今月の「古楽の楽しみ」2012年08月08日 23時55分25秒

7月のチェンバロ協奏曲はとても楽しんでいただけたようです。平素暗く重い曲をよく使うからかなとも思いますが、なにぶんドイツ・バロックが担当ということで、8月はまた暗くなります。お盆を根拠としての、追悼音楽特集です。

最近、ヨハン・ルートヴィヒ・バッハがマイニンゲン大公の逝去に寄せて書いた追悼音楽が掘り起こされ、複数の録音が出ています。入手して聴いてみると、たしかに、スケールの大きな力作。これを14日の火曜日に据えて、前後を構成しました。演奏はバッハ・メダルの受賞者、ヘルマン・マックスのものです。

この作品は1724年の作ですが、26年にバッハがこのJ.L.バッハのカンタータを何曲も演奏し、逝去した大公の台本を自作に使ったのは、追悼音楽の評判が影響したからではないかとも考えられます。幸い、切り札であるバッハのザクセン選帝侯妃追悼音楽(カンタータ第198番)をまだ出していませんでしたので、15日の水曜日にはこれを使います。この作品ばかりは、ちょっと古いですが、レオンハルト盤で聴いていただきます。

大学教会における追悼礼拝では、カンタータの前後に、バッハがオルガンで前奏と後奏を行ったことが記録されています。それはカンタータと同じロ短調であったはずで、同時期の作品、プレリュードとフーガBWV544だったのではないかというのが、ヴォルフ先生の考え。そこで放送では、コープマンによるこのオルガン曲を、前後に使ってみました。テンポが速いので、ちょうど入れることができました。

13日(月)は、シュッツのムジカーリッシェ・エクセークヴィエンとヨハン・クリストフ・バッハの死をめぐる音楽。出身地を治める領主ポストフームス侯に捧げるシュッツの音楽もすばらしいですが、その真価を伝える演奏となると、ずっと古いマウエルスベルガー指揮、ドレスデン聖十字架合唱団以降のものは選べませんでした。19日(木)は、ハンブルク市長ガルリープ・ジレムの葬儀に捧げるテレマンの作品(1733年)です。ミヒャエル・シュナイダーの演奏。

というわけで、重量感に富む作品が並びます。9月はテレマン特集で軽くいきますのでご容赦ください。

つながった仕事2012年08月07日 23時57分01秒

風邪は相当よくなり、今日は座談会に出席しました。ご心配をおかけしてすみません。

オルガン・コンサートの後、『エヴァンゲリスト』と『マタイ受難曲』の初版本をもって長いこと待っていてくださった九州のお医者様とお話しました(コメントもいただいています)。びっくりしたのは、その方が、前日メールを交換した読者の方とまったく同じことをおっしゃったことでした。お二人とも、私の読者になってくださったきっかけは、1982年に私が『レコード芸術』誌に連載した「ミーメのミュンヘン日記」だそうなのです。

楽しく読んでいただこうと、若さにまかせて、軽いノリで書いた連載でした。学者がこういうものを書くことには賛否両論があり、研究に専念すべきだという意見も正論です。しかし私は実践や現場が人一倍好きなタチで、レコード/CDの仕事をたくさんやってきました。なにしろ美学に進学したきっかけが、「レコードの解説が1枚でもできれば本望だ」というものだったのですから。今でもCDを手にすると、ワクワク感があります。

そんな気持ちで手がけた小さな仕事がはるか現在につながっていることがわかり、とても嬉しい気持ちです。どんな仕事でも、どこかで、誰かが見てくれている。だからこそ若い方に、「先へつながるような仕事をすること」が大切だと申し上げているのです。

えびす顔2012年08月06日 12時42分22秒

3日(金)の朝起きてみると、ノドが痛く、かすれたドラ声が出るだけ。今日は大事なトークなのに、とがっかりしました。でも私の理論からすれば、これは吉兆です。暑さでは格上の大阪に入り、ホールに到着してみると、スタッフ全員がえびす顔。今日のコンサートは全席売り切れで、大入り袋が出るというのです。

いずみホールは、821席の中規模ホールです。中規模ホールというのは、意外に満席にしにくいのですよ。小規模ホールに比べてたくさんのチケットを売らなければならず、大規模ホールに比べて、イベント性のある華やかな公演がやりにくいからです。

再説しますと、この日のコンサートはバッハ・オルガン作品全曲演奏会(全14回)の、第1回。プログラムは、ドリア調トッカータとフーガ、小フーガ、エルンスト公子のコンチェルト編曲、ニ長調のトッカータとフーガに、種々のコラールを交えたもの。出演はゲアハルト・ヴァインベルガー(64)で、ミュンヘン音大、デットモルト音大の教授を歴任し、新バッハ協会理事をつとめている重鎮です。オルガン作品全曲録音を、偽作もことごとく含めて成し遂げておいでです。

ぎっしり埋まった客席から注目のまなざしが降り注いでいることに驚いたのは、私以上に、初来日のヴァインベルガーさん。今ではドイツでもオルガンを聴く人は少ないのに、とおっしゃり、ほとんど興奮状態です。恒例のインタビューでも次第に口がなめらかになり、よく話されましたが、幸いにも私がドイツ語絶好調(笑)。6月の旅行が良かったのでしょうかね。

演奏様式は正統派で、テクニシャンではないが、構成力がしっかりしています。加うるに、ストップの選び方、音色の作り方がとてもお上手です。後半に大きくノリが出たのはtaiseiさんのコメント通りですが、中でも最後の3曲が良かったのではないでしょうか。

《イエスよ、わが喜び》BWV713の後半「ドルチェ」の部分で天上から声が降り注ぐようなやわらかい音色が用いられたことに、耳をそばだてられた方も多かったようです。次の辞世コラール《汝の御座の前にいまぞわれ進み出で》BWV668では、コラール旋律がなんとも冴え冴えとした響きでクローズアップされました(この曲は口述筆記の逸話により有名ですが、ただ弾くだけではなんとなく過ぎてしまいます)。そしてそれを受けたニ長調のプレリュードとフーガが、よみがえった青春のような活力をみなぎらせて、コンサートを締めくくりました。選曲に死から復活への流れが想定されていることを、洞察してくださっていたのだと思います。

終了後の拍手は、いつになく熱く、長いものでした。じつに晴れ晴れした表情で演奏を終えたヴァインベルガーさん、快活な奥様と、日本をじっくり旅行して帰られるそうです。

オルガン作品といういわば好事家向けの分野で全曲コンサートを企画できるということ自体、容易にはあり得ないことだと思います。それが、日本にはなじみの薄い演奏家の出演にもかかわらず満員のお客様に支えられてスタートできたということは本当にありがたく、しみじみ幸せを感じた1日でした。ライプツィヒとの提携、ヴォルフ先生の支援、過去の出演者たちの貢献、広報の努力とマスコミのご協力など、幅広い力が結集されてここまで出来上がったものではあることはもちろんですが、なにより励みになるのは、こうした本格的なコンサートを待っていてくださるお客様が大勢おられるということを実感できたことです。がんばらなくては。

土曜日は6時半の新幹線で戻り、朝日カルチャー新宿校に駆けつけて、世俗カンタータの講義。BWV201にはすばらしい新録音がありますので、あらためてご紹介します。講義の後半に風邪は歴然と悪化し、青息吐息。週末は休養を余儀なくされました。しかしこの程度の代償で済むのであれば、安いものです。

御礼2012年08月04日 23時05分24秒

留守中にたくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。金曜日のオルガン・コンサートのことは詳しくご報告したいと思いますが、風邪の調子が悪く、明日までお待ちいただきます。今日は、ゆっくり休みたいと思います。

8月のイベント2012年08月03日 01時02分10秒

恒例のご案内です。

3日(金)は19:00からいずみホールで、バッハのオルガン作品全曲演奏会(新シリーズ)の、第1回。著名なゲアハルト・ヴァインベルガー氏が、「受難の悲しみ、救済の喜び」というタイトルの下、《ドリア調トッカータとフーガ》《小フーガ》などを演奏されます。ヴァインベルガー氏はコンサートの重要性を理解して、ずいぶん責任を感じてくださっているとのこと。ぜひ盛り上げて、成功させたいと思います。

4日(土)は10:00から、朝日カルチャー新宿校のバッハ・世俗カンタータ講座。『教養としてのバッハ』でも論じた歌合戦のカンタータ、第201番を、新たに入手したCDで採り上げます。準備は済ませましたが、問題は、間に合うかどうかです(笑)。こうしたパターンは、現役時代とおんなじです。

「たのくら」のワーグナー・プロジェクトは、18日(土)の10:00から(立川市錦学習館)。扱うのは、《オランダ人》以前の初期の3オペラです。19日(日)は、すざかバッハの会の《ロ短調ミサ曲》講座。今回のテーマは〈ニカイア信条〉になります。

24日(金)、25日(土)は恒例の、埼玉県の合唱コンクール審査。26日からの週は、サントリー芸術財団の「サマー・フェスティバル」に付き合います。朝の放送については、あらためてご案内します。

考えさせられたこと2012年08月01日 22時59分40秒

さて、オペラ《白虎》についてです。ダヴィデヒデさんにコメントで「批評記事を楽しみにしている」と先手を打たれてしまいましたが、私は当談話室を基本的に、批評の場とは考えておりません。私は新聞批評という場をもっていますので、価値の厳格な詮索はそちらで行うこととし、当欄では、私が本当にいいと思ったものを、世間的にはマイナーなものも含めてご紹介することにしています。ですから、聴いたものを全部書いているわけではありません。

客観的に見れば、成功した公演だったと思います。名歌手を揃え、すぐれた指揮者と演出家のもとで周到に準備された熱のある公演で、福島県自慢の合唱も、大きな役割を演じました。劇的な盛り上がりも十分あり、地域からの立派な発信と理解しました。

私が満たされなかったのは、ただ一点です。私には、この作品が何を言いたいのか、最後までわからなかったのです。それには、私なりの事情があります。

先日新聞で、編集委員の方が署名されているコラムを読みました。その趣旨は、戦争から逃げ帰っても生きていれば人生は先につながる。そういう生き方を是認する価値観を作るべきではないか、というものでした。要するに、この世で生きることを唯一最上の価値とする、という考え方です。

これには相当考えさせられました。だとすると、「命がけで」とか「死を賭して」という言葉は死語になり、武士道も自己犠牲も否定されてしまう。バッハの安息もワーグナーの救済も、無意味なものになります。もっと言えば、宗教も芸術も不要になる。それらは、この世を超えた価値がある、ということを前提としているからです。

そういう考え方が力をもつ「現代」というものを考え続けていましたので、白虎隊がどのように扱われるかに、私的にとても関心があった。生き残りが主人公となり、結びの言葉が「私は生きる」というものになると聞いていましたので、そうした台本において武士道の価値がどのように救い出されるのか、あるいは救い出されないのかに、興味をもっていたのです。

その意味では、問題提起こそあれ、結果的にははぐらかされてしまった、と言わざるを得ません。それを今回求めるのは酷であるような気もしてきていますが、少なくとも、武士道精神に殉じて自刃する西郷千恵子の場面が、腰越満美さんの熱唱もあってとりわけ感動的であったことの意味は、考えてみたいと思います。

酷暑の会津若松2012年07月31日 23時34分04秒

会津若松には午後2時に到着しましたが、ホテルのチェックインは4時です。そこで、荷物をコインロッカーに預け、市内を散策することにしました。この令名高い都市を訪れるのは初めてです。

汗が吹き出すほとの暑さ。それでも歩き回ろうと思うのは、かつて夏山をやっていたからでしょう。しかし熱中症で死亡ということになってもみっともありませんから、水分の補給は心がけました。かつては下山のおりなど、ビールをおいしくしようと、水分を採らずに歩き続けたものなのですが。

風格のある大きな町。でも喜多方と違って、見所や飲食店が散らばっています。そこで、片道40分ほどかけて鶴ケ城を往復する間に、夕食のお店を偵察しました。これだと思ったメニューは、ソースカツ丼。会津は、独自のソースカツ丼の発祥地らしいのです。候補のお店を3つ、頭に入れました。

そもそもなぜ会津若松にいるか。地元の宝、白虎隊に取材したオペラ《白虎》が、地元の総力を挙げて、今日(27日)、初演されるのです。作曲家も台本作者も、また出演者のほとんども、私の親しい人たち。ソースカツ丼で腹ごしらえをして鑑賞しようと、早めにホテルを出ました。

ところが、当たりを付けていた3つの店が、全部閉まっている。結局食べられないまま、会場の「會津風雅堂」に着いてしまいました。喫茶コーナーに行き、クリームソーダを注文。暑さと空腹に迫られての、おそらく20年ぶりの注文です。

クリームソーダはおいしかったのですが、入れすぎてこぼれてしまったというので、ボランティアの方が平謝り。その様子がいかにも善意に溢れていて、心温まりました。こうした公演ならではの光景です。小さい女の子が務める案内役も、かわいかったですね。

念願の喜多方へ2012年07月29日 23時33分49秒

27日(金)は山根さんが車を出してくれることになり、彼の庵を後にして、喜多方へ。列車で行くとなると米沢→福島→郡山→会津若松→喜多方とたいへん遠回りになりますが、車だとまっすぐ南に下るだけで着きます。一度行ってみたかったところ。目的は、もちろんラーメンです。

駅でラーメン情報満載の地図をもらい、車を駅の側に置いて、市内に向かいました。歩くにつれて、ラーメン屋が増えてきます。この広さにこれだけあるのは壮観。中心地には、夜開く飲み屋やバーも、たくさんあるのですね。つい余計な心配をしてしまうのは、これだけあって、営業が成り立つのか、ということ。なぜなら、道を歩いている人がほとんどいないからです。金曜日の昼間ではありますが。

お店の選択が、大きな問題。なにぶん決断力のない私なので、根拠のない方針を、3つ立てました。1、東京に出店している店は避ける。2、メニューの多い専門店ではなく、普通の食堂に入る。3、先客のいそうなお店にする。結果として選んだのは「あべ食堂」というお店です。

ごく普通の食堂。丼ものなどの並ぶメニューの中に、単に「中華そば」という項目がある。しかし結構いる先客は、みな「中華そば」を食べています。もちろん、われわれも注文。

おいしかったですね。すばらしかった。最近のラーメンは人工的などぎつい味のものが多いと感じるのですが、ここのラーメンは昔ながらの古典的な作りで、やさしくやわらかな味わい。これ1杯食べに来ても正解だな、と思いました。

ここで友と別れ、磐越西線で20分。2時に、会津若松に到着しました。

親友2012年07月28日 08時25分22秒

26日の訪問先は、米沢。大学時代からの親友が、ここに住んでいるのです。オーケストラで知り合いました(彼はファゴット)。専攻は中国史です。

深い思索の士で熱烈な芸術愛好家であるこの方(山根秀樹さん)からは、絶大な影響を受けました。私の書いたものを感動をもって読んだと言って下さる方が時々おられますが、まさにそういうところに、彼からの影響はあると思います。私の著作をすべて克明に読んで下さっている山根さんですが、あちこちで自分に出会われていることでしょう。

高校の教壇を去られた今は、毎日4時に起きて読書し、晴耕雨読の日を送っておられるとか。また私塾を開き、論語と平家物語を講じておられるそうです。勤勉で端正なたたずまいはまったく昔と同じで、不思議の感に打たれました。

芸術を、人生を語り合った翌日に彼が案内してくれたのは、自然の中に立つ庵。そこには農耕具一式が備えられ、辺りには、丹精された植物がいっぱいです。

彼にはもともと遁世の気があり、その意味では、見事な自己実現です。でもこれだけ優秀な方はなかなかいませんので、私はやはり、全国区の発信をしていただきたいと思う。「三顧の礼」の故事が、心に浮かびます。

格段の進歩2012年07月26日 16時28分26秒

不肖私、スマホを変えました。これまでは、初代のエリクソン。これからは、GALAXY SⅢです。

いやあ、いいですね。しのぎを削る業界における二年間の大きさを痛感します。今こうして書いている文章も、はるかに書きやすくなっているのです。

嬉しいのは、「礒山」がデフォルトで変換できること。今までは、礒と山を別々に変換していました。もちろん「雅」もデフォルトです。

よくメールを下さる方に、「いそやま」とひらがなで打ってくる方がおられます。尋ねてみると、単漢字でも変換できないとか。古い機種を使っておられるんだなあと、同情に堪えません。

欠点と言いますと、あまりに画面が広い結果、サイズが薄いながらも大きくなり、ポロシャツのポケットからはみ出してしまう。これだと最新機種を使っていることがわかる人にはわかりますから、自慢しているように思われてしまう。そんな気持ちは少しもないにかかわらず、です。

今日はNHKの録音後、東北新幹線に飛び乗りました。米沢、会津若松、横浜と周ります。電池はまだまだ持ちそうなので、環境作りに励みます。