原監督を送る2015年10月30日 10時40分23秒

ソフトバンク、完勝でしたね。私はアンチ巨人を基本とする野球ファンなので、セ・リーグでは巨人以外の球団、リーグはパ・リーグを応援しています。したがって日本シリーズは、例年パ・リーグ。しかしソフトバンクがあまりにも立派で、全盛期(ずっと昔)の巨人を思わせるところがあるので、応援する気持ちになりきれないのが困りものです。他の球団、来年はがんばってください。

原監督の勇退は、残念。あの、日本人には珍しいほど豊かな顔の表情に興味を惹かれ、けわしいお顔の時を中心に、いつも拝見していました。今年の後半は、采配に焦燥感が感じられ、たえず自分から動いていく、という印象になっていたと思います。まさに、笛吹けど踊らず、です。

野球の監督には、まったく表情を殺して指揮をとっている人も、多くいます。どちらがいいのか。戦国の武将になぞらえると、盤石不動の方がいいわけですよね。動かざること山の如し、と言います。少なくとも劣勢のときは、そうあるべきでしょう。

スマホのニュースに、原采配へのうがった分析がありました。それによると、原さんは、ベンチで打てる手はすべて打つべきで、肝心な局面を選手にまかせて見守るというのでは、監督として責任を果たしたことにならない、と考えているそうです。たしかに、一理あります。

でもそれだと、選手との信頼関係はどうなるのでしょうか。野球の監督と音楽の指揮者は世の人の夢とよく言われますが、指揮者と演奏者の関係を考えてみると、一番いい形というのはおそらく、指揮者が楽員を信頼していて、楽員がそれを感じて喜び、燃え立って演奏するときだと思うのです。世の上下関係にはすべて、適用できることかもしれません。指揮者が偉くなりすぎても、それはむずかしいことのようです。

素人談義、失礼しました。シーズンが終わってしまい、寂しい気持ちがあります。

今月のCD2015年10月27日 10時34分14秒

冒頭のチェロの旋律を聴いたとたんになつかしモードに入ってしまい、情緒にひたって聴き通したのが、ビエロフラーヴェク指揮、チェコ・フィル演奏によるドヴォルザーク交響曲第8番+《新世界より》のCD(デッカ)。チェコ・フィルの人たちにとっては何度演奏したかわからない曲でしょうが(私も第8は演奏したことがある)、細やかな連携はみごとで、作品への、また郷土への愛が伝わってきます。その自然さが、何より。

もうちょっと新しい曲が聴きたい、ということであれば、ショスタコーヴィチの第10交響曲はどうでしょう。アンドリス・ネルソンスがボストン交響楽団を使って開始したシリーズの1枚目です(クラモフォン)。ショスタコーヴィチの交響曲というと「晦渋」という言葉が浮かんできますが、この演奏ではすべてが明晰な意味をもって聞こえてきて、教えられるところ大です。

もっと新しい方がよければ、ルトスワフスキのピアノ協奏曲があります。ソロを弾くツィメルマンのセンスはさすが。オケはラトルとベルリン・フィルで、やはりグラモフォンです。

リハーサル室のバッハ談義2015年10月25日 09時31分36秒

20日(火)の夜は、《ゴルトベルク変奏曲》の初版譜や《アンナ・マクダレーナ・.バッハのためのクラヴィーア小曲集》の自筆譜ファクシミリをもって、オーチャードホールのリハーサル室へ。小山実稚恵さんとの、トークイベントです。

皆様ご存じと思いますが、小山さんは目下デビュー30周年(?!)のリサイタル・シリーズを継続中で、それぞれのコンサートに、プレイベントをなさっています。今回は11月28日が本番で、プログラムはシューマンの《花の曲》と、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》。トークの後には軽いパーティもしつらえられていて、ファンを大事にする小山さんのお人柄に感じ入りました。

最初の話題は、作品と不眠症との関係。カイザーリンク伯爵の不眠症を引き起こしたもろもろのストレスを変奏曲が夜な夜な解消したであろう、とのご意見を小山さんが述べられ、なるほどと思いました。

次の話題は、アリアがあって変奏曲ができたのか、あるいは、変奏曲への美しい装幀のようは形で最後にアリアができたのか、ということ。後者は、どこまで主張できるか詰めたい、と思っている考え方です。類似曲の《シャコンヌ》などとは異なって、《ゴルトベルク変奏曲》ではアリアの旋律が一連の変奏とまったく関係をもっていません。その他いくつかの根拠があり、もし言えるとすれば、ポロネーズによる勇壮な第1変奏のもつ意味が、まったく変わってくる可能性があります。

そのあと、小山さんに弾いていただきながら作品の数学的構成についてご説明し、最後に小山さんが、クォドリベットとアリアの再現を、コンサートライクに集中して演奏されて、イベントが終わりました。温かな雰囲気で皆さんとても話に入ってきてくださり、小山さんも感動を示してくださって、うれしかったです。ここを弾けあそこを弾けなどと小山さんに指図する人を初めて見た、というファンの方も。失礼しました(笑)。


11月28日、私はいずみホールで《魔笛》の公演があるため伺えないのですが、皆様、よろしくお願いします。

バッハホールで響くバッハ2015年10月23日 09時29分16秒

18日(日)は、宮城県加美町の、中新田バッハホールへ。《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ》のコンサートの解説を担当するのですが、いつになく緊張しているのは、この日の出演者が大御所の前橋汀子さんで、初対面であるため。全6曲の演奏は正味2時間を超えますから、演奏者の負担はまことに大きく、お客様も楽ではありません。要点を絞り簡潔に、と心に刻んで舞台に立ちました。

前橋さんが恐縮にもサイン入りCDをもって挨拶に来てくださり、簡単な打ち合わせ。私がナビゲーションする場合にはいつも演奏者へのインタビューを試みていて、それが(いずみホールのオルガン・シリーズのように)演奏者とお客様をつなぐ役割を果たすと思っているのですが、前橋さんは、当然ながら演奏に集中したい、というご意向です。そこで、一応インタビューなしで終わることに決め、もし話てもいいというお気持ちになられたら、舞台から私を呼んでください、ということにしました。

演奏は前半4曲(ソナタ1、パルティータ1、ソナタ2、パルティータ3)、後半が2曲(ソナタ3、パルティータ2)。前橋さんはゆるみない気迫でまず1曲弾かれました。いったん舞台から下がって一息入れられるだろうと思ったら、そのまますぐ、2曲目に入られるではありませんか。とうとうそのまま4曲目まで行って、前半が終了しました。唖然とする集中力です。

後半のスピーチに出ると、客席が大きく盛り上がっているのがわかります。皆さん、集中して聴いておられるのです!長年《無伴奏》を弾き込んでおられる前橋さんですから、すべての音に神経が行き届き、それらが克明に、しかし豊かな潤いをもって届いてくる。そして全体が、高貴な美意識に貫かれています。それが手に取るように聞こえてくるのは、中新田バッハホールのすばらしい音響とバッハにふさわしい雰囲気のおかげ。それで演奏がどのぐらい引き立てられたかわかりません。

《シャコンヌ》が圧倒的な高揚のうちに弾き終えられ、万雷の拍手。さてどうなるかと思ったら、前橋さんは笑顔で私に合図してくださり(うれしい!)、私の差し出すマイクで、感動のこもったメッセージを客席に送ってくださいました。いや、私がこれまで聴いたうちでも1、2を争う、すばらしい《無伴奏》でした。


写真右端は、バッハホールを建設された本間元町長、左端は、ホールによる町おこしに力を入れられている、猪俣現町長です。このホール、本当にいいところなので、皆さん、ぜひ応援してあげてください。東北新幹線の古川から入ります。

歌とピアノの「楽しっくクラシック」?2015年10月21日 22時11分59秒

17日(土)、「たのくら」でヘンデルのオペラについて話した後、同じ立川にある、セレモアの総本社へ。この日開催されている大感謝祭の中にコンサートが組み込まれており、その司会・解説を頼まれているのです。標記はそのタイトル(?は私の付加)。

出演は国立勢で、ソプラノの名花高橋薫子さん、20年ぶりに再会したメゾの日野妙果さん(在ウィーン)、ピアノの久元祐子さん。私の出演が決まったのは、もう企画ができあがってからでした。

つまり、90分の制限時間に盛りだくさんのプログラムが組まれていて、解説する時間がない(笑)。日本歌曲、外国歌曲、オペラ・アリアがドビュッシーの《月の光》をはさんで並び、歌でする世界の旅、という趣です。そこで旅行案内に各曲の歌詞内容をからませて超スリムにナビゲーションし、時間内にぴったり収めることができました。要点をおさえて短く、というのが、やはり一番いいようです。

セレモア構内にある武蔵野ホールは、せいぜい数十人のお客様しか収容できません。しかし鍵盤楽器がたくさん備えられており、この日は、スタインウェイとエラールの歴史楽器を使い分けるぜいたく(久元さんならでは)。マイクなして空間を掌握できますから、ナビゲーションのやりやすいこと、この上なしです。

至近距離から音を浴びている感じになりますので、名曲が、身体に響いてくる。《ムゼッタのワルツ》が涙なしに聴けなかったのはプッチーニが好きだからかと思ったら、次の《ああ、そはかの人か~花から花へ》が涙ますますだったのは、聞き慣れた曲だけに、自分でも驚きました。高橋さんが汚れない品格で歌われたからにちがいありません。日野さんも美声に貫禄が加わり、外国語がすっかり身についておられました。写真は左から、久元さん、高橋さん、日野さんです。


私以上に涙を流して聴いておられる女性がおられ、お話ししたところ、立川に小さなホールを建て、近々オープニングをなされるとか。終了後見学に伺いましたが、使わせていただけそうです。またあらためて、ご案内いたします。

カップルの定義2015年10月20日 08時39分51秒

多忙な1週間が終わりました。日記代わりに、いくつか。

11日(日)は「すざかバッハの会」のために、長野へ。早めに着き、アシスタントのまさお君と、長野駅周辺のランチをいただくのが楽しみです。この日はエイジアンの名店を第一候補にしていましたが、あいにく休業。そこで、ライヴなどを聴かせながらインドカレーを提供するお店に変更し、私がまず、重い扉を開きました。

するとお店の方が、私の後ろにまさお君がいるのを認めて、入店を拒否されるのです。理由は、「土日のお昼はカップルだけにご入場いただいている」とのこと。うろたえた私は反射的に、「まさお君とはそういう関係ではありません」と言ってしまいました。

でもこれは明らかに、見当外れの返答(汗)。そこで「それなら外にそう書いておいてください」と言い残して店を出たのですが、むしろ「カップルなのですがダメですか」と言ったら面白かったかもしれませんね。もちろん、そんな度胸は、私にはありません。

結局「るるも」というラーメン屋さんで昼食。三度目に正直というところです。まさお君がスープを全部飲み干してしまったさまを見て心配になりましたが、こういうのを、親心と言うんですかね。10月の特別メニュー、おいしそう。私もこれにすれば良かった(オリジナル・メニューの豊富なお店です)。


今年の「すざかバッハの会」は、ワーグナーを毎回1作品取り上げて進めてきました。しかし細切れでは残念だということで、今回から、1作品2回に変更させていただきました。したがって12月6日の次回は、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第2回ということになります。この日は終了後、お店に流れて語り合う場も設けました。覗いていただけると幸いです。

長くなってしまったので、「いくつか」の話題、継続します。あ、「まさお君」なる人物、ときどき登場しますので、ご紹介します。エッケ・ホモ、イドゥー・ホ・アントロープスということで。


今月の「古楽の楽しみ」~ケーテン侯葬送音楽(2)2015年10月16日 08時10分44秒

葬送音楽は4つの部分に分かれ、第1部が合唱2、アリア2、レチタティーヴォ3。第2部は合唱1、アリア2、レチタティーヴォ3(ただし合唱曲は最後にも歌われる)。第3部はアリア3とレチタティーヴォ2。第4部が合唱1、アリア2、レチタティーヴォ2という構成になっています。このうち第1部の合唱2曲が選帝侯妃追悼カンタータ(198番)から、アリアはすべて《マタイ受難曲》からのパロディというのが通説で、第2部の詩篇合唱曲のみ、定説がありませんでした。

これがフーガ様式の合唱曲であることは予想されますので、ピションの研究チームは、ここに《ロ短調ミサ曲》の第2キリエ(!)を割り当てました(先行したパロットの復元では198番の第7曲)。適否は軽々しく言えませんが、印象としては、唐突の感があります。《ロ短調ミサ曲》がパロディなら知られざるルーツを突き止めたい、という思い入れが入りこんだ感じを抱きます。

おなじみの曲が次々と出てくるさまに接すると、バッハは領主の追悼音楽を既作品で間に合わせたのか、という疑念が、かならず出てくるはずです。しかし、そうではありません。なぜなら、個別作品にはほとんど触れていない『故人略伝』の伝記部分がわざわざこの追悼音楽に触れ、「バッハは、かくも懇ろな寵愛を賜った主君のために、ライプツィヒから葬送音楽を作曲し、それをみずからケーテンで演奏することで、悲しい満足を味わった」と述べているからです。

したがって、バッハがこの作品をきわめて重視したことは明らかです。それを《マタイ》と選帝侯妃追悼カンタータからのパロディで構成したのは、亡き主君に自分の最高の音楽を捧げようと思ったからに違いないでしょう。

楽譜が残っていたらと、惜しまれます。新作されたレチタティーヴォの力によって、そのことがひしひしと感じられるような曲になっていたと思われるからです。《クリスマス・オラトリオ》が成功しているのは、パロディをつなぐレチタティーヴォやコラールが新作され、クリスマスの気分を新鮮に作り出しているからです。しかしピションの復元はレチタティーヴォも《マタイ》を下敷きにして作っているので、「もってきた」感がぬぐえません。レチタティーヴォの重要性が、あらためて実感されます。

ともあれ、音になったひとつの研究成果をお楽しみください。

今月の「古楽の楽しみ」~ケーテン侯葬送音楽2015年10月13日 08時13分11秒

ラファエル・ピションによるバッハ《ケーテン侯のための葬送音楽》BWV244aのCDを入手し、興味を惹かれたので、「古楽の楽しみ」で取り上げることにしました。4つの部分に分かれていて、各20分弱。そこで月曜日(10月19日)から木曜日(10月22日)までに各部分を振り分け、残りの時間をオルガン曲で構成しました。

バッハがいわゆるケーテン時代(1717~23)に音楽好きの領主レオポルト侯に宮廷楽長としてかわいがられ、ライプツィヒに転任してからも恩義を感じ続けていたことは、皆様ご存じでしょう。1729年、その領主が若くして亡くなったとき、バッハはケーテンに赴いて葬送音楽を演奏しました。残念なことにその楽譜は失われてしまったのですが、テキストは残りましたので、復元の努力が始まりました。

19世紀旧全集の時点で、多くのテキストが《マタイ受難曲》の諸曲にぴたりとはまることは気づかれていました。シュミーダーの作品目録がBWV244aという番号を与えているのは、失われた葬送音楽を《マタイ受難曲》BWV244の副産物と位置づけているからです。20世紀半ばのスメントの研究により、第1部の枠をなす合唱曲が《選帝侯妃追悼カンタータ》BWV198から取られていることも定説化されました。

当時は《マタイ受難曲》の初演が1729年4月11日と考えられていましたので、3月24日の追悼礼拝と接近しています。そこで、どちらが先かという論争がけっこう深刻に行われました。その後リフキンの研究により《マタイ》の初演は1727年、1729年は再演と認められましたので、転用(パロディ)の方向は、《マタイ》→葬送音楽であることが疑い得なくなりました。

要するに葬送音楽は、パロディ(既成の曲の歌詞を付け替えて新作を生み出す)によって構成されているわけです。バッハのパロディは幅広くみられる現象ですが、作品の骨格が大方パロディ、とわかっている作品は、《ロ短調ミサ曲》、《クリスマス・オラトリオ》、小ミサ曲といったところで、いずれも後期の作品です。

説明が長くなってしまいました。でも興味深いところなので、もう少し続けます(続)。

10月のイベント2015年10月06日 07時20分40秒

なんともう6日。遅いご案内です。

8日(木)から5週連続で、早稲田大学エクステンション・センター中野校の秋講座を担当します。バッハ《マタイ受難曲》を取り上げます。15:00~17:00ですので、國學院大學から足を伸ばします。ロケーションがよく設備も整っているので楽しみです。

10日(土)には、NHK全国学校音楽コンクール、高等学校の部の審査員を務めます。責任重大ですね。翌11日(日)は「すざかバッハの会」(須坂シルキーホール、14:00~16:30)。ワーグナー・シリーズ、今月は《ニュルンベルクのマイスタージンガー》がテーマとなります。

いよいよ30周年が近づいているのは「たのくら」(楽しいクラシックの会)。いま2回かけて1曲学んでゆくオペラ・プロジェクトを進行させています。17日(土)はヘンデル第1回です。例会では曲目を《アルチーナ》とご案内しましたが、諸般の事情から《ジューリオ・チェーザレ》に変更します。10:00~12:00、立川市錦町地域学習館です。

いつもは会の皆さんと「五十番」等でお食事するのですが、今月はすぐ移動して、平素お世話になっている立川セレモアの感謝祭に参加します。お役目は、高橋薫子、日野妙果、久元祐子お三方が出演する短いコンサートの司会です。武蔵野ホール。

18日(日)は、宮城の中新田バッハホールで、前橋汀子さんの弾くバッハ《無伴奏》全曲の解説を担当します(14:00から)。集中される方なので、その集中をサポートするよう心がけます。

20日(火)は、小山実稚恵さんが11月28日にオーチャードホールで演奏される《ゴルトベルク変奏曲》のためのレクチャーイベントに参加します。来場されるお客様のために、オーチャードのリサイタル室で催されるイベントだそうです。小山さんらしい企画ですね。

31日(土)は、出身校、松本深志高校の「知の交差点」というイベントに出演します。枠組みとしては私の講演ですが、生徒、先生、その他の方々といっしょにバッハの作品を演奏しながら、バッハを考えていこうという企画です。時間、場所は存じません。松本の方々、どうぞよろしく。

朝日カルチャーセンター新宿校は、7日と21日の水曜日です。10:00からのワーグナー講座は、《ローエングリン》の第1幕を7日に終え(白鳥が出てくる場面の演出比較などやります)、21日は第2幕に入ります。13:00からのバッハ・リレー演奏講座は、7日が《ロ短調ミサ曲》の2回目(1回目はネルソンに人気集中!)と、21日はフランス組曲です。

同横浜校のモーツァルト講座(13:00~15:00)・秋冬の部は、《魔笛》3回、クラリネット協奏曲など1回、《レクイエム》2回で構成しました。24日(土)から、《魔笛》に入ります。受講生が多く、やりがいがあります。

長々とすみません。イベントでない仕事もありますので、今月は忙しいです。1つずつ、がんばりたいと思います。

含蓄深いシュトラウス2015年10月04日 11時21分23秒

9月30日から、いずみホールのモーツァルト・シリーズ2015が始まりました。トップバッターはハーゲン四重奏団です。今年の特集は1787~1791なので、室内楽で焦点を当てるべきは、弦楽五重奏曲。しかしあらかたの名グループは「四重奏団」ですから、川本嘉子さんを加えて1曲だけ五重奏曲(ハ長調K.515)をやっていただき、あとは《プロシャ王》と《ハイドン・セット》から1曲ずつ、というプログラムを組みました。

要するに比較に収斂したわけですが、前半の精妙な四重奏を聴きながら、五重奏との対比は十二分に出そうだ、と予想しました。果たせるかな後半は、「ヴィオラ+1」による重量感と表現の広がりが歴然と感じられ、大きな盛り上がりに。お客様からも、五重奏曲をもっと聴きたい、というリクエストが寄せられました。やっぱり、モーツァルトの後期は五重奏曲です!でもなかなか、アレンジがむずかしいのです。

10月1日に新国立劇場の《ラインの黄金》、3日に東京二期会のシュトラウス《ダナエの愛》と回ってみると、日本もオペラの国だなあ、と思います。《ダナエの愛》は過去に演奏会形式上演が一度あるだけだそうなので、事実上の日本初演。シュトラウス晩年の含蓄深いオペラをこの歳で初めて知ることができ、感無量です。

知られざる大作を取り上げるだけでも蛮勇を奮わなければならないのに、これだけのレベルの上演に仕上げるのはさぞたいへんだっただろうと、ついつい、見えない部分の努力を想像してしまいます。たいしたものですね。

準・メルクルさんの指揮でみずみずしく流れるオーケストラの上で、佐々木典子さんがみごとなドイツ語で潤い豊かに歌われた終幕を何度も思い起こしながら、帰路につきました。