65歳でモンテヴェルディ ― 2011年05月01日 23時03分08秒
5月になりましたね。私は、4月と5月で年齢が違います。4月30日に誕生日を迎えるからです。年齢はよく四捨五入で扱われると思いますが、それだと、今年は代上がりになります。実年齢65歳、四捨五入でじつに70歳。戦争直後の昭和21年に生まれて、本当に長く生きてきました。
さぞ嘆きは深かろう、と期待される方、たくさんおありでしょうね。50歳のときの嘆きは比類ないものでしたが、もはや開き直りの心境で、あまり嘆いておりません。定年になる65歳の年。昔の想像ではさぞ下降線の、孤独で憂鬱を抱えた時期なのではないかと思っていましたが、そうでは全然、ないですね。体調がよくワインを楽しめますし、仕事にもまだまだ意欲があり、職場の人間関係も、良好です。なによりすばらしい学生さんに支えられていることが嬉しく、人生でいまが一番いいと、自分では思っています。もちろん、それはもうすぐ、終わるわけですけれども・・・。
その弟子たち、および周囲の方々と一緒に、今月はモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の東京公演を行います。5月26日18:30から、西国分寺駅前のいずみホールです。チケットは3000円(学生2500円)ですので、ぜひお出かけください。須坂公演の成果を見直し、改善を加えて上演します。新たに第1幕のパッラデ降臨(セネカへの死の予告)の場面を加え、博士1年の大武彩子さんにご出演いただくことにしました。第2幕の〈死ぬな、セネカ〉の上声部は須坂では湯川さんの兼任でしたが、これを改め、葛西賢治君にご出演いただいて、男声三重唱としました。ヴィオラを入れて器楽を4声とすること、通奏低音にチェンバロのほかオルガンを加えることも、重要なポイントです。以下に、出演者を記しておきます。
幸運の神、小姓 川辺茜/美徳の神、侍女 山崎法子/愛の神 高橋幸恵/ローマ皇帝ネローネ 内之倉勝哉/皇妃オッターヴィア 高橋織子/ポッペア 阿部雅子/将軍オットーネ、乳母アルナルタ 湯川亜也子/哲学者セネカ、親友3 狩野賢一/貴婦人ドゥルジッラ 安田祥子/女神パッラデ(ミネルヴァ) 大武彩子/詩人ルカーノ、親友2 小堀勇介/親友1 葛西健治/ヴァイオリン 伊左治道生、大西律子/ヴィオラ 渡邊慶子/ヴィオラ・ダ・ガンバ 平尾雅子/リュート 金子浩/指揮、チェンバロ、オルガン 渡邊順生
思えば初演時にモンテヴェルディ、75歳。歳をとった、などと言っていられません。
さぞ嘆きは深かろう、と期待される方、たくさんおありでしょうね。50歳のときの嘆きは比類ないものでしたが、もはや開き直りの心境で、あまり嘆いておりません。定年になる65歳の年。昔の想像ではさぞ下降線の、孤独で憂鬱を抱えた時期なのではないかと思っていましたが、そうでは全然、ないですね。体調がよくワインを楽しめますし、仕事にもまだまだ意欲があり、職場の人間関係も、良好です。なによりすばらしい学生さんに支えられていることが嬉しく、人生でいまが一番いいと、自分では思っています。もちろん、それはもうすぐ、終わるわけですけれども・・・。
その弟子たち、および周囲の方々と一緒に、今月はモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の東京公演を行います。5月26日18:30から、西国分寺駅前のいずみホールです。チケットは3000円(学生2500円)ですので、ぜひお出かけください。須坂公演の成果を見直し、改善を加えて上演します。新たに第1幕のパッラデ降臨(セネカへの死の予告)の場面を加え、博士1年の大武彩子さんにご出演いただくことにしました。第2幕の〈死ぬな、セネカ〉の上声部は須坂では湯川さんの兼任でしたが、これを改め、葛西賢治君にご出演いただいて、男声三重唱としました。ヴィオラを入れて器楽を4声とすること、通奏低音にチェンバロのほかオルガンを加えることも、重要なポイントです。以下に、出演者を記しておきます。
幸運の神、小姓 川辺茜/美徳の神、侍女 山崎法子/愛の神 高橋幸恵/ローマ皇帝ネローネ 内之倉勝哉/皇妃オッターヴィア 高橋織子/ポッペア 阿部雅子/将軍オットーネ、乳母アルナルタ 湯川亜也子/哲学者セネカ、親友3 狩野賢一/貴婦人ドゥルジッラ 安田祥子/女神パッラデ(ミネルヴァ) 大武彩子/詩人ルカーノ、親友2 小堀勇介/親友1 葛西健治/ヴァイオリン 伊左治道生、大西律子/ヴィオラ 渡邊慶子/ヴィオラ・ダ・ガンバ 平尾雅子/リュート 金子浩/指揮、チェンバロ、オルガン 渡邊順生
思えば初演時にモンテヴェルディ、75歳。歳をとった、などと言っていられません。
驚嘆の多重世界 ― 2011年04月29日 07時11分58秒
佐藤俊介さんの「無伴奏ヴァイオリンの世界」、28日にいずみホールで行われました。プログラムは、前半がバッハの第2ソナタ、第3パルティータ(バロック・ヴァイオリン)。後半はイザイの第2ソナタとパガニーニの《24のカプリス》から3曲(モダン・ヴァイオリン)。難曲ぞろいですが、それだけにすごさが際立ちました。
いろいろすごいのですが、格別なのは、旋律や和音が多重的に重なる部分の音程の正確さ、響きの美しさ。単体のヴァイオリンに託されたポリフォニーが手に取るようにくっきりと再現され、自然かつ爽やかなのです。演奏者は透明になり、音楽だけが精緻を極めつつ湧き上がって止むことがない、という趣でしょうか。とてつもなく耳のいい方なのだろうと思います。
「ディレクターズ・セレクション」の第1回として、佐藤さんをお招きしました。ですから、冒頭のご紹介は的確なものにしたかったのですが、途中から言葉を失ってしまい、肝心なことをいくつも言い忘れてしまいました。少なくとも、佐藤さんが本当に勉強される方で、作品を極める過程でご自身の中からバロック・ヴァイオリンを発見されたことは、言っておくべきでした。名演奏に救っていただきましたが、自分としては30点です。これからは、なるべく書いておくようにします。
今日は休日授業日。朝2番の新幹線で東京に向かっています。そろそろ静岡です。
いろいろすごいのですが、格別なのは、旋律や和音が多重的に重なる部分の音程の正確さ、響きの美しさ。単体のヴァイオリンに託されたポリフォニーが手に取るようにくっきりと再現され、自然かつ爽やかなのです。演奏者は透明になり、音楽だけが精緻を極めつつ湧き上がって止むことがない、という趣でしょうか。とてつもなく耳のいい方なのだろうと思います。
「ディレクターズ・セレクション」の第1回として、佐藤さんをお招きしました。ですから、冒頭のご紹介は的確なものにしたかったのですが、途中から言葉を失ってしまい、肝心なことをいくつも言い忘れてしまいました。少なくとも、佐藤さんが本当に勉強される方で、作品を極める過程でご自身の中からバロック・ヴァイオリンを発見されたことは、言っておくべきでした。名演奏に救っていただきましたが、自分としては30点です。これからは、なるべく書いておくようにします。
今日は休日授業日。朝2番の新幹線で東京に向かっています。そろそろ静岡です。
お別れメッセージ ― 2011年04月27日 10時38分41秒
田中好子さんのお別れメッセージには、かなり感動しました。状態の悪い中でだったのでしょうが、しっかり話されて、たいしたものですね。多くの人に伝わり、長く記憶されたと思います。なかなかできない、見事な幕引きです。
自分ならどう言えるかな、と思いつつ聞いていました。田中さんには似合うが私には似合わないのが「天国」という言葉で、それは言うまでもなし。もっともっとお芝居がしたかった、というくだりはメッセージのクライマックスでしたが、私には言う勇気がないように思えます。皆様はどうでしょうか。ただ、そういう心から正直な言葉が出ることで、ひとつの救いがそこに生まれているのかな、と思いました。
平均した寿命から離れていればいるほど、死には悲劇の影がつきまといます。われわれの年齢になると、あと何年ぐらい生きられるかなといつも考えますから、少しずつ、心の備えをしている。でも平均まで到達すれば、もはや受け入れざるを得ないわけです。そういうプロセスなしでは、死を受け入れるのは容易でないに違いありません。子供の頃から何人もの友人の死に立ち会ってきて、それが結論です。
自分ならどう言えるかな、と思いつつ聞いていました。田中さんには似合うが私には似合わないのが「天国」という言葉で、それは言うまでもなし。もっともっとお芝居がしたかった、というくだりはメッセージのクライマックスでしたが、私には言う勇気がないように思えます。皆様はどうでしょうか。ただ、そういう心から正直な言葉が出ることで、ひとつの救いがそこに生まれているのかな、と思いました。
平均した寿命から離れていればいるほど、死には悲劇の影がつきまといます。われわれの年齢になると、あと何年ぐらい生きられるかなといつも考えますから、少しずつ、心の備えをしている。でも平均まで到達すれば、もはや受け入れざるを得ないわけです。そういうプロセスなしでは、死を受け入れるのは容易でないに違いありません。子供の頃から何人もの友人の死に立ち会ってきて、それが結論です。
またしても ― 2011年04月24日 22時39分17秒
仕事のはかどった1日の満足感は格別。思うように進まなかった日はその逆。今日はそのはかどった方に入れていいかな、と思い始めた夜、満足感を吹き飛ばす、衝撃のメールが飛び込んできました。コンサートにいらっしゃらなかったがどうされましたか、というのです。
4月24日にコンサートがあることは、たしかに知っていました。「楽しみです、では24日に」というメールも書きました。しかし、すっかり忘れてしまっていたのですね。友人、堀俊輔さんの指揮される《ロ短調ミサ曲》のコンサートです。解説も書き、資料も提供し、チラシに補助スタッフとして、写真まで載せていただいていまいた。それで忘れてしまうのは、われながらひどいですね。謹慎しております。
道具のせいにするのではまったくなく、ひとつの事実としてあったのは、G-MailのカレンダーとThunderbird(メーラー)のカレンダーの関係です。一緒に使えるのはとても便利、と言っていたのですが、G-Mailの方に書き込んだ情報はSunderbirdから見られるが、Thunderbirdの方に書きこむとG-Mailには反映されない、ということがわかりました。今回がその例です(もちろんそのせいにはしておりません)。
原発の報道について。当初は汚染度合いのわずかなことが強調されていて、それなら心配ないな、とずっと思ってきました。しかし報道に慣れてきたところで、じつはこんな分量だった、という真相が出てくるようになりましたね。これって、明らかに意図的なのではないでしょうか。外国の友人たちがさわいでいる理由が分かり始めた昨今です。しっかり報道してほしいと思います。
4月24日にコンサートがあることは、たしかに知っていました。「楽しみです、では24日に」というメールも書きました。しかし、すっかり忘れてしまっていたのですね。友人、堀俊輔さんの指揮される《ロ短調ミサ曲》のコンサートです。解説も書き、資料も提供し、チラシに補助スタッフとして、写真まで載せていただいていまいた。それで忘れてしまうのは、われながらひどいですね。謹慎しております。
道具のせいにするのではまったくなく、ひとつの事実としてあったのは、G-MailのカレンダーとThunderbird(メーラー)のカレンダーの関係です。一緒に使えるのはとても便利、と言っていたのですが、G-Mailの方に書き込んだ情報はSunderbirdから見られるが、Thunderbirdの方に書きこむとG-Mailには反映されない、ということがわかりました。今回がその例です(もちろんそのせいにはしておりません)。
原発の報道について。当初は汚染度合いのわずかなことが強調されていて、それなら心配ないな、とずっと思ってきました。しかし報道に慣れてきたところで、じつはこんな分量だった、という真相が出てくるようになりましたね。これって、明らかに意図的なのではないでしょうか。外国の友人たちがさわいでいる理由が分かり始めた昨今です。しっかり報道してほしいと思います。
キャンディーズ ― 2011年04月23日 11時54分15秒
著名人の死をおおむね時の流れとして受け止める昨今ですが、田中好子さんの死には驚きました。まだお若いし、闘病が報道されていなかったからです。
キャンディーズの時代は、私がアイドル熱を卒業したあとにやってきました。ですから、そんなに熱中したわけではありませんが、いいなと思っていたことは事実。そうなると必ず、誰が好きか、ということになりますよね。私はスーちゃんが好きでした。(注:ランちゃんのファンより男性のパーセンテージが少し多いのではないかと思いますが、違うでしょうか。私の知るかぎり、女性はランちゃん志向のような)。解散後いい女優になられましたので、短いながらも充実した人生を送られたと思います。お疲れさまでした。
キャンディーズの曲、いくつか頭をよぎりますが、私から見てもっともすぐれていると思うのは《微笑がえし》です。これは洒落と工夫のある、相当な名曲だと思います。その映像もよく記憶していますが、現場は東京ドーム--あれ、まだ後楽園でしたっけ?
キャンディーズの時代は、私がアイドル熱を卒業したあとにやってきました。ですから、そんなに熱中したわけではありませんが、いいなと思っていたことは事実。そうなると必ず、誰が好きか、ということになりますよね。私はスーちゃんが好きでした。(注:ランちゃんのファンより男性のパーセンテージが少し多いのではないかと思いますが、違うでしょうか。私の知るかぎり、女性はランちゃん志向のような)。解散後いい女優になられましたので、短いながらも充実した人生を送られたと思います。お疲れさまでした。
キャンディーズの曲、いくつか頭をよぎりますが、私から見てもっともすぐれていると思うのは《微笑がえし》です。これは洒落と工夫のある、相当な名曲だと思います。その映像もよく記憶していますが、現場は東京ドーム--あれ、まだ後楽園でしたっけ?
今年は広島カープ ― 2011年04月21日 22時33分10秒
ダヴィデヒデさんのコメントに刺激されたわけではありませんが、いつのまにか始まった野球の話題を。
巨人さえ負ければどこが勝ってもいい、というスタンスは、今年も不変です。今年は首脳の方々から暴論(「交流戦なくてもいいのか」など)も飛び出したようなので、ますます力を入れます。
とはいえ、一応応援球団を鮮明にしませんと、「アンチ巨人は巨人ファン」という意味不明の反論に、言質を与えることになります。さて、どこがいいか--いいのですね、広島カープが。
中継で広島の春季コーチを努めたという野茂英雄さんが、今年は優勝を望める、と断言しておられました。そう思ってみると、投手陣は先発もリリーフもよく揃っていますし、バッターも、梵、広瀬、丸ら、元気のいいのがたくさん。若手の勢いが、他のチームを圧倒しているようです。伝統的に「春男」が多いというのが、気がかりですが・・・。というわけで、今年はカープを応援することにしました(きっぱり)。パ・リーグは好きなチームが多いので、もう少し様子を見ます。分の悪いチームに、判官贔屓で行きます。
普通野球の話題は巨人が負けた日に提供するのですが、今日はあえて、勝った日に提供しました。意気込みをお汲み取りください。
巨人さえ負ければどこが勝ってもいい、というスタンスは、今年も不変です。今年は首脳の方々から暴論(「交流戦なくてもいいのか」など)も飛び出したようなので、ますます力を入れます。
とはいえ、一応応援球団を鮮明にしませんと、「アンチ巨人は巨人ファン」という意味不明の反論に、言質を与えることになります。さて、どこがいいか--いいのですね、広島カープが。
中継で広島の春季コーチを努めたという野茂英雄さんが、今年は優勝を望める、と断言しておられました。そう思ってみると、投手陣は先発もリリーフもよく揃っていますし、バッターも、梵、広瀬、丸ら、元気のいいのがたくさん。若手の勢いが、他のチームを圧倒しているようです。伝統的に「春男」が多いというのが、気がかりですが・・・。というわけで、今年はカープを応援することにしました(きっぱり)。パ・リーグは好きなチームが多いので、もう少し様子を見ます。分の悪いチームに、判官贔屓で行きます。
普通野球の話題は巨人が負けた日に提供するのですが、今日はあえて、勝った日に提供しました。意気込みをお汲み取りください。
カトリックの波? ― 2011年04月19日 09時06分16秒
情報提供を喜んでいただけましたので、もうひとつ話題を。
《ロ短調ミサ曲》がカトリック教会音楽の系譜に連なることはすでに常識だと思いますが、われわれは、バッハ=ライプツィヒ=ルター派、ザクセン選帝侯=ドレスデン=カトリックという風に峻別した上で、バッハがドレスデンのためにカトリック教会音楽を書いた、という形で認識しています。また、バッハがライプツィヒ時代の中程からカトリック教会音楽のコレクションを始め、いわゆる「古様式」の研究をしたことについては、音楽史に対するバッハの内的な関心から起こったことと考えてきました。
しかし今訳しているクリストフ・ヴォルフの著作では、外側に大きな流れがあったことが強調されています。ライプツィヒの教会がドイツ語のルター派作品一色であったわけではなく、バッハのカントル在任途中からラテン語の教会音楽を演奏することが増え、それがドイツ語のカンタータに代用されることさえ行われた。こうした流れは、礼拝制度の何らかの改革、変更と結びついているのではないか、というのです。バッハの後任のカントルはハラーという人ですが、ハラーはパレストリーナなどラテン語のミサ曲をたくさんトーマス教会、ニコライ教会で演奏しました。このことは、バッハ時代にすでに始まっていた流れの帰結ではなかったかと、ヴォルフは述べています。
そう言われると、いろいろなことが、それに結びついてきますね。バッハがライプツィヒに移って最初の数年カンタータ創作に励み、その後ほとんどやめてしまったという事実。上記カトリック教会音楽の収集と、《ロ短調ミサ曲》や小ミサ曲の創作を行ったという事実。ハラーが帝国宰相ブリュール伯爵の強い後押しでカントルに就任したという事実。
ポーランドの王位を継承するために先代の選帝侯がカトリックに改宗したこと、それによってザクセンのルター派民衆との間にきしみが生まれたことは周知の通りですが、どうやら一連の事実は、帝国文化のカトリック化が、政治的背景をもって遂行されていたことを指し示しているように見えます。本当にそう言えるかどうか、さらに研究します。
《ロ短調ミサ曲》がカトリック教会音楽の系譜に連なることはすでに常識だと思いますが、われわれは、バッハ=ライプツィヒ=ルター派、ザクセン選帝侯=ドレスデン=カトリックという風に峻別した上で、バッハがドレスデンのためにカトリック教会音楽を書いた、という形で認識しています。また、バッハがライプツィヒ時代の中程からカトリック教会音楽のコレクションを始め、いわゆる「古様式」の研究をしたことについては、音楽史に対するバッハの内的な関心から起こったことと考えてきました。
しかし今訳しているクリストフ・ヴォルフの著作では、外側に大きな流れがあったことが強調されています。ライプツィヒの教会がドイツ語のルター派作品一色であったわけではなく、バッハのカントル在任途中からラテン語の教会音楽を演奏することが増え、それがドイツ語のカンタータに代用されることさえ行われた。こうした流れは、礼拝制度の何らかの改革、変更と結びついているのではないか、というのです。バッハの後任のカントルはハラーという人ですが、ハラーはパレストリーナなどラテン語のミサ曲をたくさんトーマス教会、ニコライ教会で演奏しました。このことは、バッハ時代にすでに始まっていた流れの帰結ではなかったかと、ヴォルフは述べています。
そう言われると、いろいろなことが、それに結びついてきますね。バッハがライプツィヒに移って最初の数年カンタータ創作に励み、その後ほとんどやめてしまったという事実。上記カトリック教会音楽の収集と、《ロ短調ミサ曲》や小ミサ曲の創作を行ったという事実。ハラーが帝国宰相ブリュール伯爵の強い後押しでカントルに就任したという事実。
ポーランドの王位を継承するために先代の選帝侯がカトリックに改宗したこと、それによってザクセンのルター派民衆との間にきしみが生まれたことは周知の通りですが、どうやら一連の事実は、帝国文化のカトリック化が、政治的背景をもって遂行されていたことを指し示しているように見えます。本当にそう言えるかどうか、さらに研究します。
バッハの最後期 ― 2011年04月16日 22時58分16秒
『バッハ年鑑2010』に、アナトリー・P・ミルカというサンクトペテルブルクの学者が、バッハの最晩年の筆跡について、興味深い研究を発表しています。現存するバッハ最古の文字資料は1997年に発見されたJ.N.バムラーへの第2の能力証明書なのですが、これは1749年12月11日という日付をもっていて、本文は代筆、サインのみがバッハによります。同じ人物のための4月12日の証明書(本文、サインともバッハ自身)と比較すると、書体の不自由度が亢進しています。
ミルカは晩年における一連のバッハのサインを厳密に比較し、その硬化のプロセスが、眼疾ではなく脳の血行不全によるものだと推測しました。そして、第2証明書のサインの筆跡は、《ロ短調ミサ曲》の最終段階を示す〈クレド〉3曲目の二重唱の歌詞を振りなおした重唱譜の筆跡と重なる、とします。すなわち、《ロ短調ミサ曲》の完成は49年の12月、というのが彼の見解です。
ということになると、この時点でバッハの目はまだ見えていたわけですよね。ミルカによれば、50年に入ってから、バッハは《フーガの技法》の出版準備を続け、カノンの曲順を変更した。そのさいに校正本の欄外にページ数を書き入れたが、それこそがバッハの最後の筆跡だ、というのが彼の考えです。バッハの最後の作品はやはり《フーガの技法》と考えるべきだ、というわけです。
では、演奏を仕切ることは、どこまでできたのでしょうか。最後の演奏は1749年8月の市参事会員カンタータ(BWV29)の演奏であろうとするのが従来の通念で、私もそう説明しています。しかし1750年の聖金曜日は3月27日で、バッハが目の手術を受けた日は早くても3月28日ということなので、1750年に《ヨハネ受難曲》の第4稿を演奏し、それを終えてから手術を受けたという可能性も、考えられないわけではありません。その傍証となるのは、『故人略伝』が手術の時まではバッハがきわめて健康であったと述べていること、J.A.フランクという別の音楽家の能力証明書にバッハが1750年の聖霊降臨祭にはカントルとしての活動を停止していたという情報があることです(復活祭までは活動していた、とも取れる)。
真相はまだわかりませんが、概して1750年に入ってからの活動を想定する研究者が増えつつあることは、間違いないようです。
ミルカは晩年における一連のバッハのサインを厳密に比較し、その硬化のプロセスが、眼疾ではなく脳の血行不全によるものだと推測しました。そして、第2証明書のサインの筆跡は、《ロ短調ミサ曲》の最終段階を示す〈クレド〉3曲目の二重唱の歌詞を振りなおした重唱譜の筆跡と重なる、とします。すなわち、《ロ短調ミサ曲》の完成は49年の12月、というのが彼の見解です。
ということになると、この時点でバッハの目はまだ見えていたわけですよね。ミルカによれば、50年に入ってから、バッハは《フーガの技法》の出版準備を続け、カノンの曲順を変更した。そのさいに校正本の欄外にページ数を書き入れたが、それこそがバッハの最後の筆跡だ、というのが彼の考えです。バッハの最後の作品はやはり《フーガの技法》と考えるべきだ、というわけです。
では、演奏を仕切ることは、どこまでできたのでしょうか。最後の演奏は1749年8月の市参事会員カンタータ(BWV29)の演奏であろうとするのが従来の通念で、私もそう説明しています。しかし1750年の聖金曜日は3月27日で、バッハが目の手術を受けた日は早くても3月28日ということなので、1750年に《ヨハネ受難曲》の第4稿を演奏し、それを終えてから手術を受けたという可能性も、考えられないわけではありません。その傍証となるのは、『故人略伝』が手術の時まではバッハがきわめて健康であったと述べていること、J.A.フランクという別の音楽家の能力証明書にバッハが1750年の聖霊降臨祭にはカントルとしての活動を停止していたという情報があることです(復活祭までは活動していた、とも取れる)。
真相はまだわかりませんが、概して1750年に入ってからの活動を想定する研究者が増えつつあることは、間違いないようです。
オペラの解説 ― 2011年04月14日 23時48分39秒
今夜は、ほっとしています。というのは、3月の末締切りなのにずっと遅れていた仕事を済ませたから。それは、新国立劇場の《コジ・ファン・トゥッテ》公演の解説した。
知悉している作品なので困難というわけではないのですが、なかなか手がつきませんでした。それは、このプロダクションがミキエレットという人の新演出で、ナポリでの出来事が、現代のキャンプ場で起こる出来事として設定されているからです。
こういう演出への好き嫌いはともかくとして、困るのは、解説をどう書けばいいかということです。たとえば、あらすじ。「ナポリのカフェテラスで、老哲学者ドン・アルフォンソと2人の士官が論争している」と始めていいのでしょうか。それとも、「キャンプ場で、オーナーのドン・アルフォンソが、遊びにやってきた2人の大学生と論争している」と始めるべきなのでしょうか。併記する紙面はないとすれば、あるいは中をとって、「年長のドン・アルフォンソが、2人の若者と論争している」とごまかしておくのがいいのでしょうか。
原曲通りに説明をしたのでは、解説と現実が食い違ってしまいます。かといって演出通りに説明したのでは、モーツァルトがキャンプ場のオペラを書いたのかと思われかねませんし、演出家の功績(?)がどこにあるかもわからなくなる。むずかしいのです。こういう演出は最近多いですから、解説する方はみなさん、苦労されておられるのでしょうね。
解説者としてはやはり、本来どういうものであるかを解説したいので、原則その筋で仕上げ、適否をお尋ねしました。脱稿後、NHKへ。復活祭特集後半の録音です。
放送を通じて出会った知られざるすぐれた作曲家として、ハマーシュミットとドーレスが、印象に残っています。今回それに、エルレバッハが加わりました。ルードルシュタットの宮廷楽長を務めていたエルレバッハのカンタータは、バッハを準備するものとしてとてもよく書けていて、再評価の機運もむべなるかなです。放送は4月27日です。
これで、短期的にみて遅れている仕事はなくなりました。やらなきゃ、やらなきゃというのは、精神的によくありません。
知悉している作品なので困難というわけではないのですが、なかなか手がつきませんでした。それは、このプロダクションがミキエレットという人の新演出で、ナポリでの出来事が、現代のキャンプ場で起こる出来事として設定されているからです。
こういう演出への好き嫌いはともかくとして、困るのは、解説をどう書けばいいかということです。たとえば、あらすじ。「ナポリのカフェテラスで、老哲学者ドン・アルフォンソと2人の士官が論争している」と始めていいのでしょうか。それとも、「キャンプ場で、オーナーのドン・アルフォンソが、遊びにやってきた2人の大学生と論争している」と始めるべきなのでしょうか。併記する紙面はないとすれば、あるいは中をとって、「年長のドン・アルフォンソが、2人の若者と論争している」とごまかしておくのがいいのでしょうか。
原曲通りに説明をしたのでは、解説と現実が食い違ってしまいます。かといって演出通りに説明したのでは、モーツァルトがキャンプ場のオペラを書いたのかと思われかねませんし、演出家の功績(?)がどこにあるかもわからなくなる。むずかしいのです。こういう演出は最近多いですから、解説する方はみなさん、苦労されておられるのでしょうね。
解説者としてはやはり、本来どういうものであるかを解説したいので、原則その筋で仕上げ、適否をお尋ねしました。脱稿後、NHKへ。復活祭特集後半の録音です。
放送を通じて出会った知られざるすぐれた作曲家として、ハマーシュミットとドーレスが、印象に残っています。今回それに、エルレバッハが加わりました。ルードルシュタットの宮廷楽長を務めていたエルレバッハのカンタータは、バッハを準備するものとしてとてもよく書けていて、再評価の機運もむべなるかなです。放送は4月27日です。
これで、短期的にみて遅れている仕事はなくなりました。やらなきゃ、やらなきゃというのは、精神的によくありません。
iBACHスタート ― 2011年04月13日 22時48分28秒
12日(火)のガイダンスで、今年度の音楽研究所バッハ演奏研究プロジェクトが出発しました。今まではピアノ部門、声楽部門を並行してやってきましたが、今年は声楽部門のみとし、《ロ短調ミサ曲》の上演に集中します。コンサートは来年の1月15日(日曜日)です。
すでに書きましたように、《ロ短調ミサ曲》は国立音大が1931年(昭和6年)に、《マタイ》《ヨハネ》に先立って日本初演した作品です。その80周年記念の年度にまったく異なった水準において再演し、研究所の活動の、ひとつの仕上げにしようというわけです。全学のご支援をいただいています。
大学院の授業でもありますので、ガイダンスをやってみないと、活動の形が決まりません。幸い、力のある人たちが受講してくれましたので、ようやくスタートの準備が整いました。12月までの授業では前半を準備し、後半は、年末年始を中心に作ります。前半(1733年のキリエ、グローリア)と後半(1748-9年の〈ニケーア信経〉以下)は、事実上別の曲だという考えから、前半を若手中心、後半はベテランを交えて編成するつもりです。
これで、教員生活の最後を飾りたいと思います。ヴォルフの著作の翻訳、かなり進んできました。情報発信も、できるだけ行いたいと思います。
すでに書きましたように、《ロ短調ミサ曲》は国立音大が1931年(昭和6年)に、《マタイ》《ヨハネ》に先立って日本初演した作品です。その80周年記念の年度にまったく異なった水準において再演し、研究所の活動の、ひとつの仕上げにしようというわけです。全学のご支援をいただいています。
大学院の授業でもありますので、ガイダンスをやってみないと、活動の形が決まりません。幸い、力のある人たちが受講してくれましたので、ようやくスタートの準備が整いました。12月までの授業では前半を準備し、後半は、年末年始を中心に作ります。前半(1733年のキリエ、グローリア)と後半(1748-9年の〈ニケーア信経〉以下)は、事実上別の曲だという考えから、前半を若手中心、後半はベテランを交えて編成するつもりです。
これで、教員生活の最後を飾りたいと思います。ヴォルフの著作の翻訳、かなり進んできました。情報発信も、できるだけ行いたいと思います。
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