ここ数日2012年05月27日 12時42分28秒

久々に更新しようとネットを開いたら、吉田秀和先生が亡くなられたという記事に接しました。頭脳明晰、衰えを知らない90代をお過ごしのことに驚嘆していましたので、突然の訃報に意表を突かれました。残念です。御著作に感銘を受け、多くのことを学ばせていただいたという点では、私も人後に落ちません。本当に偉大な方でした。ご冥福をお祈りいたします。

水曜日の早朝に出かけて、大阪に3泊。横浜で朝日カルチャーをこなして昨夜帰宅しました。体調がやはりもうひとつで案件の消化に精一杯となり、更新ができませんでした(しかし野球の中継を見られなかったのは幸いでした)。

準備などで結構消耗していた金曜日、とたんにシャキッと覚醒したのは、国立音大のオペラ出演者たちが、意気盛んに乗り込んできたため。武田忠善さん率いる管楽合奏と選り抜きのソリストたち(澤畑、高橋〔薫〕、経種、久保田)、ピアノの久元さんなどとリハーサルを重ねるうち、やはりいい環境ですごい人たちとやっていたんだなあ、という思いが湧き上がって来ました。現役の緊張感はやはり高く、私が少し、緩んでいたのかもしれません。コンサート終了後はワインで旧交を温め、楽しい夜を過ごしました。

コメント

_ マッキー ― 2012年05月28日 23時09分55秒

吉田秀和先生の言説で一番残っているのは、音楽評論家になりたいという中学生に対して、「音楽評論とは自分の好みを普遍化すること」と応えている新聞記事を目にしたことでした。
「自分の好み」とは驚きでした。評論なのだから、主観ではなく客観でなければならないと思うのに。でも、これに続く言葉が「普遍化」ですから、この二つの言葉をシンプルに繋いだ所に、評論の本質が隠されているような気がしたのでした。「普遍」は「客観」を超えている言葉とも解されますので。
音楽を聴いて、主観から出発したものを、その人の感性、知識、芸術全般の経験などを踏まえて客観化していき、さらに、その人の世界観や人生観なりを総動員し、その客観化をし続ける先に「普遍」が見えてくるのかな、と。そしてそこには、人格があらわれてしまうので、己との戦いや内観がとても大事である、と思うのです。

_ I招聘教授 ― 2012年05月29日 00時59分33秒

まったくおっしゃるとおりで、すばらしいご意見です。評論には「自分の意見」が大切ですので、主観から出発せざるを得ません。しかし自分を突き放して見ること、外の世界から学ぶことで、普遍性へとある程度開かれた主観に踏み出すことができると思います。自分の意見を大切にすることと、自分の趣味にこだわることの区別はむずかしいですが、その違いははっきりあり、それがわかることが、少なくとも条件になると思います。

_ Eno ― 2012年05月29日 12時07分01秒

吉田秀和先生の死を悼むお言葉をしみじみ読ませていただきました。多くのかたのご発言のなかで、わたしには一番ぴったりくるお言葉でした。いつもはブログを読ませていただくだけで、コメントは控えていましたが、今回は感謝と共感をお伝えしたくて、一言書き込ませていただきました。

_ ルビー ― 2012年05月30日 00時22分48秒

吉田秀和先生のお言葉に深く感銘を受けたのは、晩年のホロヴィッツ来日コンサートの折・・・テレビのインタビューで、ある有名女流ピアニストが「~万円の入場料は香典だと思っている」などと仰天の失礼な発言!
秀和先生曰わく「ひびの入った骨董品」…かけがえのない敬意のこもった表現に、何という風雅で気高い心のお人かと感動しました。

昨日お目当てのDVDを探しに寄り道した新宿のタワーレコード…エレベーターを降りるとすぐ正面に氏の文庫本がズラリと飾ってあり、何か読んでみたくなりました。(バッハのCD売り場には、I先生の『ロ短調ミサ』と資料が語る方の『アンナ・マグダレーナ』の本が並べてありました!)

そのうち読みたいルビー

_ マッキー ― 2012年05月30日 12時08分37秒

ルビーさん、そうですね。「ひびの入った骨董品」は、私が二番目に残っている印象深い言葉でした。
その言葉に『かけがえのない敬意のこもった表現に、何という風雅で気高い心のお人かと感動しました。』と綴られていることに感動しました!

_ ルビー ― 2012年05月31日 21時21分22秒

あら、マッキーさんありがとうございます。
ご思索のコメント…評論の奥深さに気づかされました!

ピントグッドのルビー

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