「古楽の楽しみ」9月 ― 2011年09月03日 22時49分29秒
8月の「古楽の楽しみ」は再放送月間でしたので、モンテヴェルディを出しました。「トーマスカントルの音楽」にリクエストをいただいていたのですが、モンテヴェルディに熱中したあおりで、このようになりました。
9月は、バッハに回帰します!バッハでなければ書けなかった音楽、という観点から、バッハの独創性が発揮されているジャンルに焦点を当てて組み立てました。
12日(月)は、オルガン用のトリオ・ソナタ。ギエルミの最新録音がありますので、彼で第1番、第2番。フランスの新鋭アラールで第3番。第6番はフェアブリュッヘンのリコーダー版で聴き比べました(第2楽章は省略)。私がこよなく愛するトリオ・ソナタ、これで全曲放送したことになります。
13日(火)は、無伴奏ヴァイオリン。なるべく新しい、あまり聴かれていない演奏を、という観点から、ホロウェイでソナタ第1番、ミドリ・ザイラーでパルティータ第1番を選びました。ベルリン古楽アカデミーのコンサートマスターをしている日系のザイラーさん、表情豊かな演奏で面白いですよ。
14日(水)は、無伴奏チェロ。ディールティエンスの第4番と、シギスヴァルト・クイケンの第2番を聴き比べる形にしました。バロック・チェロ対ダ・スパッラです。本当はディールティエンスで第2番、クイケンで第4番にしたかったのですが、時間内に収めるにはこうせざるを得ませんでした。時間の問題がなければ、ホロウェイもソナタ第2番にしたいところでした。
15日(木)は、オブリガート・チェンバロ付きのソナタの特集。ガンバ・ソナタの第2番を平尾雅子+武久源造、フルート・ソナタのイ長調をベズノシュウク+タニクリフ、ヴァイオリン・ソナタの第5番をポッジャー+ピノックというラインナップです。
16日(金)は、パロディで名曲を生み出すバッハに焦点を当てました。ト短調の小ミサ曲(パーセル・クヮルテット)とト長調の小ミサ曲(アンサンブル・ピグマリオン)です。後者は去年iBACHで演奏したカンタータ179番に基づいています。
アーリー・バードの方はどうぞお聴きください。
9月は、バッハに回帰します!バッハでなければ書けなかった音楽、という観点から、バッハの独創性が発揮されているジャンルに焦点を当てて組み立てました。
12日(月)は、オルガン用のトリオ・ソナタ。ギエルミの最新録音がありますので、彼で第1番、第2番。フランスの新鋭アラールで第3番。第6番はフェアブリュッヘンのリコーダー版で聴き比べました(第2楽章は省略)。私がこよなく愛するトリオ・ソナタ、これで全曲放送したことになります。
13日(火)は、無伴奏ヴァイオリン。なるべく新しい、あまり聴かれていない演奏を、という観点から、ホロウェイでソナタ第1番、ミドリ・ザイラーでパルティータ第1番を選びました。ベルリン古楽アカデミーのコンサートマスターをしている日系のザイラーさん、表情豊かな演奏で面白いですよ。
14日(水)は、無伴奏チェロ。ディールティエンスの第4番と、シギスヴァルト・クイケンの第2番を聴き比べる形にしました。バロック・チェロ対ダ・スパッラです。本当はディールティエンスで第2番、クイケンで第4番にしたかったのですが、時間内に収めるにはこうせざるを得ませんでした。時間の問題がなければ、ホロウェイもソナタ第2番にしたいところでした。
15日(木)は、オブリガート・チェンバロ付きのソナタの特集。ガンバ・ソナタの第2番を平尾雅子+武久源造、フルート・ソナタのイ長調をベズノシュウク+タニクリフ、ヴァイオリン・ソナタの第5番をポッジャー+ピノックというラインナップです。
16日(金)は、パロディで名曲を生み出すバッハに焦点を当てました。ト短調の小ミサ曲(パーセル・クヮルテット)とト長調の小ミサ曲(アンサンブル・ピグマリオン)です。後者は去年iBACHで演奏したカンタータ179番に基づいています。
アーリー・バードの方はどうぞお聴きください。
9月のイベント ― 2011年09月01日 11時25分48秒
9月になりました。休暇気分を改め、フレッシュな気持ちで新学期に臨みます--と言いたいのはやまやまなのですが、「何とか時間を作りたい」と焦って過ごした8月が結局焦ったまま終わってしまい、弱ったなあという月初めです。まあ、今年一杯はこの状況が続くと割りきってしまうべきかもしれません。
7日からの新学期には、木曜日に、「バッハ特別講義」という新しい授業が始まります(16:20-17:50)。これは、諸分野でバッハに関心をもたれている先生方が私を含めて10人集まり、リレー講義の形でバッハとその時代を論じよう、という企画です。終わったら本になります。
金曜日の「音楽美学概論」(10:40-12:10)は、音楽に対する私の考え方を総括する機会にしようと思っています。月曜日の大学院「音楽美学」は、カントを前期で一区切りにしましたので、後期はヘーゲルに挑戦します。その他は、ゼミの主宰、博論、卒論の指導などです。
外部。3日(土)の朝日カルチャー新宿での音楽入門講義(10:00-12:00)は、指揮者論です。17日(土)の楽しいクラシックの会(立川、10:00-12:00)は、「マリア・カラス再考」と題して行います。24日(土)の朝日カルチャー新宿、《ロ短調ミサ曲》講座(10:00-12:00)は「後半の成立事情、そして〈ニケーア信経〉」。その日13:00からの同横浜バッハ講座は、無伴奏曲がテーマです。
18日、19日の連休には、東京都の合唱コンクールを審査します。また30日(金)からいずみホールでリストのピアノ曲シリーズが始まりますので、関西方面の方々はどうぞよろしく。第1回のケマル・ゲキチ以下、内外の充実した顔ぶれで組んでおります。
7日からの新学期には、木曜日に、「バッハ特別講義」という新しい授業が始まります(16:20-17:50)。これは、諸分野でバッハに関心をもたれている先生方が私を含めて10人集まり、リレー講義の形でバッハとその時代を論じよう、という企画です。終わったら本になります。
金曜日の「音楽美学概論」(10:40-12:10)は、音楽に対する私の考え方を総括する機会にしようと思っています。月曜日の大学院「音楽美学」は、カントを前期で一区切りにしましたので、後期はヘーゲルに挑戦します。その他は、ゼミの主宰、博論、卒論の指導などです。
外部。3日(土)の朝日カルチャー新宿での音楽入門講義(10:00-12:00)は、指揮者論です。17日(土)の楽しいクラシックの会(立川、10:00-12:00)は、「マリア・カラス再考」と題して行います。24日(土)の朝日カルチャー新宿、《ロ短調ミサ曲》講座(10:00-12:00)は「後半の成立事情、そして〈ニケーア信経〉」。その日13:00からの同横浜バッハ講座は、無伴奏曲がテーマです。
18日、19日の連休には、東京都の合唱コンクールを審査します。また30日(金)からいずみホールでリストのピアノ曲シリーズが始まりますので、関西方面の方々はどうぞよろしく。第1回のケマル・ゲキチ以下、内外の充実した顔ぶれで組んでおります。
マグロ丼 ― 2011年08月30日 21時45分12秒
たくさんの路線が交差し、ぐんぐん発展している武蔵小杉。私も、横浜方面の仕事の折などに、よく乗り換えます。したがって、ちょっとした食事を摂ることも多い地域なのです。
そこにおいしいお店があるのは幸便。「三崎港」というマグロ丼のお店が、バラエティといい味といい、とてもいいのです。私はいつも、「本マグロ中トロ丼」というのを食べています。手頃でおいしく、お薦めです。
昨日は、サントリーホールで大野和士さんの《復活》を聴いた後(私の大学の合唱が健闘)、ちょっと遠回りですが食べに行きました。中華系の食事が続いていたため、どうしても食べたくなったのです。
着いてみるとそこには、つけ麺の店が開業していました。私、もう食べるものありません。
そこにおいしいお店があるのは幸便。「三崎港」というマグロ丼のお店が、バラエティといい味といい、とてもいいのです。私はいつも、「本マグロ中トロ丼」というのを食べています。手頃でおいしく、お薦めです。
昨日は、サントリーホールで大野和士さんの《復活》を聴いた後(私の大学の合唱が健闘)、ちょっと遠回りですが食べに行きました。中華系の食事が続いていたため、どうしても食べたくなったのです。
着いてみるとそこには、つけ麺の店が開業していました。私、もう食べるものありません。
あついぞ??熊谷 ― 2011年08月29日 23時57分42秒
お暑うございます。不肖私、今日、熊谷に行ってまいりました。
人生に残された時間を考えると、何事も経験しておきたい、と考える、最近の私。「日本一」の対象ともなると、なおさらです。そこで気になってならないのが、熊谷。暑さをテコに町おこしをしている、との情報もあり、できれば8月のうちに訪れてみたいと思っていました。
出発は、長野から。カッとした日差しで、今日はとくに暑い、という話でしたので、長野新幹線の帰り道、昼食がてら下車するのに絶好、と判断しました。イメージがふくらみます。駅を出たところに、大きな温度計が立っているのではないだろうか。その横に、「本日の順位」という看板があるかもしれない。、市民の方々はきっと、暑さなにするものぞと、気概にあふれた目で、町をぐいぐいと歩いておられることだろう。グッズを販売するおみやげ屋も、並んでいるのではないだろうか。なにしろ、北埼玉随一、20万の都市なのです。
午後2時という絶好の時刻に、熊谷に着きました。駅前に降りてみると、温度計は見当たりません。ワッと身体を包む暑さを警戒していましたが、とくに暑いとは思えない。町は静まり返っていて、強い目で歩いている人は見当たりません。
拍子抜けしましたが、考えてみれば、一番暑い時間帯に外を歩く必要はないわけです。にぎわいは、夜始まるに違いない。だって、夜明かりの灯る店が、けっこう並んでいるのです。歩いているうちに暑さを感じ始めましたが、それは、風がまったくないから。おみやげ屋は見当たりませんね。どうやら、町おこしはまだこれからのようです。私が訪れるぐらいなのだから、ずいぶん来る人もいるのでしょうけれど。
あとでわかったこと。今日は関東は涼しく、熊谷の最高気温は31℃だったそうです。なあんだ、せっかく行ったのに。また、熊谷の中心は上熊谷駅の近くであるらしく、熊谷駅の周辺をちょこっと歩いたぐらいでは、町の真価はわからないようです。これからの町おこし、期待しています。
人生に残された時間を考えると、何事も経験しておきたい、と考える、最近の私。「日本一」の対象ともなると、なおさらです。そこで気になってならないのが、熊谷。暑さをテコに町おこしをしている、との情報もあり、できれば8月のうちに訪れてみたいと思っていました。
出発は、長野から。カッとした日差しで、今日はとくに暑い、という話でしたので、長野新幹線の帰り道、昼食がてら下車するのに絶好、と判断しました。イメージがふくらみます。駅を出たところに、大きな温度計が立っているのではないだろうか。その横に、「本日の順位」という看板があるかもしれない。、市民の方々はきっと、暑さなにするものぞと、気概にあふれた目で、町をぐいぐいと歩いておられることだろう。グッズを販売するおみやげ屋も、並んでいるのではないだろうか。なにしろ、北埼玉随一、20万の都市なのです。
午後2時という絶好の時刻に、熊谷に着きました。駅前に降りてみると、温度計は見当たりません。ワッと身体を包む暑さを警戒していましたが、とくに暑いとは思えない。町は静まり返っていて、強い目で歩いている人は見当たりません。
拍子抜けしましたが、考えてみれば、一番暑い時間帯に外を歩く必要はないわけです。にぎわいは、夜始まるに違いない。だって、夜明かりの灯る店が、けっこう並んでいるのです。歩いているうちに暑さを感じ始めましたが、それは、風がまったくないから。おみやげ屋は見当たりませんね。どうやら、町おこしはまだこれからのようです。私が訪れるぐらいなのだから、ずいぶん来る人もいるのでしょうけれど。
あとでわかったこと。今日は関東は涼しく、熊谷の最高気温は31℃だったそうです。なあんだ、せっかく行ったのに。また、熊谷の中心は上熊谷駅の近くであるらしく、熊谷駅の周辺をちょこっと歩いたぐらいでは、町の真価はわからないようです。これからの町おこし、期待しています。
8月最後の週末 ― 2011年08月27日 23時12分09秒
今、テレビのニュースでモーツァルトの《ケーゲルシュタット》(!)を、皇后陛下がシュミードル(元ウィーン・フィル)らと演奏している情景が流れました。皇后陛下、ピアノお上手ですねえ。
8月も最後の週末になりましたが、今年ほど息が抜けないというか、ずっと焦っている8月はそうなかったんじゃないか、などと思っています。今日は午前と午後、朝日カルチャーの新宿校と横浜校をハシゴし、夜はサントリーホールへ。今週ずっとサマー・フェスティバル(現代音楽祭)をやっていて、今日が、私の聴く3つ目のコンサートでした。今年のテーマは映像、テーマ作曲家は中国のジュリアン・ユーで、たいへん面白いです。よくこうした超硬派なコンサートを大々的にできるものだと、感心します。
帰り道タワー・レコードに寄り、放送用、講演用に、またあれこれと購入しました。ドイツ・ハルモニア・ムンディの「~エディション」というコレクションが安いので、ルネ・ヤーコプスのもの(10枚組で2490円)、カントゥス・ケルンのもの(10枚組で3190円)、フライブルク・バロック・オーケストラのもの(やはり10枚組で3190円)などを購入。どれも半分以上手持ちしていますが、それでもお買い得、と判断しました。演奏者にとっては、こうした集成はありがたいのではないかと思います。
明日は須坂です。長野で大きなイベントがあるらしく、新幹線の指定が全部アウト。前途多難です。
8月も最後の週末になりましたが、今年ほど息が抜けないというか、ずっと焦っている8月はそうなかったんじゃないか、などと思っています。今日は午前と午後、朝日カルチャーの新宿校と横浜校をハシゴし、夜はサントリーホールへ。今週ずっとサマー・フェスティバル(現代音楽祭)をやっていて、今日が、私の聴く3つ目のコンサートでした。今年のテーマは映像、テーマ作曲家は中国のジュリアン・ユーで、たいへん面白いです。よくこうした超硬派なコンサートを大々的にできるものだと、感心します。
帰り道タワー・レコードに寄り、放送用、講演用に、またあれこれと購入しました。ドイツ・ハルモニア・ムンディの「~エディション」というコレクションが安いので、ルネ・ヤーコプスのもの(10枚組で2490円)、カントゥス・ケルンのもの(10枚組で3190円)、フライブルク・バロック・オーケストラのもの(やはり10枚組で3190円)などを購入。どれも半分以上手持ちしていますが、それでもお買い得、と判断しました。演奏者にとっては、こうした集成はありがたいのではないかと思います。
明日は須坂です。長野で大きなイベントがあるらしく、新幹線の指定が全部アウト。前途多難です。
今月のCD/DVD選 ― 2011年08月24日 23時43分04秒
本日の夕刊に、今月のCD選が出ました。
私の1位は、輸入DVDですが、リュリの最高傑作歌劇《アルミード》 の、シャンゼリゼ劇場における上演映像です。クリスティの自信みなぎる指揮(演奏はレザール・フロリサン)、魔女役を熱唱するドゥストラックら歌手たち、モダン・バレエを駆使した新鮮なステージ、いずれもが最高の魅力にあふれ、優雅流麗なフランス様式を堪能させてくれます。カーセンの演出は、寓意的が人物がルイ14世を賛美するプロローグを現代の観光ツァーに設定していて、観光客がバレエを踊ります。私はこういうのを基本的に歓迎しないのですが、幕が空いてからは正統的な舞台になるので、許容範囲内としました。
ジェローム・ローウェンタールというピアニスト、有名ですよね。「師事」したと経歴に乗せている日本人もたくさんいます。しかし演奏は、まったく聴いたことがありませんでした。今回窓口のできた輸入レーベルからリストの《巡礼の年》を届けてもらったのですが、78歳での録音にもかかわらず、明晰かつ若々しい演奏にびっくり。一聴に値すると思い、2位にしました。「ブリッジ」というレーベルです。
オノフリとヂパング・コンソートのライヴもすばらしかったのですが(とくにコレッリ)、1位がバロックなのでこれはあきらめ、3位には、「ある旅路で」と題するドイツ・リートのCD(含むリストのイタリア語歌曲)を入れました(フォンテック)。茶木敏行というテノール歌手、ご存知でしょうか。言葉が生き物のようにすっと入ってくるのに魅了され、聴き通しました。詩を慈しむ姿勢が、手に取るように伝わって来るのです(目の不自由な方だそうです)。ベートーヴェンからシュトラウスまで、というと定番のプログラムが思い浮かびますが、そういう曲はほとんど含まれておらず、じつに渋い選曲。そこにも求道精神を感じます。
崎川晶子さんによる『アンナ・マクダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集』を、西原さんが2位、梅津さんが3位に挙げておられました。私は解説者なので、申し合わせにより選外としています。
私の1位は、輸入DVDですが、リュリの最高傑作歌劇《アルミード》 の、シャンゼリゼ劇場における上演映像です。クリスティの自信みなぎる指揮(演奏はレザール・フロリサン)、魔女役を熱唱するドゥストラックら歌手たち、モダン・バレエを駆使した新鮮なステージ、いずれもが最高の魅力にあふれ、優雅流麗なフランス様式を堪能させてくれます。カーセンの演出は、寓意的が人物がルイ14世を賛美するプロローグを現代の観光ツァーに設定していて、観光客がバレエを踊ります。私はこういうのを基本的に歓迎しないのですが、幕が空いてからは正統的な舞台になるので、許容範囲内としました。
ジェローム・ローウェンタールというピアニスト、有名ですよね。「師事」したと経歴に乗せている日本人もたくさんいます。しかし演奏は、まったく聴いたことがありませんでした。今回窓口のできた輸入レーベルからリストの《巡礼の年》を届けてもらったのですが、78歳での録音にもかかわらず、明晰かつ若々しい演奏にびっくり。一聴に値すると思い、2位にしました。「ブリッジ」というレーベルです。
オノフリとヂパング・コンソートのライヴもすばらしかったのですが(とくにコレッリ)、1位がバロックなのでこれはあきらめ、3位には、「ある旅路で」と題するドイツ・リートのCD(含むリストのイタリア語歌曲)を入れました(フォンテック)。茶木敏行というテノール歌手、ご存知でしょうか。言葉が生き物のようにすっと入ってくるのに魅了され、聴き通しました。詩を慈しむ姿勢が、手に取るように伝わって来るのです(目の不自由な方だそうです)。ベートーヴェンからシュトラウスまで、というと定番のプログラムが思い浮かびますが、そういう曲はほとんど含まれておらず、じつに渋い選曲。そこにも求道精神を感じます。
崎川晶子さんによる『アンナ・マクダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集』を、西原さんが2位、梅津さんが3位に挙げておられました。私は解説者なので、申し合わせにより選外としています。
「3」で斬る《ドン・ジョヴァンニ》 ― 2011年08月23日 13時08分12秒
コンサートの後半は、例年のごとく、管楽アンサンブル伴奏によるオペラのハイライトです(足本憲治さん編曲)。「3」という数をもとにモーツァルトのオペラにどうアプローチできるか、考えました。
三重唱を並べるだけでは、コンサートになりません。《魔笛》には3が活躍しますが、3が単位になるのは、脇役ですよね。そこで気づいたのが、《ドン・ジョヴァンニ》です。このオペラには、三重唱場面が複数あるのみならず、アリアや二重唱に、「事実上の三重唱」になるものがある。ドンナ・エルヴィーラのアリアには脇からジョヴァンニとレポレッロがからみますし、墓場でのジョヴァンニとレポレッロの二重唱には、石像の返事が入ります。そこで、アリアは2曲のみとし、あとは広義の三重唱を並べて、次のようなプログラムを作りました。
騎士長の死の場面→エルヴィーラのアリア→〈カタログの歌〉→〈シャンパンの歌〉→エルヴィーラ、ジョヴァンニ、レポレッロの三重唱(私のいちばん好きな曲)→墓場の二重唱→フィナーレ(ジョヴァンニとレポレッロの食事の場面ですが、途中でエルヴィーラが入り、彼女と入れ替わりに石像が入る)。要するに、男声三重唱によって始まり、男声三重唱によって終わることになります。
マニアックといえばその一語に尽きるでしょうが、3人のバスがまったく違うイメージで使われていることがよくわかり、この角度から眺める《ドン・ジョヴァンニ》もとても面白いと思いました。なにしろキャストが、黒田博(ドン・ジョヴァンニ)、久保田真澄(レポレッロ)、長谷川顯(騎士長/石像)プラス澤畑恵美(ドンナ・エルヴィーラ)という、日本を代表する顔ぶれ。管楽器にも教授陣をはじめとする名手がずらりと揃っており、こんな顔ぶれでレクチャーコンサートができるなんて、ありがたいかぎりです。
というわけで、圧倒的な盛り上がりとなった福岡のコンサートですが、第1部で登場した地元の在学生・卒業生の演奏がレベルも集中度もたいへん高かったことも、貢献として忘れることができません。中でも、在学中親しかった方が立派に歌われたシュトラウスの《万霊節》には、涙を禁じ得ませんでした。6年間に、いろいろな思い出を作った同調会コンサート。これで終わりです。ご協力いただいたすべての方々に感謝申し上げます。
三重唱を並べるだけでは、コンサートになりません。《魔笛》には3が活躍しますが、3が単位になるのは、脇役ですよね。そこで気づいたのが、《ドン・ジョヴァンニ》です。このオペラには、三重唱場面が複数あるのみならず、アリアや二重唱に、「事実上の三重唱」になるものがある。ドンナ・エルヴィーラのアリアには脇からジョヴァンニとレポレッロがからみますし、墓場でのジョヴァンニとレポレッロの二重唱には、石像の返事が入ります。そこで、アリアは2曲のみとし、あとは広義の三重唱を並べて、次のようなプログラムを作りました。
騎士長の死の場面→エルヴィーラのアリア→〈カタログの歌〉→〈シャンパンの歌〉→エルヴィーラ、ジョヴァンニ、レポレッロの三重唱(私のいちばん好きな曲)→墓場の二重唱→フィナーレ(ジョヴァンニとレポレッロの食事の場面ですが、途中でエルヴィーラが入り、彼女と入れ替わりに石像が入る)。要するに、男声三重唱によって始まり、男声三重唱によって終わることになります。
マニアックといえばその一語に尽きるでしょうが、3人のバスがまったく違うイメージで使われていることがよくわかり、この角度から眺める《ドン・ジョヴァンニ》もとても面白いと思いました。なにしろキャストが、黒田博(ドン・ジョヴァンニ)、久保田真澄(レポレッロ)、長谷川顯(騎士長/石像)プラス澤畑恵美(ドンナ・エルヴィーラ)という、日本を代表する顔ぶれ。管楽器にも教授陣をはじめとする名手がずらりと揃っており、こんな顔ぶれでレクチャーコンサートができるなんて、ありがたいかぎりです。
というわけで、圧倒的な盛り上がりとなった福岡のコンサートですが、第1部で登場した地元の在学生・卒業生の演奏がレベルも集中度もたいへん高かったことも、貢献として忘れることができません。中でも、在学中親しかった方が立派に歌われたシュトラウスの《万霊節》には、涙を禁じ得ませんでした。6年間に、いろいろな思い出を作った同調会コンサート。これで終わりです。ご協力いただいたすべての方々に感謝申し上げます。
「3」の自由さ ― 2011年08月21日 22時32分05秒
福岡で、レクチャーコンサートをしてきました。ここ6年間続けてきた、国立音楽大学と同調会(卒業生の組織)の共催によるコンサートで、「モーツァルトの美意識」というタイトルのもとに、私が企画立案をさせていただいてきたシリーズです。
さまざまな制約のもとに考えるテーマがだんだん行き詰まり、今回は、「モーツァルトにとって”3”とは?」という、一風変わったテーマにしました。バッハならば、3は神の数としていたるところを支配しており、そのプログラミングも容易。しかしモーツァルトの音楽は、神学と関係付けて説明するわけにはいかず、3と結びつけて考えたことはありませんでした(《魔笛》の「3」は、フリーメーソンとの関係によるので、ちょっと特別です)。
このテーマを思いついたのは、一つには、変ホ長調K.563のすばらしいディヴェルティメントを演奏したいと思ったから。全6楽章の大曲ですがそこから3つの楽章を選び、弦の三重奏によるこの曲と、ピアノ、クラリネット、ヴィオラによる《ケーゲルシュタット・トリオ》を組み合わせる形で、前半器楽の部を構想しました。
変ホ長調のディヴェルティメントの、秋空をどこまでも昇るような飛翔感、究極の軽やかさは、かねてから私の愛してやまないところだったのですが、じっさいにやってみて実感するのは、やはりこれはトリオ編成だからこそありうる音楽だ、ということ。弦楽四重奏になったのでは、多少とも重くなり、しっかりして、あの融通無碍な感じからは遠ざかることがよくわかりました。
《ケーゲルシュタット》も同じ。ステージでインタビューさせていただいた久元祐子さんが「3には遊びがある」とおっしゃったことが、すべてを言い表しています。2(たとえばヴァイオリン・ソナタ)だと相手と向きあうスタンスになり、4だと枠組みがしっかり出来上がる感じになる。その点、3は自由に遊び合える音楽だというのです。企画して初めて気づく、一つの本質ではありました。
大関博明さんのチームによるディヴェルティメント、久元さん、武田忠善さんの絶妙ペアにヴィオラの民谷可奈子さんを加えた《ケーゲルシュタット》、どちらも本当にいい演奏で、モーツァルトの「3」を、かけがえないものとして楽しみました。後半のオペラについては、次話で。
福岡、いいですね!数知れぬほどの食べ物屋、飲み屋があり、どこも温かく人懐こい雰囲気で、お客さんを待っています。何日でも楽しく滞在できるところだと思いますが、こんなにたくさんお店があってやっていけるのかどうか、いつもながら心配でなりません。
さまざまな制約のもとに考えるテーマがだんだん行き詰まり、今回は、「モーツァルトにとって”3”とは?」という、一風変わったテーマにしました。バッハならば、3は神の数としていたるところを支配しており、そのプログラミングも容易。しかしモーツァルトの音楽は、神学と関係付けて説明するわけにはいかず、3と結びつけて考えたことはありませんでした(《魔笛》の「3」は、フリーメーソンとの関係によるので、ちょっと特別です)。
このテーマを思いついたのは、一つには、変ホ長調K.563のすばらしいディヴェルティメントを演奏したいと思ったから。全6楽章の大曲ですがそこから3つの楽章を選び、弦の三重奏によるこの曲と、ピアノ、クラリネット、ヴィオラによる《ケーゲルシュタット・トリオ》を組み合わせる形で、前半器楽の部を構想しました。
変ホ長調のディヴェルティメントの、秋空をどこまでも昇るような飛翔感、究極の軽やかさは、かねてから私の愛してやまないところだったのですが、じっさいにやってみて実感するのは、やはりこれはトリオ編成だからこそありうる音楽だ、ということ。弦楽四重奏になったのでは、多少とも重くなり、しっかりして、あの融通無碍な感じからは遠ざかることがよくわかりました。
《ケーゲルシュタット》も同じ。ステージでインタビューさせていただいた久元祐子さんが「3には遊びがある」とおっしゃったことが、すべてを言い表しています。2(たとえばヴァイオリン・ソナタ)だと相手と向きあうスタンスになり、4だと枠組みがしっかり出来上がる感じになる。その点、3は自由に遊び合える音楽だというのです。企画して初めて気づく、一つの本質ではありました。
大関博明さんのチームによるディヴェルティメント、久元さん、武田忠善さんの絶妙ペアにヴィオラの民谷可奈子さんを加えた《ケーゲルシュタット》、どちらも本当にいい演奏で、モーツァルトの「3」を、かけがえないものとして楽しみました。後半のオペラについては、次話で。
福岡、いいですね!数知れぬほどの食べ物屋、飲み屋があり、どこも温かく人懐こい雰囲気で、お客さんを待っています。何日でも楽しく滞在できるところだと思いますが、こんなにたくさんお店があってやっていけるのかどうか、いつもながら心配でなりません。
千疋屋の花束 ― 2011年08月19日 00時56分47秒
久々に都内へ。推奨の「アルファウェーブ」新橋店で、マッサージに身を委ねました。ここは本当にいいです。いつもお願いしている河本先生は私の身体を熟知しておられ、本当に行き届いた治療をしてくださいます。今日は、疲れていたこともあり、陶然とした快感の別世界感が強く、なかなか「生還」(←河本先生の言葉)の実感をもてませんでした。
酷暑の中をふらふらと外に出ると、東京が、輝いて見えます。レストランを探しながら、銀座まで散歩。東京大好きだなあという実感が、湧き上がって来ました。私は4歳まで東京にいて、それから長野県に移りましたので、「東京ふるさと」の気持ちは、子供の頃から強烈にもっていたのです。もちろん当時の東京は今とはとても違い、歌謡曲に出てくるような東京であり、銀座であったのですけれど。
銀座三越で買い物と食事をしてから、三越前の理髪店「イガラシ」へ。三越と「イガラシ」の中間にある千疋屋本店で、お祝い用のアレンジメントを購入しました(待ち時間に提供してくれたレモンジュースが絶佳)。なぜかというと、今日は「イガラシ」さんの開店記念日なのです。そのことは妻に指摘され、もちろん私は覚えていませんから、なんで覚えているんだ、といぶかしむと、毎年カレンダーに書き写している、という返事に驚嘆。じゃあ花束でも、ということになったわけです。
というわけで、花束持参で散髪に行きました。お店のご家族は、「先生、覚えていてくださったんですね!!!」とひじょうに喜んでくださり、帰り際も、「覚えていてくださって」っと、重ね重ね感謝してくださいます。私は満面の笑みで、覚えていた理由は言わずに、お店を後にしました。するとまもなく、妹さんが追いすがってくるではありませんか。何ですか、もういいですよ、と振り返ったところ、まだお代をいただいていない、というお言葉。慣れない善意がこれですべてパアとなる、この一日ではありました。いつも、詰めが甘いのです(汗)。
酷暑の中をふらふらと外に出ると、東京が、輝いて見えます。レストランを探しながら、銀座まで散歩。東京大好きだなあという実感が、湧き上がって来ました。私は4歳まで東京にいて、それから長野県に移りましたので、「東京ふるさと」の気持ちは、子供の頃から強烈にもっていたのです。もちろん当時の東京は今とはとても違い、歌謡曲に出てくるような東京であり、銀座であったのですけれど。
銀座三越で買い物と食事をしてから、三越前の理髪店「イガラシ」へ。三越と「イガラシ」の中間にある千疋屋本店で、お祝い用のアレンジメントを購入しました(待ち時間に提供してくれたレモンジュースが絶佳)。なぜかというと、今日は「イガラシ」さんの開店記念日なのです。そのことは妻に指摘され、もちろん私は覚えていませんから、なんで覚えているんだ、といぶかしむと、毎年カレンダーに書き写している、という返事に驚嘆。じゃあ花束でも、ということになったわけです。
というわけで、花束持参で散髪に行きました。お店のご家族は、「先生、覚えていてくださったんですね!!!」とひじょうに喜んでくださり、帰り際も、「覚えていてくださって」っと、重ね重ね感謝してくださいます。私は満面の笑みで、覚えていた理由は言わずに、お店を後にしました。するとまもなく、妹さんが追いすがってくるではありませんか。何ですか、もういいですよ、と振り返ったところ、まだお代をいただいていない、というお言葉。慣れない善意がこれですべてパアとなる、この一日ではありました。いつも、詰めが甘いのです(汗)。
一番 ― 2011年08月18日 01時59分14秒
暑いですね。これで電力が足りているのですから、我慢しておられる方が、たくさんおられるのだと思います。なにぶん情報社会の日本、今日日本でどこが暑かったか、すぐわかります。ご承知のように、熊谷と館林が争っているわけです。これなどは、知らなくてはわからないことですよね。もっと南の地域は、たくさんあるわけですから。
私は大宮にも高崎にも住んでいたので、熊谷(埼玉県)にも、館林(群馬県)にも、違和感はありません。でもそこが酷暑の地域とは、近くに住んでいた頃は思いもよりませんでした。でも皆様、一番は熊谷で、二番が館林、と思っておられませんか?私の親しい方、しかもよくコメントをくださる方が館林に住まいをお持ちのものですから、熊谷が一位、と聞くたびに、はらはらしていました。
でも今日、テレビで学んだのですが、たまさかの酷暑の日に最高記録を取るときには熊谷が一位になるが、さほどでもない時の日本最高気温は、ほとんどが館林で記録されている、というのです。だったら館林を日本一にしてもいいのではないかと思いますが、いかがでしょう。
こう書いていて、「なぜ一番じゃなくてはいけないのですか、二番でもいいじゃありませんか」という、話題の発言を思い出しました。でもやっぱり、一番を目指したいというのは、人間の大切な気持ちですよね。高校野球の季節柄、そう感じます。トータルで一番ではなくとも、かけがえのない自分を主張したい、というのでもいいわけです。
館林に行ってみたいと思いますが(高崎に住んでいた小学生の頃に一度行きました)、どういう観光の楽しみになるのかがわからず、まだ訪れていません。でも、日本最寒というよりも、ユーモアがありますよね。住んでおられる方は、冗談じゃないぞ、とおっしゃるでしょうが・・・。
私は大宮にも高崎にも住んでいたので、熊谷(埼玉県)にも、館林(群馬県)にも、違和感はありません。でもそこが酷暑の地域とは、近くに住んでいた頃は思いもよりませんでした。でも皆様、一番は熊谷で、二番が館林、と思っておられませんか?私の親しい方、しかもよくコメントをくださる方が館林に住まいをお持ちのものですから、熊谷が一位、と聞くたびに、はらはらしていました。
でも今日、テレビで学んだのですが、たまさかの酷暑の日に最高記録を取るときには熊谷が一位になるが、さほどでもない時の日本最高気温は、ほとんどが館林で記録されている、というのです。だったら館林を日本一にしてもいいのではないかと思いますが、いかがでしょう。
こう書いていて、「なぜ一番じゃなくてはいけないのですか、二番でもいいじゃありませんか」という、話題の発言を思い出しました。でもやっぱり、一番を目指したいというのは、人間の大切な気持ちですよね。高校野球の季節柄、そう感じます。トータルで一番ではなくとも、かけがえのない自分を主張したい、というのでもいいわけです。
館林に行ってみたいと思いますが(高崎に住んでいた小学生の頃に一度行きました)、どういう観光の楽しみになるのかがわからず、まだ訪れていません。でも、日本最寒というよりも、ユーモアがありますよね。住んでおられる方は、冗談じゃないぞ、とおっしゃるでしょうが・・・。
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