ドイツ2016淡々(補遺)~機内の出来事2016年07月08日 09時52分50秒

ライプツィヒからの帰国便は、フランクフルトで乗り継ぎになります。その、フランクフルト行きの便で起こったことです。

小さい飛行機で、前の方は通路を挟んで3席ずつ。私は3Kの航空券をもっていました。窓際です。

1  A B C   H J K
2  A B C   H J K
3  A B C   H J K
4  A B C   H J K

機内に入ってみると、3Kには先客がいました。周囲を見わたすと、A、C、H、Kあたりが、中堅ビジネスマンのような男性で埋まっています。

私はいぶかしく思い、先客に「その席ですか」と尋ねてみました。するとその人は、「4Cに席がある、そこに座ってください」というではありませんか。えっと真意をいぶかり、立ち往生していると、4Kの人が、「あなたは窓際の席に座りたいのか、それなら私が代わりましょう」と言い出しました。

想定外の事態、しかも妙に上からものを言われるので、「事情がわかりません!」と動かずにいると、ややあって3Hの人が「じゃあ、いいよ」という感じで取りなし、3Kの人を移動させた。私が中に入って着席したところ、3Hの人は、「ありがとうVielen Dank」と言いました。え、なぜ「失礼しました」でなく「ありがとう」?

なんとも不可解な事態。もちろんこういうわけだからと説明されていれば、代わっても構わないのです。しかし理由もわからぬままだったので、後味が悪かった。仲裁した人に事情を聞こうかとよほど思いましたが、説明できることなら説明したはずだと思い直し、断念。ではどんなケースがありうるか、考えてみました。

飛行機は定刻の15:00を過ぎても飛ばず、15:20にお客が一人、挨拶しながら入ってきました。この人を待っていたのかと思いましたが、その後もいっこうに飛び立たない。何となく、訳ありの雰囲気です。

想像の1は、布陣していた男性たちが警察で、私の席にいたのが犯人、というもの。窓際に犯人を押し込めたと考えれば筋が通りますが、それなら犯人が私に、席を指示するはずはないでしょう。

想像の2は、男たちは出発後事を起こすべく布陣していて、私が邪魔になっている、というもの。その可能性は低いと思うが、当たっていたらたいへんです。

想像の3は、私の席にいた人が御曹司のような中心人物で、この席に座りたいと言いだし、周囲もそうせざるを得ない、というケース。でも座っていた人よりは仲裁した人の方が、偉いように見えましたね。

飛行機はなかなか離陸せず、いらいらしました。フランクフルト到着も、45分遅れ。事情の説明もとくになく、「乗り継ぎの方は係員にお尋ねください」程度のアナウンスでしたので、到着後、疾走する人が何人もいました。私は出国手続きがあるので並んだらアウトだと心配しましたが、無事通過。それにしても、あれは何だったんでしょうか。

今月の「古楽の楽しみ」2016年07月05日 23時23分35秒

 合唱コンクールに行くとじつに多いのが、〈グローリア〉による自由曲です。賛美のテキストが、現代でなおたくさん作曲され、歌われているんですね。バッハ周辺の探訪を兼ねて、今月は「ドレスデンのグローリア」という特集を組みました。

11日(月)
 グレゴリオ聖歌 キリエ&グローリア ソレム聖歌隊
 シュッツ リタニア ラーデマン指揮 ドレスデン室内合唱団
 ハスラー ミサ《ディクシト・マリーア》から ヘレヴェッヘ指揮
 ハイニヒェン ミサ曲第11番から、第12番から ラーデマン
  2つのオーボエのための協奏曲ホ短調 フィオリ・ムジカーリ 
(〈キリエ〉が先行してこその〈グローリア〉ですので、まず〈キリエ〉から出発しました。ちょうど、ソレム聖歌隊の全集を安く入手。これを使いました。シュッツはラーデマンの全集に含まれるもので、典礼グローリアではなく、リタニアです。偽作説もある曲ですが、美しさにうっとりしてしまいます。
 ハスラーはドレスデンで最後を飾った人ですが、ドレスデン・グローリアの盛期は、まさにバッハの時代。その先陣を切ったハイニヒェンのグローリア2曲と、器楽曲を最後に置きました。なかなかの曲で、バッハに似ているところがけっこうあります。)

12日(火)
 ロッティ 《聖クリストフォリのミサ曲》から パーマー
       《叡智のミサ曲》から ヘンゲルブロック
 ヘンデル トリオ・ソナタト短調、同ホ長調から アンサンブル・ディドロ
 (ハイニヒェン時代の花形は、ヴェネツィアからやってきたロッティでした。彼のミサ曲は、ゼレンカの編纂によってドレスデンに伝えられています。ヘンデルの作品は、ドレスデンの祝祭のために書かれたのではないかと推測されているもの。ヘンゲルブロック以外は最新録音です。)

13日(水)
 バッハ 《ロ短調ミサ曲》から ラーデマン
 (ドレスデン・パート譜によるラーデマンの演奏をご紹介し、残り時間に、自筆スコア版との比較を入れました。二重唱のスコア版はラーデマン盤の付録から、バス・アリアと最終合唱は、ガーディナーです。)

14日(木)
 ゼレンカ 《御子のミサ曲》から ベルニウス
       《父なる神のミサ曲》から〈ドミネ・フィリ〉 ベルニウス
 ナウマン ミサ曲第18番から コップ指揮 新ケルナー歌唱協会
 (締めはやっぱりゼレンカ。最後に、古典派のナウマンを加えました。)

6月のCD2016年07月04日 03時29分16秒

後追いになりましたが、先月のCDから目についたもののご紹介です。

私はバッハに入る前、ロマン派のスタンダード・ナンバーを、レコードを買っては聴いていました。その中にあったのが、オーマンディとフィラデルフィア管による、チャイコフスキー《白鳥の湖》の抜粋版でした。覚えるほど聴いたものです。

それをありありと思い出した新譜が、クリスティアン・ヤルヴィ指揮、グシュタード音楽祭管弦楽団による《白鳥の湖》組曲(ソニー、2,600円+税)です。売り出し中の指揮者、クリスチャン・ヤルヴィが開始したチャイコフスキー・プロジェクトの第2弾で、彼自身が編集・編曲を行っています。

いささか強引なダイジェストなのでバレエをやる方にはお薦めできないでしょうが、名旋律がことごとく網羅されていて起伏豊か。バレエの軽快な感覚が伝わってきて、楽しさ満点です。

もう《白鳥》は卒業したよ、という方もいらっしゃることでしょう。そうした方々には、同プロジェクト第1弾の劇音楽《雪娘》があります。あまり演奏されない初期作品ですが(歌も入る)、ロシア情緒に満ちており、ヤルヴィが意欲的に再現しています。

古楽ファンには、渡邊順生さんが新たに録音された「フレスコバルディ/フローベルガー・チェンバロ作品集」(ALM)をお薦めしましょう。深い作品理解で弾かれたフローベルガーの詠嘆が、日本人の心に染みてくるはずです。

7月のイベント2016年07月01日 07時44分41秒

少し旅の疲れが取れてきたかな、というところで、今月のご案内です。今月は、モーツァルト色が濃厚です。

2日(土)13:00~15:00 朝日カルチャーセンター横浜校のモーツァルト/交響曲講座。今月は《ハフナー》と《リンツ》について、曲の性格に分け入る形でご説明します。次が30日(土)で、《プラハ》(と第37番)がテーマになります。

6日、20日(水)10:00~12:00は朝日カルチャーセンター新宿校のワーグナー講座。時間をかけた《パルジファル》が終わり、残された《さまよえるオランダ人》を、オファーにより取り上げます。6日が総論、20日が序曲と第1幕です。

同じ6日、20日(水)の13:00~15:00は、同じ新宿校で、バッハのリレー演奏講座です。いろいろな曲を取り上げていましたが、その間に有名曲の新録音がいくつも出てきましたので、それらを特集します。今月は《ロ短調ミサ曲》で、ラーデマン、ガーディナー、ヘレヴェッヘを中心に取り上げます。

9日(土)10:30~12:30は、朝日カルチャーセンターの立川校(駅ビル内)で、モーツァルトの単発講座をやります。タイトルは「書き直される晩年」。新しい研究による通念の見直しを、要領よくまとめてお話ししたいと思っています。

16日(土)10:00~12:00は、「楽しいクラシックの会」(立川市錦学習館)のオペラ・シリーズで、ロッシーニ《セビリャの理髪師》第2回です。

23日(土)14:00~16:30は、日本モーツァルト愛好会で講演します。テーマは「モーツァルトはヘンデルから何を学んだか」。場所は芝公園の機械振興会館です。

「古楽の楽しみ」は11~14日です。あらためてご案内します。

ドイツ2016淡々(12)~その顛末2016年06月29日 22時11分42秒

安定感のある旅程を淡々とこなすに至った、私の旅。今日(24日、金)は15時に帰国便に乗りますが、まだ油断はできません。ライプツィヒ空港から相当離れたところにいますので、列車が遅れても間に合うよう、時間の余裕を持たなくてはならないからです。

早く起き、ヴォルフェンビュッテルを散歩。町並みも美しいが、その公園もまた美しく、すぐに足を伸ばせます。森、池、鴨の景観をどうぞ。また来たいです。




私は今回、とくに慎重な旅を心がけました。いつも、3つのものを持っているかどうか、確認していた。1にパスポート、2に財布、3にホテルの鍵です。清算を無事済ませ、ICで移動中ふと気がついたのは、そういえばコインロッカーの鍵、トランクの鍵はどこにあったかな、ということ。トランクの鍵はポケットに発見しましたが、コインロッカーの鍵が見つかりません。

記憶を呼び起こしてみると、鍵ではなく、紙片だったようです。その確認を、一度もしていませんでした。あっと思ったのは、荷造りした時に、取っておくものと必要ないものを分け、入場券の類を捨てたことです。その中にあったらたいへん。あわてて荷物の中を探しました。

なかなか見つかりませんでしたが、領収書群の中から発見。これにはほっとしましたね。列車ははたして1時間遅れましたが、余裕で到着。コインロッカーから荷物を引き出した達成感は、絶大でした。ただ、ライプツィヒからフランクフルト行きの飛行機も、45分遅れた。乗り継ぎ時間が短かっただけに、これには時計とにらめっこで心配しました。

フランクフルト空港のラウンジで最後の白ビールを飲み、リラックスして、帰国便に乗車しました。いい旅行だったなあ、という思いを噛みしめつつ。

「待ったあ、そんな旅行じゃ、全然面白くないじゃないの!!」・・・当然出ますよね、その声が。でもどうやら私、学習の果てに、安定感のある旅行を淡々とこなす人間になったようなのです。今までだったら、あいつと旅行にいったらどこに連れて行かれるかわからないよ、と言われても仕方ありませんでした。でもそういう方々とこそ、次回は一緒にご旅行したいと思います。安定感をもって、淡々とご案内いたしますから。

ドイツ2016淡々(11)~シュニットガー・オルガン2016年06月27日 21時16分16秒

ヴォルフェンビュッテルのホテルは、2日間予約しました。研究がどのぐらいかかるかはわからないし、どこに行くかも決められない、と思ったからです。しかし新しいホテルを探して移動するのもストレスですから、滞在を4日に延長。空白日(23日、木)の休暇も、ヴォルフェンビュッテルからの日帰りで企画することにしました。いったんブラウンシュヴァイクに出なくてはならないのが、いつも面倒ではあります。

ノルデンにもフーズムにも行きたいが、遠すぎる。そこで、ハンブルクに行き、シュターデに往復するプランに決定。ハンブルクは3度目かと思いますが、久しぶりです。記憶も定かではありません。町が大きく、活気がありますね。6月ですから明るいし、街行く人の洗練度は、おそらくドイツ随一。教会の尖塔が印象的です。


この左側が聖ヤコービ(ヤコブ)教会で、バッハが1720年にケーテンから、オルガニスト試験に赴いたところ。当然合格しましたが「寄進」を求められて拒絶し、赴任しなかったのはご承知の通りです。ここにあるアルプ・シュニットガーの名器を、バッハはさぞ自分の楽器としたかったことでしょう。3天使の像をあしらい、下に一連の福音書絵画を配したこの楽器は、見るからに貫禄十分です。


音を聴きたかったなあ、と思っていたら、毎週30分の入場無料コンサートが、なんと木曜日の16:00から。そこでシュターデ行きを取りやめて、聴きました。スヴェーリンクのエコー・ファンタジアから始まったコンサートは、演奏者が未熟で楽器の真価を発揮したとは言いがたく、残念でした。

いいオルガンをもつ教会は、どこでもオルガン週間を催します。この教会の今年は、「マティアス・ヴェックマン生誕400年」がテーマ。そうか、ヴェックマンが親しまれているわけですね。


港の方に少し行くと、バッハが伝説的な演奏を聴かせた聖カタリーナ教会があります。ただしここのオルガンは、戦争後に作られた新しい楽器です。


今度はハンブルクに滞在したいなあ、と思いつつ、好きなように遅れるICEに乗ってブラウンシュヴァイクにへ、さらにタクシーでヴォルフェンビュッテルへ。その中華が、ドイツ最後の夕食となりました。

ドイツ2016淡々(10)~小都市にて2016年06月26日 21時08分32秒

ベルリンとライプツィヒでは星5つのホテルをお相伴させていただきましたが、ヴォルフェンビュッテルでは星3つ。4以上のホテルには、ここにはありません。

今回の実例で比較すれば、違いはセキュリティの差ですね。星3つのホテルはその点厳格ではないが、その代わり、気軽に過ごせる。慣れていれば星3つで十分ですが、地方の小都市だからそう言えるのかも知れません。ともあれ長時間の睡眠が取れましたので、体調ははっきり上向きになってきました。

今回の調査は、『ヨハネ受難曲』執筆のために、テキストの問題となる部分がルター正統派ではどう考えられていたかを確認するためのものでした。調査した本は、5冊。17世紀の本というと小さいものと思うかたもおられますが、皮表紙で閉じられた大判の分厚い本で、結構字も細かいので、メガネをはめたり、外したり。日本語でノートを取ると後で疑問が生じますから、面倒でも、ノートパソコンへの書き写しを続けました。

1日やるつもりでも、5時間もやれば疲れてしまいます。無理はせず、終わった後は町を変えて、夕食を摂ることにしました。1日目は、隣の大都市、ブラウンシュヴァイクへ。2度目です。ただこの町は妙にだだっ広く、駅の周辺には何もなくて、旧市街まで歩くのがたいへんです。レストランの多くはサッカー観戦のためドイツ人が鈴なりでしたから、イタリアンで軽く済ませました。

2日目は迷ったあげく、テレマンのいたヒルデスハイムへ。この町はよかったですね。旧市街に風情があり、女性に好まれそうな町並みです。天を突くような教会の下で食事をしましたが、白ワインがよく冷えていておいしかったです。



私の実感。食べ物の好みはそれぞれであるにしても、中華料理のいいお店が1つあると、体調の変化にかかわらず、バランス回復を図ることができます。ヴォルフェンビュッテルにはまさにそういうお店(Wan Bao)があり、昼夜、計4回も通ってしまいました。けっこうがんばったので、残る1日は観光に充てたいと思います。



ドイツ2016淡々(9)~ドイツと向き合う2016年06月25日 20時14分41秒

今回は、月曜日に一行の方々とお別れした後に、自分のための時間を4日分、確保していました。ヴォルフェンビュッテルの図書館で、少なくとも2日を使うつもりです。

しかし体調が安定せず疲れもたまってきたため、もう帰っちゃおうか、という気持ちが生じていました。せっかくの機会ではあるが、調べたいことをもっと整理してから来ても間に合うのかな、と。まあ、怠け癖が頭をもたげたわけです。

多少の金額には目をつぶるつもりだったのですが、調べていただくとチケットの変更は不可能で、天文学的な値段のチケットを新規購入せざるを得ないことが判明。それじゃ残るほかないな、と気持ちを決め、ライプツィヒ=ハレの空港で、皆さんをお見送りしました。大きな荷物をコインロッカーに預けて(便利)、さあ、小旅行に出発です。

ハレで昼食を摂り、ケーテンとマクデブルクを経由するICEで、ブラウンシュヴァイク下車。ここからヴォルフェンビュッテルへは、ゴスラーへ行く列車で一駅です。

一人旅になってから、私の気持ちに、変化が生じてきました。それまで日本人旅行者の一人でしかなかったのがようやくドイツと向き合うようになり、それに伴って、違和感のごときものが、すっと消えていったのです。

ヴォルフェンビュッテルに着き、ドイツでも指折りと思われる静かな町並みの美しさに接すると、この町で図書館に通いつつ過ごした日々がなんとも言えぬ温かみをもって思い出され、幸福感がこみ上げてきました(写真は中央教会)。


宿に荷物を置いて、図書館へ。入稿カードを作り、WEBOpacを検索して、講読を申し込みます。私がいつもここへ来るのはバッハの蔵書があらかた所蔵されているからですが、「アウグスト公図書館」としての古い歴史がありますから、神学書の充実には、目を見張るものがあるのです。

無事準備を済ませ、町を散策すると、私が『マタイ受難曲』の執筆時に泊まった「バイエリッシャーホーフ」という宿(写真下)が健在でした。ここの料理はおいしいので夕食を摂りましたが、またしてもKO。ふらふら宿に戻り、ベッドに倒れ伏しました。



ドイツ2016淡々(8)~光の奇跡2016年06月24日 13時01分25秒


今回の体調不良は、ドイツの食事に身体が対応できなかったことが原因だと思います。19日(日)のお昼、ベトナム系のお店を見つけて塩味のさっぱりした麺を食べ、ああ良かったと思ったら、かえって気分最悪に。今後に自信がなくなり、予定を変更して帰国することを考え始めました。

なんとかがまんして、北方にあるミヒャエル教会(写真)へ。ベルリン・バロック・ゾリステンの「コンチェルトと組曲」と題するコンサートが、ここで開かれました。管弦楽組曲第2番とロカテッリのコンチェルトを聴いたところで引き返したのは、《ロ短調ミサ曲》のプレレクチャーをするため。しかしこの演奏、私には新鮮味が感じられませんでした。

いよいよ、終了コンサートの《ロ短調ミサ曲》です。ウィリアム・クリスティ指揮のレザール・フロリサンはあまりにも有名で、ラモーやヘンデルはすごいし、モーツァルトもやっています。しかしバッハはどうなのでしょう。手持ちのCDにもないですし、やったという話を聞きません。いずれにしろ、ライプツィヒ・バッハ祭のトリということで、意欲的な取り組みだったはずです。

合唱は21名、ソリスト(ソロ専従)4名、管弦楽はヒロ・クロサキさんを筆頭に30名(日本人がもう2名)。けっして大編成ではないですが、引き締まって華のある、すばらしい響きです。〈グローリア〉は、まるで花園。煌々たる光の芸術、といったらいいでしょうか。

ホルン(女性奏者スコットが名演)とファゴットのバス・アリア(アンドレ・モルシュ)が終わり、「聖霊とともにCum Sancto Spiritu」が始まるところでは、天使たちが燦然と出現して地上の歓呼に和すイメージが浮かびました。そうか、〈グローリア〉は冒頭も、羊飼いに天使が出現するテキストですよね。

朗々たる聖歌引用で始まった〈ニカイア信条〉の出色は、中央の〈クルツィフィクスス〉。パッサカリア低音を強調し、テンポを抑えて重厚に進められました。器楽をたっぷり鳴らしていたので、それが沈黙jに転ずる第13変奏(「死」をあらわすとされる部分)が浮かび上がり、ト長調への転調が、意味深く表現された。ソプラノが最後の小節に前打音を付けたのには驚きましたが(「レードシドーシーー」でなく「レードシドードーシ)、たしかにこれもありでしょう。

きびきびと進んで、最後の〈ドーナ・ノ-ビス〉へ。平和の祈りが湧き上がるさ中に、教会のガラスから光が差し、場内が明るく照らし出される一幕が。太陽がちょうどその位置にいて、雲が移動したのだと思いますが、奇跡のように思われた瞬間でした。

平素から、典礼文に則りグレゴリオ聖歌を引用するこの作品にはフランス系の演奏家がアドバンテージをもつ、と申し上げていますが、まさにそのことを裏書きする名演奏で、すばらしい締めくくりになりました。同行の皆様も大いに湧き、やっぱり演奏は大切だ、とおっしゃる方も(注:前日との比較)。ホテルのバーで開いた二次会には多くの方がいらっしゃり、深夜まで、話が盛り上がりました。

ドイツ2016淡々(7)~古都へ2016年06月23日 16時50分13秒


書き忘れましたが、昨日、路上でヴォルフ先生にお会いしました。「クリストフ!変わらないね」「君もだよ、タダシ!」。Duでしゃべると、このように上下がなくなってしまいます。コーヒーを飲もうということになりましたが、今回はスケジュールが合いませんでした。

午後は、オプショナル・ツァー。例年ハレ、ナウムブルク、ヴァイセンフェルスの方角に行くのですが、今回はドレスデンを訪れて、再建された聖母教会で《ロ短調ミサ曲》を聴こう、という計画です。

それならぜひマイセンに寄りましょう、というのが、私の好み。小高いところに聳える大聖堂からのエルベ川の眺め(写真)に、皆さん、歓声を上げておられました。

陶磁器の博物館では、「マイセン焼きのパイプオルガン」を鑑賞。アウグスト侯が望んでできなかった技術が、最近ようやく可能になったのだそうです。「らしい」音は確かにしますが、本格的な演奏は、ペダルが開発されてからでしょう。居並ぶ絢爛豪華、かつ超高価な陶磁器にはあきらめの眼を向けるだけ。しかし購入されてはしゃぐ剛の方々もおられました。

ドレスデンの偉容も、初めての方には印象深かったようです。美麗な聖母教会の中に入るのは、私も始めて。明るく華やかな、バロック様式の内陣です。《ロ短調ミサ曲》の前半は、ご承知のように、ドレスデン選帝侯に捧げられたもの。合唱は聖母教会付属の合唱団、ソリストには大家クラウス・メルテンスの名前も、ということで興味を抱いて出かけましたが、なんと、ガラガラではありませんか。

演奏が始まって、その理由がわかりました。速いテンポで元気よく演奏するが、揃っていないし、一本調子。ひとりメルテンスが、格調高い美声を響かせていたのでした。

ライプツィヒ着は、夜中の12時。へとへとです。しかしホテルのバーは、2時までやっている。ちょっと疲れ安めを、といって結局元気の出てしまうのが、旅というものです(汗)。