今学期の授業2011年04月11日 23時35分18秒

今日から、授業開始です。10:40からの2時間目(私の大学では3・4限と言います)にいきなり置かれていたのは、大学院の音楽美学でした。例年、これはいちばんやりにくい授業です。音楽美学に本格的な関心をもっている学生はやはり少数ですので、硬派でいくか、さまざまな応用(美学的視点を交えた作品解釈のような)で関心をつなぐかの選択を迫られます。それはどんな学生が選択するかによりますから、教室に行くのが、とても心配なのです。

去年は硬派を目指したのですが、ちょっと反省が残る結果だったものですから、今年はその分、余分に心配していました。そうしたら、少数ですが優秀な受講者が揃い、彼らの要求によって、カントの『判断力批判』を読むことから始めよう、ということになりました。しっかりやります。

火曜日は、13:00から、モンテヴェルディの作品研究をやります。さまざまな「作品研究」の授業をやってきましたが、最初にして最後のモンテヴェルディ研究です。どう考えても、聴講者は少なそうですけど・・・。

金曜日の10:40からは、毎年前期にやっている「ドイツ歌曲作品研究」の授業です。これは例年通りの進め方をするつもりです。その他はじつにすべて個人指導で、のべ18人を相手にします。

4月のイベント2011年04月10日 10時33分28秒

ご案内が遅くなりました。今、長野に向かう車中です。今日10日の14時から「すざかバッハの会」の講座がありますが、時すでに遅しですよね。「大作曲家の終焉--最後の作品を聴く」というテーマでお話しします。同じテーマは、いずれ「たのくら」や朝日カルチャー新宿校の講座でも取り上げるつもりです。

12日(火)の18:00から国立音大で、今期の音楽研究所バッハ演奏研究部門のガイダンス。《ロ短調ミサ曲》上演の準備です。19日(火)には古楽器のデモンストレーションもあります。16日(土)の10:00は立川楽しいクラシックの会の例会。モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》東京公演を会が主催しますので、その勉強会その1です。東京公演については別途ご案内します。ちょうふコミュニティ・カレッジの「バロック音楽への誘い」というのも水曜日の午前中に隔週でやっているのですが、これは定員が締め切られているので、ご案内できず申し訳ありません。

23日(土)の13:00から、ずっと続けている朝日カルチャー横浜校の新
学期が始まります。『魂のエヴァンゲリスト』を読み進める形で行なっている講座、今期はワイマール時代その2(カンタータ)と、ケーテン時代です。

今月一番大きなイベントは、28日(木)19:00からのいずみホール「無伴奏ヴァイオリンの世界」です。傑出した才能として感嘆置く能わざる佐藤俊介さんの出演で、バッハ、イザイ、パガニーニの無伴奏曲を特集します。「ディレクターズ・セレクション」のシリーズとして選定し、私がご案内します。ぜひご来場ください。

「古楽の楽しみ」の出番は、4月25日~29日です。今年は復活祭が4月24日という遅い時期なので、それに合わせて、復活祭の音楽を特集しました。25日(月)をバッハの復活祭オラトリオとオルガン曲で始め、26日(火)はシュッツ、ブクステフーデ、ゼレ、シャイト、ベームのモテット、カンタータ、オルガン曲。27日(水)はエルレバッハとパッヘルベルのモテット、カンタータ。28日(木)はバッハのカンタータ4番と134番。29日(金)はバッハの4声コラールからと、テレマン、エマヌエル・バッハのカンタータです。

以上、よろしくお願いします。

こわい夢2011年04月08日 12時14分22秒

いい夢は絶対見ない私ですが、このところこわい夢が多く、起きてから呆然としていたりします。

数日前。アリスの不思議な国さながらの世界に迷い込みました。ディズニーランドのようにメルヒェンチックな空間なのですが、どこか歪んでいて、恐ろしい。外に出るバス停があるというので、必死に探します。しかし方角がまったくわからず、どちらに行っても手がかりなし。高台に出ると、巨大な滝の落ちている海が広がっています。

昨日。戦争に出陣しています。米軍が迫っていて、明日みんなを死なしてしまう、申し訳ない、と、司令官。どうしても恐ろしくて脱走してしまい、以降、必死の逃避行に入ります。どちらに逃げてもうまくいかず、助けてくれる人もなく、云々。

これは明らかに、テレビからインプットされる光景と、私のトラウマの合成です。こういう夢を見ておられる方もたくさんおられるのだろうなと思いました。もちろん、被災者のお役に立てるようなことではありませんが・・・。昨夜の余震、皆様ご無事だったでしょうか。

最初の幸福な終わり2011年04月06日 23時46分56秒

基礎ゼミ・レクチャーコンサート「音楽の力」にご協力たまわった方々、ありがとうございました。8年間続けてきた企画の最終回ということで、私もさすがにテンションが高かったですが、企画の意図を出演者の方々に惜しみなく汲みとっていただき、これ以上の幸福はありません。演奏の先生方との間に長年にわたって培われた信頼関係のありがたみを満喫させていただいた、昨日でした。

もちろん、新入生のために一丸となって「音楽の力」をお届けしたコンサートです。しかしここでは、客観的な全体報告ではなく、私的な御礼を申し上げることをお許しください。私への感謝をこめて演奏するとおっしゃってくださっていたオーケストラの先生方、大御所がキラ星のごとく顔を揃えてくださった声楽の先生方、もちろん私は主役ではありませんけれども、心からの感謝をもって受け止めております。私のモーツァルト観の化身のようにさえ思われる久元祐子先生への感謝は、もちろんのことです。

皆さんが最高レベルのコンディションで《魔笛》に参集してくださいました。ひとつひとつ書くわけにもいきませんので、ここでは意外性のあったひとつの点だけをご報告させていただきます。それは、第2幕フィナーレの終わり近くにある、夜の女王一行の神殿襲撃場面に関してです。

この場面に出演してくださったのは、佐竹由美(夜の女王)、悦田比呂子・押見朋子・秋葉京子(侍女)、青柳素晴(モノスタートス)という先生たちでした。そうそうたる重量級の布陣なのですが、出番は、わずかに2分。夜の女王の有名なアリアもモノスタートスのアリアも、侍女たちの五重唱も全部カットされた中でのご出演でした。

ところが、黒の衣装で揃えた5人が舞台に現れると、〈パ・パ・パの二重唱〉の雰囲気が一変し、ホールに威圧的な緊張感がみなぎったのですね。大歌手の貫禄、といえばその言葉に尽きますが、わずか2分のためにじっくり打合せし、練習も積んで出てくださったそのお気持ちこそ、大歌手の条件であるとも思いました。この場面が引き締まると、最後の合唱の効果が全然違うのです。

内輪のご報告申し訳ありません。国立音大、がんばってまいります。

毎日かあさん2011年04月04日 23時49分46秒

今日は、基礎ゼミ最初のクラス授業。私はいつものように、声楽の担当です。教師も学生も自己紹介をしたのですが、男子学生はほとんど、「話しかけてください」と言って閉めます。恥ずかしそうな、遠慮がちな口調でです。女子にも同じ締めは散見されましたが、「私は話しかける方ですので、相手をしてください」という人も、何人か。雰囲気わかりますよね(笑)。

私は単行本で漫画を読むことはけっしてしませんが、新聞や週刊誌の漫画は、よく読みます。最近の認識は、西原理恵子さんの漫画はすばらしいなあ、ということ。独特の小分割スタイルで情報量が多いですから、今までは読もうとさえしませんでした。しかしあるとき丹念に読んでみると、内容がいいのでびっくり。今では、涙なくしては読めない、という感じにさえなってきました。「愛がある」という形容は、こういうものに対して当てはまるのではないでしょうか。あからさまな教訓調やほのぼの調より、ずっといいと思います。

週刊新潮で佐藤優さんと作っている紙面をいつも読んでいますが、最近は毎日新聞日曜日の「毎日かあさん」も好きになりました。

基礎ゼミ準備中2011年04月03日 23時57分51秒

明日から、「基礎ゼミ」と呼んでいる、新入生歓迎企画が始まります。私が総責任者なのですが最近はマニュアルも整備され、企画を終えれば、おまかせできるようになりました。いちばん大事な仕事は、レクチャーコンサートの企画とトークです。

今年は5日(火)の14:30から、「音楽の力PartII」と題して、モーツァルト・コンサートを行います。モーツァルトの最後の年に焦点を当てる企画を去年からやっていて、去年は、クラリネット協奏曲と、《魔笛》の第1幕でした。今年はピアノ協奏曲第27番変ロ長調と、《魔笛》の第2幕です。教授陣がトップに座る「くにたちフィルハーモニカー」が、栗田博文さんの指揮で演奏します。

今日、2回目の練習をしました。変ロ長調のコンチェルト、いいですね。ソリストの久元祐子さんがやさしい、心に沁みるような演奏をしてくださっているので、楽しみです。《魔笛》も出来上がってきました。そのキャストを次に紹介しておきますが、見る人が見れば、このキャストがもつ意味をわかってくださると思います。残念ながら公開コンサートではないのですが、総力をあげた布陣なので、学内の方には、たくさん聴いていただきたいと思います。私も、最後を飾ります。

タミーノ 小林一男/パミーナ 大倉由紀枝/パパゲーノ 久保田真澄/パパゲーナ 髙橋薫子/ザラストロ 若林勉/夜の女王 佐竹由美/モノスタートス 青柳素晴/三人の侍女 悦田比呂子・押見朋子・秋葉京子/武士 今尾滋・須藤慎吾/三人の童子 大武彩子・髙橋織子・湯川亜也子

新年度=最終年度2011年04月02日 10時09分09秒

ごく簡素化された形でしたが、1日に入学式を行い、新年度に入りました。私の最終年度です。もう35年も、国立音大に勤めているのですね。

役職がほとんどなくなり、校務は楽になりました。その分を、教育に傾注します。最大の課題は、いま9人いる後期博士課程の学生の論文指導です。研究生(いわゆるオーバードクター)が3人、3年生が4人、2年生が1人、1年生が1人ですから、論文提出の可能性のある人が、合計7人いるわけです。少なくとも2人ドクターを出すことを目標にします。ちなみに内訳は音楽学が1人、声楽が8人です。

今年の博士課程入試は5つの席を11人で争い、合格者が2人(声楽1、教育1)という厳しい試験でした。私の門下にはスーパー・コロラトゥーラで研究報告も抜群だった大武彩子さんが入られたのですが、なんと合格発表直後にいわきにクラス旅行し、被災して避難所に宿泊、同行者全員とともに奇跡的に生還されたとのこと。ご無事で、本当に良かったです。他に、4年生の卒論を2人担当します。

授業では、毎年やっているもののほかに、前期にはモンテヴェルディの作品研究をやります。後期には、多くの先生方とご一緒に、バッハに関する連続講演形式の授業が計画されています。音楽研究所は、来年1月の《ロ短調ミサ曲》公演の準備が中心です。詳細は、おいおいご案内します。最後の1年を悔いなく務めたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

音楽の灯2011年03月31日 11時59分48秒

関西の温かい聴衆のご支援で、いずみホール「日本のうた」企画、30日に実施できました。花岡千春さんのすばらしい復元と伴奏に支えられ、三原剛、石橋栄実、小堀勇介の3歌手が大熱演。感動的なコンサートになりました。

「クラシックな歌謡曲」の第2回で、昭和20年代、30年代、40年代、「時間」にかかわる作品、の4部構成としたのですが、昭和20年代の歌謡曲について感じたことを、ちょっと書かせてください。

今回取り上げたのは、《港が見える丘》(平野愛子)、《青い山脈》(藤山一郎+奈良光枝)、《ダンスパーティーの夜》(林伊佐緒)、《君の名は》(織井茂子)の4曲でした。どの曲も体に染み入るように覚えていて、その中にはカラオケで最初に歌った曲(→君の名は)も含まれています。

ムーディな曲、軽快な曲、洒落た曲などさまざまですが、どの曲にもしっとりした大人の情感がある。そしてコアな部分に、深い悲しみがひそんでいるように思えるのです。昭和30年代の夢美しき歌謡曲とは、まったく違う世界。どう考えてもそこには、生々しい戦争体験が反映されているように思えます。この世の果てを見てしまった人でなくては書けない詩、作れない音楽が、そこにあるのです。

そこで思ったのは、こうした歌が当時の人々にどれほど共感され、その心を慰めたか、ということです。ですから、音楽の灯というのは、絶やしてはいけないのだと思います。たいへんな時に音楽の発信力を保ち、音楽文化のレベルを保つよう努力するのは音楽に関わる者の責任ですが、社会にも、そのあたりの理解はぜひいただきたいと願っています。

サントリー音楽賞2011年03月29日 11時44分26秒

朝日新聞にはすでに掲載されましたが、今年のサントリー音楽賞を、渡邊順生さんが獲得されました。チェンバロ演奏、フォルテピアノ伴奏といった活動はマイナーといえばマイナーですので、メジャーな音楽家がたくさんおられる中で渡邊さんが獲得されたことは、推薦者の私にとってもまったく予想外でした。選考委員の先生方に敬意を表します。渡邊さんがますます充実した活動をなされるよう、期待しています。

テレビ雑感2011年03月28日 11時59分06秒

私は平素時間の節約を心がけています。そういうとき辛いのは、同じ話を何度も聞くことです。職場の会議では、それをせざるを得ないことが再三あり、なかなか辛いな、と思いつつ、がまんしています。

それもたいしたことないな、と思うほど、テレビで、同じCMが流れていますね。どれも理想主義的なほのぼのCMで、ごもっとも、と思う気持ちが強いだけ、もうわかったから、という気持ちになってしまいます。どういう人が作っているんでしょうか。感動して見ておられる方はそう多くないのではないか、と思えるのですが。

海外の友人から心配の連絡が来ますが、一様に原発の被害に対する厳しい見方としていて、驚かされます。優さんがご心配の風評被害もたしかに大きな問題ですが、大丈夫だ、ただちに健康被害はない、という現状判断ばかりの情報開示の仕方も、受け手を信頼しているとは思えません。危機管理というのは悪い選択肢に備えるものだと思っているので、大丈夫だという判断ばかり強調されると、危機管理の不在、という印象を抱いてしまいます。