守りが肝要 ― 2013年11月30日 10時05分58秒
29日、忙しい仕事を終えて戻ってくると、ちょうど竜王戦が最終段階に入っていました。結果は4勝1敗で森内名人が勝ち、新竜王に。これで将棋の7大タイトルは羽生3冠、渡辺2冠、森内2冠という分かれになりましたが、もっとも重要な竜王と名人の2つを制覇した森内さんが第一人者であることは、他の2人に対する最近の戦績から見ても明らかでしょう。
感じることが、2つあります。1つは、40代に入ってからいちだんと強くなられているということ。歳を取ると棋力は弱まるという通念がありましたから、とても不思議な感じがします。「いまみんな若い」ということの反映であるとしたら、勇気をもらえますね。森内さん、羽生さんの40代に、若い人が勝てません。
もう1つは、戦いにおける守備力の重要性です。早い段階で渡辺前竜王が敵陣に、鋭く銀を打ち込みました。これが来ると勝負あった、となる将棋をいくつも見てきましたから、これは大変なのかなと思いましたが、森内名人は最善の応手で押さえ込み、手のひらの中の反乱のように収束してしまいました。
麻雀でもそうですが、手を作って攻めることは、誰でもできる。しかし守ることは高等技術です。まあそれはわれわれのレベルでの話ですが、鉄壁の守りを磨き上げるというのはたいへんな修練と忍耐を必要とすることで、その成果を目の当たりにすると、心して学びたいなあと思います。なぜなら、守りを磨くということは、自分に都合の悪いシチュエーションに対する想像力を高めることであるからです。
感じることが、2つあります。1つは、40代に入ってからいちだんと強くなられているということ。歳を取ると棋力は弱まるという通念がありましたから、とても不思議な感じがします。「いまみんな若い」ということの反映であるとしたら、勇気をもらえますね。森内さん、羽生さんの40代に、若い人が勝てません。
もう1つは、戦いにおける守備力の重要性です。早い段階で渡辺前竜王が敵陣に、鋭く銀を打ち込みました。これが来ると勝負あった、となる将棋をいくつも見てきましたから、これは大変なのかなと思いましたが、森内名人は最善の応手で押さえ込み、手のひらの中の反乱のように収束してしまいました。
麻雀でもそうですが、手を作って攻めることは、誰でもできる。しかし守ることは高等技術です。まあそれはわれわれのレベルでの話ですが、鉄壁の守りを磨き上げるというのはたいへんな修練と忍耐を必要とすることで、その成果を目の当たりにすると、心して学びたいなあと思います。なぜなら、守りを磨くということは、自分に都合の悪いシチュエーションに対する想像力を高めることであるからです。
詩的時間 ― 2013年11月29日 08時10分19秒
詩を愉しむ心を、もちませんでした。学校でも、詩を作りなさいと言われると、まったくダメ。恥ずかしかったのです。今思うと、そこに、詩の力があった。詩は心の中をそのまま映し出してしまうので、恥ずかしく感じたわけでしょうから。不思議ですが、和歌と俳句は、一貫して好きでした。
縁あって長田弘さんの『奇跡-ミラクル-』という詩集を読み、目を開かれました。私はさまざまな文献に当たりますので、必然的に、短時間でより多くの情報を得ようとします。速読が、習いになっているのです。しかしそのテンポが、詩によってまず、拒否される。たとえば標記の詩は、次のように始まっています。
庭の小さな白梅のつぼみが
ゆっくりと静かにふくらむと、
日の光が春の影をやどしはじめる。
つまり、詩の中に独自のゆったりした時間があり、それに身を任せて言葉を味わい、ファンタジーをめぐらすことなしには、進んでゆくことができないのです。これは、私のようなせっかち人間には、とてもよい切り替えであり、修養です。
詩を読むことは、散文を読むのとは異なるひとつの時間体験であることがわかり、詩がぐっと身近になりました。だから、歌曲になり、合唱曲になるわけですね。とてもよい詩集です。
縁あって長田弘さんの『奇跡-ミラクル-』という詩集を読み、目を開かれました。私はさまざまな文献に当たりますので、必然的に、短時間でより多くの情報を得ようとします。速読が、習いになっているのです。しかしそのテンポが、詩によってまず、拒否される。たとえば標記の詩は、次のように始まっています。
庭の小さな白梅のつぼみが
ゆっくりと静かにふくらむと、
日の光が春の影をやどしはじめる。
つまり、詩の中に独自のゆったりした時間があり、それに身を任せて言葉を味わい、ファンタジーをめぐらすことなしには、進んでゆくことができないのです。これは、私のようなせっかち人間には、とてもよい切り替えであり、修養です。
詩を読むことは、散文を読むのとは異なるひとつの時間体験であることがわかり、詩がぐっと身近になりました。だから、歌曲になり、合唱曲になるわけですね。とてもよい詩集です。
昔ファンでした ― 2013年11月27日 15時12分51秒
桜田淳子さんが昨夜、ファン感謝イベントを開かれたそうですね。テレビの「ミヤネ屋」で櫻田亮さん似のレポーターがその盛り上がりぶりを情熱もあらわに報告するのが面白く、しばらく仕事の手を休めました。
というのも、私は「その頃」桜田淳子さんの大ファンで、写真集を買ったりしていたからです。十代の頃の話なのだからもう時効、書いてもいいよな・・・と思って計算すると、ちょっと違う。桜田さんは私より11歳年下で、《天使は夢見る》のデビューが14歳。よく覚えているヒット曲に《十七の夏》というのがありましたから、私が熱中していたのはどうやら、20代後半ということになるのです。これは意外でした。
ファンになったのは、もちろん音楽的な理由からではありません。要するに趣味の問題ですね。では、どういう趣味ということになるのでしょうか。天真爛漫が好き?明るく華やかが好き?自分でもわかりません。
そこで、桜田さんがデビューする前は誰だったろう、と考えてみました。なかなか思い出せませんでしたが、松原智恵子さんが好きだったことがあるな、と思いつきました。調べてみると松原さんは私より1歳年上なので、明らかに桜田以前です。しかし、タイプはまったく違いますよね。さきの二項目は、いずれも当てはまりません。
そこで考えます。若者はタイプの違う人をその時その時によって好きになり、それによって成長していくのか。あるいは、厳然とその人の好みというものがあって、桜田さんと松原さんには、すぐには見えない共通点がしっかり存在しているのか。どちらが正しいのでしょう。
というのも、私は「その頃」桜田淳子さんの大ファンで、写真集を買ったりしていたからです。十代の頃の話なのだからもう時効、書いてもいいよな・・・と思って計算すると、ちょっと違う。桜田さんは私より11歳年下で、《天使は夢見る》のデビューが14歳。よく覚えているヒット曲に《十七の夏》というのがありましたから、私が熱中していたのはどうやら、20代後半ということになるのです。これは意外でした。
ファンになったのは、もちろん音楽的な理由からではありません。要するに趣味の問題ですね。では、どういう趣味ということになるのでしょうか。天真爛漫が好き?明るく華やかが好き?自分でもわかりません。
そこで、桜田さんがデビューする前は誰だったろう、と考えてみました。なかなか思い出せませんでしたが、松原智恵子さんが好きだったことがあるな、と思いつきました。調べてみると松原さんは私より1歳年上なので、明らかに桜田以前です。しかし、タイプはまったく違いますよね。さきの二項目は、いずれも当てはまりません。
そこで考えます。若者はタイプの違う人をその時その時によって好きになり、それによって成長していくのか。あるいは、厳然とその人の好みというものがあって、桜田さんと松原さんには、すぐには見えない共通点がしっかり存在しているのか。どちらが正しいのでしょう。
今月のCD ― 2013年11月24日 12時23分16秒
「古楽の楽しみ」のために輸入盤を収集していると、これは紹介したいなあ、というCDにぶつかります。種々の国内盤との比較をもちろんするわけですが、今月は最終的に、それを選びました。ハンス=クリストフ・ラーデマン指揮、ドレスデン室内合唱団によって進行中の、シュッツの作品全集(Carus)からです。
私の世代だと、エーマン、マウエルスベルガーの印象が強いのが、シュッツの演奏。しかし小編成の合唱とピリオド楽器によるラーデマンの演奏はまさに新鮮にして爽やか、古楽時代のシュッツになっており、そこに、本場の信頼性がプラスされているように感じられます。
目下7種類出ているCDのどれを選ぶかで、迷いました。「ルカ受難曲/十字架上の七つの言葉」を選んだのは、《十字架上の七つの言葉》がシュッツ入門には最適だという考え(同時に経験)からです。しかし聴き込んでおられる方であれば、《ガイストリッヒェ・コーアムジーク》をお薦めします。何の虚飾もない、高みを振り仰ぐ精神の音楽です。12月2日からの「古楽の楽しみ」で種々流しますので、お好きなものを見つけてください。
国内盤では、マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のライヴ・シリーズがとても楽しめました。最高レベルのオーケストラ演奏が、作品本位に、夢と愛をもって展開されています。
私の世代だと、エーマン、マウエルスベルガーの印象が強いのが、シュッツの演奏。しかし小編成の合唱とピリオド楽器によるラーデマンの演奏はまさに新鮮にして爽やか、古楽時代のシュッツになっており、そこに、本場の信頼性がプラスされているように感じられます。
目下7種類出ているCDのどれを選ぶかで、迷いました。「ルカ受難曲/十字架上の七つの言葉」を選んだのは、《十字架上の七つの言葉》がシュッツ入門には最適だという考え(同時に経験)からです。しかし聴き込んでおられる方であれば、《ガイストリッヒェ・コーアムジーク》をお薦めします。何の虚飾もない、高みを振り仰ぐ精神の音楽です。12月2日からの「古楽の楽しみ」で種々流しますので、お好きなものを見つけてください。
国内盤では、マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のライヴ・シリーズがとても楽しめました。最高レベルのオーケストラ演奏が、作品本位に、夢と愛をもって展開されています。
感動の続編 ― 2013年11月22日 10時03分21秒
『続・氷点』を、絶大な感動をもって読み終えました。
本編に一定の違和感を感じたと述べましたが、続編に入ると、それはどんどん解消されていきました。文体や構想に慣れた、というのもありますが、文章が本編より明らかに良くなっていると思う。書きながら、著者は成長されていったのではないでしょうか。
ともかく、真剣さが並々でない。これは世代もあるなあ、と思いますね。現代では求めるべくもないような真剣さ、そして熱烈さ。旭川を中心に、北海道が舞台となっているので、この8月に訪れたことが感情移入に役立ちました。旭川の記念館に行っておくのでした。
ぐーっと引き入れられて読んでいて、一気に涙のあふれた部分があります。それは、天真爛漫に見える少女、順子が生い立ちの苦しみを告白した手紙の中の、「キリストの贖罪を知り、それから本当に明るくなった」というくだりです。こう書くと、礒山もついにそっちか、と思われるかも知れませんが、そうではないつもりです。この記述に著者が思いを賭けていて、その意味するところを私が理解した、ということです。
さらに読み進めるうち、あっと驚く部分が、もうひとつ。それは、主人公の敬造が勇を鼓して教会を訪れる場面で、そこで朗読され、牧師によって説教される聖書箇所が、ルカ福音書の「ファイサイ人と徴税人」のくだりだったことです。この説話は私の一番好きなもので、バッハのカンタータ第179番《心せよ、神を畏れることが偽善とならぬように》の下敷きになっています。〈憐れんでください〉のソプラノ・アリアを導き出すバッハの音楽付けはすごいです。
「くにたちiBACHコレギウム」でも演奏したこのカンタータ、ちょうど来月の大阪音大での講義でも取り上げることにしており、いいネタができました。敬造が教会に到達すること、エンディングが冬の網走における陽子の神体験になっていることなど、キリスト教色が濃厚な小説ですが、宗教宗派の問題にとらわれず、その中味を読んでいただけるといいのではないかと思います。
本編に一定の違和感を感じたと述べましたが、続編に入ると、それはどんどん解消されていきました。文体や構想に慣れた、というのもありますが、文章が本編より明らかに良くなっていると思う。書きながら、著者は成長されていったのではないでしょうか。
ともかく、真剣さが並々でない。これは世代もあるなあ、と思いますね。現代では求めるべくもないような真剣さ、そして熱烈さ。旭川を中心に、北海道が舞台となっているので、この8月に訪れたことが感情移入に役立ちました。旭川の記念館に行っておくのでした。
ぐーっと引き入れられて読んでいて、一気に涙のあふれた部分があります。それは、天真爛漫に見える少女、順子が生い立ちの苦しみを告白した手紙の中の、「キリストの贖罪を知り、それから本当に明るくなった」というくだりです。こう書くと、礒山もついにそっちか、と思われるかも知れませんが、そうではないつもりです。この記述に著者が思いを賭けていて、その意味するところを私が理解した、ということです。
さらに読み進めるうち、あっと驚く部分が、もうひとつ。それは、主人公の敬造が勇を鼓して教会を訪れる場面で、そこで朗読され、牧師によって説教される聖書箇所が、ルカ福音書の「ファイサイ人と徴税人」のくだりだったことです。この説話は私の一番好きなもので、バッハのカンタータ第179番《心せよ、神を畏れることが偽善とならぬように》の下敷きになっています。〈憐れんでください〉のソプラノ・アリアを導き出すバッハの音楽付けはすごいです。
「くにたちiBACHコレギウム」でも演奏したこのカンタータ、ちょうど来月の大阪音大での講義でも取り上げることにしており、いいネタができました。敬造が教会に到達すること、エンディングが冬の網走における陽子の神体験になっていることなど、キリスト教色が濃厚な小説ですが、宗教宗派の問題にとらわれず、その中味を読んでいただけるといいのではないかと思います。
『氷点』に挑戦 ― 2013年11月20日 05時51分53秒
このカテゴリに書くことが多いのは、専門外で気楽だからです。コンサートの感想は責任上正確を要するので、書いたり、書かなかったり。新聞批評は今月、ペライアとムーティをやりました。それは紙面でご覧ください。
女性作家の小説探訪、三浦綾子さんに挑戦してみました。もちろん『氷点』です。
読み始めての最初の思いは、文章がこなれていないなあということと(偉そうにすみません)、設定がどぎついなあということ。極限状況を設定してその力で引っ張るというのは、しばしば行われて効果を上げますが、文学の手法としてはどうかなあという思いが以前からあります。すばらしく描かれている「陽子」という主人公があまりにも気の毒な流れになるので、ちょっとたまりません。
と思いつつもその迫力に吞まれて読了し、いま、続編に入っています。人間の「罪」を掘り下げる問題意識には、全面的に共感。「罪」という考え方がわからない、違和感がある、とよく言われますが、「内なる悪」ととれば、ほとんどの人が思い当たることではないでしょうか。どこまでそれと向き合うかは、メンタリティにおける宗教性の問題なので、千差万別でしょうが。
間違いないことは、バッハの宗教声楽曲の演奏において、「罪」への理解と体感が死活的に重要だ、ということです。世の中には悪いやつが多い、と外に心を向けながら「キリエ・エレイソン」というわけにはいきません。
そのことをますます考えるようになっている昨今ですが、メンタルヘルスの分野では違うのですね。過度に自分と向き合い、自分を責める傾向にある人は鬱になりやすいので、そういう意識から離れることが重要だ、と。この違いをどうとらえるべきか、まだ考えがまとまりません。
女性作家の小説探訪、三浦綾子さんに挑戦してみました。もちろん『氷点』です。
読み始めての最初の思いは、文章がこなれていないなあということと(偉そうにすみません)、設定がどぎついなあということ。極限状況を設定してその力で引っ張るというのは、しばしば行われて効果を上げますが、文学の手法としてはどうかなあという思いが以前からあります。すばらしく描かれている「陽子」という主人公があまりにも気の毒な流れになるので、ちょっとたまりません。
と思いつつもその迫力に吞まれて読了し、いま、続編に入っています。人間の「罪」を掘り下げる問題意識には、全面的に共感。「罪」という考え方がわからない、違和感がある、とよく言われますが、「内なる悪」ととれば、ほとんどの人が思い当たることではないでしょうか。どこまでそれと向き合うかは、メンタリティにおける宗教性の問題なので、千差万別でしょうが。
間違いないことは、バッハの宗教声楽曲の演奏において、「罪」への理解と体感が死活的に重要だ、ということです。世の中には悪いやつが多い、と外に心を向けながら「キリエ・エレイソン」というわけにはいきません。
そのことをますます考えるようになっている昨今ですが、メンタルヘルスの分野では違うのですね。過度に自分と向き合い、自分を責める傾向にある人は鬱になりやすいので、そういう意識から離れることが重要だ、と。この違いをどうとらえるべきか、まだ考えがまとまりません。
《第九》のあと ― 2013年11月19日 07時23分54秒
サントリーホールにおけるウィーン・フィルのベートーヴェン・チクルス。私は、最後の《第九》(+《第八》)だけ顔を出しました。
入場券といっしょにいただいたのが、フェアウェル・パーティのご案内。さて、と考え込みました。翌日の準備など、その夜、やらなくてはならないことがたくさんあったからです。帰り際まで迷っていましたが、立場上ここは出るべきだと決心し、会場のブルーローズへ。
このパーティ、通し券を買うと招待されることになっていたそうですね。全シンフォニーとコンチェルトを聴かれた方が、100人以上いるとか。さすがです。総力を挙げた大演奏のあとですので、出演者、関係者で満員の会場にも熱気がありました。いちばんトーンの高かったのが通訳の方です(笑)。
ウィーンの伝統は確固として健在だ、と痛感したのは、アトラクションで披露された弦楽四重奏(チェロではなくコントラバス)。ひときわ若いコントラバス奏者がじつに音楽的で、上声部に寄り添うように、響きを取りにいく。完璧にアンサンブル優先、ウィーンの香りを花開かせるための駒になっているのです。なるほど、こうした献身の総和として、ウィーン・フィルがあるわけですね。
公演で最大の拍手を集めたのは、2回のステージのためだけに来日した楽友協会合唱団(ヴィーナー・ジングフェライン)でした。アマチュアを標榜する彼らですが、存在感と芸術性は並々でなく、響きが、ウィーン・フィルと完全に融合している。彼らも、名伯楽プリンツさんの指揮で、楽しいアトラクションを聴かせてくれました。
合唱団の東京公演は三十数年ぶりというのを聴いて、心ひそかに満足。というのは、いずみホールで今世紀、すでに2回彼らを招聘していたからです。大阪大好き、また絶対行きたい、と、団員の方々。いろいろな方とお話しするうち、大阪のウィーン音楽祭がなくなって一番残念がっているのは、ウィーンの人たちなのではないかとさえ思えてきました。いい形でウィーン・サウンドを聴いていただける工夫ができないかどうか、将来に向けて検討を始めたところです。
入場券といっしょにいただいたのが、フェアウェル・パーティのご案内。さて、と考え込みました。翌日の準備など、その夜、やらなくてはならないことがたくさんあったからです。帰り際まで迷っていましたが、立場上ここは出るべきだと決心し、会場のブルーローズへ。
このパーティ、通し券を買うと招待されることになっていたそうですね。全シンフォニーとコンチェルトを聴かれた方が、100人以上いるとか。さすがです。総力を挙げた大演奏のあとですので、出演者、関係者で満員の会場にも熱気がありました。いちばんトーンの高かったのが通訳の方です(笑)。
ウィーンの伝統は確固として健在だ、と痛感したのは、アトラクションで披露された弦楽四重奏(チェロではなくコントラバス)。ひときわ若いコントラバス奏者がじつに音楽的で、上声部に寄り添うように、響きを取りにいく。完璧にアンサンブル優先、ウィーンの香りを花開かせるための駒になっているのです。なるほど、こうした献身の総和として、ウィーン・フィルがあるわけですね。
公演で最大の拍手を集めたのは、2回のステージのためだけに来日した楽友協会合唱団(ヴィーナー・ジングフェライン)でした。アマチュアを標榜する彼らですが、存在感と芸術性は並々でなく、響きが、ウィーン・フィルと完全に融合している。彼らも、名伯楽プリンツさんの指揮で、楽しいアトラクションを聴かせてくれました。
合唱団の東京公演は三十数年ぶりというのを聴いて、心ひそかに満足。というのは、いずみホールで今世紀、すでに2回彼らを招聘していたからです。大阪大好き、また絶対行きたい、と、団員の方々。いろいろな方とお話しするうち、大阪のウィーン音楽祭がなくなって一番残念がっているのは、ウィーンの人たちなのではないかとさえ思えてきました。いい形でウィーン・サウンドを聴いていただける工夫ができないかどうか、将来に向けて検討を始めたところです。
PET検査その後 ― 2013年11月17日 09時47分34秒
先日新百合ヶ丘総合病院で受けた最新の「PET-CTがんドック」、興味のある方もいらっしゃることでしょう。結果がどう知らされるかわかりました。
「メディカル・チェックアップ・レポート」というのが、半月ほどで送られてきました。内容は、レポート1枚、カラー画像3枚、画像を収めたCD-ROM1枚です。
レポートは、「PET-CT検査」「総合判定」の2項目から成っています。前者は一連の観察記録、後者はそれをまとめたものです。「総合判定」は私の場合5項目あり、「を疑います」が2項目、「を認めます」が3項目でした。「を認めます」の中にだから「~に注意してください」という記述があり、それはまさに最近のコンディションを指摘したものでした。その下に、外来受診の予約専用ダイヤルが記されている親切ペーパーです。
私はその後胃の内視鏡検査を受け、その結果を聴きに行くために診察予約をしていましたので、そのさいに、「を疑います」の2項目、とくに要再検査の項目について、ご相談することにしました。大腸の内視鏡をすることになるでしょうが、そろそろやらなくてはと思っていたので、幸便です。
というわけで、なかなか合理的なシステムです。今は大病院に通っていても、健康をすべてチェックしてくれるわけではありません。毎年の習慣にしようかなと思っています。
「メディカル・チェックアップ・レポート」というのが、半月ほどで送られてきました。内容は、レポート1枚、カラー画像3枚、画像を収めたCD-ROM1枚です。
レポートは、「PET-CT検査」「総合判定」の2項目から成っています。前者は一連の観察記録、後者はそれをまとめたものです。「総合判定」は私の場合5項目あり、「を疑います」が2項目、「を認めます」が3項目でした。「を認めます」の中にだから「~に注意してください」という記述があり、それはまさに最近のコンディションを指摘したものでした。その下に、外来受診の予約専用ダイヤルが記されている親切ペーパーです。
私はその後胃の内視鏡検査を受け、その結果を聴きに行くために診察予約をしていましたので、そのさいに、「を疑います」の2項目、とくに要再検査の項目について、ご相談することにしました。大腸の内視鏡をすることになるでしょうが、そろそろやらなくてはと思っていたので、幸便です。
というわけで、なかなか合理的なシステムです。今は大病院に通っていても、健康をすべてチェックしてくれるわけではありません。毎年の習慣にしようかなと思っています。
余生再考 ― 2013年11月14日 08時38分11秒
立川を本拠とする「楽しいクラシックの会」は、今年がたしか26年目。本当によく続いています。私もリラックスして、砕けたお話をいろいろさせていただいている場です。
先日、例会終了後の食事の場で会長さんが、私と付き合っていく上で最重要に心がけていることはかくかくしかじかです、とおっしゃったことに、とてもびっくりしました。それは、「私に絶対に無駄な時間を使わせないこと」だそうです。なるほどそうだったのか、と来し方を振り返り、温かい気持ちが広がりました。
その話をNHKの録音のさいアシスタントにしたところ、私が1分1秒を無駄にしないよう行動していることはありありしている、とのこと。ありありしていることが感じがいいかどうかは別として(多分よくないでしょう)、そうせざるを得ない状況に身を置いてきたことは確かです。最近はその度合いが上がっており、好きなPCゲームも、しばらくやっておりません(←指標になる)。
ただ、あまり余裕がなくなると、毎日が楽しくないことも事実です。それに、目先の仕事で日々が過ぎていってしまう。これでは、『ヨハネ受難曲』の書き下ろしなど夢の又夢のまま、ジエンドです。
先日用談でお会いした方が、『ヨハネ受難曲』やカンタータの仕事をみんな待っている、とおっしゃってくださり、たしかに、一番大事なのはそこだよなあ、と思いました。日々のスケジュールを再検討したいと思いますが、それは、皆様のご理解・ご寛容がなくてはできないことです。よろしくお願いします。
先日、例会終了後の食事の場で会長さんが、私と付き合っていく上で最重要に心がけていることはかくかくしかじかです、とおっしゃったことに、とてもびっくりしました。それは、「私に絶対に無駄な時間を使わせないこと」だそうです。なるほどそうだったのか、と来し方を振り返り、温かい気持ちが広がりました。
その話をNHKの録音のさいアシスタントにしたところ、私が1分1秒を無駄にしないよう行動していることはありありしている、とのこと。ありありしていることが感じがいいかどうかは別として(多分よくないでしょう)、そうせざるを得ない状況に身を置いてきたことは確かです。最近はその度合いが上がっており、好きなPCゲームも、しばらくやっておりません(←指標になる)。
ただ、あまり余裕がなくなると、毎日が楽しくないことも事実です。それに、目先の仕事で日々が過ぎていってしまう。これでは、『ヨハネ受難曲』の書き下ろしなど夢の又夢のまま、ジエンドです。
先日用談でお会いした方が、『ヨハネ受難曲』やカンタータの仕事をみんな待っている、とおっしゃってくださり、たしかに、一番大事なのはそこだよなあ、と思いました。日々のスケジュールを再検討したいと思いますが、それは、皆様のご理解・ご寛容がなくてはできないことです。よろしくお願いします。
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