続・言葉のズレ ― 2010年05月08日 00時17分01秒
誕生日小パーティのさいに、寄せられた質問をもとに三択クイズを作った、という話をしました。じつはクイズには続編があり、それは私が、その問題を誰が作ったかを当てる、というものでした。私は熟考し、自信をもって解答に臨んだのですが、結果は惨敗。当日、皆さんが一番楽しまれた一幕になりました。チクショー。
その中に、先生は意外におしゃれのようですが、いったいクローゼットの中に何本のネクタイがあるのでしょうか、という問題があったのです。私は、「クローゼット」などという言葉を使うのは女性に違いない、と断定。その上で推理を展開したのですが、じつは男性の出題だったとわかり、仰天。え~、男がクローゼットなんていう言葉、使うの?と叫ぶ私。すかさず、それは世代によるのだ、という女性からのフォローもありましたけど。
割り切れぬ気持ちを引きずったまま、今日もその話をしていました。すると相手の方の曰く、クローゼットと言わないとしたら、先生は何とおっしゃるんですか、と。もちろん洋服ダンスだ、と言って、はっとしましたね。箪笥という言葉、最近聞いた記憶がない。しかも「洋服」というのは・・・(「言葉のズレ」参照)。
ネクタイが数百本、という私の解答は、皆さんに驚きを与えたようです。でも、1年に10本入手したとしても、40年締めていれば、400本です。不思議はありません。
その中に、先生は意外におしゃれのようですが、いったいクローゼットの中に何本のネクタイがあるのでしょうか、という問題があったのです。私は、「クローゼット」などという言葉を使うのは女性に違いない、と断定。その上で推理を展開したのですが、じつは男性の出題だったとわかり、仰天。え~、男がクローゼットなんていう言葉、使うの?と叫ぶ私。すかさず、それは世代によるのだ、という女性からのフォローもありましたけど。
割り切れぬ気持ちを引きずったまま、今日もその話をしていました。すると相手の方の曰く、クローゼットと言わないとしたら、先生は何とおっしゃるんですか、と。もちろん洋服ダンスだ、と言って、はっとしましたね。箪笥という言葉、最近聞いた記憶がない。しかも「洋服」というのは・・・(「言葉のズレ」参照)。
ネクタイが数百本、という私の解答は、皆さんに驚きを与えたようです。でも、1年に10本入手したとしても、40年締めていれば、400本です。不思議はありません。
テレマンもいいですね ― 2010年05月07日 00時41分26秒
連休が終わり、NHKの収録から、仕事が始まりました。聖霊降臨祭の週の最後の2日(5/28、29)分で、シュテルツェル/バッハの重さから脱却しようと、テレマンを取り上げました。
29日は《パリ四重奏曲》の特集。これはもちろんテレマンならではの世界なのですが、28日の初期作品の特集が、自分としては面白かったです。10代後半、ヒルデスハイム時代に書いたカンタータなんて、天才的ですよ。ライプツィヒ大学の学生だった時代のカンタータも重みがあり、テレマンが基本的には、ルター派教会音楽の正統を受け継ぐ力量の持ち主であったことを窺わせます。どうやら年を重ねるにつれて、楽天的になっていったようです。私もそうかな。
昨日も石丸電気に行って、輸入盤のCDをたくさん集めてきました。プログラムを作るにあたって幅広く耳を通しますから、とても勉強になります。知られざる演奏家による信頼のおける録音が、ずいぶんあるものですね。ペーター・ヴォルニーやクラウス・ホーフマンのような一流の人も、よく解説を書いている。面白いものを、たくさん紹介してゆくつもりです。
29日は《パリ四重奏曲》の特集。これはもちろんテレマンならではの世界なのですが、28日の初期作品の特集が、自分としては面白かったです。10代後半、ヒルデスハイム時代に書いたカンタータなんて、天才的ですよ。ライプツィヒ大学の学生だった時代のカンタータも重みがあり、テレマンが基本的には、ルター派教会音楽の正統を受け継ぐ力量の持ち主であったことを窺わせます。どうやら年を重ねるにつれて、楽天的になっていったようです。私もそうかな。
昨日も石丸電気に行って、輸入盤のCDをたくさん集めてきました。プログラムを作るにあたって幅広く耳を通しますから、とても勉強になります。知られざる演奏家による信頼のおける録音が、ずいぶんあるものですね。ペーター・ヴォルニーやクラウス・ホーフマンのような一流の人も、よく解説を書いている。面白いものを、たくさん紹介してゆくつもりです。
5月のイベント ― 2010年05月05日 22時54分06秒
連休が終わりますね。今月のスケジュールをお知らせします。
8日(土) 14:00から東京音大で、日本音楽学会の関東支部例会があります。お膝元からは小泉香さんが、湯浅譲二について発表します。同日の夜は18:30から東大和市民会館で、「オペラの楽しみ」という講演をします。詳細はこちらhttp://music.geocities.jp/higashiyamatochor/をどうぞ。
9日(日)は午後2時から国立の一橋大学佐野書院で、《ヨハネ受難曲》公演(渡邊順生+ジョン・エルウィス)のためのプレトークをします。実演付き。加えるに渡邊さんがご自慢のリュート・チェンバロを持ち込まれるという豪華版ですが、定員40名では、もう満員ですね、きっと。如水コンサート企画の主催です。
14日(金)から16日(日)までは、日本音楽学会の国際若手フォーラムが、慶応大学日吉キャンパスで開かれます。テーマは”Beyond Boundaries: A Perspective for the Future of Musicology ”で、こちらに案内がありますhttp://wwwsoc.nii.ac.jp/msj4/ifym/index.html。どなたでも参加できますので、興味のおありの方はぜひご参加ください。
22日(土)13:00~は、朝日カルチャー横浜校のバッハ講座で、今月は「無伴奏チェロ組曲~変遷するイメージ」というテーマで行います。
29日(土)は上記《ヨハネ受難曲》の本番が横浜でありますが、その日のトークは朝岡聡さん。私は30日、日曜日の国立公演(一橋大学兼松講堂)の方に、プレトークで出演します(14:15より)。じつはこれがダブルブッキングでした。キャンセルの発生した方面の方々、まことに申し訳ございません。
8日(土) 14:00から東京音大で、日本音楽学会の関東支部例会があります。お膝元からは小泉香さんが、湯浅譲二について発表します。同日の夜は18:30から東大和市民会館で、「オペラの楽しみ」という講演をします。詳細はこちらhttp://music.geocities.jp/higashiyamatochor/をどうぞ。
9日(日)は午後2時から国立の一橋大学佐野書院で、《ヨハネ受難曲》公演(渡邊順生+ジョン・エルウィス)のためのプレトークをします。実演付き。加えるに渡邊さんがご自慢のリュート・チェンバロを持ち込まれるという豪華版ですが、定員40名では、もう満員ですね、きっと。如水コンサート企画の主催です。
14日(金)から16日(日)までは、日本音楽学会の国際若手フォーラムが、慶応大学日吉キャンパスで開かれます。テーマは”Beyond Boundaries: A Perspective for the Future of Musicology ”で、こちらに案内がありますhttp://wwwsoc.nii.ac.jp/msj4/ifym/index.html。どなたでも参加できますので、興味のおありの方はぜひご参加ください。
22日(土)13:00~は、朝日カルチャー横浜校のバッハ講座で、今月は「無伴奏チェロ組曲~変遷するイメージ」というテーマで行います。
29日(土)は上記《ヨハネ受難曲》の本番が横浜でありますが、その日のトークは朝岡聡さん。私は30日、日曜日の国立公演(一橋大学兼松講堂)の方に、プレトークで出演します(14:15より)。じつはこれがダブルブッキングでした。キャンセルの発生した方面の方々、まことに申し訳ございません。
「別の生き方」への想像力 ― 2010年05月04日 23時43分26秒
誕生日小パーティのさいに、恒例の三択クイズをしました。問題と解答を考えるのはたいへんなので、皆さんから私に質問をしていただき、それに対して三択を用意するという形です。私からすると、若い方々が私から何を訊きたいかに、興味がありました。
複数が競合した質問で、答えをとても考えづらかったのが、生まれ変わったら何になりたいか、今の仕事でなければ何をしたいか、女性になったら何をしてみたいか系の質問でした。
考えてはみたのですが、今の仕事をしている以外の自分が、どうしても想像できません。やってみたい仕事というのも、ひとつも浮かんでこない。今の自分以外、考えられないのです。
それは、私が自分に向いた仕事をしているということでもありましょうが、それだけではないと思う。歳を取るにつれて自分が確立され、不確定部分が排除されていくために、別の生き方に対する想像力を失ってしまうのだと思うのです。若い人たちが何人もそれを訊くということは、彼らの目の前に選択肢が多く、想像力もまた豊かであることを物語っています。
歴史上の作曲家に会えるとしたら誰がいいか、今バッハがお祝いに来ているが何をプレゼントするか、といった質問もありました。私の答えは簡単で、別に会いたくない、というもの。かくも想像力を失っているのです。そういえばずっと若い頃には、バッハの演奏風景を一度見たい、と熱望した時期もありました。その後、アインシュタイアルフレート・アインシュタインの考え方に従って作曲家を現実の人格と叡智的な人格に分け、後者を追究するうちに、いつのまにか、それで十分だ、と思うようになってしまったのです。これも、加齢のひとつの形かもしれません。
複数が競合した質問で、答えをとても考えづらかったのが、生まれ変わったら何になりたいか、今の仕事でなければ何をしたいか、女性になったら何をしてみたいか系の質問でした。
考えてはみたのですが、今の仕事をしている以外の自分が、どうしても想像できません。やってみたい仕事というのも、ひとつも浮かんでこない。今の自分以外、考えられないのです。
それは、私が自分に向いた仕事をしているということでもありましょうが、それだけではないと思う。歳を取るにつれて自分が確立され、不確定部分が排除されていくために、別の生き方に対する想像力を失ってしまうのだと思うのです。若い人たちが何人もそれを訊くということは、彼らの目の前に選択肢が多く、想像力もまた豊かであることを物語っています。
歴史上の作曲家に会えるとしたら誰がいいか、今バッハがお祝いに来ているが何をプレゼントするか、といった質問もありました。私の答えは簡単で、別に会いたくない、というもの。かくも想像力を失っているのです。そういえばずっと若い頃には、バッハの演奏風景を一度見たい、と熱望した時期もありました。その後、アインシュタイアルフレート・アインシュタインの考え方に従って作曲家を現実の人格と叡智的な人格に分け、後者を追究するうちに、いつのまにか、それで十分だ、と思うようになってしまったのです。これも、加齢のひとつの形かもしれません。
圧巻の《カルメン》 ― 2010年05月03日 23時06分45秒
「すざかバッハの会」のサブ企画として、オペラの鑑賞会があります。私が選んだ10曲を鑑賞しておられるのですが、今回はビゼーの《カルメン》。いつも通り、いい映像の推薦と「5つの聴きどころ」情報が依頼されてきました。
まず視聴したのが、オブラスツォワやドミンゴなど大型歌手の出ている、クライバー指揮、ウィーン国立歌劇場のもの。演出はゼッフィレッリです。顔ぶれからして、これが随一だろうと予測しました。
しかし、どうもしっくり来ない。常時「躁」状態、とでもいうような派手な演奏なのですが、あまりにもグランド・オペラ風になっていて、原作の味わいから遠ざかっているのではないか、と思われました。
そこで、ハイティンク指揮、グラインドボーン音楽祭1985年のものを買ってきました。そうしたらこれが、信じられないほどすばらしいのです。オビに「映画を見ているような演出」と書いてありますが、演出家のピーター・ホールがすべての要素を統制して、細部に至るまで作り込んでおり、作品の世界をほうふつとさせる、完成度の高い舞台となっている。兵士も、女工も、酒場女も盗賊も、すべてぴたりと決まっていて、いったいどのぐらいのリハーサルを繰り返したのだろうか、と思うほどです。
歌手も適切に人選されていますが、なんといっても主役のマリア・ユーイングのすばらしさは筆舌に尽くしがたい。女性の色気の、まさに究極の表現です。皆様、ぜひご覧ください。彼女を中心とした緊密なドラマに接するうちに、当初ずいぶん地味に思われたハイティンクの指揮も作品に貢献していることがわかってきました。やはりオペラの価値は、スターの数では決まりません。
まず視聴したのが、オブラスツォワやドミンゴなど大型歌手の出ている、クライバー指揮、ウィーン国立歌劇場のもの。演出はゼッフィレッリです。顔ぶれからして、これが随一だろうと予測しました。
しかし、どうもしっくり来ない。常時「躁」状態、とでもいうような派手な演奏なのですが、あまりにもグランド・オペラ風になっていて、原作の味わいから遠ざかっているのではないか、と思われました。
そこで、ハイティンク指揮、グラインドボーン音楽祭1985年のものを買ってきました。そうしたらこれが、信じられないほどすばらしいのです。オビに「映画を見ているような演出」と書いてありますが、演出家のピーター・ホールがすべての要素を統制して、細部に至るまで作り込んでおり、作品の世界をほうふつとさせる、完成度の高い舞台となっている。兵士も、女工も、酒場女も盗賊も、すべてぴたりと決まっていて、いったいどのぐらいのリハーサルを繰り返したのだろうか、と思うほどです。
歌手も適切に人選されていますが、なんといっても主役のマリア・ユーイングのすばらしさは筆舌に尽くしがたい。女性の色気の、まさに究極の表現です。皆様、ぜひご覧ください。彼女を中心とした緊密なドラマに接するうちに、当初ずいぶん地味に思われたハイティンクの指揮も作品に貢献していることがわかってきました。やはりオペラの価値は、スターの数では決まりません。
「+1」の日 ― 2010年05月02日 13時53分18秒
バロックのオペラや組曲には、最後にシャコンヌとなって盛り上がる曲が多くあります。この4月の幕切れが、ちょうどそのよう。1日も休日のなかった4月の最後に、一番長い日がやってきました。その前提は、この日、はなはだ遺憾ながら私の年齢が+1になったことです。
本当は、親しい方や談話室常連の方が皆さん来てくださる大パーティをすると良かったのですが、準備するゆとりもなく、結局、門下生を中心とする周囲の人たちが、フレンチのお店で「+1」を祝ってくれました。とはいえ、ワインを飲み、クイズなどをしての盛り上がりは大パーティ並み。楽しんでおられる方々を眺めながら、嫌われていたらこうはならないだろうと解釈し、しみじみ感動を覚えました。教員生活の終わりにこういうクラスを作れて、ありがたいかぎりです。
かなり無理を続けたので、連休にはひとつも仕事を入れませんでした。昨日はゲームをしたりテレビを見たりで、まったくの役立たず。少し休みたいと思います。新しい1年も、どうぞよろしくお願いします。
本当は、親しい方や談話室常連の方が皆さん来てくださる大パーティをすると良かったのですが、準備するゆとりもなく、結局、門下生を中心とする周囲の人たちが、フレンチのお店で「+1」を祝ってくれました。とはいえ、ワインを飲み、クイズなどをしての盛り上がりは大パーティ並み。楽しんでおられる方々を眺めながら、嫌われていたらこうはならないだろうと解釈し、しみじみ感動を覚えました。教員生活の終わりにこういうクラスを作れて、ありがたいかぎりです。
かなり無理を続けたので、連休にはひとつも仕事を入れませんでした。昨日はゲームをしたりテレビを見たりで、まったくの役立たず。少し休みたいと思います。新しい1年も、どうぞよろしくお願いします。
今年の工夫 ― 2010年04月29日 23時15分58秒
明日の準備も済み、なんとか4月を乗り切れるメドが立ちました。昨日の聖心の授業が一番苦しかったのですが、深夜起き出して準備し、間に合わせました。終わるとやってよかったと感じるのは、今日の放送収録でも同じ。いつものことです。
今年初めて採用したやり方があります。それは、学生に白い紙を配布し、質問のある人は出しなさい、と言っておくやり方です。クラス授業で人数が多いと、「質問ありますか」と言っても、みな遠慮してしまう。しかし紙に書かせると、ずいぶん多くの人が、なかなかいい質問を書いてきます。その主要なものをレジュメに取り込み、私なりに回答するのですが、これが、絶好の復習になる。たくさん進むより、こうして理解を確実にしていく方がいいとわかりました。
今録音している「バロックの森」は5月24日からの週で、昇天祭と聖霊降臨祭の音楽を特集しています。今日は、聖霊降臨祭の第2日、第3日を収録しました。シュテルツェルとバッハのカンタータを並べ、オルガン曲をからませていくのですが、シュテルツェルにもいい曲がありますね。『エヴァンゲリスト』新版にも書いたように、最近シュテルツェルのカンタータをバッハがライプツィヒで演奏していたことが判明しています(1736年には「年巻」を演奏したという説もある)。バッハとの違いは、多様性、複雑さ、世界の広がり、といったことでしょうか。明日の「歌曲作品研究」の授業では、シュテルツェルの名曲《お前がそばにいるならば》を取り上げる予定です。
今年初めて採用したやり方があります。それは、学生に白い紙を配布し、質問のある人は出しなさい、と言っておくやり方です。クラス授業で人数が多いと、「質問ありますか」と言っても、みな遠慮してしまう。しかし紙に書かせると、ずいぶん多くの人が、なかなかいい質問を書いてきます。その主要なものをレジュメに取り込み、私なりに回答するのですが、これが、絶好の復習になる。たくさん進むより、こうして理解を確実にしていく方がいいとわかりました。
今録音している「バロックの森」は5月24日からの週で、昇天祭と聖霊降臨祭の音楽を特集しています。今日は、聖霊降臨祭の第2日、第3日を収録しました。シュテルツェルとバッハのカンタータを並べ、オルガン曲をからませていくのですが、シュテルツェルにもいい曲がありますね。『エヴァンゲリスト』新版にも書いたように、最近シュテルツェルのカンタータをバッハがライプツィヒで演奏していたことが判明しています(1736年には「年巻」を演奏したという説もある)。バッハとの違いは、多様性、複雑さ、世界の広がり、といったことでしょうか。明日の「歌曲作品研究」の授業では、シュテルツェルの名曲《お前がそばにいるならば》を取り上げる予定です。
言葉のズレ ― 2010年04月26日 23時57分27秒
時代とのズレは、言葉にあらわれるようです。たとえば「イマイチ」という言葉は、ある時期に流行して私も自然に使うようになったのですが、ナウいどころか、ダサい言葉になっているでしょう、きっと。でも自分の語彙になっているので、つい使っちゃうんですよね。
今日はっとしたこと。「洋服」という言葉、私はまったく自然に使っていましたが、今はもう、使いませんか?私が「洋服」といい、相手の方が単に「服」と言っていることに気づいて、愕然としました。「洋服」は「着物」との対語で使われていましたから、着物がすたれた今は、「服」で十分だと言われれば、そんな気がします。皆さん、いかがでしょう。
・・・と書いてよく考えたら、「洋服」の対概念は「和服」ですね。「和服」はすでに死語、ということはないでしょうか。そう言えば、「呉服」という言葉もありました。今調べたら、三国の「呉」から日本に伝わったから呉服だそうです。ご存じでしたか。
今日はっとしたこと。「洋服」という言葉、私はまったく自然に使っていましたが、今はもう、使いませんか?私が「洋服」といい、相手の方が単に「服」と言っていることに気づいて、愕然としました。「洋服」は「着物」との対語で使われていましたから、着物がすたれた今は、「服」で十分だと言われれば、そんな気がします。皆さん、いかがでしょう。
・・・と書いてよく考えたら、「洋服」の対概念は「和服」ですね。「和服」はすでに死語、ということはないでしょうか。そう言えば、「呉服」という言葉もありました。今調べたら、三国の「呉」から日本に伝わったから呉服だそうです。ご存じでしたか。
学外新学期好発進 ― 2010年04月25日 23時37分16秒
この土日は、仕事のラッシュ。土曜日の午後に朝日カルチャー横浜校で《平均律》の話をし、夜に三澤洋史さんの合唱団(東京バロック・スコラーズ)でワイマール・カンタータの話をし、日曜日の午前に「たのくら」でソナタ形式の話をする、という強行軍でした。しかしどれもいいお客様に恵まれ、充実することができました。ありがとうございました。
カンタータの講演会では、話の後に三澤さんとの対談が設定され、そのあとにフロアとの質疑応答というプログラムが組まれていました。質問をいただくというのは本当にいいですね。話が深められ、聴衆の方々と、一体感をもつことができます。なにしろタイミングが良かった。『魂のエヴァンゲリスト』の改訂作業をしたばかりで、たいていの情報が、新鮮に頭に入っていましたから。バッハを深く聴いておられる方がたくさんいらっしゃることが、質問を受けてみて、実感されます。
知っていること、考えていることを率直にぶつけあう議論の場を大切に思いますが、これも芸術、学問にかかわっていられるからこそでしょうか。政治家でなくてよかったと思います。「政治家は言葉が生命」とする解説も耳にしますが、私は鳩山さんの言葉って、本当にわかりません。「きれいな海を埋め立ててはいけない」といまおっしゃることの意味は何でしょう。自分の正直な感情を、情勢への配慮なしでおっしゃっているのか、あるいは、自分だけいい子になろうとしているのか。意味がわかれば議論が起こりますが、わからなくては、議論のしようがありません。せめて、意味を知りたいと思います。
カンタータの講演会では、話の後に三澤さんとの対談が設定され、そのあとにフロアとの質疑応答というプログラムが組まれていました。質問をいただくというのは本当にいいですね。話が深められ、聴衆の方々と、一体感をもつことができます。なにしろタイミングが良かった。『魂のエヴァンゲリスト』の改訂作業をしたばかりで、たいていの情報が、新鮮に頭に入っていましたから。バッハを深く聴いておられる方がたくさんいらっしゃることが、質問を受けてみて、実感されます。
知っていること、考えていることを率直にぶつけあう議論の場を大切に思いますが、これも芸術、学問にかかわっていられるからこそでしょうか。政治家でなくてよかったと思います。「政治家は言葉が生命」とする解説も耳にしますが、私は鳩山さんの言葉って、本当にわかりません。「きれいな海を埋め立ててはいけない」といまおっしゃることの意味は何でしょう。自分の正直な感情を、情勢への配慮なしでおっしゃっているのか、あるいは、自分だけいい子になろうとしているのか。意味がわかれば議論が起こりますが、わからなくては、議論のしようがありません。せめて、意味を知りたいと思います。
「あらかわバイロイト」2年目 ― 2010年04月23日 23時41分01秒
先約があるので、と伝えて、今日は会議を休みました。ですからその先約を明らかにすることには差し障りがあるのですが、書くプラスの方を重く見まして・・・。
「あらかわバイロイト」の2年目、《ワルキューレ》を見に行きました。友人のバリトン歌手、今尾滋さんがヘルデン・テノール(!)としてデビューすることになっていたので、応援を約束していたからです。
これが、なかなか良かったのですよ。会場のサンパール荒川というのは、下町の匂いが会場内に漂っているようなところで、何となく、昔の映画館にいるよう。ここでワーグナーの超大作を上演することはそれ自体無謀とも思えることなのですが、ハードルが低い分親しみやすい、という側面も、たしかにある。最初、貧弱な寄せ集めに思えたオーケストラも第2幕に入ると鳴りがよくなり、金管などなかなか。歌い手も、「いかにもワーグナー」という人は少ないのですが、善戦健闘、よく勉強されています。
ワーグナーの音楽は、作曲家の明確で強い表現意欲が100%音として実現されている、音楽史上まれな例だと思います。こういう音楽は、演奏が多少及ばずとも、作品のもつ独創性、卓越性は、しっかり伝わる。ですから私は、ことワーグナーの公演に関しては、演奏のレベルを問わず、一定の感銘を受けます。今日の公演からも、《ワルキューレ》のすばらしさは、十分に伝わってきました。
ここまで作り上げることの困難は想像に余りありますが、外国の名歌手をずらりと並べたリッチな公演より、こうした手作り公演の方が必ずや有意義で、後に残るものであると確信します。今尾さん、朗々たる高音で、これからのワーグナー公演に、欠かせぬ方になりそうです。
「あらかわバイロイト」の2年目、《ワルキューレ》を見に行きました。友人のバリトン歌手、今尾滋さんがヘルデン・テノール(!)としてデビューすることになっていたので、応援を約束していたからです。
これが、なかなか良かったのですよ。会場のサンパール荒川というのは、下町の匂いが会場内に漂っているようなところで、何となく、昔の映画館にいるよう。ここでワーグナーの超大作を上演することはそれ自体無謀とも思えることなのですが、ハードルが低い分親しみやすい、という側面も、たしかにある。最初、貧弱な寄せ集めに思えたオーケストラも第2幕に入ると鳴りがよくなり、金管などなかなか。歌い手も、「いかにもワーグナー」という人は少ないのですが、善戦健闘、よく勉強されています。
ワーグナーの音楽は、作曲家の明確で強い表現意欲が100%音として実現されている、音楽史上まれな例だと思います。こういう音楽は、演奏が多少及ばずとも、作品のもつ独創性、卓越性は、しっかり伝わる。ですから私は、ことワーグナーの公演に関しては、演奏のレベルを問わず、一定の感銘を受けます。今日の公演からも、《ワルキューレ》のすばらしさは、十分に伝わってきました。
ここまで作り上げることの困難は想像に余りありますが、外国の名歌手をずらりと並べたリッチな公演より、こうした手作り公演の方が必ずや有意義で、後に残るものであると確信します。今尾さん、朗々たる高音で、これからのワーグナー公演に、欠かせぬ方になりそうです。
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