「安息」考2017年02月16日 16時44分33秒

過日の三択問題(聖女・安息・縁のうち、どれが実在すると私が思っているか)について、、簡単に注釈しようと思いました。しかしいざ書こうとすると、むずかしいのです。

「縁」は本当にあるなあと思う昨今なので、考えるべきは、残りの二択。ありそうだがどうやらない、あるいは、あって欲しいがないと思わざるを得ない、と私が思っている2つのものです。

「安息」は、誰でも、つねに求めているものですよね。私もそう。ゆっくり休みたいなあとか、温泉に行きたいなあとか、いつも思っています。

でも現実にそれを求めて行動しているかというと、そうではない。休もうと思えば休めないわけではないが、考えてみると、休まないことを自分が選択しているわけです。横になりたい時もありますが、少し横になっていると、時間がもったいないような気がしてきて(貧乏性の一語)、起きてしまう。多分、起きることができなくなるまで、そうするんじゃないかと思います。

となると、究極のゴールとしての安息は、死しかあり得ないことになります。バッハのカンタータが述べているとおりです(笑)。

しかし死んでしまったら、自分が安息にあるかどうかわかりませんよね。ということは、死を安息として受け入れる気持ちを整えるということが、生前に安息を予感できる唯一の方法、ということになるのではないでしょうか。

そういう安息を知りたいと思います。