葬送音楽は4つの部分に分かれ、第1部が合唱2、アリア2、レチタティーヴォ3。第2部は合唱1、アリア2、レチタティーヴォ3(ただし合唱曲は最後にも歌われる)。第3部はアリア3とレチタティーヴォ2。第4部が合唱1、アリア2、レチタティーヴォ2という構成になっています。このうち第1部の合唱2曲が選帝侯妃追悼カンタータ(198番)から、アリアはすべて《マタイ受難曲》からのパロディというのが通説で、第2部の詩篇合唱曲のみ、定説がありませんでした。
これがフーガ様式の合唱曲であることは予想されますので、ピションの研究チームは、ここに《ロ短調ミサ曲》の第2キリエ(!)を割り当てました(先行したパロットの復元では198番の第7曲)。適否は軽々しく言えませんが、印象としては、唐突の感があります。《ロ短調ミサ曲》がパロディなら知られざるルーツを突き止めたい、という思い入れが入りこんだ感じを抱きます。
おなじみの曲が次々と出てくるさまに接すると、バッハは領主の追悼音楽を既作品で間に合わせたのか、という疑念が、かならず出てくるはずです。しかし、そうではありません。なぜなら、個別作品にはほとんど触れていない『故人略伝』の伝記部分がわざわざこの追悼音楽に触れ、「バッハは、かくも懇ろな寵愛を賜った主君のために、ライプツィヒから葬送音楽を作曲し、それをみずからケーテンで演奏することで、悲しい満足を味わった」と述べているからです。
したがって、バッハがこの作品をきわめて重視したことは明らかです。それを《マタイ》と選帝侯妃追悼カンタータからのパロディで構成したのは、亡き主君に自分の最高の音楽を捧げようと思ったからに違いないでしょう。
楽譜が残っていたらと、惜しまれます。新作されたレチタティーヴォの力によって、そのことがひしひしと感じられるような曲になっていたと思われるからです。《クリスマス・オラトリオ》が成功しているのは、パロディをつなぐレチタティーヴォやコラールが新作され、クリスマスの気分を新鮮に作り出しているからです。しかしピションの復元はレチタティーヴォも《マタイ》を下敷きにして作っているので、「もってきた」感がぬぐえません。レチタティーヴォの重要性が、あらためて実感されます。
ともあれ、音になったひとつの研究成果をお楽しみください。
せっかくのバッハなのに難解さに落ちこぼれそうです。でもかえって先生のガイドがいつも以上にありがたく嬉く感じることでしょう。今回も期待して聴きます。
バッハの音楽に「もう10年早く出会いたかったな」と、しばしば思うのですが、否、自分にバッハは「まだ10年早かったな」と途方にくれることもあります(笑)
カンタータやミサ曲は自力では意味もわかりません。でもピアノやチェロの独奏曲だけ聴いてた頃よりもずっと、バッハが好きになりました。
今朝から聴いてます!言葉がわからない私にとってはやっぱりマタイ受難曲にしか聴こえません(涙)
是非、聞いてみたいのですが、歌詞の日本語訳はどこかにないでしょうか。
白水社の『バッハ叢書』第5巻、スメント『ケーテンのバッハ』に、角倉一朗・小岸昭訳で掲載されています。
早速のご回答、ありがとうございました。
バッハの音楽に「もう10年早く出会いたかったな」と、しばしば思うのですが、否、自分にバッハは「まだ10年早かったな」と途方にくれることもあります(笑)
カンタータやミサ曲は自力では意味もわかりません。でもピアノやチェロの独奏曲だけ聴いてた頃よりもずっと、バッハが好きになりました。