2017ドイツ滞在記(8)~ワイマールと《ヨハネ受難曲》2017年07月02日 20時44分41秒

16日、金曜日。昼間どこに出かけようかと、朝食の場で話し合いました。いくつかの候補から、ワイマールに決定。テューリンゲン州なので、やはり遠征です。

メンバーは、私より先にお生まれの女性2人と、後からお生まれの女性1人の4人です。責任感にかられた私は、じゃ先に切符を買っているからと、急ぎ足で駅へ向かい、自動販売機の操作を始めました。

こちらの自動販売機は、電車の時刻や乗り換えルートも表示されるという長所もあるのですが、反面たくさんの選択肢が次々とあらわれ、不必要なところへ迷い込んでしまう恐れがあります。

この日もそうなってしまい、妙な画面に入りこんで戻ろうにも戻れず、パニック状態に。私は意外に、こうしたとき冷静さを失うタチなのです。すると、私より後に生まれた方が追いついてこられ、英語画面でスイスイと操作し、4人分をゲットされたではないですか。私の責任感には、実行力が伴わないんですよね(泣)。

ワイマールで下車してからも、じゃここまではタクシーに乗りましょう、ここから歩けばここまではすぐですよね、という感じで、私より後に生まれた方が、水際だった仕切り。ちなみに私はワイマール2回目ですが、この方は初めてとか(汗)。

ゲーテとシラーの銅像のある国立劇場からシラーの家を通り、リストの家に入りました。


落ち着いた好ましい小邸宅で、指揮者としてワイマールにやってきたリストが、堅実に音楽と向かい合うようになっていたことがよくわかります。その周囲にはじつに大きな公園が広がっていて、ワイマールの自然豊かな環境に感嘆。皆さんの足取りの、生き生きしていること!


そんな自然の中に、ゲーテの山荘がありました。執筆のかたわら、自然の研究もしていたわけですね。


公園→図書館→宮殿のルートを採り、ヘルダー教会の聳える広場へ。宮廷礼拝堂オルガニストだったバッハは、この教会で弾いていたJ.G.ヴァルターと親交を結び、彼からさまざまな情報も得ています。食事は、この広場で。


教会の左側の建物に、下のプレートがありました。「ここに、バッハが1708~1717年に住んでいた家があった。ここでフリーデマン・バッハが1710年11月22日に、フィリップ・エマヌエル・バッハが1714年3月8日に生まれた」と書いてあります。バッハにとって重要な9年間がここで送られたわけですね。


などなどしているうちに時間がなくなり、タクシー乗り場までたどりついた段階で、むずかしいタイミングに。持っている往復切符は、一駅西のエアフルトまで行き、そこから東に向かう急行で(ワイマールを素通りして)ライプツィヒに向かうよう指示しています。そこで、ワイマールまでタクシーで行き1台後の鈍行に乗るか、エアフルトまでタクシーを飛ばして予定の急行に乗るかという二択に直面しました。

私の選択は、思いきってエアフルトまで飛ばすべき、というもの。急行発車まで40分弱、運転手さんの答は「所要約30分」ということで、渋滞したらアウトの賭でした。

しかしこれがみごとに成功し、余裕をもってライプツィヒに帰ることができました。このことは、私の信頼性を物語る逸話として、大いに強調しておきたいと思います。広めていただいて結構です。

その夜は、ツアー最後のバッハ《ヨハネ受難曲》公演。出演はゴットホルト・シュヴァルツ指揮の聖トーマス教会合唱団とフライブルク・バロック・オーケストラです。トーマス・カントルがシュヴァルツに交代してから聴くのは初めて。第4稿によるという情報を得ていましたから、事前の解説会では、第4稿の違いやその意図について、とくに力を入れて説明しました。


会場はトーマス教会で、祭壇の近く、はるかに演奏席を見渡せるところです。「良かった、見える!」と喜んでいるお仲間も。教会のコンサートでは見える席はレアチケットですから、入手に苦労する、という話を聞きました。

演奏が始まってしばらく、そんな~!と思う出来事が!演奏されているのが1739年の修正を取り入れた一般稿で、第4稿ではないのです。結局、楽器編成のみ第4稿(したがってヴィオラ・ダモーレもリュートも出てこない)、後は全部普通のままであることがわかりました。プログラムには何も触れられておらず、どこかで方向転換したのかもしれません。

全体として、指揮者が何をやりたいかよくわからない演奏でした。合唱団は声はよく出ていましたが、表現としては平板で、めりはりがない。ソリストはダニエル・ヨハンセン(福音書記者)、トビーアス・ベルント(イエス)、ドロテー・ミールツ(ソプラノ)、ベンノ・シャハトナー(カウンターテナー)以下最高クラスが揃っていて、第一級の出来映え。ただ、動かない合唱の前で自分たちがドラマを造らなければと思ったのか、かなりの奮戦モードになっていました。それを聴いていて、やはり昨今の「コンチェルティスト方式」は正解だなあ、と思ったことでした。ソロと合唱が、連携して動けるからです。

こういうクールな感想になった一因は、席にもあったと思います。演奏席から遠く、たしかに見えるが、音が来ないというもどかしさがつきまといました。やはり響きの中に包まれてこそ、音楽の感動は実感できる。基本的に音響のいいトーマス教会で、ニコライ教会の《ヴェスプロ》とは逆の、皮肉な結果になりました。皆様には、教会で音楽を聴かれる際には目より耳を優先して席を選ばれることを、衷心からお薦めします。

2017ドイツ滞在記(7)--大遠征の不運と幸運2017年06月30日 01時46分10秒

15日(木)は、8:00発ちで、バッハが生まれ育ったテューリンゲン地方へ大遠征。こうしたオプショナル・ツアーは今回初めて組みましたが、やや強行だったかもしれません。

アイゼナハに直行して、バッハ博物館へ。楽器のデモンストレーション(今回は鍵盤楽器)がここの魅力ですが、陳列されている古文書群がだいぶ充実したという印象があります。古い祈祷書や讃美歌集の展示は、私には興味深いところです。

そのまま、ヴァルトブルクへ。この日はバイエルン州が休日なのだそうで、ずいぶん人が多く、中に入るのはあきらめました。端に高い塔があるのですが(十字架が切れてしまいました、ごめんなさい)、そこに初めて登ってみました。80代の方々も、皆さん登られましたよ!

塔の上からは、なつかしいテューリンゲンの森が、さえぎるものなく見渡せました。その昔、歌合戦で集まって来た貴顕は、たいへんだったでしょうね。森の中に孤立したお城ですから。



昼食後ルターの家は割愛し、まっすぐアルンシュタットへ。ところが、途中で大渋滞が発生し、バスがほとんど進まなくなってしまったのです。時間はどんどん過ぎてゆく。夜コンサートに行く方もおられるので、焦る気持ちが募りました。

それでもなんとか渋滞を抜け出し、アルンシュタットへ。市庁舎のある広場の斜め向こうに、バッハが勤めた新教会(現・バッハ教会)があります。



ここに着いたのが、16時20分ぐらいだったでしょうか。教会は16時で閉じられていました。大遠征の甲斐がなく、みんながっかり。

皆さんがインフォーメーションで買い物などをされている時、私が1人離れて広場で眺めていると、なんと女性が1人、鍵を開けて教会に入っていくではありませんか!さっそくペトラさんに報告すると、ペトラさんは一目散に教会へ。10分間見学できることになった、と戻って来られました。みんな大喜び。

入ってみると、女性の代わりに上品な牧師さんが。そのご説明によると、とても高いところに設置されたオルガン(写真は撮りませんでした)は70%バッハ時代のもので、その下、見えないところに後代のヴェルクが2つある、とのこと。小さな教会ですが、すがすがしい空間でした。遅れたからこそ、牧師さんとお話できたわけですね。不運と幸運の関係が、よくわかります。


教会のプレート。バッハが1703-1707年、この神の家に最初のオルガニスト職を得て活動した、と書いてあります。18~22歳ですから、大学生の頃ですね。

旅はさらに、ほど近いドルンハイムへ。バッハがマリーア・バーバラ・バッハと結婚式を挙げたところです。私は初めて訪れましたが、気のせいかあるいは仕掛けなのか、なんとなく恋のムードが漂ってくるようでした。日本から式を挙げに来る方もおられるそうです。アルンシュタットで知り合ったバーバラとここで挙式しようと約束していて、新しい任地ミュールハウゼンから歩いてきたのだろう、というお話でした。歴史が身近になる瞬間です。


夜は多くの方と、ニコライ教会前の有名店で夕食を摂りました。

2017ドイツ滞在記(6)--ラファエル・ピション、感動の《ヴェスプロ》2017年06月27日 23時11分41秒

14日(木)、アルテンブルクからとって返した私は、ホテルの一室で、皆さんに作品解説。今夜の曲目、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》についてです。この曲こそ私の「無人島」の1曲で、さすがのバッハもこれにはかなわない、と言ったところ、「え~!」という声があちこちから。平素から言っていることですが、やっぱり意外に思われるようですね。

開演は20時、会場はニコライ教会です。ニコライ教会はもちろんトーマス教会と並ぶ歴史的教会なので、大事なコンサートがたくさん振られますが、見やすい反面、音響効果がどうも良くない。音がみな、上へ抜けていってしまうのです。それがマイナスにならなければいいが、と思っていました。

席は最上階の横3列目(最後列)。ステージは、立たないと見えません。でもその時思ったのですね、音が上へ抜けるのであれば、ここに響きが集まってくるのではないかと。

まったくその通りだったのです。響きの真ん中にいて、全身豊かに包まれる感じ。ニコライ教会にこんなにいい音の席があるとは、いままで知りませんでした。

すぐ左のオルガン席に、テノールが1人上がってきました。それが先唱者だったわけですが、先唱したのは冒頭曲のインチピトではなく、〈天にましますわれらの父よ〉の聖歌(アンティーフォナ)。しかしグレゴリオ聖歌風に歌うのではなく、1音1拍に取りながら、強い声で歌う。次に〈アヴェ・マリア〉が同様に聖歌として歌われ、《ヴェスプロ》冒頭曲へと、爆発的に流れ込みました。

33歳のラファエル・ピション指揮するピグマリオンが、しっかり作り込み、闘志満々でやってきたという印象です。解説書に、マリア崇敬のこの曲がプロテスタントの教会で演奏されるのは今でも普通のことではないのだ、と書いてありました。だからこその、この意欲だったのでしょうか。

古楽器・古楽奏法ですが、声楽の編成がかなり大きく、しっかり声を出すために、音響効果と相まって、身体をゆさぶられるような迫力があります。テノール三重唱による〈サンクトゥス〉の歌い交わしなど、鳥肌もの。そうなってみると、一見奇妙なアンティーフォナの唱法も、モンテヴェルディの音楽と、ぴったり符合しているのですね。これも、ひとつの行き方かもしれません。

〈ソナタ〉の後に長いつなぎが入りました。ふと気がつくと、声楽が全員オルガン席に登ってきていて、ピションもやってきた。そしてここ、すなわち目の前で、最美のクライマックス、《めでたし海の星》が始まったのです。この曲は変奏の間に器楽が入りますが、器楽は下に残っていて、あたかも天使に囲まれた被昇天のマリアに、地上からあこがれのまなざしを送るかのよう。会場が水を打ったように聴き入っているので、教会空間に妨げはありません。

声楽はテノール歌手1人を残して下に帰り、マニフィカトが圧巻の盛り上がりを作り出しました。そこにさらに聖歌を入れ、冒頭曲を反復し、礼拝の枠組みを完成させて終了。

気がつくと、左の女性も右の女性も、全身わななくように感動しておられるのですね。私もそう。じつは、この大事な公演にどうしてピションなのか、と思わないでもなかったのですが、よくわかりました。ピションを切り札と認識するからこそ、この公演が託されたのです。

ホテルに戻ったところ、入り口に同行の方々が整列され、拍手で私を迎えてくれました。これを聴くためだけでも来た甲斐があった、と何人もの方がおっしゃいましたが、私もそう思います。

2017ドイツ滞在記(5)ーー食事のひとこま2017年06月27日 00時35分26秒

私の周囲には、写真好きの方が大勢。食べるものはことごとく写真に撮る、という主義の人が何人もいます(まさお君など)。そういう人たちから見ると、私の写真にいっこうに食べ物が出て来ないのは、切歯扼腕。そこで、キレキレの写真が送られてきました。謹んで掲載させていただきます。

お店選びは、楽しいけど悩ましいものですね。知らない町だったら、「ラーツケラー」を優先に考えましょう。ラーツケラーは市庁舎が地下にもつ伝統ある食堂で、クォリティの高いところが多いです。アルテンブルクでも中央広場に赴き、ラーツケラーに入りました。


メニューを見て熟考。私、決断力がないのです。


ようやく注文。コンソメスープとシュパルゲル、白ビールの食事に。


まずスープが来ました。縦長の写真が大きくなってしまうのは、アサブロの仕様です。


次いで、シュパルゲル(白アスパラガス)が!これは5~6月にドイツに行く場合にのみ恵まれる珍味ですが、今年は不作だったそうで、食べる機会がほとんどありませんでした。ここが最高だった、と言っては、お連れしなかった方々に申し訳ないですが・・・(現実は、一皿お代わり)。


同行の方々も上機嫌。13年も続いている「すざかバッハの会」の大峡喜久代会長(左)と、その右腕の赤沼益子さん(右)です。皆さん、コンサートの折にでも須坂にいらしてくださいね。


2017ドイツ滞在記(4)ーー絶対の穴場、アルテンブルク2017年06月25日 22時56分22秒

14日(水)は、昼間自由行動。元気も出てきたので、予定の決まっていなかった「すざかバッハの会」の方々と一緒に、アルテンブルクを訪れることにしました。バッハが当地城館教会のオルガンを弾いたことが記録されている、ゆかりの地です。

アルテンブルクは、Sバーン(JRの大都会線に相当)で行ける、ライプツィヒの近郊。直行の列車に乗ったのですが、途中なぜか「ここが終点」と言われ、20分待ちで、別の列車に。その後さらにもう一つ乗り換えがあり、結構時間を食いました。こういうことがよくあり、いかに日本の鉄道がすばらしいかを、再確認。しかしまごつく乗客を「こっちですよ~」と引率する人の良さそうな車掌さんがいるのも、ドイツならではです。

アルテンブルクなんて、普通の人は知らないですよね。有名なところに行ってみたいというのが、旅行者というもの。しかしここは、少なくともバッハに関心のある人にとっては、第一級の観光地です。小村かと思ったら、さにあらず。風格のある古都市なのです。

駅から市心はかなり離れ、傾斜もあります。ですので誰にでもお勧めできるかどうかわかりませんが、そこを歩いて探索するのが価値で、バスで直接連れて行ってもらうのでは味わえない喜びがあります。町は、閑静そのもの。

 
城館への坂道を登ると、尖塔の目立つ町並みが見渡せます。


息の切れた頃、城館に到達しました。


中央の色の違うところが、古くからの教会です。プレートを発見!


「ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1739年に、城館教会のトロースト・オルガンを演奏した」と書いてあります。教会に入ると、狭い空間にトロースト製作の由緒あるオルガンが、のしかかるように据え付けられていました。


その威容に見とれていると、演奏が始まったではありませんか!曲は、プレリュード変ホ長調BWV552。まさかバッハの最高傑作を聴けるとは思わなかったので、感無量でした。

ふと気がつくと、1739年はバッハが、この曲を含む《クラヴィーア練習曲集第3部》を改宗200年のライプツィヒで出版した年にあたります。まさに時宜を得た作品が、バッハの称賛したオルガンで、鳴り響いたわけです。

尋ねてみると、オルガンが演奏されたのはわれわれの直前にガイド付きのツアーが入っていたからでした。ちょうどそれを追いかけるように入れたのは、2度の乗り換えで列車が遅れたため。それもこのためにあったのか、と思えてなりませんでした。

駅へ戻ると、帰りの列車は遅れていて、いつ来るかわからないとのこと。仕方がないのでタクシーで戻り、《ヴェスプロ》の解説会に間に合わせました。シチリア出身の陽気な女性運転手がしゃべりっぱなしで、相づちを適当に入れるのに苦労しました(笑)。

2017ドイツ滞在記(3)ーー尻上がりの《オルフェオ》2017年06月24日 23時11分25秒

ドイツのホテルの楽しみは、朝食。よりどりみどりのビュッフェから、皆さん山盛りに料理を取って、ぱくついておられます。

しかし私は、それができません。まともに食べると必ず気分が悪くなってしまうのです(注:胃を切った後遺症)。バター、クリーム、油の系統を厳重に制限し、黒パンに野菜、果物ぐらいをほどほどに、というという自己管理で臨みました。今年は去年よりコントロールに成功したのですが、唯一だめだったのが13日(火)。脈が早鐘のようになって部屋で寝込む羽目になり、約束していたハレ行きをキャンセルしてしまいました。前日飲み過ぎたたたりだと言われれば、否定できません。

昼頃やっと起きだし、市内へ買い物に。いつも行くのは、トーマス教会裏のシラー通りにある楽譜屋さんです。ここにはさすがにバッハ関係の本がよく揃っており、いつも、買うものが見つかります。

今回買ったのは、コンラート・クレークという著者によるバッハの教会カンタータ解説書最新本、全3巻。作曲年代順に全歌詞付きで解説されており、役に立ちそうです。『バッハ年鑑Bach-Jahrbuch』と同じ出版社から出ています(Evangelische Verlagsanstalt Leipzig)。加えて、ルター自作のコラールを詳しく解説してある本と、ミヒャエル・マウル氏による、トーマス学校とそのカントルに関する本を買いました。論文に使えたらと思っています。

同行の方々との解説会の後、ゲヴァントハウスで開かれたバッハ祭コンサートの一つ、モンテヴェルディ 歌劇《オルフェオ》へ。コンサート形式と謳われていましたが、オルガン席を含むステージの高度差が配置に生かされ、歌い手にもほどよい動きがあるなど、イメージを伝える工夫が払われていました。声楽・器楽に駆使されるエコーも、扉を開けた舞台裏を使って表現されると、異次元の空間性が発揮されます。

ジョルディ・サバール指揮、レ・ナシオンの演奏は、細やかに整えられた、安定感のあるもの。その分、思い切りや踏み込みに欠けるところがあり、平素ならそれだけで呪縛されてしまう「音楽」女神の導入も、きれいに、さらりと進みました。そういう印象になったのは、ゲヴァントハウスの音響によるところもありそうです(広すぎる)。前半では、使者を担当したサラ・ミンガルド(メゾソプラノ)が実力を発揮して、拍手を集めていました。

しかし、正統的な解釈の積み上げによって、後半は作品の真価をほぼ伝える出来になったと思います。オルフェオ役、マルク・モイヨンの精緻な歌唱は、聴き応え十分。通奏低音が多彩な編成により、効果を発揮していました。

まずまず想定内の《オルフェオ》。しかし翌日の《ヴェスプロ》は、まったく想定しようのないものでした。

2017ドイツ滞在記(2)ーー初仕事はフライベルクから2017年06月23日 22時50分40秒

私のドイツ仕事は、オプショナル・ツアーから始まりました。

今年は、ずっとライプツィヒ滞在です。そこで、大きなオプショナル・ツアーを2つ設けました。12日(月)は、ジルバーマンの著名オルガンを擁する近郊の都市フライベルクと、そのジルバーマンの博物館のある、フラウエンシュタインを訪れる旅。フライベルクの聖マリア大聖堂では、カントル、アルベルト・コッホ氏が、われわれだけのためにコンサートを開いてくれることになっています。

ガイドさんは、ドイツ人女性のペトラさん。この方の日本語はたいしたものです。なにしろ、砕けた口調をベースにしながら、日本語の専門用語が、要所できっちり出てくるのです。日本には2週間旅行で来たことがあるだけだそうで、信じられません。語学は、行かなくても本当に勉強すれば習得できる、ということですね。準備のメモも詳細に取っておられ、すべて、しっかり準備してあたられるようです。

曲目解説をしていて知りましたが、かつて銀山都市として栄えたフライベルク大聖堂のジルバーマン・オルガン(1714年献堂、ゴットフリートの最初のオルガン)には、バッハの前任のトーマス・カントル、ヨハン・クーナウがかかわっているんですね。試験演奏もクーナウが行ったということで、コッホ氏のコンサートでも、クーナウの《トッカータ》という珍しい曲が演奏されました。次にバッハのコラール、最後にメンデルスゾーンのソナタ第6番。柔らかにブレンドされた響きが、いかにもジルバーマンの楽器です。

外に出ると、こんなところにもルターの像が・・。ライオンの上には、「神はわが櫓」と書かれています。


ライプツィヒの聖トーマス教会の写真も、毎回になりますが一応挙げておきます。


ちょうど夕食の頃合いに帰れましたので、去年から恒例化した有志とのホテル・レストランでの食事会を、この夜やってしまうことにしました。話がはずんだことは言うまでもありませんが、地元ザクセンのものを選んだ白・赤のワインが、どちらも大満足のおいしさ。これがレストランの格というものでしょう。

すっかり出来上がったところへ、ローゼンミュラーのコンサートを終えた方々がご帰還。ライプツィヒゆかりの作曲家、ローゼンミュラーの生誕400年を祝うニコライ教会におけるコンサートは、画期的なものだったそうです。ただ、ものすごくお強い方と祝杯を挙げたのは悪のりで、翌日にたたりました(汗)。

2017ドイツ滞在記(1)ーー旅の始まり2017年06月22日 21時03分58秒

不肖私、11日間のドイツ滞在を終えて、今日(22日)、帰国いたしました。帰ってきてから書くのでは、「帰ってこられるかこられないかわからない」という修羅場(例:ドルトムント駅のコインロッカー)が成立しないわけですが、ともあれ旅行を振り返りたいと思います。

11日のうち、朝日サンツアーズの団体にお付き合いしたのが7日。単独行動したのが4日。いろいろなところに行きました。まとめておきますと・・

・バッハの足跡が刻まれており、今回初めて訪れたところ--アルテンブルク、ドルンハイム、ツェレ
・『エヴァンゲリスト』執筆以来の再訪となった、バッハの居住地--リューネブルク、アルンシュタット、ワイマール、
・バッハと直接かかわらないが初めて訪れた都市--フーズム、キール、ノルデン、ノルトダイヒ
・食事をした都市--フライベルク、アイゼナハ、ハンブルク、ハレ

順々にご紹介します。

羽田空港での出発は、あわただしいものでした。円をユーロに替え、ルーターをレンタル。去年は携帯電話も借りたのですが、今は自分のスマホを使うのが普通なんですね。ルーターはパソコン用に借りましたが、結局使う機会が少なく、スマホのローミング機能を、日ごとに大胆に使うようになりました。どのぐらいの支払いになるのか、まだ不明です。

本屋さんで必ず買うのが、ガイドブックとトーマス・クックの時刻表。ところが入った本屋さんに備えがありません。やはりガイドブックは持っていくべきだと、あとあと思いったことです。道中にと、文庫本を4冊購入。うち2冊は、いつか読んでおかなければと思っていたドストエフスキーの『白痴』上・下です。

飛行機で読み始めましたが、意外にも、軽妙なタッチで入ってくるのですね。名前を覚えるのがたいへん。感動的なところ、「らしい」ところに出会うのは、帰路になりました。

ライプツィヒのホテル「シュタイゲンベルガー」に着いたのは、夜の11時半。添乗員さんが出迎えてくれました。ツアーのお仲間は前日発ちで、すでに市内観光と、最初のコンサートを済ませています。コンサートは、ガーディナー指揮による宗教改革にちなむコンサート。曲はシュッツの詩篇3曲と、バッハのカンタータ3曲です。解説は渡しておきましたが、解説会ができず、お仲間には申し訳ないことをしました。演奏会は、とても良かったと伺いました。

疲れてはいましたが、ホテルで一杯やってから寝たい、と思っていました。去年は離陸前のラウンジ(!)から飲み相手に恵まれ、連日、ホテルのバーで杯を重ねていたのです。今回はどうかなと思っていたら、おられましたね、バーで人待ち顔の方が。高度な知識をお持ちの熱心な方で、さっそく話し込んでしまいました。毎度、飲み相手には困らない旅行です。(続く)

ハンブルクから2017年06月18日 06時15分26秒

皆様、珍道中の報告記が遅れ、申し訳ありません。先ほどお仲間をライプツィヒ空港にお送りし、単独行程に入りました。

たくさん写真を撮ったのでそれを交えてご報告したいのですが、いま大量の写真をパソコンに移す手段がなく、連載は帰国してからにさせてください。

お別れしてからどこに行くか考え、残りの幾日かを、「私のドイツ地図」を埋める目的に費やすことにしました。もちろん完全に埋まっているところなどありませんが、まとまって白紙の部分は、北西端、北海沿岸の地域です。シュニットガー・オルガンの密集しているこの地域を訪れたいと思い、ハンブルクのホテルに移動しました。

折しも、愛犬の訃報に接したところです。合掌。

装飾は面白い2017年06月12日 03時53分09秒

いま、フランクフルトの空港で乗り継ぎ待ちをしているところです。順調に旅をしています。仲間からは、すでに到着という連絡が。今頃、ガーディナー指揮の宗教改革作品(シュッツ、バッハ)のコンサートを聴いていることでしょう。

昨日、10日(土)は、神戸のデザイン・クリエイティブセンターで、藝関連の第12回公開シンポジウム「21世紀、いま新たに装飾について考える」が開かれました。東北芸術文化学会の團名保紀さんと東洋音楽学会の遠藤徹さんがコーディネーターを務め、意匠学会の川島洋一さん、美学会の髙安啓介さん、美術史学会の玉蟲敏子さんが研究発表、そして上記すべての学会に所属している藤田治彦さんがコメンテーターに回るという布陣。

発表が視覚に偏りましたが、装飾の重要性は音楽も劣りません。そこで、私が西洋音楽における装飾の基本的な話をし、久元祐子さんが実演。東洋音楽側は遠藤さんの解説で、小日向英俊さんがシタールの演奏を披露しました。

一見盛りだくさんですが、発表者とコメンテーターの方々がしっかり準備してくださったので、学会横断の学術的討論会といいう趣旨にふさわしいものとなりました。私自身にとってもたいへん面白く、非常にためになったというのが実感です。裏方の活躍もたいへんなものだったので、それを含め、皆様に御礼申し上げます。

深夜に帰宅し、今日は飛行機というスケジュールは辛いものがありますが、責任を負っている藝関連のイベントを盛況裡に終えることができ、ほっとしました。