年末の朝はカンタータで2014年12月05日 09時52分20秒

ここ3日ほどたいへん忙しく、その中に神経を使う仕事が含まれていたものですから、コメントのレスポンスが遅れて失礼しました。ほっとしたところで、今月の「古楽の楽しみ」のご案内です。

ちょうどクリスマスにかかる時期に回ってきましたので、バッハのカンタータを、オルガン曲と組み合わせて特集しました。年末の朝には、ふさわしいのではないかと思います。おりおりカンタータを出していますが、まだ全体の3分の1しかやっておりません。全曲演奏がいかにたいへんか、わかりますね。

22日(月)は、教会暦の終わり、11月に初演されたカンタータから、テノール独唱用の第55番《私はみじめな人間》と、かつて最後のカンタータと考えられていた第116番《平和の君、イエス・キリストよ》。演奏は55がゲンツ+クイケン、116がガーディナー2000。その間に、コラール・パルティータ《おお神よ、汝義なる神よ》BWV767を、レオンハルトの演奏ではさみました。

23日(火)は、オルガンのファンタジーハ短調BWV562で開始し、大作の第70番《目を覚ませ、祈れ!》(11月21日初演)を中央に置いて、一番有名なコラール・パルティータ《ようこそ、慈悲深いイエスよ》BWV768を締めに。演奏はカンタータがガーディナー2000、オルガンが小糸恵。小糸さん、本当にすばらしいですね。

24日(水)は、クリスマス特集。クリスマス第1日のための第110番《われらの口を笑いで満たし》から開始し、オルガン・コラール《高き天から》を2曲(BWV700、701)をはさんで、クリスマス第2日用の第121番《キリストをいざ誉め讃えよう》を聴きます。演奏は110がバッハ・コレギウム・ジャパン、オルガンがハーラルト・フォーゲル、121がヘレヴェッヘです。

25日(木)がクリスマスですが、放送では年末までを先取りします。《オルガン小曲集》のクリスマス・コラール3曲を枕に、クリスマス第3日のための第133番《私はあなたにあって喜び》、コラールをさらに3曲はさんで、クリスマス後の日曜日用の第152番《信仰の道を歩め》というプログラム。演奏は133がレーシンク、オルガン・コラールがプレストン、152がコープマンです。

お楽しみいただければ幸いです。

須坂のクリスマス・コンサート2014年12月02日 09時48分26秒

「すざかバッハの会」恒例のクリスマス・コンサートをご案内します。今年は12月21日(日)の14:00から、須坂駅前シルキー・ホールで開催します。最初に私が、《ヨハネ受難曲》連続講座の締めくくりを行いますので、音出しは14:45ぐらいになるかと思います。

題して、「俊秀アーチストの贈る 麗しき古楽――ルネサンスからバッハまで」。ごの時期に、すばらしい出演者が登場してくださいます。「歴女」として人気のハーピスト、西山まりえさんと、日本を代表するテノール歌手、櫻田亮さんです。今年も塩嶋達美さんに、トラヴェルソをお願いしました。

プログラム第1部は、まず「ルネサンス・ハープの奏でるいにしえの響き」。並んでいる楽しい小品の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの曲がありますね。どんな曲なのでしょうか。

第1部後半は櫻田さんお得意のイタリア古典歌曲で、カッチーニ、フレスコバルディ、モンテヴェルディの作品が、ハープ伴奏で披露されます。最初はもちろん、〈アマリリ麗し〉です。

プログラム第2部はバッハ。ます、チェンバロの名手でもある西山さんの演奏で、トッカータホ短調。次に《クリスマス・オラトリオ》とカンタータ第147番のテノール・アリアをチェンバロ伴奏(+トラヴェルソ)で聴き、最後が第147番のコラール〈イエスは変わらざる私の喜び〉です。櫻田さんの指揮で、合唱団員を多く含む会員の有志が歌います。

近くに温泉もありますので、遠くからの方もお出かけください。お待ちしています。

12月のイベント2014年11月29日 06時33分37秒

師走が迫ってきました。立て込んだ予定の中から、公開のものをご案内いたします。

12月2日(火)は恒例となった東京バロック・スコラーズのコンサート(14日14:00、大田区民ホール)とのカップリング講演を、19:00から国立オリンピック記念青少年総合センターで行います。詳細は団のホームページをどうぞ(http://misawa-de-bach.com/modules/bulletin/index.php?storytopic=3)。題して「バッハのクリスマス」。演奏曲目の《マニフィカト》、《クリスマス・オラトリオ》を紹介しながら、クリスマスをめぐるふくらみのあるお話をしようと思い、準備しています。カップリング講演会の売りは指揮者・三澤洋史さんとの対談コーナーなので、お楽しみください。

3日(水)と17日(水)が、朝日カルチャーセンター新宿校です。10:00~12:00のワーグナー講座は、《トリスタンとイゾルデ》の第1幕。13:00~15:00のバッハ講座は、リレー演奏シリーズの第5回と第6回。第5回はカンタータ第147番、第6回は《クリスマス・オラトリオ》が対象で、第147番は既存の映像を中心に、入手したばかりのマグダレーナ・コンソートの新盤をご紹介します。

6日(土)は14:00から、いずみホールのモーツァルト・シリーズ《フィガロの結婚》。東西よりすぐりの歌い手により、粟國 淳さん演出のホール・オペラとして上演します。お見逃しなく。詳細はホールのHPをどうぞ(http://www.izumihall.co.jp/)。

9日(火)から、ICU大学院の授業が始まります。切り札の《ヨハネ受難曲》を題材にしますが、学生のニーズとどうかみ合わせられるか、考えているところです。あ、これは非公開ですね。

20日(土)は、10:00~12:00が立川の「楽しいクラシックの会」例会で、今月はワーグナー《パルジファル》の第1幕その2。「不気味な礼拝」と題しました。14:00~16:30はお茶の水のクリスチャン・センターに移り、モーツァルティアン・フェラインの講演。先日出したちくま学芸文庫の新しい部分を取り出して、音楽を聴きながらお話ししようと思います。

21日(日)の「すざかバッハの会」はコンサートになりますので、別途ご案内いたします。ではよろしくお願いします。

年末は、ぜひ《冬の旅》で!2014年11月26日 23時33分16秒

京都に、田中純さんという、すばらしいバリトン歌手がいます。いずみホールには何度かご出演していただき、その美声と音楽性に惚れ込んでいたのですが、ぜひ首都圏の方々にもお聴きいただきたく、《冬の旅》のコンサートを企画しました。12月27日(土)、サントリーホール・ブルーローズです。チラシに、次のような文章を書きました。

「長年コンサートライフにかかわっていると、この人の芸術をぜひ知らしめたい、という音楽家に出会うものです。バリトンの田中純さんは、そんな大切な人の一人。ノーブルな美声と明晰な発音で歌われる田中さんの歌には夢があり、青春があり、品格があります。バッハ、歌曲、また歌謡曲--私は田中さんの歌に、いつも感動をもって耳を傾けてきました。
 そんな田中さんの《冬の旅》を、年末にサントリーホール・ブルーローズで聴こうというのが、今回の企画です。シューベルト時代のフォルテピアノを名手、渡邊順生さんに弾いていただき、シューベルトの本来の構想がはっきりわかる自筆譜稿を使い、作品の精通者、梅津時比古さんと対談し、オリジナルの字幕を用意し・・・と、話は一味違うコンサートを目指して、とんとんと進みました。一同全力投球しますので、ぜひ覗いてくださるよう、お願いします。」

14:00開場、14:30からプレトークを行い、演奏開始は15:00の予定。今年はぜひ《冬の旅》の余韻と共に除夜の鐘をお聞きください。しばらく前に顔合わせをしましたが、試演のつもりがどんどん盛り上がり、お薦めする確信がもてました。前売り券4000円ですが、コメントで応募していただければ、3500円で当日精算させていただきます。なにとぞよろしくお願いします。





そのアツさたるや・・2014年11月25日 08時23分24秒

話題になっていることと思いますが、新国立劇場の合唱指揮を務めておられる三澤洋史さんが、すごい本を出されました。題して『オペラ座のお仕事』、早川書房からです。

外からは窺うべくもない音楽創造の裏話が、ものすごいエネルギーと情熱を伴って、しかも人をうならせる洞察力をもって、ぐいぐいと展開されていきます。奔放で流れるような文章も、音楽と同じ。すばらしい頭脳をお持ちなのですね。

どの章もこの上なく面白く、一気に読んでしまいそうですが、そのアツさが並々でないので、一休みせざるを得ない。ときどき私のことを「アツい人」と評する方がおられ、半信半疑で受け止めていましたが、全然レベルが違います。さわると火傷をするような炎が、燃えさかっているのです。

外から見ているだけではわからないことをたくさん教えていただき、反省とともに読破しました。ぜひご一読ください。

今月のCD2014年11月23日 08時12分00秒

ハイドンの再評価が必要だなあ、とよく思う昨今。折しも鈴木秀美さん指揮するオーケストラ・リベラ・クラシカが、交響曲第67番ヘ長調の新譜を出しました(2013ライヴ、アルテ・デラルコ)。

67番と言ってあああの曲、と思われる方は少ないでしょう。もちろん私もダメです。すなわちワン・オブ・ゼム(ハイドンの場合、このゼムが多い)ということになると思いますが、鳴らしたとたんに流れ出た音楽の個性と生命力に、びっくりしました。明るく、人なつこく、ユーモラス。こんな風に演奏できるのはさすがに鈴木秀美さんで、ハイドンの真髄を突いていると思います。

同CD次に入っているのが、佐藤俊介さんをソロにしたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番。一般に、ほとんど注目されない作品だと思います。それが、じつに面白い。「後からの目」から見るとどうしても第1番は「まだまだ」と考えてしまいますが、「(歴史の)前からの目」で見ると、この創意はさすがだ、ということになる。その、古楽ならではの「前の目」で、第1番の魅力が解き明かされています。クリエイティブな演奏と言えば、その一語です。最後に納められたベートーヴェンの第4交響曲は、もちろんいいですけど、演奏として、まだ先があるように思いました。

競争相手はいろいろありましたが、新聞では、コンチェルト・ケルンがカルミニョーラをソロに迎えたバッハのヴァイオリン協奏曲集(アルヒーフ)に言及しました。芯のぴしりと通った演奏が心地よかったので。

「わかりやすさ」の意味2014年11月21日 08時34分21秒

研究発表には、「わかりやすくする」ための努力が欠かせません。なぜなら研究発表は、高い専門性をもつがゆえに、必然的にむずかしいものであるからです。しかし、むずかしすぎるものを生き生きと受け止めることは、人間にはできません。ですから、不必要なむずかしさを極力排除し、コアの専門的な部分を、よりよい形で「いっしょに考えていただく」必要があります。

不必要なむずかしさを生み出す大きな源泉は、書き言葉を連ねた、こなれていない原稿です。主語が出てくる前にいくつもの言葉を置いた、頭の重い文章。主語と動詞が、はるかに離れている文章。句点でつないでいるが、いつの間にか主語が入れ替わっている文章。判別しにくい同音異義語が使われている文章。また、むにゃむにゃと聞き取りにくい発音など、除去できる障害は、たくさんあります。除去のコツはただひとつ。聴き手の立場になってこれでわかるかどうか考える、ということです。コア以外の部分で、聴き手に労力を払わせるのは損です。

このようにわかりやすい言葉でスタートさせ、共有したい予備知識もさりげなく盛り込んでおけば、発表の中核をなす専門的な部分を、同業の聴き手は、気持ちよく「いっしょに考えてくれる」はずです。もちろん、助走が長すぎるのはいけませんし、最後までわかりやすいだけの発表は、説明どころか、紹介になってしまいます。

専門的な部分が難解なのは、お互い承知の上です。しかし、問題意識や取り組み方をつねに明確にしておくことによって、独走は避けられます。問題意識がはっきりしていれば、発表の結論や将来への展望も、効果的に語れるはずです。

発表の時間は概して短いものですから、すべての時間を意味深く使うのが理想です。記述をわかりやすくする代わりに、一度言ったことは言わない、説明は本当に必要な事項に限定する、あるいは、文章の流れが指し示していることは、できれば言いたいことでも思い切って省略する(=言外に伝える)といった措置も必要です。これによってスリム化できる分量は、思ったよりずっと多いものです。

研究発表のわかりやすさは、聴いてくださる人たちへの敬意から生み出されるものではないでしょうか。

研究発表のノウハウ2014年11月18日 12時34分39秒

学会でさまざまな研究発表に触れ、研究発表にはこれが大切だ、ということを申し上げたい気持ちになりました。それは長い経験のもとに今思うことで、私自身が実践してきたとは言えませんし、多少理想論かも知れません。

基本として大切なのは、研究発表と説明の違いをわきまえる、ということです。亡くなった友人が、昔「さっきの発表は授業みたいだった」と言ったことを覚えていますが、これはこのことと関係があります。授業は、説明にずっと近いものだからです。

説明は概して、上から下への方向を取ります。知っている人が知らない人に対して行うのが、「説明」だからです。しかし研究発表は「下から上」への方位をもつべきだと、私は思います。

発表者は、自分が問題意識をもって取り組んでいるテーマ(上にあるもの)に対して、自分がどのように取り組み、どんな方法で研究を進めて、どんな成果にたどり着いたかを(つまり向上のプロセスと結果を)、発表を通じて示すべきなのです。

学会や研究会に参加する聴き手は、キャリアはさまざまであるにしても、学問を志す同業者です。研究発表は、その人たちに「いっしょに考えていただく」というスタンスをもたなくてはなりません(ここが重要)。発表をできるだけわかりやすくするのは、聴き手が専門外でわからないからというのではなく、いっしょに考えていただくために、負担を軽減して条件を整えようとする作業です。

いっしょに考える作業は説明を受ける作業よりずっとクリエイティヴで面白いしですから、発表の終了後には当然、受講者はいろいろな質問や意見を出したくなります。ですから、生き生きした質問が飛び交ったか、あるいは重苦しい沈黙が支配したかは、発表の成功度を測る重要な指標になります。それは発表の学問的なレベルとは同一ではありませんが、重く受け止めるべきです。「質問が出なくてほっとした」という受け止め方は、間違っています。(続く)

神の降りる瞬間2014年11月14日 14時23分51秒

いずみホール、今年のモーツァルト・シリーズ本編が始まりました。「学び深めた四重奏の世界」と題した12日(水)のコンサートは、《ハイドン・セット》の2曲(ニ短調、不協和音)とハイドンの《皇帝》を、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団が演奏しました。

演奏は、じつに渋い。飾り気もなく見えも切らず、もちろんにこりともせず、ひたすら内方に集中する室内楽です。

もっと自由でもいいのではないか、もっと洒落ていてもいいのではないか、と思いつつ聴き始めましたが、ところどころ、神が舞い降りるとでも言いたくなるような、絶美の瞬間が訪れる。それは、何かに耳を澄ますように、すっと静かになるところ。ニ短調の四重奏曲の、ヘ長調によるアンダンテが、その意味ですばらしかったです。

地味ながら誠実かつ謙虚な、時間が経っても印象の薄れない、いい音楽でした。こういう演奏を本当に大事に聴いてくださるのが、いずみホールのお客様。終了後サイン会があり、写真も撮っていただきました。またお呼びしたいです。


【付記】9月のプレ・イベントで大阪デビューされたバロック・ヴァイオリンの須賀麻里江さんが、大阪国際音楽コンクールのアーリーミュージック部門で、1位なしの2位に入られたそうです。おめでとうございます。

臨死体験、若き日の思い2014年11月12日 15時58分27秒

飛行機にはなるべく乗らないようにしている私は、新幹線で福岡を往復しました。2冊、本を買って乗車しましたが、これが正解でした。

ひとつは、立花隆さんの『臨死体験』(文春文庫)。人間は幸福な気持ちで死ねるという命題をさまざまな体験例から論理的に追究している本で、これから死ぬ人すべてを勇気づけてくれます。まあ、そこにたどりつくまでがたいへんなのでしょうが。

確かだと思うのは、大病をしていったん死の近くまで行った人は、死がそれほどこわくなくなる、ということです。ささやかな実感として、そう思います。克服できるのであれば、という前提付ですが、大病には神の恵み、という側面があると思います。経験者は「普遍的宗教性」を志向するようになる、という記述にも、ひとごととは思えないものがあります。

もう一冊は、村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)。高名な村上さんですが、いままでは出会いの経験がありませんでした。2冊ほどかじった記憶がありますが、そのときはなぜか、出会いなし。

しかし今回は、これはすごい、世評むべなるかな、と驚嘆しました。整った文章で美しく精緻に運ばれる、正統派の文学です。『国境の南、太陽の西』からは若いころの魂の名残を揺さぶられるような気がしましたが、案外、代表作ということでもないようですね。また挑戦してみたいと思います。