学んだこと ― 2012年01月07日 23時48分44秒
新年早々の難関と認識していた6日、7日の講演3連チャン、乗り切りました!前門の虎、後門の狼といいますが、虎に当たる、日本合唱指揮者協会の講演についてご報告します。
一番前で聴いていた音楽学出身の弟子に「先生、緊張していましたね」と見破られたほど、じつは緊張していました。専門家の方々の前で「バッハ研究家の指揮者論」などというテーマを掲げてしまい、「釈迦に説法」という言葉がたえず脳裏に浮かんでいたからです。総会開催中待機していましたが、ふと気がつくと、靴下のくるぶしのところに、大穴が開いている(汗)。犬の顔を思い浮かべ、弱ったなあと思いましたが、そこで皆様、私の理論です!これはツキを温存する、吉兆なのではないか。いずれにせよ、穴が見えないように立ちまわらなくてはなりません。
準備は、音源や映像に至るまでしっかり済ませてあり、プリントも配布。そこで話を始めました。しかしその内容というのが私の最近の考えを反映していて、カリスマ指揮者対オーケストラという20世紀的形態に対する疑問が、随所に反映されているのですね。「指揮者の功罪」とか、「モーツァルトの協奏曲に指揮者は必要か」といった項目が出てきます。こんなこと言っちゃっていいのかなあ、と絶えず思うのですが、舌鋒がどんどん鋭くなって、ブレーキが利かない(笑)。今から考えると、聞き手の方々に乗せられていたのだと思います。私の論点には皆さんすでに意識をもたれていて、食い入るように、聞いてくださったのです。
終了後、人生でもそう何度もなかったと思われる、長く心のこもった拍手をいただきました。感激。懇親会で先生方とお話しし、私が気づかなかったことも、いろいろと勉強できました。で、本当に思ったのは、こうした講演のときにはやはり自分の問題意識を率直にぶつけるべきだ、ということ。当たり障りなくエールを贈るより、絶対そのほうがいいですね。問題提起をすることで始まる議論が大切だし、そういう内容を求めて、皆さん付き合ってくださっているとわかりました。
その意味では、聞いてくださった方々のお力で、盛り上げていただいたと思っています。先に向けて、勇気を得ました。
一番前で聴いていた音楽学出身の弟子に「先生、緊張していましたね」と見破られたほど、じつは緊張していました。専門家の方々の前で「バッハ研究家の指揮者論」などというテーマを掲げてしまい、「釈迦に説法」という言葉がたえず脳裏に浮かんでいたからです。総会開催中待機していましたが、ふと気がつくと、靴下のくるぶしのところに、大穴が開いている(汗)。犬の顔を思い浮かべ、弱ったなあと思いましたが、そこで皆様、私の理論です!これはツキを温存する、吉兆なのではないか。いずれにせよ、穴が見えないように立ちまわらなくてはなりません。
準備は、音源や映像に至るまでしっかり済ませてあり、プリントも配布。そこで話を始めました。しかしその内容というのが私の最近の考えを反映していて、カリスマ指揮者対オーケストラという20世紀的形態に対する疑問が、随所に反映されているのですね。「指揮者の功罪」とか、「モーツァルトの協奏曲に指揮者は必要か」といった項目が出てきます。こんなこと言っちゃっていいのかなあ、と絶えず思うのですが、舌鋒がどんどん鋭くなって、ブレーキが利かない(笑)。今から考えると、聞き手の方々に乗せられていたのだと思います。私の論点には皆さんすでに意識をもたれていて、食い入るように、聞いてくださったのです。
終了後、人生でもそう何度もなかったと思われる、長く心のこもった拍手をいただきました。感激。懇親会で先生方とお話しし、私が気づかなかったことも、いろいろと勉強できました。で、本当に思ったのは、こうした講演のときにはやはり自分の問題意識を率直にぶつけるべきだ、ということ。当たり障りなくエールを贈るより、絶対そのほうがいいですね。問題提起をすることで始まる議論が大切だし、そういう内容を求めて、皆さん付き合ってくださっているとわかりました。
その意味では、聞いてくださった方々のお力で、盛り上げていただいたと思っています。先に向けて、勇気を得ました。
1月のイベント ― 2012年01月05日 22時24分46秒
『バッハとその時代』の原稿、なんとか仕上げました。最後だと思うせいでしょうか、自分としては、盛り上がるものがありました。でも、講演の準備が・・・ というわけで、今月のイベントをご紹介します。
6日は初仕事。全日本合唱指揮者連盟で、「バッハ研究家の指揮者論」という話をします。釈迦に説法という厳しい条件のもと、どんなことになりますやら・・(辛口になりそうな不安あり)。7日は2つの公開講座。午前中は朝日カルチャー新宿校で、持ちネタの1つ「テノール歌手さまざま」を披露します(10:00から)。午後は14:00から東京バロック・スコラーズ主催の《マタイ受難曲》講座第3回。第1部の音楽を中心に論じます。場所はスコラーズのホームページをご覧ください。
15日(日)はもちろんiBACHの《ロ短調ミサ曲》なのですが、14日(土)18:00から予定している公開ゲネプロがまだ案内されておらず、焦っています。土曜日、ご予定いただいて大丈夫です。
21日(土)は「楽しいクラシックの会」ですが、今回は14:30から。それは立教大学で辻荘一賞の授賞式があるためです。今回は私の敬愛する大角欣矢さんが受賞されましたので、お祝いにかけつけてから「たのくら」にまわります。コンサート後になりますが、《ロ短調ミサ曲》講座の最終回です。
28日(土)は、10:00から朝日新宿校でこだわり入門講座の補講。「音楽史の中の女性」というテーマです(汗)。すぐ横浜校に移動し、13:00から「エヴァンゲリスト」講座で、「妻の楽譜帳--フランス組曲など」という話をします。
あと、私が最後に担当した大学院オペラ専攻の人たちの修了演奏があります。19日(木)13:30からアリア、27日(金)10:00からアンサンブルとなっています。応援よろしく。みんな、がんばってね。
6日は初仕事。全日本合唱指揮者連盟で、「バッハ研究家の指揮者論」という話をします。釈迦に説法という厳しい条件のもと、どんなことになりますやら・・(辛口になりそうな不安あり)。7日は2つの公開講座。午前中は朝日カルチャー新宿校で、持ちネタの1つ「テノール歌手さまざま」を披露します(10:00から)。午後は14:00から東京バロック・スコラーズ主催の《マタイ受難曲》講座第3回。第1部の音楽を中心に論じます。場所はスコラーズのホームページをご覧ください。
15日(日)はもちろんiBACHの《ロ短調ミサ曲》なのですが、14日(土)18:00から予定している公開ゲネプロがまだ案内されておらず、焦っています。土曜日、ご予定いただいて大丈夫です。
21日(土)は「楽しいクラシックの会」ですが、今回は14:30から。それは立教大学で辻荘一賞の授賞式があるためです。今回は私の敬愛する大角欣矢さんが受賞されましたので、お祝いにかけつけてから「たのくら」にまわります。コンサート後になりますが、《ロ短調ミサ曲》講座の最終回です。
28日(土)は、10:00から朝日新宿校でこだわり入門講座の補講。「音楽史の中の女性」というテーマです(汗)。すぐ横浜校に移動し、13:00から「エヴァンゲリスト」講座で、「妻の楽譜帳--フランス組曲など」という話をします。
あと、私が最後に担当した大学院オペラ専攻の人たちの修了演奏があります。19日(木)13:30からアリア、27日(金)10:00からアンサンブルとなっています。応援よろしく。みんな、がんばってね。
こんなはずでは・・・ ― 2012年01月03日 22時52分59秒
皆様、三が日はどう過ごされましたか。私は、昨年12月にがんばって山を登り切ったお陰で、何年ぶりかのゆっくりしたお正月を迎えました。気持ちがゆったりすれば、日本のお正月もいいものですね!
と書きたかったのですが、現実はそうなりませんでした。すごい緊張感で大晦日からこの三が日仕事をしていたのは、ここ何年間か、記憶のないほどです。
なぜというに、8人の先生方と共同して行った「バッハとその時代」の授業内容を、本にしようというプロジェクトが実現したからなのです。他の先生方の原稿は12月半ばにきれいに揃ったのですが、私は一文字も書かないうちに、年末を迎えてしまいました。しかも14回のうち5回を私が担当したので、書かなければいけない原稿が、400字で125枚もあるのです。1月の8日が絶対のタイムリミット、ということで、必死の3が日となったのでした。メドはつきましたが、まだできていません。ほかにもいろいろ仕事がありますので、当分、この調子が続きそうです。
年賀状を、たくさんいただいています。でもこうした状況なので、今年は年賀状を失礼することにしました。お読みの方で、送ったよ、という方、申し訳ありません。その代わり、退職の通知をしかるべきタイミングで、賀状をくださったすべての方にお出ししようと思います。その頃には、すっかり余裕のある日々になっていると思うからです。ちなみに書いている原稿は、「バッハの生涯/バッハ研究の問題点」「バッハと音楽、バッハと神」「バッハと流行」「バッハの音楽頭脳」「《ロ短調ミサ曲》~宗派の対立を超えて~」の5本です。
と書きたかったのですが、現実はそうなりませんでした。すごい緊張感で大晦日からこの三が日仕事をしていたのは、ここ何年間か、記憶のないほどです。
なぜというに、8人の先生方と共同して行った「バッハとその時代」の授業内容を、本にしようというプロジェクトが実現したからなのです。他の先生方の原稿は12月半ばにきれいに揃ったのですが、私は一文字も書かないうちに、年末を迎えてしまいました。しかも14回のうち5回を私が担当したので、書かなければいけない原稿が、400字で125枚もあるのです。1月の8日が絶対のタイムリミット、ということで、必死の3が日となったのでした。メドはつきましたが、まだできていません。ほかにもいろいろ仕事がありますので、当分、この調子が続きそうです。
年賀状を、たくさんいただいています。でもこうした状況なので、今年は年賀状を失礼することにしました。お読みの方で、送ったよ、という方、申し訳ありません。その代わり、退職の通知をしかるべきタイミングで、賀状をくださったすべての方にお出ししようと思います。その頃には、すっかり余裕のある日々になっていると思うからです。ちなみに書いている原稿は、「バッハの生涯/バッハ研究の問題点」「バッハと音楽、バッハと神」「バッハと流行」「バッハの音楽頭脳」「《ロ短調ミサ曲》~宗派の対立を超えて~」の5本です。
謹賀新年 ― 2012年01月01日 20時46分23秒
皆様、よい新年をお迎えのことと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。新年の感慨や今年の抱負についてはもう少し先に書こうと思いますが、今日は、明日からさっそく始まる「古楽の楽しみ」年頭分について、ご案内させていただきます。
今週は、バッハの世俗カンタータを特集しました。2日(月)は、ケーテン時代の新年カンタータ《日々と年を作りなす時は》BWV134a(コープマン指揮)と、領主の誕生日祝賀カンタータ《いとも尊きレオポルト殿下よ》BWV173a(レオンハルト指揮)。3日(火)は結婚カンタータの特集で、《消えよ、悲しみの影》BWV202(ソロはナンシー・アージェンタ)と、例の《満ち足りたプライセの町よ》BWV216(リフキン指揮)。4日(水)は《狩のカンタータ》BWV208と、BWV207の抜粋(いずれもレオンハルト指揮)。5日(木)は《コーヒー・カンタータ》全曲(レオンハルト指揮)と《農民カンタータ》の抜粋(アーノンクール指揮)。6日(金)は、《フェーブスとパンの争い》BWV201(ヤーコプス指揮)です。新年にふさわしい快活な作品群ですので、早起きの方はお聴きください。
じつは月曜日の冒頭部分で、ミスを重ねました。《日々と年を》という曲名を最初だけ《日と年を》と言っていたことが判明し、NHKに行って、そこだけ録り直し。と思ったら《いとも尊き》をやはり最初だけ《いとも尊い》を言っていることがわかり、もう一度行って、そこだけ録り直し。冒頭のスピーチはヘンデルの《水上の音楽》に乗せてしゃべっているので、編集が利かないのです。声が、途中から違うと思います(笑)。「ツキの理論」からして、さっそくの厄落としと解釈しています。
月末には「伝バッハ」のカンタータ、フリーデマンのカンタータなど変化球を用意しています。これについては、あらためてご案内しましょう。皆様のよき1年をお祈りします。
今週は、バッハの世俗カンタータを特集しました。2日(月)は、ケーテン時代の新年カンタータ《日々と年を作りなす時は》BWV134a(コープマン指揮)と、領主の誕生日祝賀カンタータ《いとも尊きレオポルト殿下よ》BWV173a(レオンハルト指揮)。3日(火)は結婚カンタータの特集で、《消えよ、悲しみの影》BWV202(ソロはナンシー・アージェンタ)と、例の《満ち足りたプライセの町よ》BWV216(リフキン指揮)。4日(水)は《狩のカンタータ》BWV208と、BWV207の抜粋(いずれもレオンハルト指揮)。5日(木)は《コーヒー・カンタータ》全曲(レオンハルト指揮)と《農民カンタータ》の抜粋(アーノンクール指揮)。6日(金)は、《フェーブスとパンの争い》BWV201(ヤーコプス指揮)です。新年にふさわしい快活な作品群ですので、早起きの方はお聴きください。
じつは月曜日の冒頭部分で、ミスを重ねました。《日々と年を》という曲名を最初だけ《日と年を》と言っていたことが判明し、NHKに行って、そこだけ録り直し。と思ったら《いとも尊き》をやはり最初だけ《いとも尊い》を言っていることがわかり、もう一度行って、そこだけ録り直し。冒頭のスピーチはヘンデルの《水上の音楽》に乗せてしゃべっているので、編集が利かないのです。声が、途中から違うと思います(笑)。「ツキの理論」からして、さっそくの厄落としと解釈しています。
月末には「伝バッハ」のカンタータ、フリーデマンのカンタータなど変化球を用意しています。これについては、あらためてご案内しましょう。皆様のよき1年をお祈りします。
送る2011年 ― 2011年12月31日 10時38分14秒
大晦日ですね。皆様忙しくお過ごしのことでしょう。今年もお世話になりました。このブログを支えてくださった皆様、とくに心温まるコメントを書きこんでくださった方々に、厚く御礼申し上げます。大震災の克服にはまだまだ時間がかかりそうですが、その少しでも早からんことを、皆様とご一緒に祈りたいと思います。
例年自分にとっての1年のまとめをベストテン形式でやっていますが、今年は順不同で回顧させていただきます。
4月に65歳となり、秋には、生きている時間がバッハより長くなりました。やや下降感がありますが全体として元気に過ごせましたので、それを1とします。同時に今年は、音楽大学勤務の最後の年。受講生にも恵まれて、授業も満足して終えることができました。まだ残務処理が残っていますが、一応完走と考え、2とします。同僚の方々との楽しいコンサートも、ここに含めます。
研究面においては、なんといっても《ロ短調ミサ曲》との取り組みに時間を費やし、大きな勉強をしました。その成果はヴォルフ先生の著作の翻訳出版なので、これを3とします。先生にご協力いただいているいずみホールのオルガン・シリーズが好調を維持しているのも嬉しく、これが4。いずみホールの仕事はスタッフの努力に支えられているのですが、その成果として大阪市民表彰をいただいたことが5です。ありがとうございました。
個人的にきわめて大きいのは、モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の東京公演が5月に国分寺で実現できたことです。このすばらしい思い出が、6。この公演は、私が出講している立川の「楽しいクラシックの会」25周年記念のイベントでした。25年間も支えてくれている方々に感謝しつつ、これを7とします。《ポッペアの戴冠》はもともと須坂で実現した企画ですが、すざかバッハの会の連続公演は今年も続き、シリーズの締めとなる12月のコンサートは、とくに印象深いものとなりました。これが8です。
NH<の「古楽の楽しみ」は2年目に入り、バッハを中心に、モンテヴェルディ特集も行いました。これを9とし、新しい仕事としてサントリー芸術財団の理事にしていただいたことを10として加えると、ほかにもいろいろ、思い出深いイベントや出会いがあったことが思い起こされます。学会の活動、短期・単発の講演、新聞批評の仕事、文化庁の仕事などなど、いろいろな方と仕事をさせていただきました。
こう書いているうちに、来年もがんばらなくては、という思いが強くなって来ました。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
例年自分にとっての1年のまとめをベストテン形式でやっていますが、今年は順不同で回顧させていただきます。
4月に65歳となり、秋には、生きている時間がバッハより長くなりました。やや下降感がありますが全体として元気に過ごせましたので、それを1とします。同時に今年は、音楽大学勤務の最後の年。受講生にも恵まれて、授業も満足して終えることができました。まだ残務処理が残っていますが、一応完走と考え、2とします。同僚の方々との楽しいコンサートも、ここに含めます。
研究面においては、なんといっても《ロ短調ミサ曲》との取り組みに時間を費やし、大きな勉強をしました。その成果はヴォルフ先生の著作の翻訳出版なので、これを3とします。先生にご協力いただいているいずみホールのオルガン・シリーズが好調を維持しているのも嬉しく、これが4。いずみホールの仕事はスタッフの努力に支えられているのですが、その成果として大阪市民表彰をいただいたことが5です。ありがとうございました。
個人的にきわめて大きいのは、モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の東京公演が5月に国分寺で実現できたことです。このすばらしい思い出が、6。この公演は、私が出講している立川の「楽しいクラシックの会」25周年記念のイベントでした。25年間も支えてくれている方々に感謝しつつ、これを7とします。《ポッペアの戴冠》はもともと須坂で実現した企画ですが、すざかバッハの会の連続公演は今年も続き、シリーズの締めとなる12月のコンサートは、とくに印象深いものとなりました。これが8です。
NH<の「古楽の楽しみ」は2年目に入り、バッハを中心に、モンテヴェルディ特集も行いました。これを9とし、新しい仕事としてサントリー芸術財団の理事にしていただいたことを10として加えると、ほかにもいろいろ、思い出深いイベントや出会いがあったことが思い起こされます。学会の活動、短期・単発の講演、新聞批評の仕事、文化庁の仕事などなど、いろいろな方と仕事をさせていただきました。
こう書いているうちに、来年もがんばらなくては、という思いが強くなって来ました。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
幅2メートルを超える空間 ― 2011年12月29日 12時28分08秒
部屋にも、玄関にも荷物、書類、本その他が積み上がっていた、わが家の師走。日曜日に荷物を開き、本を移動させ、といった整理作業をしました。
最大の問題は、全29巻に及ぶMGG音楽大辞典の新版を購入したことです。、その幅2メートル超。大学の図書館から遠ざかることも考慮して買いましたが、本、楽譜、CD、DVD、などで乱戦状態の私の書斎にどうしたらそんなものが入り込めるのか、とうていあり得ないことと思われます。
要するに、今部屋に置いてあるものの量を、大幅に減らさなくてはならない。熟慮の上断行したのは、専門から離れた文献をことごとく物置にもってゆくことでした。それらは授業のために必要なものであり、自分の仕事には直接かかわらないからです。楽譜の中では、オペラのヴォーカル・スコアを整理対象にしました。こうして、書斎におけるバッハのシェアが、一層高まりました。
これで落着、とはいきません。最大の問題は、大学の研究室に残してある本や書類が、まだ相当あることです。スリムな書斎を夢見て、来年、整理を進めます。
最大の問題は、全29巻に及ぶMGG音楽大辞典の新版を購入したことです。、その幅2メートル超。大学の図書館から遠ざかることも考慮して買いましたが、本、楽譜、CD、DVD、などで乱戦状態の私の書斎にどうしたらそんなものが入り込めるのか、とうていあり得ないことと思われます。
要するに、今部屋に置いてあるものの量を、大幅に減らさなくてはならない。熟慮の上断行したのは、専門から離れた文献をことごとく物置にもってゆくことでした。それらは授業のために必要なものであり、自分の仕事には直接かかわらないからです。楽譜の中では、オペラのヴォーカル・スコアを整理対象にしました。こうして、書斎におけるバッハのシェアが、一層高まりました。
これで落着、とはいきません。最大の問題は、大学の研究室に残してある本や書類が、まだ相当あることです。スリムな書斎を夢見て、来年、整理を進めます。
東海道五拾三次 ― 2011年12月26日 09時37分27秒
いまサントリー美術館で、広重「東海道五拾三次」の展覧会をやっています(1月15日まで)。すばらしい展示ですのでご覧ください。宿場1つに対して2つか3つの絵がありますから、1分ずつ見るとしても、できれば2時間欲しいところです。
私の一番大きな感想は、まだ200年も経っていないのに、なんと世界は変わったのか、ということです。豊かな自然の中を徒歩で歩き、ところどころに宿場が出てくる、というのと、コンクリートの街並みを車が行き交い、新幹線まで走っている、というのとの違い。一生に一度伊勢神宮や京都を訪れる旅に価値を置く時代と、地球レベルで移動ができ、世界の映像や知識をいながらにして得られる時代の違い。どちらが幸福なのでしょうか。また、たかだか200年弱でこんなに変わるのであれば、この先どんな世界が、人間を待っているのでしょうか。昔の旅人の感性を失いたくないなあ、と思います。
世界の映像ですが、NHKで放映された青ナイルの源流を訪ねる旅には圧倒されました。エチオピア高原の緑豊かな大景観に接し、アイーダの〈おおわが故郷〉というアリアの意味がよくわかりました。
私の一番大きな感想は、まだ200年も経っていないのに、なんと世界は変わったのか、ということです。豊かな自然の中を徒歩で歩き、ところどころに宿場が出てくる、というのと、コンクリートの街並みを車が行き交い、新幹線まで走っている、というのとの違い。一生に一度伊勢神宮や京都を訪れる旅に価値を置く時代と、地球レベルで移動ができ、世界の映像や知識をいながらにして得られる時代の違い。どちらが幸福なのでしょうか。また、たかだか200年弱でこんなに変わるのであれば、この先どんな世界が、人間を待っているのでしょうか。昔の旅人の感性を失いたくないなあ、と思います。
世界の映像ですが、NHKで放映された青ナイルの源流を訪ねる旅には圧倒されました。エチオピア高原の緑豊かな大景観に接し、アイーダの〈おおわが故郷〉というアリアの意味がよくわかりました。
今月のCD/DVD ― 2011年12月24日 23時19分50秒
OPUS ARTEのDVDを国内発売しているデノンから、ブルーレイのシリーズが始まりました。《椿姫》、《ヘンゼルとグレーテル》、《ラ・ボエーム》の3点(英ロイヤル・オペラのライヴ)がまず出ましたが、ブルーレイは快適ですねえ。映像も音も、格段によく、進化を実感します。
3つとも、正統的な演出による美しい舞台で楽しめますが、《椿姫》と《ヘンゼルとグレーテル》がとくに、甲乙付けがたい出来栄えです。新聞の1位には《椿姫》を入れましたが、それは、この耳にたこができるほど聴いている作品を、やはり名作だなあと、しみじみ思ったから。フレミング、カレヤ、ハンプソンというキャスティングは伊達ではなく、パッパーノの指揮にも熱い勢いがあります。しかし、キルヒシュラーガー、ダムラウ、トーマス・アレンと揃えたフンパーディンクも、長老デイヴィスの名指揮を得て、劣らぬ出来になっています。
第2位は、エレーヌ・グリモーのモーツァルトのピアノ協奏曲第19番と第23番(+コンサート・アリア)。クリスタルな煌きのモーツァルトですが、独創的なスピリットにあふれていて、バイエルンの室内オケとのコラボレーションも緊密。指揮者なしの演奏のよさを、ますます感じるようになりました。
もう1枠は、藤原道山さんの尺八をウィーンのシュトイデ弦楽四重奏団による、「FESTA」というCDです。バッハの管弦楽組曲第2番の抜粋が入っていますが、トラヴェルソとまったく遜色のない妙技で驚きました。音感といいフィーリングといい、西洋音楽のエッセンスが完全に踏まえられているのです。興味本位のコラボをはるかに超えた、本格的なアンサンブルです。
3つとも、正統的な演出による美しい舞台で楽しめますが、《椿姫》と《ヘンゼルとグレーテル》がとくに、甲乙付けがたい出来栄えです。新聞の1位には《椿姫》を入れましたが、それは、この耳にたこができるほど聴いている作品を、やはり名作だなあと、しみじみ思ったから。フレミング、カレヤ、ハンプソンというキャスティングは伊達ではなく、パッパーノの指揮にも熱い勢いがあります。しかし、キルヒシュラーガー、ダムラウ、トーマス・アレンと揃えたフンパーディンクも、長老デイヴィスの名指揮を得て、劣らぬ出来になっています。
第2位は、エレーヌ・グリモーのモーツァルトのピアノ協奏曲第19番と第23番(+コンサート・アリア)。クリスタルな煌きのモーツァルトですが、独創的なスピリットにあふれていて、バイエルンの室内オケとのコラボレーションも緊密。指揮者なしの演奏のよさを、ますます感じるようになりました。
もう1枠は、藤原道山さんの尺八をウィーンのシュトイデ弦楽四重奏団による、「FESTA」というCDです。バッハの管弦楽組曲第2番の抜粋が入っていますが、トラヴェルソとまったく遜色のない妙技で驚きました。音感といいフィーリングといい、西洋音楽のエッセンスが完全に踏まえられているのです。興味本位のコラボをはるかに超えた、本格的なアンサンブルです。
海鮮丼 ― 2011年12月23日 15時19分25秒
おいしいお店のバラエティをもちたいと考えて、意識的に、新しいお店に入るようにしています。ターゲットの1つが、海鮮丼。いいお店を見つけました。
渋谷の宇田川町、NHKへの行き帰りに便利なところにある「磯丸水産」です。漁師小屋のような野性味のある店内が面白く、砕けた雰囲気の中で、威勢のいい声が飛び交っています。女の子のきびきびしたもてなしも、とても好感がもてます。
お寿司などいろいろなメニューがありますが、私が気に入ったのは「磯丸丼」。芽かぶをベースに、まぐろ、サザエ、イカ、いくらなどが入ったいかにも海の味で、たっぷりの味噌汁を加えて800円。ネットで調べるとあちこちにお店があるようですので、通ってみたいと思います。
〔付記〕24日の土曜日、川崎店で「上ちらし丼」を食べました。豪快な海の味、ぜひお薦めします。
渋谷の宇田川町、NHKへの行き帰りに便利なところにある「磯丸水産」です。漁師小屋のような野性味のある店内が面白く、砕けた雰囲気の中で、威勢のいい声が飛び交っています。女の子のきびきびしたもてなしも、とても好感がもてます。
お寿司などいろいろなメニューがありますが、私が気に入ったのは「磯丸丼」。芽かぶをベースに、まぐろ、サザエ、イカ、いくらなどが入ったいかにも海の味で、たっぷりの味噌汁を加えて800円。ネットで調べるとあちこちにお店があるようですので、通ってみたいと思います。
〔付記〕24日の土曜日、川崎店で「上ちらし丼」を食べました。豪快な海の味、ぜひお薦めします。
「授業」の終わり ― 2011年12月21日 12時51分24秒
19日(月)で、すべての授業が終わりました。最後は総合ゼミと呼ばれる合同授業の司会でしたが、午前中は大学院の音楽美学で、これはとくに印象深いものとなりました。そこで、思い出を記しておきたいと思います。
私は音楽美学の担当者として大学に呼ばれましたので、一番重要なのは、本来、音楽美学系の授業でした。しかし学生たちの興味やニーズに合わせて講義することがむずかしく、わかりやすくしかも内容のある授業をどうしたらできるか、苦労しました。とくに困ったのが、大学院です。院ともなれば少し本格的にやりたいが、受講する学生にはその用意がない、という状況になりがちだったからです。
最後ぐらいは直球で、と思っていた今年、願ってもない受講生に恵まれました。まれにみる哲学能力をもつ男子学生(音楽学)と、声楽だが理解力のとても高い女子学生。そこに、一般大学の博士課程に席を置く聴講生(最終段階ではさらに、研究会を幅広く主催する碩学の卒業生)が加わったのです。そこでようやく、前期カント、後期ヘーゲルを材料とする授業が可能になりました。
私自身がたいへん勉強になり、もっと早くやるべきだったかとも思いますが、最後にこのようにできたことを感謝するべきでしょう。後期は、私がテキストの要所を抜粋・編集し、必要に応じて原語を添えたプリントを配布。それを読み合わせてからディスカッションする、という方法で進めました。その準備のため、日曜日が制約されたのはやむを得ません。諸芸術を概観したあと音楽の章を少し詳しく扱い、文学の章は展望したのみで、タイムリミットになりました。
ベースに使ったのは長谷川宏さんの訳された『美学講義』ですが、この訳に対するこちらの対応にも弁証法的発展があるのだから、面白いものです。この訳はきわめてこなれていて、少し慣れると、かなりむずかしい部分でも、スーッと入ってくる。大したものです。しかしちょっとひっかかるところ、正確に確かめたいところで原文と対比すると、その思い切った意訳に驚き、しばしば、このドイツ語がなんでこういう日本語になるのだろう、と考えこむ。自分流に訳し直してみたところも、少しあります。しかし何度かそういうことやっているうちに、飛躍しているように見える訳文にもそれなりの根拠があることがわかってきて、なるほどそれもありか、と再評価する。わかりやすい訳をありがたく使わせていただきながら適宜原文を参照するのが、結局便利なやり方であることがわかりました。これだけの本、訳文がすべてを伝えることは望めません。
前期のカントでは、違う経験をしました。何種類かの訳を調べましたが、みな、ドイツ語の概念に日本語の概念を1対1で対応させるという、アカデミックな直訳方式です。したがって訳の互いに相違する範囲が限定されていて、結局どれもむずかしい。原文がいちばんわかりやすい、と言ってもいいほどで、やはり原文なしでは読むことができません。(どなたか、カントを思い切り意訳して、大事なところは大筋で平易に理解できるようにする、という試みをされないものでしょうか。研究者としてはとてもやりにくいことではありますが。)
月曜日の朝いつも面白いなあと思っていたのは、男女の見かけの差異です。すなわち、紅一点の方の外見が、残りの人たちを、何もそこまで、というほど引き離しているのです。これって納まりのいい形だし、男性たちもそこにモチベーションを見出しているように見受けたのですが(反論があればどうぞ)、いつも私は洒落たことわざを脳裏に浮かべては、微笑ましく思っていたのでした。
私は音楽美学の担当者として大学に呼ばれましたので、一番重要なのは、本来、音楽美学系の授業でした。しかし学生たちの興味やニーズに合わせて講義することがむずかしく、わかりやすくしかも内容のある授業をどうしたらできるか、苦労しました。とくに困ったのが、大学院です。院ともなれば少し本格的にやりたいが、受講する学生にはその用意がない、という状況になりがちだったからです。
最後ぐらいは直球で、と思っていた今年、願ってもない受講生に恵まれました。まれにみる哲学能力をもつ男子学生(音楽学)と、声楽だが理解力のとても高い女子学生。そこに、一般大学の博士課程に席を置く聴講生(最終段階ではさらに、研究会を幅広く主催する碩学の卒業生)が加わったのです。そこでようやく、前期カント、後期ヘーゲルを材料とする授業が可能になりました。
私自身がたいへん勉強になり、もっと早くやるべきだったかとも思いますが、最後にこのようにできたことを感謝するべきでしょう。後期は、私がテキストの要所を抜粋・編集し、必要に応じて原語を添えたプリントを配布。それを読み合わせてからディスカッションする、という方法で進めました。その準備のため、日曜日が制約されたのはやむを得ません。諸芸術を概観したあと音楽の章を少し詳しく扱い、文学の章は展望したのみで、タイムリミットになりました。
ベースに使ったのは長谷川宏さんの訳された『美学講義』ですが、この訳に対するこちらの対応にも弁証法的発展があるのだから、面白いものです。この訳はきわめてこなれていて、少し慣れると、かなりむずかしい部分でも、スーッと入ってくる。大したものです。しかしちょっとひっかかるところ、正確に確かめたいところで原文と対比すると、その思い切った意訳に驚き、しばしば、このドイツ語がなんでこういう日本語になるのだろう、と考えこむ。自分流に訳し直してみたところも、少しあります。しかし何度かそういうことやっているうちに、飛躍しているように見える訳文にもそれなりの根拠があることがわかってきて、なるほどそれもありか、と再評価する。わかりやすい訳をありがたく使わせていただきながら適宜原文を参照するのが、結局便利なやり方であることがわかりました。これだけの本、訳文がすべてを伝えることは望めません。
前期のカントでは、違う経験をしました。何種類かの訳を調べましたが、みな、ドイツ語の概念に日本語の概念を1対1で対応させるという、アカデミックな直訳方式です。したがって訳の互いに相違する範囲が限定されていて、結局どれもむずかしい。原文がいちばんわかりやすい、と言ってもいいほどで、やはり原文なしでは読むことができません。(どなたか、カントを思い切り意訳して、大事なところは大筋で平易に理解できるようにする、という試みをされないものでしょうか。研究者としてはとてもやりにくいことではありますが。)
月曜日の朝いつも面白いなあと思っていたのは、男女の見かけの差異です。すなわち、紅一点の方の外見が、残りの人たちを、何もそこまで、というほど引き離しているのです。これって納まりのいい形だし、男性たちもそこにモチベーションを見出しているように見受けたのですが(反論があればどうぞ)、いつも私は洒落たことわざを脳裏に浮かべては、微笑ましく思っていたのでした。
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