モーツァルトのヘ長調ソナタ ― 2015年09月06日 13時04分11秒
9月3日(木)、今年のいずみホール・モーツァルト特集企画のプレイベントを、レクチャーコンサート方式で行いました。今年取り上げる1787年から91年まで(つまり最後の5年)をたどりながら、プログラムに含めることのできなかった作品を聴いていこう、との趣向。久元祐子さんのいつもながら潤いのあるピアノ(とオルガン)、鈴木准さんの鮮度高いテノールのおかげで、いい会にしていただいたと思います。
その途中、意外なところで大きな拍手が湧き、会場が盛り上がりました。それは、ピアノ・ソナタヘ長調の第1楽章が、ヴォルフの新説とのからみで弾かれたときです。モーツァルトのヘ長調ソナタはK.280、332、533(+494)とありますが、ここで演奏されたのは1788年のK.533です。
このソナタ、普通、やりませんよね。久元さんによると、モーツァルト・ファンからのリクエストをいままで一回も受けたことのないのがこの曲だそうで、私の中でも、存在が希薄な作品でした。
ところが、今翻訳中のヴォルフ本で、このソナタの画期的な意義が強調されているのですね。曰く、1787年末に宮廷作曲家に取り立てられ、大いに張り切ったモーツァルトが最初に書いた作品がこれであり、もっとも規模の大きな力作、出版者を急がせ、肩書きを付けて刊行し世に問うたものである、と。
バロック的な主題が単旋律で開始され、随所にポリフォニックな模倣がはさまれるなど、他のソナタとずいぶん趣が違います。ヘンデル風、バッハ風なところも。これがモーツァルトの開いた新生面であり、フーガ好きの皇帝へのタイムリーな表敬であるのだと、ヴォルフ氏。一般に評価が低いのは旧作K.494のロンドと組み合わせた急造感にも由来するが、そこのフォローはしっかりできている、と主張されています。
この夜のお客様はモーツァルト・ファンの方々でしょうから、ここで客席が湧いたのは、嬉しい驚きでした。このソナタが広く演奏されるようになれば、面白いと思います。
その途中、意外なところで大きな拍手が湧き、会場が盛り上がりました。それは、ピアノ・ソナタヘ長調の第1楽章が、ヴォルフの新説とのからみで弾かれたときです。モーツァルトのヘ長調ソナタはK.280、332、533(+494)とありますが、ここで演奏されたのは1788年のK.533です。
このソナタ、普通、やりませんよね。久元さんによると、モーツァルト・ファンからのリクエストをいままで一回も受けたことのないのがこの曲だそうで、私の中でも、存在が希薄な作品でした。
ところが、今翻訳中のヴォルフ本で、このソナタの画期的な意義が強調されているのですね。曰く、1787年末に宮廷作曲家に取り立てられ、大いに張り切ったモーツァルトが最初に書いた作品がこれであり、もっとも規模の大きな力作、出版者を急がせ、肩書きを付けて刊行し世に問うたものである、と。
バロック的な主題が単旋律で開始され、随所にポリフォニックな模倣がはさまれるなど、他のソナタとずいぶん趣が違います。ヘンデル風、バッハ風なところも。これがモーツァルトの開いた新生面であり、フーガ好きの皇帝へのタイムリーな表敬であるのだと、ヴォルフ氏。一般に評価が低いのは旧作K.494のロンドと組み合わせた急造感にも由来するが、そこのフォローはしっかりできている、と主張されています。
この夜のお客様はモーツァルト・ファンの方々でしょうから、ここで客席が湧いたのは、嬉しい驚きでした。このソナタが広く演奏されるようになれば、面白いと思います。
見たことのない光景 ― 2015年09月03日 00時32分32秒
サントリー芸術財団の主催する「サマーフェスティバル」で、長木誠司さんの監修により、シュトックハウゼンの《シュティムング》が演奏されました(8月29日ブルーローズ、音楽監督ユーリア・ミハーイ)。
6人の歌い手が車座になるステージが中央にあり、それを囲むように、客席が配置されています。残り少ない席に座って音が出るまで、15分ぐらいあったでしょうか。客席は水を打ったように静まりかえり、緊張が支配しています。どんな作品だろう、それがどう演奏されるのだろう、と「固唾を吞む」感じでしょうか。
曲は、倍音を生かした声のスペクトルが、80分ぐらい継続されていくというもの。微細な変化を伴いながらも、えんえんと続いていきます。ところが、客席の「固唾を吞む」モードが、最後まで衰えないのです。終了後も、一種呪術的な呪縛が残存。これには驚きました。
6人の歌い手の方々はさぞ困難な訓練を重ねたことでしょうが、私の席から正面に見えた太田真紀さんなど、進むにつれて輝きを増してゆくのです。今年のベスト公演の1つだろうと思います(他に声楽は工藤あかね、金沢青児、山枡信明、松平敬の皆さん、そして音響が有馬純寿さん)。
翌30日(日)は、芥川作曲賞の選考演奏会。ノミネートされた3曲のオーケストラ演奏を聴いたあと、3人の審査員による審査が、公開で行われる。いや、面白かったのなんの。
ノミネート曲の作曲家はごく若い方々でしたから、名のある方々の踏み込んだ批評を、縮み上がるような思いで聴いていらしたことでしょう。しかしそのストレスには、数倍の見返りがあると思います。議論自体がとても勉強になるし、私を始めとする聴衆が、作品に親しみ、心に焼き付けますから。
審査は激戦で、ファーストチョイスが3すくみになった時には、客席から拍手が。賞史で初めてのことだそうです。私が気に入ったのは、辻田絢菜さんの《ヴォルパーディンガー》という作品。池辺さんと同じ感想をもちました(受賞は坂東祐大さん)。とにかくすごく面白いので、皆様、ぜひ足を運ぶことをお勧めします。
6人の歌い手が車座になるステージが中央にあり、それを囲むように、客席が配置されています。残り少ない席に座って音が出るまで、15分ぐらいあったでしょうか。客席は水を打ったように静まりかえり、緊張が支配しています。どんな作品だろう、それがどう演奏されるのだろう、と「固唾を吞む」感じでしょうか。
曲は、倍音を生かした声のスペクトルが、80分ぐらい継続されていくというもの。微細な変化を伴いながらも、えんえんと続いていきます。ところが、客席の「固唾を吞む」モードが、最後まで衰えないのです。終了後も、一種呪術的な呪縛が残存。これには驚きました。
6人の歌い手の方々はさぞ困難な訓練を重ねたことでしょうが、私の席から正面に見えた太田真紀さんなど、進むにつれて輝きを増してゆくのです。今年のベスト公演の1つだろうと思います(他に声楽は工藤あかね、金沢青児、山枡信明、松平敬の皆さん、そして音響が有馬純寿さん)。
翌30日(日)は、芥川作曲賞の選考演奏会。ノミネートされた3曲のオーケストラ演奏を聴いたあと、3人の審査員による審査が、公開で行われる。いや、面白かったのなんの。
ノミネート曲の作曲家はごく若い方々でしたから、名のある方々の踏み込んだ批評を、縮み上がるような思いで聴いていらしたことでしょう。しかしそのストレスには、数倍の見返りがあると思います。議論自体がとても勉強になるし、私を始めとする聴衆が、作品に親しみ、心に焼き付けますから。
審査は激戦で、ファーストチョイスが3すくみになった時には、客席から拍手が。賞史で初めてのことだそうです。私が気に入ったのは、辻田絢菜さんの《ヴォルパーディンガー》という作品。池辺さんと同じ感想をもちました(受賞は坂東祐大さん)。とにかくすごく面白いので、皆様、ぜひ足を運ぶことをお勧めします。
9月のイベント ― 2015年08月31日 14時37分06秒
9月。いずみホールでモーツァルト・シリーズ最終年が始まります。「未来に飛翔する精神/ウィーン時代Ⅱ1787-1791 超越」というテーマです。
最初のコンサートは30日(水)のハーゲン四重奏団+川本嘉子さんの「開かれた五重奏の世界」。弦楽五重奏曲ハ長調に加えて、プロシャ王四重奏曲の第1番、ハイドン・セットの《狩》というプログラムです。
それに先立ち、今年も、久元祐子さんとプレイベントをやることになりました。テーマは「モーツァルトの歳の取り方を考える」。ピアノ、オルガンを久元さんが弾かれ、歌曲とフリーメーソン・カンタータを鈴木准さんが歌われます。3日(木)、19:00からです。
朝日カルチャー新宿校は、水曜日10:00からのワーグナー講座が《ローエングリン》に入ります。2日が「総説・前奏曲」、16日は「エルザの夢のロマン」というテーマです。同日午後13:00からのバッハは「リレー演奏講座」の継続で、2日がクラヴィーア協奏曲イ長調とニ短調、16日は《ロ短調ミサ曲》その1となります。よく《ロ短調ミサ曲》は何がいいか、と尋ねられますが、おいでいただければ、実地に確かめられます!
朝日カルチャー横浜校のモーツァルト講座は26日(土)の13:00。最後の年の作品をたどるシリーズ、今回は《皇帝ティートの慈悲》です。翌27日(日)は立川の「たのくら」(10:00から)。「21世紀のラモー」と題して、《優雅なインドの国々》の第2幕~第4幕を取り上げます。
6日(日)夜は、松本の合唱団で《マニフィカト》について講演します。全日本合唱コンクールは2つあり、13日(日)が埼玉県の一般部門、19~20日は鳥取で催される中国支部大会です。
最初のコンサートは30日(水)のハーゲン四重奏団+川本嘉子さんの「開かれた五重奏の世界」。弦楽五重奏曲ハ長調に加えて、プロシャ王四重奏曲の第1番、ハイドン・セットの《狩》というプログラムです。
それに先立ち、今年も、久元祐子さんとプレイベントをやることになりました。テーマは「モーツァルトの歳の取り方を考える」。ピアノ、オルガンを久元さんが弾かれ、歌曲とフリーメーソン・カンタータを鈴木准さんが歌われます。3日(木)、19:00からです。
朝日カルチャー新宿校は、水曜日10:00からのワーグナー講座が《ローエングリン》に入ります。2日が「総説・前奏曲」、16日は「エルザの夢のロマン」というテーマです。同日午後13:00からのバッハは「リレー演奏講座」の継続で、2日がクラヴィーア協奏曲イ長調とニ短調、16日は《ロ短調ミサ曲》その1となります。よく《ロ短調ミサ曲》は何がいいか、と尋ねられますが、おいでいただければ、実地に確かめられます!
朝日カルチャー横浜校のモーツァルト講座は26日(土)の13:00。最後の年の作品をたどるシリーズ、今回は《皇帝ティートの慈悲》です。翌27日(日)は立川の「たのくら」(10:00から)。「21世紀のラモー」と題して、《優雅なインドの国々》の第2幕~第4幕を取り上げます。
6日(日)夜は、松本の合唱団で《マニフィカト》について講演します。全日本合唱コンクールは2つあり、13日(日)が埼玉県の一般部門、19~20日は鳥取で催される中国支部大会です。
行きがけの駄賃 ― 2015年08月29日 09時43分50秒
セイジ・オザワ松本フェスティバルに出かけるにあたり、どこか、知らない町に行ってみようと思いました。
そこで早めに出て、「スーパーあずさ」を上諏訪で下車。待っていたJR飯田線に乗り換え、天竜川沿いに、南へ。長野県暮らしが長かったのに、こちらはほとんど来たことがありません。
あまり進むとコンサートに遅れますから、伊那あたりがせいぜいと検討をつけ、伊那市駅で下車。初めて降りましたが、思ったより小作りな町並みで、行き交う人も希という感じです。ひとつの目当てが、いくつものお店がオリジナルを競っているという、ソースカツ丼。ボリューム豊かな一品をいただいてから、天竜川を渡り、小高い公園を往復しました。天竜川はまだまだ上流で、大河の面影はありません。
飯田線は1時間に1本。ほとんどの駅が無人で、車掌さんがその都度下車しては、切符を回収しています。無人駅の伊那北から乗り、岡谷で下車。天竜川の発端に行ってみました。天竜川は、諏訪湖から流れ出ているのです。
諏訪湖の北端には公園があり、小口太郎《琵琶湖周航の歌》の歌碑がありました。大正ロマンですね。「はかない恋に泣くとかや」云々。諏訪湖の眺めは大きく開け、裾野を引く八ヶ岳の頂は、雲に隠れていました。
こちらは、天竜川の流れ出す岡谷側です。
水に心を和ませてから中央本線に乗り、松本へ。その晩は、ベルリオーズの歌劇《ベアトリスとベネディクト》の豪華な公演でした。行くたびに感心するのは、超弩級のフェスティバルを支える、地元の献身的な貢献です。ボランティアの皆さんも大活躍でした。
スマホ変更 ― 2015年08月27日 01時22分55秒
ちょうど2年かなと思ってDocomoショップに行ったところ、3年を経ていることがわかり、機種をギャラクシーからエクスペリアに変更しました。目の前にiPhonの選択肢があり、ちょっと迷いましたが、Macに抗してWindowsを守り抜いてきた自分史に鑑み、Android陣営に留まりました。
購入したのは1年前の機種。でも進化していますね。何より、バッテリーが持ちます。今までは劣化も手伝い(一度だけ交換)、ざるで水を掬うというか、秋の日はつるべ落としというか、豪快な減り方でしたが、ぐっと改善されました。あおりでタブレットやノートパソコンの出番が減り、もったいないことになっています。
ただ、充電したまま忘れて外出、ということがときおりあります。昨日は「場所は道中確認しよう」と思っていたところ忘れていることに気づき、飯田橋駅の待ち合わせを市ヶ谷で待っているという大失態を演じてしまいました。忘れることも想定して動かないといけませんよ、皆さん。
皆さんは、顔の表情が豊かな人とポーカーフェイスの人では、どちらがお好きですか。私は、表情豊かな人が好きです。その豊かな表情にいま私が惚れ込んでいるのは、原監督。正直な方って、いいですよね。あ、「秋の日」のたとえとは関係ありません。
購入したのは1年前の機種。でも進化していますね。何より、バッテリーが持ちます。今までは劣化も手伝い(一度だけ交換)、ざるで水を掬うというか、秋の日はつるべ落としというか、豪快な減り方でしたが、ぐっと改善されました。あおりでタブレットやノートパソコンの出番が減り、もったいないことになっています。
ただ、充電したまま忘れて外出、ということがときおりあります。昨日は「場所は道中確認しよう」と思っていたところ忘れていることに気づき、飯田橋駅の待ち合わせを市ヶ谷で待っているという大失態を演じてしまいました。忘れることも想定して動かないといけませんよ、皆さん。
皆さんは、顔の表情が豊かな人とポーカーフェイスの人では、どちらがお好きですか。私は、表情豊かな人が好きです。その豊かな表情にいま私が惚れ込んでいるのは、原監督。正直な方って、いいですよね。あ、「秋の日」のたとえとは関係ありません。
合唱コンクールという試練 ― 2015年08月24日 23時15分09秒
スケジュールの立て込んだ8月下旬への関門としてあったのが、この土日の合唱コンクール(全日本、埼玉)でした。
審査はなにぶんの激務(採点の心理的負担+コメント書き続けの体力的負担)なので、最近のコンディションで務まるかどうか、かなり心配していました。専門領域でもないわけだし、今後どこまでお引き受けしたものか、と及び腰で、「潮時」という言葉も、頭に浮かんでいました。
もちろん、行けば全力投球でやります。至れり尽くせりで気持ちよく迎えていただける上、中高の合唱団の規律正しさ、礼儀正しさは、本当に気持ちがいい。1日目(高校)は疲れを感じることもなく完遂し、高揚感がありました。
しかし2日目は、忍び寄る疲労が。あらためて思ったのは、音楽コンクールの審査というのは、その対象がどのぐらい上手かを判定するのではなく、自分の音楽観を問い直す活動だということですね。何をよしとするかは本当に決めがたいことで、それを楽しむほど、私は偉くありません。
埼玉県はレベルが高いですから、名伯楽と折り紙付きの先生たちが、生徒たちを手駒として縦横に動かし、マスゲームを見るように絢爛としたプレゼンテーションを行います。音響実験さながらの現代作品が、よく選ばれる。それをコンクール向けと言えば、言えるのではないかと思います。
その傾向が、いちだんと加速しているように思われました。昭和な私としては、昔ながらの合唱の楽しみ、集まってすぐハモれるような合唱の楽しみを重視したい気持ちについかられるのですが、それを採点に反映させるのはむずかしいし、いいかどうかもわかりません。これは一例ですが、ほとんどすべてのステージに、採点の葛藤がついてまわります。
というわけで、自分として今後どうすべきかには、結論を出せませんでした。しかしコンクールに出場した生徒が合計1400人、などという話を聞くと、大事な仕事であることは確実です。例によって後悔を繰り返しながらの作業でしたが、4つの部門のうち私が1位を付けた出場校が3つ総合1位になったので、なんとかほっとしています。勉強させていただいています。
審査はなにぶんの激務(採点の心理的負担+コメント書き続けの体力的負担)なので、最近のコンディションで務まるかどうか、かなり心配していました。専門領域でもないわけだし、今後どこまでお引き受けしたものか、と及び腰で、「潮時」という言葉も、頭に浮かんでいました。
もちろん、行けば全力投球でやります。至れり尽くせりで気持ちよく迎えていただける上、中高の合唱団の規律正しさ、礼儀正しさは、本当に気持ちがいい。1日目(高校)は疲れを感じることもなく完遂し、高揚感がありました。
しかし2日目は、忍び寄る疲労が。あらためて思ったのは、音楽コンクールの審査というのは、その対象がどのぐらい上手かを判定するのではなく、自分の音楽観を問い直す活動だということですね。何をよしとするかは本当に決めがたいことで、それを楽しむほど、私は偉くありません。
埼玉県はレベルが高いですから、名伯楽と折り紙付きの先生たちが、生徒たちを手駒として縦横に動かし、マスゲームを見るように絢爛としたプレゼンテーションを行います。音響実験さながらの現代作品が、よく選ばれる。それをコンクール向けと言えば、言えるのではないかと思います。
その傾向が、いちだんと加速しているように思われました。昭和な私としては、昔ながらの合唱の楽しみ、集まってすぐハモれるような合唱の楽しみを重視したい気持ちについかられるのですが、それを採点に反映させるのはむずかしいし、いいかどうかもわかりません。これは一例ですが、ほとんどすべてのステージに、採点の葛藤がついてまわります。
というわけで、自分として今後どうすべきかには、結論を出せませんでした。しかしコンクールに出場した生徒が合計1400人、などという話を聞くと、大事な仕事であることは確実です。例によって後悔を繰り返しながらの作業でしたが、4つの部門のうち私が1位を付けた出場校が3つ総合1位になったので、なんとかほっとしています。勉強させていただいています。
8月のCD ― 2015年08月21日 09時21分07秒
《イタリア歌曲集》はロマン的オペラ風ではなく古楽の様式で聴きたいと常に思っていますが、波多野睦美さんの最新録音は、まさにその領域(ソネット)。さっそく選びました。
カッチーニの《アマリッリ》に始まり、モンテヴェルディの《死なせてください》、スカルラッティの《すみれ》等を経てヘンデルの《泣かせてください》に至る選曲がまずいいですね。有名どころがもれなく入っています。
演奏は、曲とピュアな向き合った印象のもので、「多彩な情感をしのばせる歌唱が、しみじみと心を温めて」くれます。西山まりえさん、懸田貴嗣さんらが顔を揃えた器楽との交流もよく、とても楽しみました。
もうひとつ感心したのが、ブルーノ・カニーノがイタリアの美術館(もと教会)で録音した「プレイズ 西村朗」(フォンテック)というピアノ曲集。西村さん特有の宗教的幻想が光溢れるイメージで再現されていて秀逸。いい出会いだなあと思います。
カッチーニの《アマリッリ》に始まり、モンテヴェルディの《死なせてください》、スカルラッティの《すみれ》等を経てヘンデルの《泣かせてください》に至る選曲がまずいいですね。有名どころがもれなく入っています。
演奏は、曲とピュアな向き合った印象のもので、「多彩な情感をしのばせる歌唱が、しみじみと心を温めて」くれます。西山まりえさん、懸田貴嗣さんらが顔を揃えた器楽との交流もよく、とても楽しみました。
もうひとつ感心したのが、ブルーノ・カニーノがイタリアの美術館(もと教会)で録音した「プレイズ 西村朗」(フォンテック)というピアノ曲集。西村さん特有の宗教的幻想が光溢れるイメージで再現されていて秀逸。いい出会いだなあと思います。
私のクールビズ作戦(2) ― 2015年08月18日 14時45分41秒
私の関係させていただいている大学や職場でも、クールビズを積極的に推進しているところがいくつかあり、職場の景観にも、大きな変化が出てきました。私はといえば、長年の原則をなかなか逸脱する勇気がなかった、というのが正直なところです。ちゃんとしていないと悪いことをしているような気がする、と申し上げて、共感してくださる方は、どのぐらいおられるでしょうか。
さて、今年。早くからすごく暑くなり、身体が対応できない一方で、今さら身支度に固執することもないだろう、という気持ちが生まれてきました。そこでネクタイなし、30度を超えた「真夏日」には上着もなし、というガイドラインを決断し、おそるおそる始めてみました。たしかに、より快適ではあります。
その後。ある真夏日に都内で、一流の方の集まる会議がありました。私は原則に従って半袖、上着なしで出かけたのですが、他の方々の装いを見て仰天。私以外の方がすべて、上着をお召しだったのです。こういうときのバツの悪さは、なかなかたとえるものがない。逃げだしてしまいたくなります。
日曜日の「たのくら」には上着を着ていき(私だけ)、この話を披露したところ、皆さん爆笑。しかし、帰り際、ある女性がおっしゃったことが、ぐさりと刺さってきました。その方は、先生はやはりネクタイをしていないとさまにならない、とおっしゃったのです。そうかもしれないという気も強くしますので、原則がぐらついています(笑)。
さて、今年。早くからすごく暑くなり、身体が対応できない一方で、今さら身支度に固執することもないだろう、という気持ちが生まれてきました。そこでネクタイなし、30度を超えた「真夏日」には上着もなし、というガイドラインを決断し、おそるおそる始めてみました。たしかに、より快適ではあります。
その後。ある真夏日に都内で、一流の方の集まる会議がありました。私は原則に従って半袖、上着なしで出かけたのですが、他の方々の装いを見て仰天。私以外の方がすべて、上着をお召しだったのです。こういうときのバツの悪さは、なかなかたとえるものがない。逃げだしてしまいたくなります。
日曜日の「たのくら」には上着を着ていき(私だけ)、この話を披露したところ、皆さん爆笑。しかし、帰り際、ある女性がおっしゃったことが、ぐさりと刺さってきました。その方は、先生はやはりネクタイをしていないとさまにならない、とおっしゃったのです。そうかもしれないという気も強くしますので、原則がぐらついています(笑)。
私のクールビス作戦(1) ― 2015年08月16日 18時43分07秒
ちょっと気恥ずかしいタイトルなので、別の話題から。
今月の「古楽の楽しみ」は明日17日から始まりますが、バッハのモテットの、再放送です。ニュースで中断されたりしましたので、優先的に出していただくことにしました。ちなみに、9月はテレマンの《ターフェルムジーク》特集で、すでに録音済み。今は10月のバッハ特集を用意しています。《ケーテン侯のための葬送音楽》全4部を1つずつ聴き、そこにオルガン曲を絡めていこうという趣向です。どうぞよろしく。
さて、15日(土)朝「たのくら」に出向いたところ、7月に比べて私がはるかに元気だ、という反応が!自覚していませんでしたが、7月には不調がそれとわかる状態であったようです。逆に8月は、これも自覚していませんでしたが、それなりに元気なようです。がんばります。
その枕にした話が、クールビズの話題。われながら抵抗がありあまりお話ししたくはないのですが、皆さんがきわめて興味深そうな反応をなさるので、ここでも取り上げることにしました。あ-、恥ずかし。
好みでいいますと、私はなるべくきちんと装いたい、というタチです。生来のものだと思いますが、教育も無関係ではない。なぜなら、美学の研究室にいたときにネクタイを着用せよという教授の厳命があり、キャンパスでも美学の学生だけがネクタイに背広で蝟集する、という光景が普通だったからです(もう半世紀も前のことです)。私は苦になりませんでしたが、友人たちもそうであったかどうかはわかりません。私はネクタイ好きという定評があるようで、あるとき学生たちの出題したクイズ(パーティのおり)に、「先生はネクタイを何本持っているか」というのがありました。ものすごく、持っていると思います。
しかるに、クールビズの効用が説かれる時代がやって来ました。猛暑、熱帯夜、熱中症などいろいろな状況が生まれると同時に、仕事場の温度が、どこでも目に見えて高くなってきました。(続く)
今月の「古楽の楽しみ」は明日17日から始まりますが、バッハのモテットの、再放送です。ニュースで中断されたりしましたので、優先的に出していただくことにしました。ちなみに、9月はテレマンの《ターフェルムジーク》特集で、すでに録音済み。今は10月のバッハ特集を用意しています。《ケーテン侯のための葬送音楽》全4部を1つずつ聴き、そこにオルガン曲を絡めていこうという趣向です。どうぞよろしく。
さて、15日(土)朝「たのくら」に出向いたところ、7月に比べて私がはるかに元気だ、という反応が!自覚していませんでしたが、7月には不調がそれとわかる状態であったようです。逆に8月は、これも自覚していませんでしたが、それなりに元気なようです。がんばります。
その枕にした話が、クールビズの話題。われながら抵抗がありあまりお話ししたくはないのですが、皆さんがきわめて興味深そうな反応をなさるので、ここでも取り上げることにしました。あ-、恥ずかし。
好みでいいますと、私はなるべくきちんと装いたい、というタチです。生来のものだと思いますが、教育も無関係ではない。なぜなら、美学の研究室にいたときにネクタイを着用せよという教授の厳命があり、キャンパスでも美学の学生だけがネクタイに背広で蝟集する、という光景が普通だったからです(もう半世紀も前のことです)。私は苦になりませんでしたが、友人たちもそうであったかどうかはわかりません。私はネクタイ好きという定評があるようで、あるとき学生たちの出題したクイズ(パーティのおり)に、「先生はネクタイを何本持っているか」というのがありました。ものすごく、持っていると思います。
しかるに、クールビズの効用が説かれる時代がやって来ました。猛暑、熱帯夜、熱中症などいろいろな状況が生まれると同時に、仕事場の温度が、どこでも目に見えて高くなってきました。(続く)
夏休み気分 ― 2015年08月13日 09時02分35秒
私、夏休み気分でおります。なぜなら、今週は所用で外出する日が3日しかなく、準備の必要なのが1日だけ。この夏、もっとも余裕のあるスケジュールなのです。前から、ここに入ればゆっくりできるな、と思っていました。
気持ちは悠然、スローダウンして身体を動かし、普段できないことを少しずつやり・・・と一応は思うわけですが、世の中、そんなに甘くないですね。遅れている仕事を少しでも進めるチャンスはここにしかないわけで、結局、早朝から仕事に励んでいます。中心はヴォルフ先生のモーツァルト本で、全6章のうち、いま第5章(教会音楽論)。
どんどんはかどれば気持ちもいいですが、なかなかそうはいきません。休暇は1日、1日と減り、基本的感情である「焦り」が日日募るという悪循環。これで夏休みというのでは本末転倒ですが、なかなか大きく構えられないのが、貧乏性のゆえんです。
日曜日(9日)には、ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞の仕事で、松本に行きました。MJCアンサンブル(南相馬ジュニアコーラス)と波田少年少女合唱団が共演するステージで、合唱のレベルはなかなか。私の仕事は記念品の盾をお渡しするだけですが、おかげで、名前でしか知らなかった波田地区のホールを訪れることができました。
特別出演されたバリトン歌手、太田直樹さんは、私の高校の後輩で、旧職場の同僚。折り目正しい人柄、理路整然としたトーク、歌にたたえられた爽やかなロマン・・・これって松本深志だよな!という思いが突然、私の心に。現地ゆえに湧き上がった感情でしょうか。
お昼を食べ損なっていましたので、終了後「こばやし」というお蕎麦屋さんに入り、スタッフと乾杯しました。庭で取れたキュウリだの新生姜だのが出てきて、松本の食を満喫。焦り中断の一日でした。
気持ちは悠然、スローダウンして身体を動かし、普段できないことを少しずつやり・・・と一応は思うわけですが、世の中、そんなに甘くないですね。遅れている仕事を少しでも進めるチャンスはここにしかないわけで、結局、早朝から仕事に励んでいます。中心はヴォルフ先生のモーツァルト本で、全6章のうち、いま第5章(教会音楽論)。
どんどんはかどれば気持ちもいいですが、なかなかそうはいきません。休暇は1日、1日と減り、基本的感情である「焦り」が日日募るという悪循環。これで夏休みというのでは本末転倒ですが、なかなか大きく構えられないのが、貧乏性のゆえんです。
日曜日(9日)には、ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞の仕事で、松本に行きました。MJCアンサンブル(南相馬ジュニアコーラス)と波田少年少女合唱団が共演するステージで、合唱のレベルはなかなか。私の仕事は記念品の盾をお渡しするだけですが、おかげで、名前でしか知らなかった波田地区のホールを訪れることができました。
特別出演されたバリトン歌手、太田直樹さんは、私の高校の後輩で、旧職場の同僚。折り目正しい人柄、理路整然としたトーク、歌にたたえられた爽やかなロマン・・・これって松本深志だよな!という思いが突然、私の心に。現地ゆえに湧き上がった感情でしょうか。
お昼を食べ損なっていましたので、終了後「こばやし」というお蕎麦屋さんに入り、スタッフと乾杯しました。庭で取れたキュウリだの新生姜だのが出てきて、松本の食を満喫。焦り中断の一日でした。
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