ステージから転落(2)2012年09月12日 13時42分34秒

松本の町は、行くたびに変化します。駅前はよく整理され、えらく長かった信号の待ち時間もフツーになりました。光り輝く感じはなんだろうと思って観察してみると、ほとんどのビルが、白か白系統の色なのですね。したがって、明るく近代的な印象。ただし食処の集中度は、長野駅ほどではありません。

それでもなかなかおいしいラーメンをまさお君と食べ、タクシーで会場の「深志教育会館」へ。数年前にできたというこの建物、高名な卒業生の設計とかで、木の内装が落ち着いた雰囲気を醸し出し、講演会にはうってつけです。音響効果も優秀とか。いいですねえと感心していると、ところであなたは寄付をされましたか、という話になりました。覚えていませんとうろたえると、すぐ調べられます、とのこと。まあまあと引き止めましたが(汗)、卒業生から母校への、すばらしいプレゼントですね。恩恵に浴してしまい、恐縮です。

集まられた会員は中高年の男性中心で、いかにも知的な方々。気持ちが引き締まります。高解像度のプロジェクターを駆使しながら自筆譜をあれこれ紹介し、「バッハの仕事場を覗く」というのが、この日の課題でした。

ホールには腰の高さほどのステージがあります。しかし私はその下で、パソコンの操作をしながら話をしていました。ステージに登ろうと思ったのは、持参したファクシミリをよく見てもらおうと思ったから。胸の前に広げて説明し、思わず一歩踏み出したところ、そこには床がなかったのです。ステージの床とフロアの床の模様がまったく同じだったので、段差があることに気づきませんでした。(続く)

ステージから転落(1)2012年09月11日 11時39分12秒

9日(日)、「まつもとバッハの会」の連続講座が始まりました。私は中央線沿線に住んでいますので、隣駅の立川から特急に乗ることができ、そのまま1本で、松本です。西国分寺、武蔵浦和で乗り換えて大宮にゆき、そこから新幹線に乗る長野行に比べれば、とてもすっきりしたアプローチです。ところが新幹線と在来線の速度の差が大きく、同じ時刻に着くためには、30分早く家を出なくてはなりません。

長く乗る以上座れなかったら大変なので、土曜日の晩、切符を買いに行きました。すると、残席はグリーン車においてもわずか。窓際は残り1席しかなく、そこを確保しました。

快晴。立川で社内に乗り込んでみると、たしかに一杯です。私の番号の通路側を占めているのは、とても肉付きのいい青年(大学生?)で、身体をかがめ、一心にスマホの画面を見ています。たくさんの荷物を持ち込んでいて、要塞のよう。「ちょっとすみません」と声をかけましたが、依然スマホに見入っていて、反応なし。もう一度「ちょっとすみません」と声をかけたところ、顔を上げることも声を出すこともせず、同じ姿勢のまま少し身体をよけました。そこで荷物を乗り越え、窓際の席に入りました。

青年はその後もスマホに見入り、自分の世界に没入しています。隣に他人が来たことなど、まったく眼中にないよう。私は思いましたね、そうか、これがいまよく言われる若者の一典型か、と。

ようやくスマホから離れた青年は、お弁当を食べ始めました。身体が大きいので、よく食べます。食べ終わると、テーブルはそのままにして、睡眠。私はトイレに行きたくなっていたのですが、巨体とテーブル、荷物が立ちはだかり、出るに出られません。

若いので眠りが深く、大きく右に身体を傾けるようになりました。つまり私にもたれかかってきたわけです。やわらかな肉塊がずっしり私の身体にかかり、私は窓際に押し付けられる状況。もちろん当人には何の意識もありません。私は勇気を奮い起こし、3度、力いっぱい押し返しましたが、爆睡しているのでまたもたれかかってきます。私、グリーン車代を払っているんだけどなあ。

これは松本まで行くなと覚悟しましたが、その前、塩尻で下車してくれました。見ると、お母さんが先導しています。きっとかわいがっているんでしょうね--というわけで、松本旅行、波乱の始まりとなりました(続く)。

便利なClover2012年09月08日 23時26分46秒

いろいろなところでさせていただく講演や講座は、なるべく視聴覚的に進めたく、目で確認できる素材を豊富にしようと務めています。そのために必要なのは、スキャンによる画像ファイルの作成。これが大の苦手だったのですが、最近ようやく、効率良くできるようになってきました。とはいえ素人作業ですので、上手な方、アドバイスをお願いします。

情報を詰め込んだ資料を作るのに好適なのは、A3のファイル。そのために導入したブラザーの複合機JUSTIOの長所は、スキャンが手軽にできることです。そこで作ったスキャン・ファイルを、IrfanViewで整形する。全体像だけでは細部がわかりませんから、焦点の決まった拡大ファイルを最近はよく作ります。それをパワーポイントに貼り付けるか、画像として参照するかは、今のところ、一長一短に感じています。

どんどんスキャン・ファイルが増えてきますので、講演ごとに新しいフォルダを作り、使うファイルを集合させます。この作業が、案外面倒。あちこちのフォルダから、必要な画像を集めてこなくてはならないからです。

そこでCloverという中国製(?)のオンラインソフトを導入してみました。これは、Windowsのエクスプローラーにタブ機能を追加する、というシンプルなものです。これが、とても便利。ひとつの画面でフォルダからフォルダへのファイル複製を行うことができ、作業がずっと簡略化されました。

オンラインソフトの探索をしたのは久しぶりです。高機能のファイラーを使っていれば、必要のない作業だったかもしれません。こうしてできたフォルダをUSBメモリに納めて、明日は松本に持参します。そのフォルダはDropboxの中にあり、必要があれば、いつでもダウンロードできる体制になっているのです。富田庸さんの宝箱のごときパソコンにはとてもかないませんが、少しずつ充実させています。

3つの目標2012年09月07日 14時31分27秒

この4月からというもの、どうにもペースをつかめずに過ごしてきました。相対的に緊張感が低下したため、能率が上がらないのです。従来よりひとつひとつの仕事を丁寧にケアできるようになり、もろもろの準備も早手回しになっていてそれはいいのですが、そのように過ごすだけでは、まとまった結果を残すには至りません。

少し緩めると、月日はどんどん過ぎてしまう。昨年より今年の体力は低下しているとしても、だからといって生産力を落としているのでは、ジリ貧です。ゆっくり過ごした1日とがんばった1日では、充実感をもって終われるのは、断然後者。やはり何かに打ち込んで達成感を得ることが自分には必要なのだと認識しました。

「今何をなさっているんですか」と問われて、答えられなかった、この半年。目標を自分自身で作り出す必要があります。そこで考え、3つの目標を設定して、勉強していくことにしました。長期的なものが1つと、中期的なものが1つ、比較的短期のものが1つ。毎日少しずつ進めていこうかと思います。3つとも、うまくいけば世の中への恩返しになるテーマですが、本当に進められるかどうかは、やってみないとわかりません。軌道に乗った段階で、いずれご案内しようと思います。

ケージ問2012年09月05日 23時17分43秒

今日、9月5日は、ジョン・ケージの生誕100年の日だったそうですね。ケージといえば私の周囲にたくさんのファンがいます。しかし私は、まだ、どう聴いていいかわからないでいる段階。そこで、宮田まゆみさんの”One9”を聴きにでかけました(サントリー・ブルーローズ)。これは晩年のケージが宮田さんのために作曲した、笙独奏の大曲です。

宮田さんとは長い知り合いですが、本当に立派になられましたね。冒頭、持ち前の楚々とした口調でおっしゃるには、静かに耳を澄ます曲なのでリラックスして聴いていただきたい、とのこと。静かに耳を澄ますというのは、私が最近価値として強調していることです。私は喜び、リラックスして耳を澄まそう、と思って聴き始めました。

響いてくるのは、微妙な差異をはらみつつ進む、天国的な笙の響きです。リラックスして耳を傾けるうち、私はいつしか、ぐっすり眠ってしまいました(汗)。いびきでもかいたら大変ですから、しまったと目を覚まし、神経を張り巡らせて、響きに集中。あれ、でも緊張しちゃダメなわけですよね。音楽も、ロジックを追うようにはできていません。

そこで客席を見回すと、ここだけの話ですが、生き生きと聴いておられる方も多い一方で、かなりの人が寝ています(笑)。そこで思ったのは、ヒーリング効果で寝るのはかまわないのか、やはり寝てはいけないのか、そういうことを考えること自体必要ないのか、ということ。10~15分の曲が10曲あり、休憩なしに進行しますので、微細な変化に富むとはいえ、単調に思えることも事実。そう思って軽い諦念を覚えたところで、そうか、心を空っぽにして、無我の心境で聴けばいいのではないか、と気づきました。

でも悲しいかな凡人で、すぐに無我の心境にはなれないのです。宮田さんが精魂尽くしたたいへん立派なコンサートでしたが、私がケージの世界に入っていくには、もう少し時間がかかりそうです。

今月の「古楽の楽しみ」2012年09月04日 09時57分52秒

8月が「追悼音楽」という重い企画でしたので、9月は軽く楽しめるものにしたいと思い、テレマンの特集を組みました。テレマンの作品はこれまでもある程度取り上げてきましたが、ご存じのような多作家なので、音源もたくさんあります。やってみて、最近の古楽器演奏の高まりが、テレマンの音楽を着実にひたしていると実感しました。

10日(月)は30代(すなわちアイゼナハ/フランクフルト時代)の作品から、まずカンタータ《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》。1860曲ある教会カンタータの第1174番(!)で、5曲ある同名カンタータの第1曲です。もちろんルターのコラールが使われています。もう1つは、イ短調のリコーダー組曲。有名な作品ですが、シュテーガーとベルリン古楽アカデミーによる演奏が、ポーランド色も取り入れつつ、怒涛の勢い。昔よく聴いた演奏とは別の曲のようです。

11日(火)は、テレマンの楽器の使い方に焦点を当てました。最初に、オーボエとファゴットを管楽器とする管弦楽組曲ロ短調第1番。次に、そこにフルートが加わるホ短調第3番(抜粋)。演奏はプラートゥム・インテグルム(ロシアのピリオド楽器アンサンブル)です。後半は金管を主役とし、アンサンブル・ソナタニ長調(コンチェルト・メナンテ演奏)と、《ターフェルムジーク》第3集から、2つのホルンが入る変ホ長調のコンチェルト(ムジカ・アンフィオン演奏)。いずれも楽器がよく生かされた作品で、演奏して楽しく、聴いて楽しいものです。

12日(水)は、小編成の室内楽曲を並べました。まずイ短調第5番(ポーランド風)とト長調第7番のトリオ・ソナタ(弦)を、コンチェルト・メランテの演奏で。このアンサンブル(ピリオド楽器)は、半分がベルリン・フィル、半分がベルリン古楽アカデミーの奏者なのだそうですね。ベルリン・フィルのバロック演奏もここまで来たかと、隔世の感をもちました。トリオ・ソナタからは、木管によるニ短調第4番を、イル・ガルデッリーノの演奏で加えました。

後半はソロ。《信頼のおける音楽の師》のファゴット・ソナタヘ短調(シンタグマ・アミーチ演奏)で開始し、次に、無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアホ短調(佐藤俊介演奏)、残った時間に、無伴奏ガンバのためのニ長調のソナタから、第2楽章を入れました(クイケン演奏)。

どうしても器楽曲が中心となりますが、13日(木)には、声楽曲を紹介することにしました。まず短いモテットを2曲、《死者は幸いである》と《われらが神は堅き砦》。演奏はヘニッヒ指揮のマクデブルク室内合唱団です。次に1730年の《マタイ受難曲》から、最後の晩餐と、十字架・埋葬の場面。フリーベルガー指揮、シュレーグル音楽ゼミナールの演奏がもう1つですが、音楽的には美しい作品です。1746年と58年の《マタイ》の音源もあったのになぜ1730年の作品を選んだかについては、いずれ改めて書きたいと思います。

名曲!ヴィーデラウ・カンタータ2012年09月03日 08時44分47秒

2日の朝日カルチャー新宿校の世俗カンタータ講座で、《心地よきヴィーデラウよ》BWV30aを採り上げました。そのために準備したことの1つは全13曲の対訳を直近に作ったことですが、6月のドイツ旅行で現地を訪れたことも大きなことでした。この欄でも、お店すらほどんどない町で宿を探したいきさつをご報告しています。隣町からタクシーを呼んでもらって訪れた現地の閑静な一角には、小さな小さな離宮が、ぽつんと立っていました。バッハの時代には、今ある住宅もなく、田野の中だったことでしょう。この地域を与えられた荘園領主へニッケのために、52歳のバッハはカンタータを作曲し、離宮の庭園か内部で初演したわけです。

イメージを蓄えて聴くこの曲は、驚くほどみごとな作品です。運命、幸運、時、エルスター川という4人の寓意的人物が登場して「ドラマ・ペル・ムジカ」を展開し、トランペット・グループを擁する大編成の音楽が、それを彩ってゆきます。その壮大な音楽を、見聞した現地とのミスマッチを感じつつ聴いた私は、「バッハさん、あなたもとことん手抜きを知らない人ですね!」と心で呼びかけてしまいました。

聴いたCDは、晩年のレオンハルトがカフェ・ツィンマーマンとヴェルサイユ・バロック音楽センターを指揮した2007年の録音(α)です。さすがレオンハルトで、細かな響きが散りばめられた、百花繚乱の演奏になっている。彼のチェンバロ演奏は種々の微細な差別化を導入することで情報量が豊かになっているわけですが、それと同様のコンセプトが、オーケストラから伝わってきます。台頭するフランスの古楽演奏グループとの、よき出会いの記録ですね。

この演奏を聴いていて、「一糸乱れぬ」統率されたバッハ演奏を無条件によしとすることはできない、とあらためて思いました。モーツァルトが訪れたマンハイムで、地元の宮廷楽団が「一糸乱れぬ」演奏を繰り広げていたことは有名です。これは歴史上の一大進歩として語られることですが、だったらそれ以前はどうだったのか、ということになりますよね。そのことを考えるヒントがここにあるように思えました。

9月のイベント2012年08月31日 23時25分14秒

8月、終わりました(きっぱり)。9月のご案内ですが、時すでに遅しですね。

1日(土)は、朝日カルチャーのはしご。新宿校の世俗カンタータ講座(10:00~12:00)は、荘園領主への祝賀作品で、《心地よきヴィーデラウよ》BWV30aと《農民カンタータ》を採り上げます。今回は講座用に、《ヴィーデラウ》の台本を訳しました(!)。ちょうど外国から世俗カンタータの項目を寄稿する仕事が入ったので、ていねいに見ておきたいと思います。6月に現地を訪れて、土地勘を養ったのが、ここで生きます。

《農民カンタータ》の方言混じりのテキストは、昔四苦八苦して翻訳した記憶があり、パソコンに入っていないのを残念に思っていたのですが、探してみたら、カペラ・サヴァリアのCDに載っていました。これを使います。

横浜校の「エヴァンゲリスト講座」(13:00~15:00)は、《マタイ受難曲》に到達しました。多角的に扱えますし、扱ってきた作品ですが、横浜では講座の性格を重んじて、文庫の切り口に忠実に進めます。つまり若いころの作品観に立ち戻るわけで、「慈愛」の概念と「感情を扱うやさしさ」がポイントになります。

2日(日)は、埼玉県合唱コンクールの3日目。小学校の部、彩の国の部、一般の部で、一般の部が激戦になりそうです。

この9日(日)から、松本バッハの会で、全6回のバッハ講座を開始します。題して、「バッハの仕事場を覗く」。1回目は「自筆楽譜は何を語るか」というタイトルです。図版を豊富に使いますが、マニアックになりすぎてもいけませんので、冒頭に、バッハ入門に最適な5つの作品を映像で鑑賞し、わかりやすく導入するつもりです。14:00から、松本深志高校教育会館にて。よろしくお願いします。ひと月おきに、来年7月まで続けます。(連絡先0263-88-7874、E-mail:shinri@2938.jp)

15日(土)10:00からは立川の錦町学習館にて、「楽しいクラシックの会」。ワーグナー・プロジェクトがいよいよ《さまよえるオランダ人》に到達します。「CD3選」のコーナーも、毎月楽しんでいただいています。

22日(土)の13:00から、朝日カルチャー横浜校の「エヴァンゲリスト講座」。《マタイ受難曲》の第2回です。8月にできなかったものですから、月2回になりました。

8月のCD2012年08月30日 23時23分50秒

毎日新聞・今月のCD選は、3人の評者がかなり重なりあった先月とは対照的に、全員別々、計9種のCD/DVDが推薦されました。このほうがいろいろな演奏を拾えるのでいいにちがいないのですが、重なり合ったときの、自分の選考がオーソライズされたような嬉しさはありません。コンクールの審査と、同じ心理ですね。

私は昔、カラヤン指揮、ウィーン・フィルというレコードで、《カルメン》を聴き始めました。ゲルマン風のシンフォニックな演奏で、ギロー版の管弦楽伴奏付きレチタティーヴォを使っている。そういう壮大路線だと今はちょっと、と思いつつラトル指揮、ベルリン・フィルの新録音(EMI)を聞きましたが、さすがにそれはなく、オペラ・コミック風の軽妙かつ躍動的な演奏になっています。作品の魅力がやはり一等で、ドン・ホセを演ずるカウフマンの表現力がすごいです。2枚組の全曲CDに抜粋のDVDがついて4,800円というのは、売れ筋の強みですね。

2位に推したのは、「ドラマ」と題する、バッハの世俗カンタータBWV201、207、213のセット。これも、BWV213(岐路に立つヘラクレス)はDVDです。L.G.アラルコン(アルゼンチン人)指揮 ナミュール室内合唱団(ベルギー)、レ・ザグレマンという輸入盤をタワーレコードで見つけたときには、知らないアーチストだし、ともあれ買っておこう、という程度の気持ちでした。しかし聴いてみて、はつらつとした見事な演奏にびっくり。新世代の台頭を、まざまざと感じます。7月の渡邊順生さんの《ヴェスプロ》に出演したシェーン(ソプラノ)が、テノールの櫻田さんとともに出演しています。

林光指揮・ピアノ・編曲 東京混声合唱団による「日本抒情歌曲集」 (フォンテック)を、もう1席に含めました。なつかしい歌の数々が収められ、節度ある高貴な編曲によって、曲の良さが心に染みわたります。林先生のよき遺産だと思います。

篠田さんの傑作2012年08月29日 22時56分31秒

篠田節子さんの小説を、魅入られたように読み続けています。前回ご報告した後も、数冊読みました。際立っていたのは、『女たちのジハード』。広く読まれているものだと思いますが、軽妙かつユーモラスな筆致でいまどきの女性たちの生き様が語られ、引きこまれました。

自分が小説を書いたらどうなるか、シミュレーションぐらいはしたことがあります。でも小説というのは、勇気がないと書けませんよね。最近女性作家ばかり読んでいる理由をわれながら分析すると、多くのページを彩る「生活」の描写が、格段にリアルだということがある。そこに文才と勇気が加われば、こわいものはありません。同性について遠慮なく書ける、というのも大きいでしょうか。

で、大阪からの帰路に読み始めたのが、新潮文庫の新刊『沈黙の画布』。これは私の見るところ大傑作で、平素出先でのみ読む文庫本を、自室で深夜まで読みふけってしまいました。宗教や人生を視点にしたときのすばらしさについてはこれまでも述べてきましたが、『沈黙の画布』では美術に対して、また芸術家の内面や女性関係について、卓越した考察が示されています。今まで読んだ小説には、「そんなことあるはずないでしょ」と思ってしまうようなホラー的、空想的なところが出てきて、さすがの私も引いてしまう部分がありましたが、今度の著作ではそれがなく、密度高い構想で一貫されているのです。一番好きな『聖域』の上に位置づけるかどうか、考えています。