仰天の出来事2009年12月30日 15時43分50秒

ビルの高い階で、仕事の打ち合わせをしていました。では1階の会場へ、と担当者と2人で部屋を出たら、廊下の向こうはすっぱりと切れ落ちていて、危なく落ちるところ。私は事なきを得ましたが、勢いよく出てきた担当者は、そのまま落下してしまいました。やや間を置いてから、「ギャッ」という声が聞こえてきました。

ずいぶん具体的な、こわい夢です。これは、昨夜あったことと関係がありそう。昨夜某所で、私よりずっと年配の方とお食事をしました。お酒は、日本酒を少々。楽しく過ごして店を出、タクシーを探しにその場を一瞬離れて戻ってみると、お相手が歩道に仰向けに倒れ、意識混濁の状態になっているではありませんか。仰天した私は、お店の方の助けも借りながら119番しました。

なかなか来ないものですね。一刻千金の思いで待っていると、救急車から電話がかかり、状況を尋ねられました。しかし、拍子抜けするほど、のんびりした調子なのです。切歯扼腕する私に、「両方焦っても仕方ないですから」と、お店の人。たしかに。

私は倒れたところを見ていないので、状況の判断がつきません。到着後、車内で検査が行われ、大丈夫だろう、ということになりました。その後タクシーでお宅までお送りし、何でもなく終わったのですが、びっくりしましたね、ほんとに。ちなみに私は、救急車で運ばれたことは2回ありますが、呼んだのは初めてです。年末、皆様お気を付けください。

〔付記〕友人から、「一刻千金」「切歯扼腕」の使用法はおかしいのではないか、と指摘がありました。「一刻千金」はたしかに変ですね。「一日千秋」というのもあるが、ちょっと違うようです。「切歯扼腕」はいいように思いますがどうでしょう。四字熟語、もう少し勉強します(_ _)。

「めくる」ことの効用2009年12月29日 22時37分50秒

本や楽譜を買うのは、私にとって、仕事の一部です。洋書、洋楽譜はいつも、本郷に店舗をもつ専門店、アカデミア・ミュージックから買っています。アカデミアさんには学会がお世話になっており、私の弟子も複数雇っていただいていますので、他の購入ルートには目もくれず、アカデミアさんを応援しています。

新刊は毎週届きますので、年間の総額が、30万から50万くらいになります。そのほとんどは、いつか必要になるに違いない、と思って確保した本。でも考えてみると、そう思って買い続けるほどには、私の人生に残りがありません。このままでは、死後残されるゴミを増やし続けるだけです。やはり買う以上は活用しないと意味がない、と、はっきり思うようになってきました。

とはいえ、買ったものを全部読むのはとうてい無理です。そこで思い出したのが、昔、恩師の1人である海老澤敏先生が洩らされた言葉。先生は、本を読む以上に、新しい本をめくるのが楽しい、とおっしゃっておられました。これこれ。ここには、読まないまでもめくっておけば、ただ本棚に入れてしまうよりずっといいし、知識の広がりにも役立つ場合がある、という知恵が語られています。

そこでめくってみたのが、ジョン・ライス著『ステージのモーツァルトMozart on the stage』(Cambridge、2009年)という本。モーツァルトのオペラを当時の劇場の実情とからめて論じたもので、委嘱、ギャラ、台本作者、歌手、リハーサル、改訂、宣伝、劇場、舞台装置、聴衆、上演、受容といったキーワードが見て取れます。

めくっただけですから内容紹介はできませんが、目を惹かれた部分があります。それは、モーツァルトのオペラはほとんどカーニバル・シーズンの所産であり、そのことが一般に忘れられている、というくだりです。著者によると、《ドン・ジョヴァンニ》第1幕の舞踏会場面で発せられる「自由万歳 Viva la libertà! 」という言葉は、18世紀のヨーロッパが宗教や道徳の拘束からの自由を満喫したこのシーズンの、モットーであったとか。仮面を付けた人々が階級を超えて社交を楽しむさまに、モーツァルトはイタリア旅行中に遭遇しました。こうした場面は、舞台にも好んで用いられたそうです。

なるほどそう考えると、この場面におけるこの言葉が自然に受け取れますね。もちろん、モーツァルトがこのメッセージに政治性を込めたという広く見られる解釈が、必ずしも否定されるわけではありませんが・・・。

総理はいい人?2009年12月28日 11時21分31秒

学生さんの中には、何もそこまで、と思うぐらい、「いい人」がいます。すばらしい。じゃあ誰がいい人なのか、という話になると必ず問題になるのが、「いい人」の定義です。いま世間で、良かれ悪しかれいい人だ、と言われているのは、鳩山首相ですよね。ああいう人をいい人と言っていいのか、と、考え込んでしまいます。

とりわけひっかかるのは、以前他の政治家には、秘書と政治家は同罪、自分なら議員のバッジを外す、と言っていたにもかかわらず、自分に同じことが起こると責任を取らない、という点です。

意見が変わるのは、かまわないと思います。昔はこう思っていたが、今はそうは思わない、というのは、悪くない。人間は学習し、成長していくものだからで、むしろ、そうならない人の方が問題です。

しかし、それで人を攻撃した場合には、話が違うと思うのですね。他人は攻撃するが、同じ矛先が自分に向かってきたら逃げる、というのは卑怯者のすることで、それをするなら、よほど真摯な謝罪がなくてはならない。野党だから、与党だからということでは、絶対にないと思います。

要するにそれは、自分に甘く他人に厳しいという、このブログでもすでに述べた、最悪の形になると思うのです。そういう人を、いい人と言いたくありません。ほとほといやになりました。

忘年会092009年12月27日 18時11分28秒

日曜日、久しぶりに家で休養しました。先週は、昼間の用事もずっとあった上に、忘年会が5連チャン。もうへとへとです(笑)。

火曜日は、赤坂のホテル。水曜日は、有楽町のイタリアン。木曜日は、国立のロシア料理。金曜日は、立川のスペイン料理。土曜日は、鶯谷のお寿司屋。いずれも、おいしく楽しい会でした。このうち、二次会がついたのは金曜日の立川のみ。参加者比率で女性が多かったのは、木曜日の国立のみ。同一人物で2回参加されたのは、ある有名演奏家のみでした。

忘年会は来週もう少しあり、いくつかは新年会に回っています。昔はホームページの公開オフ会というのもやっていましたが、それは中断したままです。いまドクターコースにいる戸澤史子さんには、そんな機会に初めてお会いしました。

いずれにせよ、私とこういう会をもってくださる方が大勢いらっしゃるのはうれしいことです。そういう方がいなくなるまでは、またはドクターストップがかかるまでは、飲む機会をもちたいものです。語らいが楽しいのは昔とまったく同じですが、ちょっと違ってきたのは、「記憶がない」状態に陥りやすくなったこと。ガードが甘くなって余分なことをしゃべってはいけませんので、気をつけてはいるのですが、大丈夫でしょうか。ちなみに、私は飲んでもほとんど変わらないと、基本的には言われております。異論のある方は、コメントでどうぞ(笑)。

感動的な《メサイア》2009年12月26日 23時23分37秒

今日は、朝日カルチャー横浜校の講座。対外的には今年の仕事納めでした。年末にヘンデルを聴こうということで、ヴァイオリン・ソナタイ長調、コンチェルト・グロッソ op.6-6、そして《メサイア》の抜粋でプログラムを構成しました。ヴァイオリン・ソナタには桐山建志さんと大塚直哉さんの新録音を使いましたが、すばらしいですね。ガット弦の音の美しさ、純粋さに、心を洗われます。

《メサイア》には、購入したばかりのEMIのDVDを使いました。スティーヴン・クレオベリー指揮のケンブリッジ・キングズカレッジ合唱団、エンシェント室内管弦楽団、エイリッシュ・タイナン(S)、アリス・クート(A)、アラン・クレイトン(T)、マシュー・ローズ(B)という顔ぶれによる、2009年4月のライヴ録音。これが、じついいいのです。

最近、《メサイア》という作品にやや批判的な気持ちが芽生えていて、冒頭のコメントにそれをまぜてから鑑賞を始めたのですが、低いテンションで始まった演奏が熱を帯びるにつれて引き込まれ、ついには「なんていい曲なんだろう!」という熱い感動に包まれてしまいました。もちろん、懺悔して前言撤回です。

どこがいいか。夢があるのです。音楽が音符に固まらず、希望を乗せ愛を乗せて、ふくらみをもって響いてきます。言い換えれば、救い主への思いが翼を得て飛び立つような感じ。こうなると、《メサイア》の音楽は、断然引き立ちます。少年合唱も歌い込まれていて立派でしたが、知らない人ばかりのソリストが意欲にあふれていて、じつに見事。こうした《メサイア》を年内に聴けて幸せになりました。皆様にもお勧めします。

グレゴリオ聖歌集2009年12月23日 11時17分37秒

方向音痴であることにかけてはわれながらいやになってしまうほど自信のある私ですが、土地勘をどうしてもつかめないのが四谷です。地上に上がると、2つの大きな通りがクロスしている。この4つの方向が、ひんぱんに下車しているにもかかわらず、どうしてもわからないのです。これは、私だけでしょうか。

昨日(22日)、その四谷で少し時間が空きましたので、カトリックの書店を覗くことを思い立ちました。駅の近くのサンパウロが一番大きいのですが、そこはうっかり素通り。少し先にドン・ボスコ社のショップがあります。クリスマス用品で、にぎやか。ここは実用的なものが中心で、ミサ典書や聖務日課書なども買うことができます。

とくに新しいものはなかったのでここは見るだけにし、もう少し先の2階にあるエンデルレ書店に行きました。ごく狭い売り場の奥に旧式のレジがあり、外国人の方が番をしています。ここの特色は外国語の本が充実していることで、ラテン語の聖書も、いくつかの版で並べられています。以前から欲しいなあと思っていたLiber usualisを棚に発見。さっそく購入しました。1952年版の復刻で、伝統的な礼拝で使われるグレゴリオ聖歌のテキストと楽譜が、ぎっしり収められています。高いですけどね(2万円)。

ページをめくると最初に、グローリア・パトリとマニフィカトの旋律が8つの旋法で並べられており、マニフィカトに関心があるだけに、うれしくなりました。タイトルの次には、記譜法や唱法に関する英語の説明が続いています。読書会でもやってみようかしらん。

人を動かす本2009年12月22日 12時45分38秒

鶴我裕子さんと言えば、名エッセイストとして知られた、元N響ヴァイオリニスト。新装版のエッセイ集『バイオリニストは目が赤い』(新潮文庫)を手に取ってみましたが、抱腹絶倒のおもしろさです。同時に、音楽の世界、オーケストラの世界の裏側をたくさん覗くことができ、勉強になります。

面白いエッセイを書く条件は、どうやら、正直に書く、思い切って書く、ありのままの自分をさらけ出す、というあたりにありそう。鶴我さんの筆遣いは歯切れがよく天真爛漫、愛すべき女性の魅力がいっぱいです。ついいろいろなことに配慮して思い切りがにぶりがちな私としては、反省させられます。

オーケストラのヴァイオリニストというと華やかなようですが、大変なようですね。むずかしい曲の至難なパートを弾きっぱなしになることが多く、それを家で譜読みするのが、(音楽の全体がわからないだけに)難行苦行であるとか。本当にそうだろうなあと思いました。この本を読んだ人は、みなそのことをインプットしてコンサートを聴くようになります。それは、こういう面白い本に人を動かす力があることの証明ではないでしょうか。

ゴルトベルクの年末2009年12月20日 23時17分39秒

19日の土曜日は、「楽しいクラシックの会」(たのくら)の、本年最終回。《ゴルトベルク変奏曲》の、「究極の聴き比べ」を行いました。

前半チェンバロ、後半ピアノに分け、3つずつの区切りで演奏者をリレーしていく、というやり方を考え、家からCDとDVDをもってゆきました。5人ずつ併せて10人になりますが、候補を絞りきれず、チェンバロ7人、ピアノ8人を持参。冒頭の〈アリア〉でオーディションをして絞り込みました。もちろん会員の挙手ですから、遊びです。ただし渡邊順生さん、レオンハルト、グールド新盤、シフあたりをシードとして分けておきました。ピアノ・セクションにおける会員諸氏の選択は、ちょっと意外なものでした。

結果的に、鈴木雅明→コープマン→ロス→レオンハルト→渡邊順生/グールド(新)→ペライア→コロリョフ(DVD)→ケンプ→シフの、豪華リレーが実現。詳しい比較は内緒にしておきますが(笑)、全体としてピアノ勢の優勢は否めないところでした。そういう曲なんですね。シフの第28変奏、第29変奏は驚くべきもので、各声部がデジタル的に、自立して聞こえてきます。完全にバッハのような頭になっているのでしょう、きっと。

午後は川崎に移動し、久しぶりにBCJの《メサイア》を聴きました。そうそう、今月のCD選は、渡邊さんの《ゴルトベルク》を、先月への補遺の形で1位にしました。これは本当にすばらしく、聴くたびに涙が出てしまいます。2位はゲルハーヘルのマーラー歌曲集(すごい切れ味)、3位はゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲第1番/第15番です。ゲルギエフは語り口がうまく、全然晦渋さを感じずにショスタコーヴィチを聴くことができるのですが、果たしてこれが本質であるのかどうかは、よくわかりません。

メンデルスゾーン生誕200年2009年12月19日 23時36分39秒

18日(金)、「メンデルスゾーン生誕200年記念講演とシンポジウム」に出席すべく、じつに久しぶりに、ゲーテ・インスティトゥートの「ドイツ文化会館ホール」を訪問しました。この催し、日本音楽学会関東支部の共催となっているので、応援しなければと思って出かけましたが、かなりの数の参加者の中に、学会関係者は少なかったようです。この時期の金曜日、3時半からという開催では、動けない人が多かったかもしれませんね。

催しは、映画あり、展示あり、講演あり、ラウンドテーブルありの盛りだくさんなものでした。刊行されたばかりの新しい学術的作品目録が、編者のラルフ・ヴェーナーさんによって紹介されたのが、ひとつの目玉。今後、研究に欠かせない資料になることでしょう。

その他、研究者から指揮者のクルト・マズーア氏まで錚々たる顔ぶれが並んでいましたが、日本を代表して参加した星野宏美さんの講演が、地道に積み重ねた研究を基礎とし、すぐれた判断と懇切な目配りを融合させたすばらしいものでした。星野さん、国際的音楽学者の貫禄十分で、辻荘一先生、皆川達夫先生を擁する立教大学の音楽研究がこの上なく立派に受け継がれていることを実感し、心に熱いものを覚えました。

じつはメンデルスゾーン、苦手なんですよね(笑)。勉強しなければ。

だってそうでしょう!2009年12月18日 23時20分41秒

小沢一郎さん、威張っていますねえ。私、威張る人、大嫌いです。それと、皇室に敬意のないことを歴然と示す人に、上に立ってほしくないと思います。思想や歴史観の問題としてでなく、礼節の問題としてです。

宮内庁長官を強烈批判した記者会見で、小沢さんはさかんに、「だってそうでしょう!」という言葉を使いました。この言葉が使われる場面にテレビなどで時折遭遇しますが、シチュエーションは必ず、自己正当化を強弁するときです。自分の言ったことに自分で賛成するレトリックを、本当に自信のある人が使うはずはありません。

私は経験から、「だってそうでしょう!」と次に言わなくてはならないような意見が正当なことはあり得ない、と感じています。「だってそうでしょう!」と来たら、即座に「それは違います!」と言っても間違いないのではないかとさえ、思っているのです。