長野県周遊(2)--上山田2014年08月30日 11時37分09秒

飯山から長野に戻り、ローカルな「しなの鉄道」(昔は信越本線でした!)で上田方面へ。上山田温泉へ泊まるため、戸倉で下車しました。上山田は、私が4歳から小学校3年生までを過ごしたなつかしいところ。当時は長野県を代表する温泉の1つで、家(病院の官舎)にも温泉がありました。子供でしたからそのありがたみはわからず、湯の花が気持ち悪いなあ、などと思っていました。もったいない!

戸倉から千曲川を越え、山懐の上山田温泉まで30分歩いて、はるか昔の記憶を呼び起こそうと計画。ところが、降り出した雨がものすごい降りになり、周囲が見えません。写真は帰路に撮ったものです。


「戸倉・上山田温泉」と呼ばれますが、私は駅から千曲川の間が戸倉温泉、川向こうが上山田温泉だとばかり思っていました。そうではないのですね。温泉はすべて川向こう(西側)にあり、川沿いが戸倉温泉、奥の山懐が上山田温泉であるのでした(マイナーな話題で恐縮です)。下の写真は城山と呼ばれる山。稜線には右から戸・倉・上・山・田・温・泉の看板があり、電車からも見えます。夏の花火大会を、毎年楽しみにしていたものです。


温泉宿はひとりでは泊まれないと思っていましたが、今はいくつかの旅館がお一人朝食のみのサービスを提供していて、ネットで予約できます。しかしひとりで旅館の夕食というのは気が進まず、外でいいお店を探すことにしました。

土砂降り、ずぶ濡れでしたので、まず入浴。山風荘という宿ですが、とてもいいお風呂です。ようやく一息ついて、外出。雨がほとんど上がっていたということは、私が歩いている間だけ、猛烈に降っていたということですね。ありがとうございます。

いま何時かな、と時計を見ると、左手に時計がありません。浴室に置いてきた公算が大です(汗)。すぐ戻り、浴室に行ってみると、私の使っていたカゴに、別の人の服がある。悪いと思いつつめくらせてもらいましたが、時計はなし。自室にも、見あたりません。

毎度のことで、イヤになりました。時計がなくなるのも困るが、ホテルに迷惑をかけるのも避けたい。ともあれフロントで、届いていないか、と尋ねてみました。

親切に対応してくれて、ご主人と一緒にもう一度、浴室へ。同じカゴを再チェックしてみると、死角になっている手前に、時計がへばりついていたのです。ほっとしました。お詫びとお礼を重ねて、ふたたび外出。

結局わかったのは、こうした温泉では宿で食べるのが一番いい、ということです。雨、月曜日、という条件もあるでしょうが、空いている食堂はほんのわずか。屹立する温泉旅館群を縫うように歩きながら、こういうところで育ったんだなあ、と、不思議な気持ちにかられました。

絶品のお味噌汁で朝食をいただき、小雨模様の中を出発。最後に、もうひとつマイナーな話題を失礼します。千曲川を渡ったところに、八王子山という山があります。その温泉側が崖になっていて、子供の頃、怖くて仕方がありませんでした。大人になってから見るとなんでもない、ということが、よくありますよね。その確認を、今回の目的に含めていました。行ってみると、崖はずいぶん小さくなり、緑に覆われています。当時から、ほぼ60年。なるほど、木も育ちます(詠嘆)。


長野県周遊(1)--飯山2014年08月29日 11時13分48秒

長野県で育った私ですが、訪れていないところがたくさんあります。そのひとつが、飯山。県の北東端(地図の右上)に離れていますので、足を伸ばす機会がありませんでした。この機会にと、長野から40分ほどローカル電車に乗り、飯山へ。

広々した善光寺平を潤した千曲川が、山間を北東に流れていく。もう少し行くと新潟県に入って信濃川になる、という手前に、飯山はあります。水量がとても豊かだったのは、雨の影響もあることでしょう。今日も若干雨模様です。


飯山は静かな町。まず、城址への道をたどります。高いところに登ろうとする、私の性癖です。かつては上杉が、信濃進出の拠点にしたところだとか。遺跡はなく、木立を縫って、町並みが望めました。


飯山は「寺の町」と呼ばれるそうですね。寺社をめぐる遊歩道が整備されており、お寺関係のお店も多数。需要と供給のバランスは、どうなっているのでしょうか。一部回っただけですが、称念寺の庭園がしみじみと美しかったです。



下は忠恩寺。どちらも駅のそばです。


数少ない飲食店のひとつに入ると、高校野球の決勝戦を中継していました。優勢の三重高校が絶好機をバント併殺で潰したあと、大阪桐蔭が怒濤の反撃を開始したところまでを観戦。もう一押しできないのが、力の差ということですね。昔は飯山北高校が長野県の強豪に属していましたが、いまはどうでしょう。

飯山は北陸新幹線の停車駅となり、大きな駅舎ができていました。歴史のある町なので、活力が注がれるといいと思います。

温泉から2014年08月25日 06時28分47秒

日曜日に「すざかバッハの会」例会を終えて、谷あいの山田温泉に泊まっています。火曜日に松本のサイトウキネンを聴きますので、今日の月曜日は、子供の頃住んでいた上山田温泉に泊まる予定。この夏唯一の小旅行です。

以前若杉弘さんがおっしゃっていたのは、外国の音楽家たちが夏休みをしっかり取ることの効用。音楽から完全に離れることで、無性に音楽がやりたくなってくる。そのようにして闘志満々、新しいシーズンを迎えるのがいいのだ、とおっしゃるのですね。

本当にそうだと思いますが、私は生来の貧乏性がはなはだしくなり、温泉でも暗記をしているありさま。夕暮れの旅人は急ぎ足になる、ということでしょうか。

今朝は雨模様。昼間どこに行くか、長野に出てから決めたいと思います。

今月のCD2014年08月22日 23時15分19秒

毎日新聞の夕刊に書いている「今月の特選盤」を、新聞掲載の後で、こちらにご報告しています。建前からすると、今月手元に集まったCDのうちでこれが最高!と思うものを選ぶわけですが、そう単純にはいきません。

3人でやっていますので、自分色を、あえて少し出しています。専門領域で自信をもって推せるものは推す、というようにです。一方で避けるのは、あまりにも好事家向けのものや、入門用に特化したもの、また、演奏家のファン向けにアレンジされたオムニバス、などなどです。

レパートリーや演奏家が偏るのもよくないので、重複を避けて見送ることもしばしば。そんなこんなで、悩みながらも楽しんでやっております。

で、今月は、《魔法使いの弟子》などのデュカス作品集を選びました。演奏はフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮、レ・シエクル(キングインターナショナル)。ロトは昨年10月にも選んでいますが、デュカス再評価のためにもたいへん意義のあるCDだと考えて、選考しました。

《魔法使いの弟子》というのは、昔本当に人気のあった作品ですよね。最近聴く機会の少ないのは、箒が水を運んできて大洪水というアイデアが、かえって曲を軽く思わせていたからかもしれません。でも、ロトの指揮で聴くと面白いし、しっかりした作品ですね。ロトは例によって同時代楽器を集め、マニアックなまでの探究精神で、作品の真価を蘇らせています。

劣らず感心したのが、併録された知られざるカンタータ《ヴェレダ》の、洗練された美しさ。でも残念なことに、フランス語台本が邦訳されていません。貴重な資料となるCDなのに、とても残念です。

調弦2014年08月19日 10時09分48秒

17日(日)は、神戸愉樹美さんの国立音大退職記念コンサートとパーティに出かけました。36年間この上なく熱心に務められた帰結として、ヴィオラ・ダ・ガンバ教室の卒業生が、こぞって詰めかける盛況。慕ってその道に入られた方が、何人もおられるのです。

コンサートの後半に組まれていた5~7人のコンソート、これが良かったですね。ガット弦たちから生まれるふくいくとした和音が心に染みいるようで、なごみました。誰の曲を何という人が弾いているかといったことを忘れ、響きに身を任せてくつろげるのが、ルネサンス・コンソートの世界です。自由学園のミンミンゼミが加わったのは、ちょっと想定外でしたが。

学んだことがひとつあります。ご承知のように、古楽では、調弦に時間をかけます。ガット弦が狂いやすいということもありますが、純正なピッチで合奏するためには、開放弦の音を入念に合わせておく必要があるからです。今までは、その時間は音楽とは別物と思っていました。

でもこの日は、調弦が、音楽の一部であると感じられたのです。やや長い時間の間に響きの違和感が薄皮をはぐように解消され、一呼吸置いて、澄んだ美しい和音が流れ出す。調弦が、音楽へと向かう貴重な道のりになっていたのですね。これからは調弦も、心して聴こうと思います。

過ぎたるは?2014年08月17日 08時21分05秒

14日(木)。NHK収録の後、「あんのん鍼灸指圧」(大岡山)を訪れました。久しぶりだったのは、ついでの予定がなかなかうまく立てられなかったのと、最近充実していて、駆け込む必要性を覚えなかったこと。体調をどんな風に見てくださるか、興味がありました。

ゆっくりやっていただいた後、担当してくださったご主人に「どうでしたか」と尋ねてみました。すると意外にも、「自分が見たうちではいちばん悪い状態だった」とおっしゃるのです。えっと思いましたが、理由は、交感神経が興奮して張り詰めた状態になっている、頭部が異常に凝っている、とのこと。夜眠れないか、なにかよほど心配なことが続いておられるのですか、と言われました。

理由は明白。ギリシャ語です。車中、路上、待ち時間を利用して暗記し、入浴中もやっていますから、つねに臨戦態勢で、休むいとまがない。自分としては充実を感じ、朝から勉強に向かう自分を喜んでいたわけですが、年甲斐もない行為によって、身体には、相当な無理がかかっているとわかりました。

空中から下を眺めていると、黒い服を着た人たちが集まり、ひそひそと話しています。耳を澄ましてみると、「あの人もギリシャ語が命取りになりましたね」と言っている・・・そんな光景が浮かんできました。

ほどほどに、という加減が、どうも苦手です。

今月の「古楽の楽しみ」2014年08月14日 23時56分18秒

8月25日(月)から28日(木)まで放送される、今月の「古楽の楽しみ」。ご好評をいただいていると聞く「リレー演奏」方式で、《ロ短調ミサ曲》を取り上げました。今日3日目、4日目の収録を行いましたが、作品のすばらしさは圧倒的で、こみ上げる感動を抑えながらの収録となりました。

CDの何を使うかはじっくりと考え、手持ちしていなかった輸入盤数点を加えて選考しました。その過程で痛感したのは、汎用型の大指揮者・著名指揮者の録音がよりよいわけでは決してない、ということです。やはり専門的な内容理解や、バッハ演奏への習熟が鍵を握ります。また、購入に迷われるときには、新しい方をお選びになるのも一案です。この難曲に対する演奏水準が、相当に向上しているからです。

25日(月)は、〈キリエ〉から〈グローリア〉の4曲目までをヘンゲルブロックの指揮で聴き、残り時間で、〈キリエ〉の冒頭を、古今の演奏で比較しました。対象は世界初録音のコーツ(1929)、定番のリヒター(1961)、最新のバット(2009)です。

26日(火)は、〈グローリア〉を冒頭からヤーコプスの指揮で聴き直し、残り時間で、ヴィンシャーマン~ドイツ・バッハ・ゾリステンの岡山での録音から、〈グローリア〉の合唱曲部分を聴きます。

27日(水)は〈ニカイア信条〉。ここで選んだのは、通しがロバート・キング指揮、テルツ少年合唱団のもの、比較が、アーノンクールによる中央の合唱曲3つと、ベーリンガー指揮、ヴィンツバッハ少年合唱団による最後の合唱曲2つです。2つの少年合唱団に囲まれると、アーノンクールの1986年の演奏には、大人の作為が感じられます。ヴィンツバッハ少年合唱団はあまり知られていないと思いますが、優秀ですね。

28日(木)は〈サンクトゥス〉以下。ここに、21世紀の録音を集めました。ミンコフスキ(2008)と、フェルトホーフェン~オランダ・バッハ協会(2006)です。どちらもいい演奏ですが、スタジオでは、軽快で躍動感のあるフェルトホーフェンの演奏に、最大の支持が集まりました。

放送の中でも言ったのですが、昔は「《ロ短調ミサ曲》という曲はない、個々の楽章があるだけだ」というスメント説の影響もあってか、《ロ短調ミサ曲》は残念ながら後半に力が弱まる、と言われていました。恥ずかしながら、私も長いこと、そう思っていたのです。今ではもちろん、そうは思っていません。《ロ短調ミサ曲》は、終わりに近づくにつれてますます感動深くなると、確信しています。そのためか、放送も、21世紀の演奏を使った4日目に、クライマックスが来ているように思います。もちろん、3日間があってこその、4日目であるわけですが・・・。

今年の夏休み&野球2014年08月12日 23時00分23秒

皆様、いま夏休みですか。これからお盆休み、という方もおられるかもしれません。私はここ数日が、仕事もお座敷もない、純粋な夏休み期間です。自分でも不思議でなりませんが、集中して勉強しています。どちらかと言えば勤勉な方ではあるのでしょうが、老後に連日これほど勉強するというのは、自分がびっくり。しかし一日やると夕食後はもう疲れて、活用できません。このあたりに、年齢を感じます。

というわけで、CSで野球を観戦、広島カープ、ダメですね。隙が多く、優勝はまだまだだと思います。30過ぎのエルドレッドが前半戦爆発的な打撃を見せましたので、世の中には「大化け」というものが本当に存在するのだと思って、感心していました。しかし、絵に描いたような竜頭蛇尾です。とはいえ、彼がスタメンから外れると、打線がまったく小さくなってしまう。ともあれエルドレッド、日本に来てよかったと思いますよ。彼の長打力と人間性に惚れ込んだ監督がマンツーマンの指導に時間をかけてくれることなど、アメリカではなかったでしょうから。

巨人は案外で、楽しませてくださいます。巨大戦力ですから、こんなはずはないんですけどね。心外のゆえか、原監督の顔に険が出てきたようです(笑)。阪神、ここで首位に出ましょう。

パ・リーグ。ソフトバンクが強すぎて、いかんともしがたいです。強打者がずらりと並ぶ上に、守りが鉄壁。後半1点リードしていれば、五十嵐とサファテで確実に勝ってしまいます。パ・リーグにも巨人を作りたくないので、他チーム、なんとかがんばってください。

写真わずかですが2014年08月11日 23時22分13秒

モンテヴェルディのコンサートから、もう10日経ちましたね。早いものです。写真を探してみましたが、まさお君のスナップが若干あるだけでした。それでがまんしていただき、若干の回顧談を。


ご覧のように、チェンバロの鼻を舞台上に突っ込んだ形に配置しました。渡邊さんが全体を統括できるようにし、ハープ演奏の見た目なども楽しんでいただこうという配置です。《ウリッセ》第1幕、牧童から女神に変身したミネルヴァ(渡邊有希子)に、ウリッセ(櫻田亮)が臣従の姿勢を取っているところ。見せ場のひとつです。


次は終了後の楽屋。中央が私、左が加納悦子さん。熱く長い拍手に、みな感激していました。よくコンサート終了後、拍手が続いているのに演奏者がさっぱり出てこなくて、どうしたんだと思うことがありますよね。その理由、わかりました。袖で譲り合っているのです。


同じく終了後の楽屋。幸運の神/小姓の川辺茜さんと握手しているところ。後ろがヴァイオリンの渡邊慶子さん、奥が、終わると睦まじいオッターヴィア(加納さん)とポッペア(阿部雅子さん)。

コメントでこの企画の教育効果を指摘していただいたのは、たいへん嬉しいことでした。出演したのは国音時代にiBACHや論文指導の場で知り合った仲間たちですが、ほとんどは歌曲専攻、バッハやバロックの大好きな、知性派ぞろいです。渡邊順生さんも休憩中に「国音のレベルの高さはたいしたもの」とおっしゃっていましたので、必ずしも身びいきではないと思います。みな、作品本位に、一生懸命勉強する人たちです。

音楽の世界全体から見ればささやかもいいところの場ではありますが、少しでも残るものがあれば、と思っております。よろしくお願いします。

達成!2014年08月08日 22時28分41秒

ここしばらく、一つのことに集中していました。達成したらご報告することを楽しみに励んでいましたが、どうやら達成できたと判断し、ご報告します。不肖私、『ヨハネ福音書』の第1章を暗記しました!それがどうした、ですって?たいへんでしたよ。なぜなら、覚えたのはギリシャ語コイネーの原文だからです。

私は美学の専攻ですから、本当は、ギリシャ語ができて当然。しかし学生時代に、ラテン語は必要だがギリシャ語は音楽には必要ないと勝手に考えて、勉強をネグレクトしたのですね。でも、そうではありませんでした。宗教音楽を専攻した結果、新約聖書の研究のために、ギリシャ語がどうしても必要になりました。

この歳ですから無理、と考えていたのですが、来るべき《ヨハネ受難曲》の著述にはギリシャ語の習得が避けて通れないと判断し、勉強を始めました。2冊ほど入門書を買いましたが、文法の複雑さは、とくに動詞において、想像を絶しています。そこで、語学の習得はまとまった文章の暗記に限る、という自分なりの原則に帰り、『ヨハネ福音書』第1章を、暗記することにしました。

しかし何から何まで違う言葉が相手なので、絶望的に覚えられません。自分もついにこうなったか、と思い、それなら忘れなくなるまでやればいいのではないか、と思い直し、コピーを携帯して、電車の中、路上、待ち時間に、もぐもぐと続けました。おかげで、週刊誌でも読まなければ退屈な時間が、じつに有意義な時間に変貌しました。

よくしたもので、だんだん覚えられるようになり、だんだんわかるようになった。向上の喜びを支えに、51節もある第1章を、なんとか征服しました。既存の訳の問題点も今では理解できますので、ルター訳のテキストに対しても、客観的な視点で臨めそうです。

そして思うこと。語学は若いうちに、というのは真理だが絶対ではなく、自分であきらめているだけです。まだまだ初心者ながら、新しい言葉に親しめる喜びは、絶大だと感じます。老化防止の手段としても、自信をもってお勧めいたします。