ドイツ行き迫る2012年06月04日 23時37分00秒

5月に体調を崩したこともあり、ドイツ行きになかなか気乗りがしなかった私ですが、ここへ来て、エンジンがかかってきました。行く前に済ますべきことがたくさんあるのは、現役時代とそう変わらず。日曜、月曜と集中して作業し、ほぼ安全圏に漕ぎ着けました。

パソコンをもっていって更新するか、しばらく閉じて身軽で旅行するか迷っていたのですが、諸事の連絡等にもパソコンが必要ですので、ドイツ通信も行うことにしました。そのためにと、デジカメを購入。木曜日に出発します。

面白い通信を待ってるよ、とおっしゃるあなた。私のドイツ通信に皆さんがどんなことを期待されるかは、わかっております。コインロッカーの鍵がどうしても開かずに途方に暮れる、といった話題を、皆さん、お好みのようなのです。しかし私も有事に備える慎重な性格の人間に成長していますので、ご要望にはお応えできそうもありません。

ガーディナー2003年ライヴの《ヨハネ受難曲》をかけながら書いています。いま、〈溶けて流れよ〉のアリア。すばらしいなあ。彼は自分のレーベルを立ちあげているので、輸入盤を探さないと、新録音に接することができないのですよね。もったいないことです。

今月の「古楽の楽しみ」2012年06月02日 23時55分45秒

今月は、18~21日です。「ドイツ・バロックのオルガン音楽」という特集にしました。目下録音中ですが、結構、愛着があります。

オルガン音楽が、大好きになってしまったのです。これは明らかに、いずみホールのシリーズのおかげ。聴き慣れるにつれて、加速度的に面白くなるのがオルガン音楽です。そこで、声楽曲を交えたりせずに、4日間、オルガンだけが響く企画にしました。前半をバッハに至る系譜、後半をバッハとして、各回を構成しています。

18日(月)は、スウェーリンク、シャイト、ツァホウ、バッハ。演奏者は、フォーゲル、ラムル、レオンハルト、ブリツィ、国分桃代です。バッハはトリオ・ソナタ第4番、プレリュードとフーガイ短調BWV543など。19日(火)はトゥンダー、ブクステフーデ、バッハで、演奏者はフォックルールと小糸恵。バッハはプレリュードとフーガイ長調BWV536、ホ短調BWV548など。しかしブクステフーデも本当にいいと思います(プレリュードとフーガ嬰ヘ短調、シャコンヌホ短調など)。

いま小糸恵さんに注目しているのは、ヴォルフ先生の人選によるいずみホールのシリーズに、日本人として最初に選ばれた方であるからです。ローザンヌで活躍しておられるということで、私もまったく知りませんでした。CDを聴くと、すごいですよ。コンサートは、来年の3月です。

20日(水)は、パッヘルベル、ラインケン、シュトルンク、グリニー(←フランス人ですが)、バッハ。演奏は椎名雄一郎、レオンハルト、イゾワール、フォーゲル。バッハの曲目は《ピエス・ドルグ》BWV572です。

21日(木)はオール・バッハで、ヴィヴァルディのコンチェルト編曲を2つ、アルビノーニのコンチェルト編曲、最後にバッハの《トッカータ、アダージョとフーガ》BWV564。ギエルミ圧巻の演奏で構成しました。

オルガン曲が好きになると、バロックの価値観は倍加します。その一助になることを願っています。

6月のイベント2012年06月01日 23時30分23秒

いよいよ6月ですね。今月は10日間のドイツ旅行がありますので、予定にだいぶしわ寄せが来ています。

2日(土)の10:00から、朝日カルチャー新宿校で仕事始め。世俗カンタータ講座の2回目で、ケーテン時代の祝賀カンタータを取り上げます。具体的には、173番の世俗稿と教会稿をじっくり比較して、パロディを考える一助とします。

9日(土)に予定していた東京バロック・スコラーズの《マタイ受難曲》講演会は、申し訳ないですがキャンセルさせていただきました。しかしビデオで出演します。合唱団のご協力で30分の「番組」を作成してあり、聖書研究の佐藤研先生と指揮者の三澤洋史先生があとをフォローしてくださるようです。16日(土)の「たのくら」例会は、演出の中村敬一先生にピンチヒッターをお願いしました。とてもお話の上手な先生です。

帰国後。23日(土)は朝日カルチャー横浜校のエヴァンゲリスト講座で、今回は「妻に贈る第2の楽譜帳」がテーマとなります。13:00から。翌24日は、14:00からすざかバッハの会の、《ロ短調ミサ曲》講座です。前回から場所が須坂駅前のシルキーホールとなり、電車の方はずっと便利になりました。いよいよ《ニカイア信条》に入ります。

最後30日(土)の10:00からは、朝日カルチャー新宿校の世俗カンタータ講座の次の回。「トーマス学校、ライプツィヒ大学講師のための祝賀カンタータ」3曲を予定しています。以上、どうぞよろしく。

マッサージの後2012年06月01日 00時12分50秒

月曜日が、楽しみな曜日になりかかっています。お気に入りのマッサージ店アルファウェーブに、しばらく通うことにしました。朝の11時に入り、終わるとちょうどお昼時。新橋は大飲食店街ですので、おいしそうなお店がたくさんあります。しかしすぐ食べない方がいいですから、お店探しを兼ね、少し散歩してから食べることにしています。

八方、どちらに行っても、たくさんのお店があります。しかし、おのずと地域の個性がある。そこで、時間のあるときには、なるべく違う方向に行ってみることにしました。ある日は、虎ノ門の方向へ。ある日は、神谷町からサントリーホールへ。ある日は、芝公園から東京タワーへ。汐留の方向、銀座の方向、日比谷の方向、さまざまです。迷って決められず、つい歩き続けてしまうのですが、本格的な日本蕎麦のお店(麻布十番)とか、担々麺の専門店(虎ノ門)とか、いいお店を見つけると、幸せな気持ちになります。

今週は月曜日に静養したので、今日(木曜日)実践しました。ただしお昼を食べたのは、羽田空港です。渡欧が近づいているので、準備を兼ねて出かけてみたのです(お寿司屋ですがとてもいいお店でした)。帰路、銀座へ。山野楽器で「古楽の楽しみ」のためのCDを調達したあと、隣の教文館に入りました。

この書店の3階(キリスト教書売り場)に行くと心が清められるような気がすることは過去に書きましたが、久しぶりに訪れて、その気持を新たにしました。清潔な店内に、ひたむきな研究のオーラが立ち昇っているのです。奥まった音楽書コーナーを見ると、私の本がよく揃えられているのですね。欠けているのが世俗カンタータの本というのはできすぎ(笑)。キリスト教の方々に支えていただいているんだなあと、あらためて思いました。この雰囲気の中に置かれているのが、嬉しいです。

ケリー『初期キリスト教信条史』(一麦出版社)、ニュッサのグレゴリウス『雅歌講話』(新世社)の2冊を買って、店を出ました。

今月のCD選2012年05月29日 23時34分34秒

今月は、図らずもラテン系オンリーになりました。

安川加寿子先生のドビュッシー、これが断然の1位です。ドビュッシー生誕150年を記念してまとめられた、1966~71年録音の4枚組(ビクター)。息を呑むような演奏ばかりで、当時聴く機会を得なかった私は、こんなに偉い先生だったのかと本当に驚きました。音楽・技術の諸要素と世界の多彩なイメージが、ドビュッシーの意図そのままに、完璧に融合しているのです。これから、聴き継がれていってほしいものです。

2位は、ルネ・フレミングの歌うラヴェル、メシアン、デュティユーの管弦楽伴奏付き歌曲集(デッカ)。あのとろけるようにやわらかい声で歌われる《シェエラザード》のエキゾティシズムには、魅力が一杯。メシアンもいいですよ。

3位には、グラナドスのピアノ組曲《ゴイェスカス》を、松村未央さんが演奏したもの(ALM)を選びました。曲は、画家ゴヤの恋を描く、ロマンと民族色にあふれるもの。その意外に大きな世界を、スペイン在住の松村さんが骨太にとらえています。

洒落たカフェ2012年05月28日 22時37分07秒

27日(日)は、先日出版した『教養としてのバッハ』(アルテスパブリッシング)の紹介を兼ねて、共同執筆者の久保田慶一さん、佐藤真一さんとともに、「トークショー」(!)を開催しました。

場所は、原宿から千駄ヶ谷方面に進んだところにある『ビブリオテック』。いまは、こういう空間があるのですね。高級な図書館というか、蔵書を楽しめるカフェで、とても気持ちのよいところです。ここで開催されている「文明講座」の第25回を、私たちのために提供してくださったのです。

私は、司会を兼任。今回の本のできるまで、こうした本だからこそわかったことわかること、その一部の音源付き内容紹介、最近の演奏をめぐってなど、さまざまな話題を提供しました。合計180歳を越える3人では「トークショー」の洒脱さなど望めないのですが、それでも並々でない盛り上がりを実感したのは、満員の、しかも若い方の多いお客様が打てば響くノリのよさで対応してくださったからでした。

着くまではとても疲れていた私も一気にノリが出て、大阪に続いて付き合ってくれたまさお君からも、「絶好調」のお墨付きをいただきました。やっぱりこういう発信が、自分の生きがいであるようです。帰ってきたら、また疲れちゃったのですけれど。

ここ数日2012年05月27日 12時42分28秒

久々に更新しようとネットを開いたら、吉田秀和先生が亡くなられたという記事に接しました。頭脳明晰、衰えを知らない90代をお過ごしのことに驚嘆していましたので、突然の訃報に意表を突かれました。残念です。御著作に感銘を受け、多くのことを学ばせていただいたという点では、私も人後に落ちません。本当に偉大な方でした。ご冥福をお祈りいたします。

水曜日の早朝に出かけて、大阪に3泊。横浜で朝日カルチャーをこなして昨夜帰宅しました。体調がやはりもうひとつで案件の消化に精一杯となり、更新ができませんでした(しかし野球の中継を見られなかったのは幸いでした)。

準備などで結構消耗していた金曜日、とたんにシャキッと覚醒したのは、国立音大のオペラ出演者たちが、意気盛んに乗り込んできたため。武田忠善さん率いる管楽合奏と選り抜きのソリストたち(澤畑、高橋〔薫〕、経種、久保田)、ピアノの久元さんなどとリハーサルを重ねるうち、やはりいい環境ですごい人たちとやっていたんだなあ、という思いが湧き上がって来ました。現役の緊張感はやはり高く、私が少し、緩んでいたのかもしれません。コンサート終了後はワインで旧交を温め、楽しい夜を過ごしました。

深夜の救急外来2012年05月21日 23時14分36秒

地元の方には失礼かもしれませんが、「恐山」って、こわいイメージはないでしょうか。名前が名前なので、そう思ってしまいますよね。私は子供の頃から、下北半島の形がこわいなあ、と思っていました。大きな鎌首を持ち上げたように見えます。出演された僧侶様も、鋭利な顔立ちの若い方で、高齢のゆったりした方とは違っていました。

病院に行く準備をしていたとき、仕事の上で、大きな手違いをしていたことが発覚しました。あいにく、国際的に重要な仕事です。とうてい収拾に取り組むコンディションではないので、ともあれ連絡を取り、「たのくら」にも例会中止の連絡を入れました。しかし40度も熱が出ていると、キーボードを正しく打てなくなりますね。間違い続き。音楽家の方もこうなるのでしょうか。もちろん習熟度は違いますが。

というわけで、大きな心配をかかえての、救急外来入りとなりました。待ち時間2時間、と出ています。1時間半ぐらいでなんとか回って来ました。しかし府中病院の体制には感心しましたね。深夜だというのに、超短波などひと通りの検査をし、かなり待ちましたが(辛い)、その夜のうちに血液検査の結果を出し、投薬もしてくれるのです。本当に、親切。

結果として腸閉塞の疑いは晴れ、腸炎、食あたりかも、ということになりました。点滴の終了を待って、未明に帰宅。ふらふら状態で、再度メール。しつこい夢がつきまとってなかなか眠れなかったのは、『聖域』の読みすぎでしょうか(笑)。

日曜日、ふとんのなかで『聖域』を読了。仕事の手違いは友人がフォローしてくれることになり、その友情に涙。人のよさそうな旭天鵬の優勝にも涙が出ました。天からのご褒美ですね。おかげさまで、今日はかなり回復しています。

恐山2012年05月20日 18時33分37秒

昨土曜日、「たのくら」例会を病欠してしまいました。どうしたの、と思っておられる方もおられると思うので、顛末を記します。

篠田節子さんの『聖域』に魅了され、読み進めていました。話は、編集者が使われなかった古い原稿の中に、異様に力のある文章を見つけるところから始まります。平安時代の仏僧が東北蝦夷(えみし)の世界に住み、禁制の聖山に登って超絶的な体験をする、というのがその小説。失踪した作者を訪ねあて、その先を書かせようという編集者の情熱が、ストーリーの推進力になります。探索は、まさに恐山に向かおうとしているところでした。

「たのくら」の準備は夜にやるつもりで、午後は、NHKの準備に費やしました。6月には、「ドイツ・バロックのオルガン音楽」という企画を出すのです。夕方になるにつれ、体調が顕著に下降しつつあることを自覚。夜は食事が取れず、発熱の兆候が出てきました。

8時からよく見ているのが、BSフジの「プライム・ニュース」という2時間番組です。そのゲストに、なんと、恐山の指導者である僧侶の方が出演されました。著作もあります(南直哉『恐山--死者のいる場所』新潮新書)。まず画面に出てきたのは、最近見たことのない、大きな花嫁人形数体。年少の娘さんを亡くされた方が、山に持ち込まれるのだそうです。折から霊魂のイメージで満ち溢れていた私の頭には、そこに魂が宿っているようにしか思われず、一種、総毛立つような感じを覚えました。僧侶のお話はさすがで、諸行無常のご説明には、心からなるほどと思って聞き入りました。

体調はますます悪くなり、横になって視聴。すると嘔吐するようになり、熱がどんどん上がって、いつ経験したか記憶のない、40度に達しました。死者の話題のあとですから、万一のことが心に浮かびます。そこで、府中病院の救急外来に行くことにしました。着いたのは12時過ぎだったでしょうか(続く)。

過食2012年05月18日 13時02分24秒

昨日の新聞記事に、健康にもっとも悪いものは過食である、と出ていました。たしかに最近言われていることです。反射的に思い浮かべたのは長野県が男女とも長命日本一であること(長野県の食事は本当に質素です)。でも、質素な食事が寿命をのばすのであれば、近年の平均寿命の延長は、理解できません。栄養が十分に取れてしかも過食でない、という理想のラインが、どこかにあるのでしょうか。

いろいろなところで食事をすることが好きになっていますが、当惑するのは、料理の量がお店によってまったくさまざまであることです。私は胃を切っていますし量は少ないほうなので、むしろ、多いほうが困る。残さずに全部食べるという習慣を、子供の頃につけたからです。食料の乏しい頃に育った団塊世代の方は、皆さんそうなのではないでしょうか。

全部食べようという努力は、自分の適量を越えることですから、当然、過食を招きます。私の場合はさらに、手術の後遺症で、気分が悪くなる確率がぐっと高くなる。それで困るのは、人様からお招きを受けたときです。心からの善意で特注のコースが選ばれており、魚と肉がシャーベットをはさんで両方ある、などという場合、同席の方にもお店の方にも配慮して必死に食べ、結局気分が悪くなって退席してしまう。そんなことが、今年になってからも複数回ありました。

もう歳ですから、自分の身体に合った分だけおいしくいただく、という基準を確立したいと思います。どうしたら、感じよくそうできるでしょうか。これがむずかしく、目下考慮中です。お店の方は食べて欲しいと思って腕によりをかけているわけですし、「もったいない」とも、当然思うわけですので。