新しいオンラインストレージ ― 2009年09月27日 16時55分15秒
いつぞやご紹介したオンラインストレージ、Dropboxを便利に使われている方もいらっしゃると思います。これは2GBまで無料なのですが、増やそうとすると、9.99ドルを毎月払って、50GBにすることになる。高いというほどではありませんが、せっかく無料なのに、と思っているうちに、容量が一杯になりました。
そこへ齋藤正穂君から、今はいろいろいいのがありますよ、との情報。そこで少し調査し、SugarSyncを、やはり2GBまで無料、という条件で、とりあえず導入しました。オンラインストレージを私が使う目的は、自分の文書館を自宅、職場、ノートの3つで共有するため。そこで、バッハ、モーツァルト、ワーグナー、プレゼンテーションの4つのフォルダをSugarSyncに移し、Dropboxと共存させることにしました。
Dropboxの良さは、そのシンプルさです。文書を作成するそばからサーバーとの同期が取られ、別パソコンを立ち上げると、ただちに同期が実行される。3つのパソコンの文書館を、自動的に同一にしておくことができます。以前ジャストシステムのインターネットディスクを使っていたときには、家で作成したファイルを職場で使おう(あるいはその逆)とすると、アップロードを忘れていてできない、ということがひんぱんに起こりました。その心配がいらないのは、大きな利点です。
SugarSyncはそのあたりで細かな設定が可能になっており、そこを評価する人が多いようです。私はとりあえず単純な同期の機能だけを使うつもりですが、つねにダウンロードされるのは携帯のような保存容量の小さいメディアの場合不都合なこともあるそうで、そんな場合に、設定の弾力性が生かされるようです。
配信過多 ― 2009年09月26日 23時06分12秒
迷惑メールが激減したのは嬉しいことですが、メルマガとか、ご案内のたぐいのメールが、皆さんのところにも多数舞い込んでいるのではないでしょうか。これが日に日に増えてきて、迷惑度が高まってきました。ハードやソフトの登録をするたびにそのメーカーから来るようになりますし、入会した覚えのないメルマガも送られてくる。ほぼ連日送ってくる、熱心なメーカーもあります。事実上、商品の売り込みですよね。
別フォルダにして振り分ければいいと思っていましたが、バックアップ代わりに使っているG-Mailに、それらがどんどんたまっていくことに気づきました。いくらG-Mailが大容量でも、また検索が速くても、こうしたメールが大量に保存されてしまってはたまりません。
そこで今日、ひとつひとつ解除の労を執りました。でもそのたびに、ID番号だのパスワードだのを要求される。簡単には解除できないようになっているわけです。いくつかは送信元に問い合わせなどし、かなり時間をかけて、まずまずの範囲を片付けました。ほっとしてメールにアクセスしたら、削除したはずのメルマガが3通。タイムラグがあるということでしょう。
不要と思われたら早めに処置されることをお勧めします。
新政権 ― 2009年09月25日 23時15分59秒
民主党政権になって、世の中がどう変わるか、興味があります。文教行政ががらりと変わる、という情報もありますが、どうなんでしょうか。可能性としては、良くなる、悪くなる、変わらない、良くなる部分と悪くなる部分がある、という4つの選択肢があると思いますが、何がどう良くなり、何がどう悪くなるかわかるのも大事なことで、将来役に立つことでしょう。
突っ込んだ政治論議は性に合わないので、雑感を少々。すごく印象的なのは、鳩山幸さんの行動力です。あのエネルギー、バイタリティは、年齢からしてはとうてい考えられないことで、生来超人的なテンションをお持ちなのか、あるいはある程度努力されているのか、興味があります。帰宅してああ疲れた、とへたりこむとすれば常人ですが、テレビの画面からは、そんな片鱗も窺えません。
多くの方が、ダムのことで前原さんお気の毒、と思って見ておられるのではないでしょうか。政治が結局は利害の調整であるとすれば、板挟みになって叩かれるのは仕方ないのですよね、きっと。ダムをどんどん造るのはよくないと私は昔から思っていましたが、今回のような場合、中途放棄も問題のような気がします。理想的には、自然を全部修復し、昔のままにしてあげるのがいいわけです。途中放棄された建造物がドーンと居残っているのでは、自然破壊のツケだけが残るわけです。
新政権で私がどうしても良くないと思うのは、信任を受けたとはいえない少数党が連立を機会に張り切り、自分たちの政策を押し通そうとしているように見えることです。このあたりもどう推移するか、興味があります。
10月前半のイベント ― 2009年09月23日 23時23分40秒
9月はまだ1週間ありますが、10月のイベントをご案内します。1日に重要なものがあるからです。(今月はここまでたいへん忙しかったという印象ですが、一番印象に残り、やってよかったと思っているのは、広島の合唱コンクールです。事前には本当に負担に思っていました。だからこそ、良かったと思えるわけですよね。)
10/1(木)には、「楽しいクラシックの会」恒例のコンサートが、立川アミュの小ホールで開かれます(19:00開演、2000円)。信頼する久元祐子さんのご出演なので、端的に「久元祐子の世界」と題しました。前半はモーツァルトの《後宮からの誘拐》序曲と変ホ長調のソナタ、およびハイドンの変イ長調のソナタ。後半は武田忠善(クラリネット)、坂口弦太郎(ヴィオラ)両氏の共演で、モーツァルトの《ケーゲルシュタット》トリオとシューマンの《おとぎ話》です。もちろん司会は私。楽しいステージにしたいと思います。
10/3(土)から、朝日カルチャーセンター新宿校の「新・バッハ/魂のエヴァンゲリスト」が後期に入ります。ライプツィヒ時代の後半、「市民の音楽生活への参入」が、第1回のテーマです。10:00開始。
10/10(土)から3日間、東大で美学会の全国大会が開かれます。パスするつもりでいたら、音楽関係の発表の司会を頼まれてしまったので、土曜日の時間を空けました。詳細はホームページをご覧ください。この日はいずみホールの「ウィーン音楽祭 in Osaka」のオープニングにもあたっており、ゲルネとエマールのシューマン・コンサートがあります。第3週以降のイベントについては、改めてご案内いたします。
めでたいこと ― 2009年09月22日 23時26分13秒
いやー、めでたいめでたい。今日、RPG「キングズバウンティ~ザ・レジェント」をクリアしました。ものすごく面白いのですが、ボリュームも難かしさも半端でなく、しばらくやってはご破算の繰り返し。奥の深いゲームシステムを理解するのに時間がかかり、しかもその解説がないのです。
ウォリアー、パラディン、メイジのうちクリアしたのはパラディンで、難易度は4階級の舌から2番目にあたる、ノーマル。ハードでクリアできる人なんて、いるんでしょうか。日本語WIKIが出来ていないのは、やりこんだ人がいないからではないかと推測しています。パラディンに固定してのクリアまで、40日もかかりました。
それでもやるのは、いかに面白いか、ということです。いくつもの世界を経めぐって戦闘し、クエストを解決していくわけですが、グラフィックの美しさは圧巻で、エルフの緑の国など、ためいきの出るほど。個人的には、PCでできるRPGの最高傑作として推したいと思います。
「ぼきゅ」ですって? ― 2009年09月20日 22時23分32秒
いま最終の新幹線で、広島から東京に向かっています。広島で買った「あなご寿司」を初めて食べました。売り子のおばさんに「いま作ったばかり。おいしいですよ」と言われ、「じゃ、楽しみに」と応じたのですが、確かに悪くないですね。
合唱コンクールは無事終わり、ほっと安堵しました。合唱王国と呼ばれる島根県は突出した強さで、次々と金賞を取り、2日間のトップである理事長賞も、出雲第一中学が受賞しました。これなんか、すごかったですよ。
講評では言葉を生かすことの大切さについて話したのですが、そこで触れなかった、小さな例をひとつ。女声合唱の歌詞が「ぼく」を主語にしたもの の場合、男の子なり、男の人なりへの気持ちの同化が必要ですよね。でも、単に言葉だけ「ぼく」になる場合が多い。使い慣れていない言葉なので、不自然なのです。しかも、発音が「ぼきゅ」と聞こえます。
若い人の発音で「う」が「ゆ」に近づく傾向は、つねに年長者から嘆かれていることです。しかしあまりにも一般化しているので、これは日本語が変わったと受け止めるべきではないか、と考え始めているのですが、それでも、「ぼきゅ」という人はいませんよね。そのうちに、木下さんの作品も「ロマンチストのビュタがいた」と歌われるようになるのではないでしょうか。
ところで、「ぼく」のアクセントはどうでしょう。私は「ぼ」にアクセントを置きますが、「く」に置く人も、同じぐらいたくさんいます。これほど多用される言葉のアクセントが標準語においてさえ真っ二つというのは、おもしろい現象ですね。
広島から ― 2009年09月19日 23時33分53秒
広島からです。
金曜日、全日本合唱連盟中国支部心づくしの懇親会を終えて、同僚審査員の堀俊輔さんとホテルのバーで飲み、お勘定しようとしたおりのこと。先にお勘定している人の姿に、どうも見覚えがあります。不吉な予感にとらわれ、確認すると、私の大学の庄野学長と、演奏部課長の安藤さん。大学のイベントで広島に来られたそうで、ソプラノの大倉さん、ピアノの花岡さんも一緒、とのことでした。偶然と言うにしても、出来過ぎの話です。(クラリネットの武田さんも滞在中と判明。今夜二次会でご一緒しました。)
コンクールの話題というと苦労話ばかりですが、今回は初めて、自分なりに納得のいく採点が出来つつあります。これが一位、というのが自分の中ではっきりしていて、人と違う部分も、説明ができると感じるからです。勉強をさせていただき、失敗も積み重ねたことで、ようやく、少し自信がもてるようになってきました。
中国の方々は、とても手厚いもてなしの気持ちをお持ちで(ドイツ語でgastfreundlichと言います)、前夜から、とてもリラックスできました。このことが大きいようです。合唱については、おしなべてハーモニーが重んじられている、と感じます。すっかり打ち解けた中で仕事をさせていただき、うれしい限りです。
今日は、高校、大学、職場部門。明日は、中学と一般です。気持ちよく終われるといいな、と思っています。がんばります。
Nessun dorma ― 2009年09月17日 22時59分12秒
今日、私のところの大学院生のかなりが、徹夜しているはずです。それは、修士論文に相当する研究報告の提出が、明日だから。私の担当は声楽のオペラ専攻で9人いたのですが(過去の最大数)、今年はとてもよくやる人が揃っていて、半数近くが、例年を凌駕する出来映えになりました。やっぱりやる以上はいいものを出さないとつまらないですし、研究の場合には、努力は嘘をつきません。
うちの一人、テノールの学生が、「こんなに勉強したことは過去にない。でも途中から面白くなった」と言いました。これです!山登りと同じで、ふもとを登っているうちは苦しいだけでも、標高を稼いで展望がよくなってくると、楽しくなってくるものなのです。ぜひ手抜きせずに、そこまでやってほしいと思います。楽をするのは、結局損です。(10月の大学院オペラ《ドン・ジョヴァンニ》で、この人たちが出演します。またご案内します。)
酒井法子さん、保釈されましたね。その姿を見てしまうと、とても責める気になりません。もったいない人生の過ごし方で、教訓とするほかないでしょう。
明日、授業のあと広島に行きます。中国地区の合唱状況はまったく存じませんので、気が重い今夜です。
小山さん授賞式 ― 2009年09月16日 22時19分30秒
今日は東京會舘で、サントリー音楽賞、佐治敬三賞の贈賞式がありました(今はみな「ぞうしょう」と読むようですね。「そうしょう」の方がきれいだと思いますが)。式もパーティも、豪華なにぎわい。知らない人が大勢いるところは、私、昔からどうも苦手です。気後れする必要はないと思いつつも、落ち着きません。そういう人って、案外多いんでしょうか。パーティで、お酒が入るまでの間ではありますが。
サントリー音楽賞の受賞者、小山由美さん(メゾソプラノ)の挨拶は抑制の効いた、落ち着いたものでした。佐治敬三賞を取った「labo opera絨毯座」の恵川智美さんは、協力してくれた個人や団体の名前を次々に、正確に挙げて感謝。プリマドンナの名前を忘れてしまう私とは、大違いです。このコメディア・デラルテ公演も、本当に地道な努力の結晶でした。
小山さんはパーティで、プーランク、チャイコフスキー、ラフマニノフの歌曲を歌われ、《カルメン》のハバネラをアンコール。さすがに内容のある、堂々としたステージでした。歌い手がサントリー音楽賞を取るのは、20年ぶりだそうです。
一度バイロイトで、《ワルキューレ》公演の後だったでしょうか、小山さんとお会いしたことがあります。何人かでお食事をしたあと、小山さんがクルマで、どこかまでお送りしてくださったのでした。そのことを憶えておられるかどうかと思案しつつお祝いに伺ったところ、顔を合わせてすぐに、心が通じ合いました。私の使う最高の褒め言葉は「品格」というものですが(あれ、今はやりの言葉ですね)、小山さんには惜しみなく、「品格」という言葉を捧げたいと思います。
モーツァルトのアルト? ― 2009年09月14日 22時58分12秒
モーツァルトのオリジナル楽譜では、ソプラノ、アルト、テノールは、ハ音記号で書かれています。ソプラノはソプラノ記号(第1線がc)、アルトはアルト記号(第3線がc)、テノールはテノール記号(第4線がc)で書かれているのです。バスは、へ音記号。全部違う記譜法ですから、読むのがたいへんです。この点では、バッハも同じ。ト音記号は、声楽用には使われませんでした。
したがって、その楽譜の声種が何であるかは、音部記号を見ればわかる、ということになります。そこで調べてみると、《フィガロの結婚》に登場する5人の女声(伯爵夫人、スザンナ、ケルビーノ、マルチェッリーナ、バルバリーナ)のパートは、全部ソプラノ記号で書かれていることがわかりました。《ドン・ジョヴァンニ》は、どうか。これも同様で、アンナ、エルヴィーラ、ツェルリーナのいずれも、ソプラノとして記譜されています。
《コシ・ファン・トゥッテ》では、フィオルディリージ、ドラベッラ、デスピーナが、すべてソプラノ記譜。《魔笛》も驚くなかれ、童子や侍女の第3パートを含めて、すべてソプラノ記譜なのです。ソプラノが広い概念で、現在のメゾを含んでいた、とも言えるでしょうが、両者の間にはっきり線を引くことは不可能です。
ここで、次の疑問が出てきました。それは、モーツァルトのオペラに一体アルトは存在するのか、という疑問です。
円熟期のオペラには、ひとつもありませんでした。そこで舞台作品を前へ前へと調べていくと、最初のオペラ・セリアである《ポント王ミトリダーテ》のファルナーチェがアルト記号で書かれており、これが唯一の例外であることがわかりました。一般論として、モーツァルトのオペラではテノールとバスに対応する女声の分離は見られず、もっぱら高めの音域が活用されている、と言えそうです。このことは、おそらく当時のオペラハウスの状況とも関係があるのでしょう。
これが意外に思われるのは、合唱の第2声部がつねにアルト記号で書かれているためです。ミサやレクイエムのソロは、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4声部です。たとえば〈トゥーバ・ミルム〉の場合、モーツァルトのスケッチでは歌声部が途中まで一段で書かれていて、記譜がバス記号、テノール記号、アルト記号、ソプラノ記号と変わってゆきます。そしてそのたびに、歌い手が交代するのです。
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