2月のイベント、とくに「すざかバッハの会」新シリーズ2010年02月08日 23時03分00秒

「痛切な出来事」の件、温かなコメントをいただき、ほっとしました。松本でも話が回り、お母様がブログを読まれたそうです。喜んでくださったそうで、本当に良かったです。

長期連載をしているうちに、今月のイベント、2つ終わってしまいました。6日の土曜日に朝日カルチャーのはしごがあり、新宿校で「20世紀のバッハ演奏」について、横浜校で《ロ短調ミサ曲》について話しました。後者については、次の更新で補足します。

今月は大学関係の試験その他が続いていて、これからあるイベントは2つだけです。1つは20日(土)に入学試験の合間を縫ってやる「楽しいクラシックの会」(10:00-)。テーマは「やっとわかった《フーガの技法》」です。

14日(日)から、「すざかバッハの会」の新シリーズを開始することになりました。今まではバッハを中心に、比較的専門性のあるテーマを追求してきましたが、今年と来年のシリーズは、「耳と心をつなげよう!」と題する、クラシック音楽入門講座です。そのコンセプトと第1回の内容を、次に記しておきます。楽しくやりたいと思います。須坂メセナホールで、14:00からです。

企画コンセプト:「すざかバッハの会」ではこれまで、バッハを中心に、モーツァルト、バロック音楽をテーマとして取り上げてきました。なるべく突っ込んで内容のあるお話をしたいと考えてきましたので、慣れない方には、むずかしく感じられることも多かったかもしれません。そこで、会の実力が充分に蓄えられてきたこの機会に、クラシック音楽のすばらしさを広く知っていただくための入門講座を企画してみました。映像などを鑑賞しつつ、基礎的なところから丁寧にお話しするつもりですが、もちろん目標は、表面的なことの先にある音楽の深奥に対して、耳をしっかり備えてゆくことです。名曲がもっと楽しく、もっと身近になるよう、工夫してみたいと思います。

第1回 音楽の原点、変奏曲--姿を変える主題の楽しみ  いろいろな形式の中で、いちばんわかりやすく基本的なものが、変奏曲です。美しい旋律が好きになると、それが戻ってくることを期待するようになるものです。しかし新しい出現のさいに装いを変え、思いがけない姿に変貌させてゆくのも、作曲家の腕前です。ハイドンの《皇帝》、シューベルトの《ます》など、代表的な変奏曲を聴きながら、主題変容の面白さを学びましょう。

松本ブランデンブルク紀行(7)--痛恨の思い2010年02月06日 23時26分11秒

初日、講演会の終了後。上品なご婦人が、私を尋ねて来られました。初恋の彼女の、母であると名乗られました。私と彼女は同年齢ですから、私の母でもあり得るお年のはずですが、自然なたたずまいは、到底そんな年齢に見えません。

ご婦人は私に袋を渡されました。そこには、やっと探し当てた古い写真が入っている、とのこと。そして、自分は短歌をやるので、娘が亡くなるときに詠んだ短歌を同封しました、とおっしゃいました。便箋に綴られているようです。

ありがたく頂戴しましたが、開く勇気がありません。翌日も勇気はなかったのですが、このままでは永久に開けないと思い、勇を鼓して、開いてみました。

白い紙に包まれた写真を取り出します。2枚ありました。小さい方を見たら、ああ!まさに中学生の頃そのままの面影の、彼女です。ずいぶん若い頃のようで、もしかしたら、国立音大在学中のものかもしれません。大きい方の写真は正装で、結婚式に撮ったものと思われました。2つの写真の間には、多少の年月の開きがあるようです。

達筆の書状が添えられていました。私の幼い頃の姿が今でも懐かしく浮かぶ、と書いてあります。ご存じだったんですね、私を。そのあとに6篇の短歌が記されていました。いずれも痛ましいものですが、その中にバッハが出てくるものを発見し、衝撃を受けました。

 孫娘は涙ぬぐひてその母の柩に納むバッハの楽譜

どんな楽譜が選ばれたのか、私にはわかりません。思ったことはただひとつ、ああ、万難を排してお見舞いするのだった、ということです。その日は痛恨の思いにさいなまれ、心の晴れることがありませんでした。ご冥福をお祈りいたします。

松本ブランデンブルク紀行(6)--悲しい初恋2010年02月05日 23時51分32秒

価値のあることについて詳細に連載しているのに、「痛切」の話はどうなった、いつまで引っ張るんだ、という声が聞こえてきます。引っ張ったわけではありませんが、書いていいものかどうか迷っていたことは確かです。プライベートなことですから。

まあしかし振ってしまいましたから、書こうと思います。ことは、私の初恋に関することです。時効だから、ということにしてくださいますでしょうか。もっとも、過去のホームページにはどんどん書いていましたが・・・。内密にお願いします(って、変ですね)。

整理しておきます。中学生のとき、D組だった私は、B組にいた美女に恋をしました。彼女に恋をしていた子、何十人もいるんじゃないかと思います。彼女には特定の人がいましたから、私は、典型的な片思い。同じ音楽部ではありましたが、付き合うどころか、話をすることもほとんどありませんでした。とはいえ、情熱的な年頃です。彼女の部屋の灯が消えるのを遠くから眺め、寂しく帰った日があったことを覚えています。それはストーカーだ!などと言わないでくださいね。当時はストーカーという言葉、ありませんでしたよ。

その後、私は深志高校に進学し、彼女は蟻ヶ崎高校(当時女子校)に進学しました。大学に入る頃にはすっかり遠ざかってしまいましたが、彼女は国立音大に進学し、私がやがてその教師になるという偶然が進行していて、のちに驚きました。

ずっと時間が経ち、私の『モーツァルトあるいは翼を得た時間』の出版記念会を、松本の友人が開いてくれることになりました。その友人はその機会に、彼女との再会の場を、設定してくれたのです。私は本当に感動しましたね!昨日のことのように覚えています。

その後、松本で会合があると彼女も来てくれるようになり、「松本バッハの会」の連続講演のおりには、司会もしてくれました。とはいえ、昔とはかなり印象の異なっていた彼女に対して、昔の感情がよみがえったわけではありませんでした。

また時間が経ち、驚くべきことが起こりました。お嬢さんが、母が危篤なので会ってあげてくれないか、と言ってきたのです。ところが、連絡先を大学に問い合わせし、大学も今は本人の同意を取らないと教えないものですから、連絡が取れるまで、数日が浪費されてしまいました。彼女は結局亡くなり、私にできたことと言えば、その後松本で行われたコンサートで弔意を述べることと、ご自宅に伺ってお線香を上げることだけでした。その折りに、思い出に写真をいただけないか、と申し上げたのだと思います。今年ご主人から来た年賀状に、写真が遅れていてすみません、と書かれていましたから。

以上、起こった出来事への前提です。

松本ブランデンブルク紀行(5)--コンサート2010年02月04日 23時40分22秒

演奏を言葉にすると、「繊細にして潤いに満ち、しかも理にかなった演奏」ということになるでしょうか。コンサートマスター、桐山建志さんのもとに集まった奏者たちは中堅から若手の方が多かったと思いますが、彼らの演奏は響きがよく揃って美しく、細かなところまで、気が通っていました。それは、彼らが小林道夫先生を尊敬し、高い理念の下にまとまって演奏していたからです。小林先生は温雅そのものの方ですが、演奏に対する批評眼は鋭く、演奏者への要求も、たいへん厳しいのだそうです。

理にかなっている、と感じられるということは、音楽の意味がしっかりとらえられていたということです。たとえば、開始後2時間近くにようやくやってきた第5番の、第2楽章。小林、桐山、北川森央(トラヴェルソ)の3人によるロ短調のトリオは珠玉のように味わいが深く、ひとつの音も聴き落とせないと思うほど、磨き抜かれていました。その日の出来事で沈みがちだった私の心に、その響きは、じーんと染み通ってきました。

大いに感動して楽屋に向かうと、桐山さんがもう、泣いているではありませんか。こうなったら、一緒に泣くしかありませんよね(笑)。涙の結ぶ力は大きく、私は、この人となら一生一緒に音楽をやっていけるな、と確信しました。ロビーでようやく発見した小林先生との抱擁シーンを掲載します。私の感動ぶりに接して、クールにいなす言葉を吐かれるのがいかにも先生です!
偉大なる小林先生を中央に据え、名手を集めて他のどこにもない《ブランデンブルク》の演奏を発信するこうした企画が、松本の小さな公共ホールで実現されたことに、驚きと敬意を覚えます。もって範としたいものです。



松本ブランデンブルク紀行(4)--全曲演奏2010年02月03日 23時28分20秒

バッハは《ブランデンブルク協奏曲》が全曲通して演奏されるようなコンサートを、想定していたでしょうか。多分、していなかったと思います。曲ごとに編成が全然違うというのでは、効率よく演奏するわけにいきません。ブランデンブルク辺境伯の宮廷では演奏しようがなかったことはよく指摘されていますが、同時代にはせいぜいドレスデンぐらいしか、演奏可能な楽団はなかったはずです。

しかし日曜日のコンサートを聴いて、全曲演奏することの効果はたいへん大きいと思いました。曲ごとに多様性がありますから変化に富んでいる。いろいろな楽器が出てくるので、目で見ても面白い。かなり長くはなりますが、飽きることがありません。

それも、ピリオド楽器であればこそです。ナチュラルのホルンやトランペット、トラヴェルソやバロック・オーボエ、さらにはヴィオリーノ・ピッコロといった楽器が登場すればこそ、面白いのです。編成も、小さい方がいいですね。第3番、第6番は、ぜったいにソリスト編成であるべきだと思います。この日は、第1番、第3番、第4番、休憩、第6番、第2番、第5番という演奏順序が採用されました。(続く)

松本ブランデンブルク紀行(3)--諸説の紹介2010年02月02日 22時21分24秒

人気トップの第5番の成立に関しては、最近支持されるようになった新説があります。それはピーター・ディルクセンが提起したもので、その成立を、1717年にドレスデンで行われた、ルイ・マルシャンとの腕比べに求めるものです。選帝侯の臨席する注目の腕比べで先進国フランスの音楽家マルシャンを夜逃げに追い込み、バッハの名声はいやが上にも輝いたわけですが、そのおりにドレスデンの宮廷楽団と演奏した作品のひとつが、この第5番というわけです。

この説は、第5番で突出したチェンバロ・ソロのパートが、時代に先んじてあらわれることをよく説明しています。フルートの独奏パートがバッハに初めてあらわれることについては、ドレスデンにビュファルダンという名手がいたことが説明になる。なにより、美しい第2楽章の主旋律が、マルシャンの作品から取られていることが、強い裏付けとなります。従来の「ベルリンで購入したミートケ・チェンバロの性能を発揮するために」という説では、資料の初期段階を説明しにくいのです。

講演会の後半では、曲集としての、さまざまな問題を論じました。調性が偏っているのは、偶然か意図的か。6曲は何らかのプログラムに沿って並べられているのか、そうではないのか。構成を古代の凱旋行列になぞらえるピケットの説、バロックの城館を絵を見ながら経めぐるベーマーの説を紹介しましたが、どちらも、思いつきの域を出ないと思います。しかし、正しい考察が一部含まれている可能性はなしとしませんし、本当の意図がまだ見つけられていないという可能性もある。「求めよ、さらば与えられん」というのが、《音楽の捧げもの》のカノンに付された注釈だからです。

松本ブランデンブルク紀行(2)--人気投票2010年02月01日 23時55分58秒

冬こんなに天気のいい松本というのは、そうあるものではありません。なにしろ周辺の山々がすべて克明に姿を現していて、常念岳を盟主とする北アルプスの美しさは、息を呑むほど。それが夜まで変わらないのです。ここでもまたツキを使った感のある、私でした。

講演は、ふつう、総論から各論へと向かいます。しかしこの日は、逆の構成を考えました。まず全6曲を解説し、その上で、全体を考えてみよう、という趣向です。フライブルク・バロック・オーケストラの映像を流しながら6曲を概観した後、休憩時に、アンケートを採ってもらいました。6曲のうちどれが好きか、独断と偏見で投票してください、というものです。皆さんなら、どの曲に1票でしょうか。

ずいぶん大勢の方が、投票してくださいました。結果は、興味深いものです。1位は第5番ニ長調で、75票。2位は第3番ト長調で、30票。3位は第4番ト長調(!)で、22票。4位は第6番変ロ長調(!)で、15票。5位は第2番ヘ長調で、11票。最下位は第1番ヘ長調で、わずか6票(!)ということになりました。

昔から有名な第5番の1位は、予想通りです。これに次いで演奏される第3番の2位も、想定内。比較的地味な第4番、第6番がそれなりに票を得た反面、目立つ場所にある第2番、第1番が人気薄でしたね。とくに、第1番の惨敗には意外感があります。というのも、私の『バロック音楽名曲鑑賞事典』では、100の名曲のうちに、第1番を入れているからです(笑)。しかしいちばん質の高い曲は、と尋ねられれば、第3番と答えると思います、きっと。

打ち上げもこの話題で持ちきりでした。皆さん、楽しんでくださったようです。

松本ブランデンブルク紀行(1)--いきなりのドラマ2010年01月31日 09時44分57秒

今回の松本訪問は、松本バッハ祝祭アンサンブルによる《ブランデンブルク協奏曲》の全曲演奏に先立ち、「《ブランデンブルク協奏曲》--多様性への挑戦」と題する講演会を開くことでした。ザ・ハーモニー・ホールが、講演会をコンサートとセットにする形で企画してくれたのです。2年前、《管弦楽組曲》のコンサートにおけるトークを帯状疱疹でキャンセルしましたので、その借りをお返ししなければと思い、私なりに十分な準備をして、出発しました。

私がツキを重んじる性格であるのは、ご承知の通りです。その点で、特筆すべき出来事が、いきなり起こりました。

八王子でいったん下車し、スーパーあずさの乗車券を買いに行きました。すると、グリーン車が売り切れになっていて、一般車両が空いている気配です。普通は順序が逆ですから腑に落ちず、一応窓口で尋ねてみました。すると、1枚だけ、グリーン券が残っている、というではありませんか。「通路側になってしまってすみません」「いやかまいませんよ」といった会話を交わし、グリーン券をゲットして、ホームに急ぎました。

乗り込むと目の前に、体格のいい男女二人が仁王立ちしています。何かを警備しているな、ということを直感しました。車両に入ると、スーツ姿の人々が大勢乗っていて、ものものしい雰囲気です。自分の席を探して通路を進んでゆくと、おられましたね、日本国首相、鳩山さんが。私の席はずっと離れたところでしたが、その周囲の一般人のような感じの人々も、ほとんど警備関係であることがわかりました。甲府でみなさん、合流されましたので。

これって、すごい偶然ですよね。大量のツキを、私は消費したと思います。しかしわからないのは、このツキの消費が私にとっていいことなのか、悪いことなのか、ということでした。3人の女神に出会ったパリスの例もあります(災いのケース)。いきなり、のるかそるかのような形で始まった、今回の紀行です。(結論を先取りしますと、この出来事は、2日目に起こった痛切な出来事への伏線になりました。)

バッハの長調、短調2010年01月28日 23時14分24秒

このところ超多忙なのですが、心に充実を感じて、がんばっています。今日は、土曜日に松本で講演する《ブランデンブルク協奏曲》について、調べていました。

この曲集の大きな特徴は、6曲がいずれも長調であることです。6曲セットはバッハの定番ですが、全部長調という例は、他にない。長調対短調の統計を取ってみると、次のようになります。

《イギリス組曲》は、2:4。《フランス組曲》は、3:3。《パルティータ》も、3:3。無伴奏ヴァイオリンは、2:4。無伴奏チェロは、4:2。ヴァイオリンとチェンバロのソナタは、3:3。《平均律》は、もちろん同数です。

なぜこの曲集だけ、「6:0」という極端な形になっているのか。《ブランデンブルク協奏曲》が君主(この場合、ブランデンブルク辺境伯)への表敬を目的とし、曲ごとに異なったプログラムをもっているのではないか、と考える研究はいくつかありますが、輝ける君主のイメージを長調であらわそうとした、という見方には、たしかに説得力があります。

別の角度からしますと、バッハの場合、短調は伝統的な価値観に結びつき、長調は未来志向的な価値観に結びつく、ということはないでしょうか。対位法に特化した《フーガの技法》や《音楽の捧げもの》はどちらも短調です。一方、《ゴルトベルク変奏曲》は長調。《イタリア協奏曲》もそうですね。このあたり、少し深めてみたいと思います。

久々のワーグナー講演(3)--ブリュンヒルデの動機2010年01月27日 23時38分45秒

3つのポイントとして言及したのは、冒頭の場面、〈夜明け〉の場面、ハーゲンの〈見張りの歌〉の3箇所です。ここでは〈夜明け〉についてお話ししましょう。

いまは夫婦となったジークフリートとブリュンヒルデがやってくるところで、管弦楽は、「英雄ジークフリート」と呼ばれる動機(初出はホルンの合奏)と、「ブリュンヒルデの動機」(初出はクラリネット)を並列して出し、徐々に高揚します。「英雄ジークフリートの動機」が楽劇《ジークフリート》における角笛のモチーフの絶妙な変形であることにも驚かされますが、「ブリュンヒルデの動機」はじつに美しく、その美しさが《神々の黄昏》の支えになっている、と思えるほどです。

この旋律、なんでこんなに美しいんだろう、と思って気がついたのは、ターンの音型を除いて、全部が跳躍になっていることです。優美な旋律は順次進行が普通なので、これは不思議。和声はどうでしょう。移動ドで読むと(ハ長調に移すと)、階名は「ファーミファソファ・レーラドーレーファラー」となり、一見、サブドミナント。「英雄ジークフリート」はトニカですから、あえて流れを外しているのか、と思いました。

そこで楽譜を見たら、バスにソの音がしっかり入っている。ソ・シ・レ・ファ・ラ・ドの属十一の和音の分散なのです。なるほど、ドミナントか。それなら、この動機がトニカに向かう動きをはらみつつ「英雄ジークフリートの動機」に寄り添っていること、優美さにはかなさを加えた独特の味わいで訴えかけてくることの根拠が、よくわかります。この和音が、じつに味わい深く、美しいのです。ちなみにワーグナーは拡大されたドミナント使いの名手で、《リング》では属九の和音が頻出しますし、属十三の和音も、すでに《タンホイザー》で印象深く使われています。

そんなお話もし、たいへん気持ちよく講演を終えることができました。超重かった本も全部売れ、打ち上げ・二次会は、ワーグナー好き同士の心が通い合う、楽しい飲み会になりました。皆さん、ありがとうございました。