています。プロローグにおける3神の争いをどうするかがまず問題ですが、「幸運」をど派手に、「美徳」を超みすぼらしく、という発想で、衣装のアイデアを求めてみました。するとある学生の曰く、「幸運」は小林幸子(歌手)をモデルにしたらどうか、と(笑)。まあ、楽しくやっております。
車内風景 ― 2010年10月27日 05時46分23秒
電車に乗ると、ほぼ全員が携帯に見入っている光景に出くわします。これだけもっている割には会話をしている人の数が少ないのは日本人のマナーの良さだと思いますが、会話をしている剛の者の数も、着実に増えているように思われます。
深夜だとその数が増えます。先日、酔っているとおぼしき若い女性が喋りっぱなし、という光景に遭遇しました。どんな相手と話しているんだろうと思ったら最後に曰く、「なんだ、同じ電車じゃん!」ですって(笑)。
別の日の朝には、次々と商談の電話をかけている人に遭遇。社内的には傍若無人ですが、会話の言葉は折り目正しく丁寧です。これは確信犯に違いありませんが、割り切ってしまえば、同僚にずいぶん差を付けられるでしょうね。それとも会社から、遠慮なく電話して仕事を進めろ、と言われているのでしょうか。
持っているが会話しない、という大多数の人の存在を考えると、私なら、こわくてできません。
深夜だとその数が増えます。先日、酔っているとおぼしき若い女性が喋りっぱなし、という光景に遭遇しました。どんな相手と話しているんだろうと思ったら最後に曰く、「なんだ、同じ電車じゃん!」ですって(笑)。
別の日の朝には、次々と商談の電話をかけている人に遭遇。社内的には傍若無人ですが、会話の言葉は折り目正しく丁寧です。これは確信犯に違いありませんが、割り切ってしまえば、同僚にずいぶん差を付けられるでしょうね。それとも会社から、遠慮なく電話して仕事を進めろ、と言われているのでしょうか。
持っているが会話しない、という大多数の人の存在を考えると、私なら、こわくてできません。
円熟の極み、アーノンクール! ― 2010年10月24日 11時37分46秒
久々の生放送。行く前はもうあまり緊張することはしたくないな、と思っているのですが、始まってハイになると、やり甲斐に動かさている自分に気がつきます。《ロ短調ミサ曲》の作品と演奏に対するコメントですから、どんな方向から振られてもだいたい大丈夫だと思っては臨みましたが、そこはナマの恐ろしさ。何が起こるかわかりません。
放送でも申し上げましたし、批評にもまとめますが、80歳のアーノンクールが長身をステージにあらわしただけで、客席の姿勢が改まりました。たいへんな存在感です。演奏は、従来の観念を改めるようなものでした。情報量極大の雄弁なスタイルが後退し、聴き手が静かに耳をそばだてるような、奥行きの深い、滋味豊かなものになっているのです。円熟をさらに極めたアーノンクールの指揮によってバッハの究極の作品を聴く、忘れがたい一夜でした。
なかなか完璧の期しがたい生放送で反省もいろいろ残りましたが、NHKの方々が感動的な放送だったと真顔で言ってくださったので、ありがたくいただいて帰宅しました。もちろん、名演奏あってこそなしえたことです。いずれにしろ、《ロ短調ミサ曲》の存在が、私にとって、日に日に大きくなってきています。この曲の研究と上演を、これからの課題としたいと思います。
放送でも申し上げましたし、批評にもまとめますが、80歳のアーノンクールが長身をステージにあらわしただけで、客席の姿勢が改まりました。たいへんな存在感です。演奏は、従来の観念を改めるようなものでした。情報量極大の雄弁なスタイルが後退し、聴き手が静かに耳をそばだてるような、奥行きの深い、滋味豊かなものになっているのです。円熟をさらに極めたアーノンクールの指揮によってバッハの究極の作品を聴く、忘れがたい一夜でした。
なかなか完璧の期しがたい生放送で反省もいろいろ残りましたが、NHKの方々が感動的な放送だったと真顔で言ってくださったので、ありがたくいただいて帰宅しました。もちろん、名演奏あってこそなしえたことです。いずれにしろ、《ロ短調ミサ曲》の存在が、私にとって、日に日に大きくなってきています。この曲の研究と上演を、これからの課題としたいと思います。
続・古典の価値 ― 2010年10月23日 09時58分54秒
古典の価値について書いた直後に、大学や知のあり方が今後どうあるべきかを論じた文章を読む機会がありました。権威のある審議会の出した報告書の一部です。
こういう文書をまとめる人もたいへんだなあ、という思いもありますが、それは別として・・・。論旨の骨格にあるのは、世の中がこれだけ大きく変わっているのだから、大学も変わって行かなくてはならない、知の枠組みも時代に合わせて一新しなくてはならない、という考え方であるように読めます。たしかにこういう意見はよく見聞きしますし、本も出ていますね。
昔は、そうではありませんでした。時流に迎合せずに、時流を超えた価値を求めていくのが大学であり、学問でした。その姿勢の中に、古典が位置づけられていたわけです。
「象牙の塔」という言葉もあり、両者は一長一短でしょう、きっと。しかし社会とともに大きく変わることが組織的に提唱され、評価作業などによってそれが圧力になってくると、悪い面の方が多くなるのではないでしょうか。私は、究極の価値というのは人間を超えたものだと思っているので、人間たちによって作られる社会が基準を動かすことには、強い疑問を感じます。転換期にいつも出現した「古典に帰れ」という価値観は、21世紀には出現しないのでしょうか。
明日(24日)18時から、アーノンクール指揮《ロ短調ミサ曲》の生放送(FM)にゲスト出演します。
こういう文書をまとめる人もたいへんだなあ、という思いもありますが、それは別として・・・。論旨の骨格にあるのは、世の中がこれだけ大きく変わっているのだから、大学も変わって行かなくてはならない、知の枠組みも時代に合わせて一新しなくてはならない、という考え方であるように読めます。たしかにこういう意見はよく見聞きしますし、本も出ていますね。
昔は、そうではありませんでした。時流に迎合せずに、時流を超えた価値を求めていくのが大学であり、学問でした。その姿勢の中に、古典が位置づけられていたわけです。
「象牙の塔」という言葉もあり、両者は一長一短でしょう、きっと。しかし社会とともに大きく変わることが組織的に提唱され、評価作業などによってそれが圧力になってくると、悪い面の方が多くなるのではないでしょうか。私は、究極の価値というのは人間を超えたものだと思っているので、人間たちによって作られる社会が基準を動かすことには、強い疑問を感じます。転換期にいつも出現した「古典に帰れ」という価値観は、21世紀には出現しないのでしょうか。
明日(24日)18時から、アーノンクール指揮《ロ短調ミサ曲》の生放送(FM)にゲスト出演します。
古典の価値 ― 2010年10月21日 11時20分14秒
モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の研究を進めるためにはセネカの研究が不可欠だと思うに至り、少しずつ始めています。
立川北駅(モノレール)そばにあるオリオン書房は近郊屈指の書店で、諸分野の全集など硬派の本を、広いスペースに並べています。そこからローマ古代やルネサンスに関する本をまとめて買ってきましたが、ローマ古代の文献は主として、岩波文庫の復刻から手に入れることになります。
セネカにしろキケロにしろ、ひもといて思うのは、先達の方々の翻訳が、じつに立派なことです。古代の書物の翻訳には多大の困難が伴うに違いありませんが、それらがみな、詳細な訳注とともに、わかりやすい日本語になっている。こういう仕事をされる方々は膨大な勉強を積み重ねておられるはずですが、時流に乗る性質のものではありませんし、年月をかけた成果も、大衆的な書物の洪水の中でアップアップしている、というのが現実ではないでしょうか。
翻訳というのはこういうものをこそやらなくてはいけないのだなあと思ううち、古典が忘れられていく知の現状を憂える気持ちが生まれてきました。
立川北駅(モノレール)そばにあるオリオン書房は近郊屈指の書店で、諸分野の全集など硬派の本を、広いスペースに並べています。そこからローマ古代やルネサンスに関する本をまとめて買ってきましたが、ローマ古代の文献は主として、岩波文庫の復刻から手に入れることになります。
セネカにしろキケロにしろ、ひもといて思うのは、先達の方々の翻訳が、じつに立派なことです。古代の書物の翻訳には多大の困難が伴うに違いありませんが、それらがみな、詳細な訳注とともに、わかりやすい日本語になっている。こういう仕事をされる方々は膨大な勉強を積み重ねておられるはずですが、時流に乗る性質のものではありませんし、年月をかけた成果も、大衆的な書物の洪水の中でアップアップしている、というのが現実ではないでしょうか。
翻訳というのはこういうものをこそやらなくてはいけないのだなあと思ううち、古典が忘れられていく知の現状を憂える気持ちが生まれてきました。
青春 ― 2010年10月19日 08時50分30秒
日曜日は、私の大学秋恒例の「大学院オペラ」を見に行きました。モーツァルトの《コシ》。土曜日、日曜日でキャストが変わります。論文指導をしたのに声を聴いていない、という人たちが土曜日に集中していたので本当は土曜日に行きたかったのですが、琵琶湖が入ったため、日曜日になりました。
中村敬一さんの演出も凝っていてなかなか本格的、出演者も揃って熱演(とくに助演を呼ばれる卒業生の力量はたいしたもの)。しかしまだ発展途上であることも事実ですから、客席で客観的に聴くと、足りないところも多々、意識されます。
どのように声をかけるのがいいのかな、と思って終演後楽屋を覗いて見ると、達成の感動が渦巻いていて、主役の2人(安田祥子さん、小堀勇介君)が号泣中。青春っていいなあ!と思いました。
ちなみに、号泣というのは、身体にいいのだそうですね。存在が根底からリフレッシュされるということのようです。そういえば昔何度か号泣したなあと、はるかな記憶がよみがえりました。その上に今日があると言われれば、そうかもしれません。
中村敬一さんの演出も凝っていてなかなか本格的、出演者も揃って熱演(とくに助演を呼ばれる卒業生の力量はたいしたもの)。しかしまだ発展途上であることも事実ですから、客席で客観的に聴くと、足りないところも多々、意識されます。
どのように声をかけるのがいいのかな、と思って終演後楽屋を覗いて見ると、達成の感動が渦巻いていて、主役の2人(安田祥子さん、小堀勇介君)が号泣中。青春っていいなあ!と思いました。
ちなみに、号泣というのは、身体にいいのだそうですね。存在が根底からリフレッシュされるということのようです。そういえば昔何度か号泣したなあと、はるかな記憶がよみがえりました。その上に今日があると言われれば、そうかもしれません。
ワーグナー&モンテヴェルディ ― 2010年10月17日 10時37分09秒
16日の土曜日は、琵琶湖ホールに、《トリスタンとイゾルデ》を見に行きました(沼尻竜典指揮、大阪センチュリー交響楽団)。ロビーから直接琵琶湖の景観が得られる、すばらしいロケーションのオペラ・ハウスです。どうやら各地からワーグナー好きが集まったようで、知り合いの多さにびっくりしました(うっかり橋下知事に声をかけそうになった)。
批評の場ではないので細かいことは申し上げませんが、率直のところ第2幕までは、いろいろなことが気になって聴いていました。しかし第3幕に入り急速にまとまってきて、そうそう望めないぐらいの立派な公演になったと思います。メゾ・ソプラノからの挑戦が注目された小山由美さん、本当のソプラノの声が出ていましたし、持ち前の品格で、堂々たるイゾルデ。松位浩さん(マルケ王)の朗々とした低音、加納悦子さん(ブランゲーネ)の密度高い歌唱もたいしたものでした。
このところまったく時間がなく、モンテヴェルディの研究が進められなかったものですから、エレン・ローザンドの本を携行して、道中読み進めました。後期オペラに関するきわめて詳細な研究で、参考になります。1ヶ月ぐらい休みが欲しいなあ、というのが実感。
モンテヴェルディ研究と言えば、ありな書房の「オペラのイコノロジー」シリーズに入っている山西龍郎さんの《オルフェオ》に関する著作はすばらしいですね。音楽はもちろん美術、楽器に関する知識が満載され、文明論的な切り口もあざやかで、すっかり感心しました。こんなに立派な研究を今まで知らずにいて、申し訳ないと思います。
批評の場ではないので細かいことは申し上げませんが、率直のところ第2幕までは、いろいろなことが気になって聴いていました。しかし第3幕に入り急速にまとまってきて、そうそう望めないぐらいの立派な公演になったと思います。メゾ・ソプラノからの挑戦が注目された小山由美さん、本当のソプラノの声が出ていましたし、持ち前の品格で、堂々たるイゾルデ。松位浩さん(マルケ王)の朗々とした低音、加納悦子さん(ブランゲーネ)の密度高い歌唱もたいしたものでした。
このところまったく時間がなく、モンテヴェルディの研究が進められなかったものですから、エレン・ローザンドの本を携行して、道中読み進めました。後期オペラに関するきわめて詳細な研究で、参考になります。1ヶ月ぐらい休みが欲しいなあ、というのが実感。
モンテヴェルディ研究と言えば、ありな書房の「オペラのイコノロジー」シリーズに入っている山西龍郎さんの《オルフェオ》に関する著作はすばらしいですね。音楽はもちろん美術、楽器に関する知識が満載され、文明論的な切り口もあざやかで、すっかり感心しました。こんなに立派な研究を今まで知らずにいて、申し訳ないと思います。
スピーカーの話 ― 2010年10月15日 11時38分31秒
それなりのオーディオ装置を使っていますが、悩まされていたのはスピーカーでした。ケーブルの接触が悪く、左チャンネルの音がしばしば出なくなるのです。修理しようと試みましたが、素人ではうまくいかず、輸入メーカーもなくなっている。コネクタを交換すればいいのですが、コネクタ自体が昔とはまったく違うものとなっていて、思うに任せません。
そこでほどほどのスピーカーを買い直そうと思い、リサーチを始めました。そのことを「たのくら」で話したところ、会員の斎藤隆夫さんが救いの手を差し伸べてくださったのです。斎藤さんのご紹介で、オーディオユニオンのセカンドハンズ新宿店に、視聴に行きました。
すると担当の方が、私のもっているスピーカーは現在なかなか及ばない逸品なので、修理した方がいい、というのです。集配もしてくださるとか。たしかに視聴したスピーカーには限界があるように思えたので、一度お預けすることにしました。とても良心的なお店です。
すると、すばらしい音がしているので大丈夫だ、コネクタを交換し、若干の修理をした、とのお話。出費らしい出費もしないうちに、スピーカーが送り返されてきました。それだけでは申し訳ないので、お薦めいただいた村田製作所のスーパーツィーター(ハーモニックエンハーサー)を購入しました。
鳴らしてみると、驚くほどいい音がするのです。電源部の劣化が、音質の大幅な低下を招いていたようで、自分のもっているスピーカーの性能を再認識しました。そのスピーカーとは、ロジャースのPM510というモデル。これは、私が自分の理想とするオーディオシステムを構築する、という趣旨の連載(『レコード芸術』)で選び、安価に譲っていただいたものです。スピーカーがフェニックスのごとくよみがえり、CDを聴くことが、またとても楽しくなってきました。
そこでほどほどのスピーカーを買い直そうと思い、リサーチを始めました。そのことを「たのくら」で話したところ、会員の斎藤隆夫さんが救いの手を差し伸べてくださったのです。斎藤さんのご紹介で、オーディオユニオンのセカンドハンズ新宿店に、視聴に行きました。
すると担当の方が、私のもっているスピーカーは現在なかなか及ばない逸品なので、修理した方がいい、というのです。集配もしてくださるとか。たしかに視聴したスピーカーには限界があるように思えたので、一度お預けすることにしました。とても良心的なお店です。
すると、すばらしい音がしているので大丈夫だ、コネクタを交換し、若干の修理をした、とのお話。出費らしい出費もしないうちに、スピーカーが送り返されてきました。それだけでは申し訳ないので、お薦めいただいた村田製作所のスーパーツィーター(ハーモニックエンハーサー)を購入しました。
鳴らしてみると、驚くほどいい音がするのです。電源部の劣化が、音質の大幅な低下を招いていたようで、自分のもっているスピーカーの性能を再認識しました。そのスピーカーとは、ロジャースのPM510というモデル。これは、私が自分の理想とするオーディオシステムを構築する、という趣旨の連載(『レコード芸術』)で選び、安価に譲っていただいたものです。スピーカーがフェニックスのごとくよみがえり、CDを聴くことが、またとても楽しくなってきました。
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