宮崎から鈴鹿へ ― 2012年07月25日 02時00分35秒
前話に写真を公開しましたのでご覧ください。コンサート終了後は、打ち上げ。印象的だったのは、大薗家の方々の名望とまとまり、支える周囲の方々の温かさでした。ご親族には、国音卒の声楽家もいらっしゃいます。お父様の音頭で市内まで繰り出すことになり、恩師の一人、篠井寧子先生とご一緒にお伴しました。4歳のお嬢さんも最後まで元気いっぱいでしたが、将来、どうなられますやら。
翌日(土曜)はそのツケが回り、疲労困憊。早朝の飛行機に乗っての宮崎→名古屋中部空港→名古屋→白子(鈴鹿)の移動はヘロヘロでした。会場となった鈴鹿国際大学に向かう間に気づいたのですが、鈴鹿市には「磯山」という地域があるのですね。磯山4丁目、磯山2丁目、という感じで。語源は何なのでしょうか。
準備もあわただしく、13:00から講演開始。しかし、研究者の私でも最近やっとわかるようになった《ロ短調ミサ曲》について、一般の短大生に話すことは適切でなかったと反省しています。ご承知の通り、背景からテキストから成立事情から、たいへん複雑な作品だからです。学生さんにはその意味で申し訳なかったですが、合唱団から聴きに来てくださった方が何人かあったのはありがたかったです。
終了後、学長の佐治晴夫先生、お世話いただいた十津守宏さんと、あなご料理で会食。佐治先生は高名な物理学者ですが、音楽にも専門的な素養をお持ちで、音楽、宇宙、時間、存在といった事柄について、突っ込んだ識見を披露してくださいます。理系の大先生は交友範囲にいませんので、一言も聞き漏らすまいと耳を澄ますのが、毎度のこと。3冊も本をいただいて来ましたので、そのうち読書コーナーで紹介しましす。疲れましたが、実りある2日間でした。
翌日(土曜)はそのツケが回り、疲労困憊。早朝の飛行機に乗っての宮崎→名古屋中部空港→名古屋→白子(鈴鹿)の移動はヘロヘロでした。会場となった鈴鹿国際大学に向かう間に気づいたのですが、鈴鹿市には「磯山」という地域があるのですね。磯山4丁目、磯山2丁目、という感じで。語源は何なのでしょうか。
準備もあわただしく、13:00から講演開始。しかし、研究者の私でも最近やっとわかるようになった《ロ短調ミサ曲》について、一般の短大生に話すことは適切でなかったと反省しています。ご承知の通り、背景からテキストから成立事情から、たいへん複雑な作品だからです。学生さんにはその意味で申し訳なかったですが、合唱団から聴きに来てくださった方が何人かあったのはありがたかったです。
終了後、学長の佐治晴夫先生、お世話いただいた十津守宏さんと、あなご料理で会食。佐治先生は高名な物理学者ですが、音楽にも専門的な素養をお持ちで、音楽、宇宙、時間、存在といった事柄について、突っ込んだ識見を披露してくださいます。理系の大先生は交友範囲にいませんので、一言も聞き漏らすまいと耳を澄ますのが、毎度のこと。3冊も本をいただいて来ましたので、そのうち読書コーナーで紹介しましす。疲れましたが、実りある2日間でした。
続・宮崎のキャサリン妃 ― 2012年07月23日 23時56分26秒

プログラムは《月光》ソナタ、バッハ=ブラームスの《シャコンヌ》、《展覧会の絵》というものでした。《シャコンヌ》は、最初のリサイタルで採り上げて以来、シムウェルさんのレパートリーになっています。今回、ブゾーニ編曲に挑戦しようかと思ったが、ブラームスの方がずっといいのでブラームスにした、とのお話。同感です。
《シャコンヌ》の原曲は、無伴奏ヴァイオリンです。すなわち、本来は不可能な手段で、オルガン顔負けのポリフォニーを構築しているのがこの曲。聴き手の想像力に訴える分だけ、深いわけです。これに対しブゾーニの編曲は、グランドピアノを駆使して、ヴァイオリンのできないところを全部顕在化しようとしている。華々しいが、奥行きがありません。一方ブラームスは、左手に限定しているためにヴァイオリンの譜面からあまり離れておらず、手段の制約、想像力に訴えるという本質的な部分を残しています。はるかに、バッハを聴いた気持ちがするわけです。
あまり聴く機会のないブラームス編曲ですが、よく弾き込まれていて、起伏と盛り上がりのある、見事な演奏でした。後半、《展覧会の絵》の演奏も、修士論文で取り組まれただけあって、曲想をよくとらえた、絢爛たるもの。ほっそりしたお姿からは考えられないほど思い切りがよく、めりはりが利いているのです。度胸、という言葉を使いたくなりましたが、どちらもリハーサルに比べて格段にテンポが速かったことからしますと、超ハイ・テンションであられたのかもしれません。
というわけですっかり感心し、どうしてこうしたことが可能であるのかを思い巡らせました。想像するに、次のようなことではないかなあ、と。女性は家庭を持つと時間も労力も大幅に割かれ、音楽に集中できない場合が現実には多いと思います。それは音楽にとってマイナスとしか普通には思われないのですが、その安定感がプラスとなって、音楽的に成長するということがあるのではないか。もちろんいつもそううまくはいかないでしょうが、家庭は単なるマイナスではない、という実例が、ここにあるのではないか。恩師の先生(女性)にそう申し上げたところ、自分もそう思う、とおっしゃいました。世の女性を勇気づけることではないか、と思った次第です。
《シャコンヌ》の原曲は、無伴奏ヴァイオリンです。すなわち、本来は不可能な手段で、オルガン顔負けのポリフォニーを構築しているのがこの曲。聴き手の想像力に訴える分だけ、深いわけです。これに対しブゾーニの編曲は、グランドピアノを駆使して、ヴァイオリンのできないところを全部顕在化しようとしている。華々しいが、奥行きがありません。一方ブラームスは、左手に限定しているためにヴァイオリンの譜面からあまり離れておらず、手段の制約、想像力に訴えるという本質的な部分を残しています。はるかに、バッハを聴いた気持ちがするわけです。
あまり聴く機会のないブラームス編曲ですが、よく弾き込まれていて、起伏と盛り上がりのある、見事な演奏でした。後半、《展覧会の絵》の演奏も、修士論文で取り組まれただけあって、曲想をよくとらえた、絢爛たるもの。ほっそりしたお姿からは考えられないほど思い切りがよく、めりはりが利いているのです。度胸、という言葉を使いたくなりましたが、どちらもリハーサルに比べて格段にテンポが速かったことからしますと、超ハイ・テンションであられたのかもしれません。
というわけですっかり感心し、どうしてこうしたことが可能であるのかを思い巡らせました。想像するに、次のようなことではないかなあ、と。女性は家庭を持つと時間も労力も大幅に割かれ、音楽に集中できない場合が現実には多いと思います。それは音楽にとってマイナスとしか普通には思われないのですが、その安定感がプラスとなって、音楽的に成長するということがあるのではないか。もちろんいつもそううまくはいかないでしょうが、家庭は単なるマイナスではない、という実例が、ここにあるのではないか。恩師の先生(女性)にそう申し上げたところ、自分もそう思う、とおっしゃいました。世の女性を勇気づけることではないか、と思った次第です。
宮崎のキャサリン妃 ― 2012年07月22日 23時44分51秒
宮崎と鈴鹿で仕事をする2日間。かなりの強行日程です。飛行機は羽田発10時だったのですが(ソラシド航空)、あやうく乗り遅れるところで冷や汗をかきました。それは、谷保→川崎→京浜川崎のコースでアプローチしながら、京浜蒲田での乗り換えをうっかりし、品川まで行ってしまったからです。これで40分もロス。でもこのように始まる日の仕事は概してうまくいくというのが、私の理論です。
リサイタルを開かれるシムウェル(大薗)英華さんは、仲間内では有名な方で、ファンが大勢おられます。近況を知りたい方も多かろうと思いますので、少し詳しくレポートしますね。
コンサートは、宮崎市の市庁舎に接した市民プラザの、オルブライト・ホールで行われました。500席の、使いやすいホールです。備え付けのスタインウェイのピアノは最初とても気になりましたが、弾き込むにつれてよくなり、最終的には調律師の方の調整で、十分に効果を発揮しました。あ、リハーサル中に計画停電があったのには驚きました。
個人リサイタルでトークをするのは、むずかしい面があります。下手をすると、とってつけたようになってしまう。聴衆はほとんど初対面の方々ですから、最初のトークで、できるだけの一体感を作る必要があります。いらしているのはシムウェルさんのファンの方々なので、彼女に対するキャッチフレーズを献上するところから始めたいと思いました。そこで考えたのが、タイトルにつけた「宮崎のキャサリン妃」というものです。いかがでしょう。なにしろ、ご主人がイギリス人。たいへん美しく気品がある方という点でも共通です(似てはいません)。うまく考えたつもりですが、だめでしょうか(笑)。
学生の頃とまったく変わっておられないのは信じられないことですが、華麗なテクニックが健在で、音楽的に相当の進歩が感じられたことには、もっと驚きました。恩師の先生も進歩を認めておられたので、私だけの印象ではないと思います。ご家族の世話をし、4歳のお嬢さん(←お人形そのもの)を育て、2つの学校で教え、という多忙な日常を知っていましたので、どうしてこういうことがありうるのか、考えこんでしまいました。(続く)
リサイタルを開かれるシムウェル(大薗)英華さんは、仲間内では有名な方で、ファンが大勢おられます。近況を知りたい方も多かろうと思いますので、少し詳しくレポートしますね。
コンサートは、宮崎市の市庁舎に接した市民プラザの、オルブライト・ホールで行われました。500席の、使いやすいホールです。備え付けのスタインウェイのピアノは最初とても気になりましたが、弾き込むにつれてよくなり、最終的には調律師の方の調整で、十分に効果を発揮しました。あ、リハーサル中に計画停電があったのには驚きました。
個人リサイタルでトークをするのは、むずかしい面があります。下手をすると、とってつけたようになってしまう。聴衆はほとんど初対面の方々ですから、最初のトークで、できるだけの一体感を作る必要があります。いらしているのはシムウェルさんのファンの方々なので、彼女に対するキャッチフレーズを献上するところから始めたいと思いました。そこで考えたのが、タイトルにつけた「宮崎のキャサリン妃」というものです。いかがでしょう。なにしろ、ご主人がイギリス人。たいへん美しく気品がある方という点でも共通です(似てはいません)。うまく考えたつもりですが、だめでしょうか(笑)。
学生の頃とまったく変わっておられないのは信じられないことですが、華麗なテクニックが健在で、音楽的に相当の進歩が感じられたことには、もっと驚きました。恩師の先生も進歩を認めておられたので、私だけの印象ではないと思います。ご家族の世話をし、4歳のお嬢さん(←お人形そのもの)を育て、2つの学校で教え、という多忙な日常を知っていましたので、どうしてこういうことがありうるのか、考えこんでしまいました。(続く)
今月のCD選 ― 2012年07月19日 23時54分37秒
6月のCD選はドイツ旅行が入ったため事前に少ない候補から選定せざるを得ず、ここでも採り上げないままになりました。7月はボーナス期の新譜が来て、選択肢は豊富です。それでも3選ですから、少ない月は有利、ということですね。
庄司紗矢香さんがウラル・フィルとの共演で弾いたショスタコーヴィチ のヴァイオリン協奏曲第1番、第2番(MIRARE)を、1位にしました。この演奏、たいへんな密度で進められますが、ショスタコーヴィチにふつう連想する冷たい触感とか、シニカルなユーモアとかとはかけ離れています。それをどう評価するべきかかなり考えたのですが、「熱を帯びつつも慰めに満ちた」ソロに耳を傾けるうち、これは閉鎖的な風土で呻吟するショスタコーヴィチを救済する天からの音楽ではないか、と思うに至りました。たいしたものです。
2位にしたのは、この時期恒例の「アルゲリッチ&フレンズ ルガーノ・フェスティヴァル・ライヴ2011」です(EMI)。今年はアルゲリッチの出番が多く、ラヴェルのコンチェルトのソロのみならず、ザレンプスキの五重奏のような知られざる佳作にも力量を発揮しています。後光のようなオーラがだんだん出てきましたね。これは3人全員の推薦でした。
デノンが出しているOpusArte系のオペラのDVDを、数点見ました。良かったのが、パッパーノが英国ロイヤル・オペラを指揮したヴェルディ《マクベス》 の2011年ライヴ。パパゲーノで有名なキーンリーサイドがヴェルディの主役を立派に、内面を掘り下げつつ歌うことにも感心しましたが、対峙するマクベス夫人に扮したウクライナの新進ソプラノ、モナスティルスカの美声と表現力には驚嘆。大器の出現です。
庄司紗矢香さんがウラル・フィルとの共演で弾いたショスタコーヴィチ のヴァイオリン協奏曲第1番、第2番(MIRARE)を、1位にしました。この演奏、たいへんな密度で進められますが、ショスタコーヴィチにふつう連想する冷たい触感とか、シニカルなユーモアとかとはかけ離れています。それをどう評価するべきかかなり考えたのですが、「熱を帯びつつも慰めに満ちた」ソロに耳を傾けるうち、これは閉鎖的な風土で呻吟するショスタコーヴィチを救済する天からの音楽ではないか、と思うに至りました。たいしたものです。
2位にしたのは、この時期恒例の「アルゲリッチ&フレンズ ルガーノ・フェスティヴァル・ライヴ2011」です(EMI)。今年はアルゲリッチの出番が多く、ラヴェルのコンチェルトのソロのみならず、ザレンプスキの五重奏のような知られざる佳作にも力量を発揮しています。後光のようなオーラがだんだん出てきましたね。これは3人全員の推薦でした。
デノンが出しているOpusArte系のオペラのDVDを、数点見ました。良かったのが、パッパーノが英国ロイヤル・オペラを指揮したヴェルディ《マクベス》 の2011年ライヴ。パパゲーノで有名なキーンリーサイドがヴェルディの主役を立派に、内面を掘り下げつつ歌うことにも感心しましたが、対峙するマクベス夫人に扮したウクライナの新進ソプラノ、モナスティルスカの美声と表現力には驚嘆。大器の出現です。
ピティナ訪問 ― 2012年07月18日 23時35分51秒
今日はピティナ(全日本ピアノ指導者協会)でワークショップ。ネット上でたいへん存在感のある団体で、知人のピアニストも、かなりかかわっておいでです。
本部のある巣鴨には早めに着きました。しかし南口に接しているはずのビルが、どうしても見つかりません。電話してわかったことはわかったのですが、人の集まるところだというのに、看板も案内も、外に出ていないのです。皆さん、どうやってたどり着いておられるのでしょうか。
受講生は熱心でチームワークもよく、気持よくお話することができました。小原孝さんが全回参加しておられるのを知り、びっくり。勉強家なんですね。「バッハ演奏の最新事情」などという誇大なタイトルをつけてしまいましたが、実際には、ピアノでバッハを弾く上で遭遇するであろう問題点を、多くの実例をもとに論じる形にしました。人前でお話をすると、本当に気合が入ります。スタッフの実方さん、小原さんと3人で、インドカレーの昼食。
それにしても今日は、暑かったですね。ここしばらくのオーバーワークもあり、正直参りました。節電、容易ではありません。
本部のある巣鴨には早めに着きました。しかし南口に接しているはずのビルが、どうしても見つかりません。電話してわかったことはわかったのですが、人の集まるところだというのに、看板も案内も、外に出ていないのです。皆さん、どうやってたどり着いておられるのでしょうか。
受講生は熱心でチームワークもよく、気持よくお話することができました。小原孝さんが全回参加しておられるのを知り、びっくり。勉強家なんですね。「バッハ演奏の最新事情」などという誇大なタイトルをつけてしまいましたが、実際には、ピアノでバッハを弾く上で遭遇するであろう問題点を、多くの実例をもとに論じる形にしました。人前でお話をすると、本当に気合が入ります。スタッフの実方さん、小原さんと3人で、インドカレーの昼食。
それにしても今日は、暑かったですね。ここしばらくのオーバーワークもあり、正直参りました。節電、容易ではありません。
圧巻のモンテヴェルディ ― 2012年07月17日 23時56分28秒
梅雨明け猛暑の17日(火)。聖心女子大の前期最後の授業を済ませた私は、タクシーを拾って、サントリーホールへ。今日は渡邊順生さんのサントリー音楽賞受賞記念コンサート(モンテヴェルディ《聖母マリアの夕べの祈り》)があるのです。私は公演自体には関与していませんが、解説と字幕の担当。リハーサルで、字幕をチェックしておかなくてはなりません。
なにぶん失敗の許されないコンサートなので、期待と心配が半ばしていました。なあんだ、となったら最悪です。リハーサルを聴くうちに心配は募り、これで本当に大丈夫だろうか、といぶかしみつつ、本番を迎えました。広い会場に、思いがけず多くのお客様が詰めかけておられます。
しかし本番は、全然違ったのです。声楽、器楽ともに細部までみごとな様式感で仕上げられ、まとまりも気迫も十分。安堵の思いはたちまち、この大傑作への感嘆へと転化しました。詩篇もいいが、はさまれるモテットがすばらしいですね。〈私は黒いNigra sum〉以降は、涙を抑えかねる状況。櫻田亮、谷口洋介のテノール2枚が強力で、両者でかわされるエコーが、随所で作品を引き立てます。ソプラノのセリーヌ・シェーンさんも、パルランドに個性を感じさせる歌でした。でも誰がどうということではありません。みなが一体となって、作品に向かっているのです。
休憩時間に、また終了後にいろいろな方とお話しし、展開される至純の美に心洗われたのは私だけではないとわかりました。渡邊さんの受賞に華を添えたのみならず、サントリーにとっても私にとっても嬉しい、熱い盛り上がりのあるコンサートでした。またモンテヴェルディ病が再発しそうです。
なにぶん失敗の許されないコンサートなので、期待と心配が半ばしていました。なあんだ、となったら最悪です。リハーサルを聴くうちに心配は募り、これで本当に大丈夫だろうか、といぶかしみつつ、本番を迎えました。広い会場に、思いがけず多くのお客様が詰めかけておられます。
しかし本番は、全然違ったのです。声楽、器楽ともに細部までみごとな様式感で仕上げられ、まとまりも気迫も十分。安堵の思いはたちまち、この大傑作への感嘆へと転化しました。詩篇もいいが、はさまれるモテットがすばらしいですね。〈私は黒いNigra sum〉以降は、涙を抑えかねる状況。櫻田亮、谷口洋介のテノール2枚が強力で、両者でかわされるエコーが、随所で作品を引き立てます。ソプラノのセリーヌ・シェーンさんも、パルランドに個性を感じさせる歌でした。でも誰がどうということではありません。みなが一体となって、作品に向かっているのです。
休憩時間に、また終了後にいろいろな方とお話しし、展開される至純の美に心洗われたのは私だけではないとわかりました。渡邊さんの受賞に華を添えたのみならず、サントリーにとっても私にとっても嬉しい、熱い盛り上がりのあるコンサートでした。またモンテヴェルディ病が再発しそうです。
いずみシンフォニエッタ絶好調 ― 2012年07月14日 23時14分14秒
今週2回目の大阪・日帰り往復。疲れましたが、充実した1日でした。
今日は、いずみシンフォニエッタの定期演奏会。いずみシンフォニエッタは現代音楽の演奏を主目的に、最高水準のアーチストを選んで結成された室内オーケストラです。東日本の方々にはまだ馴染みがないと思うのですが、きわめてレベルが高く、覇気のある演奏をします。折があれば、ぜひ聴いてください。あ、私は一人のお客様で、西村朗さんに音楽監督をおまかせしています。
プログラムは、フランセ(生誕100年)の《セレナード》、ドビュッシー(生誕150年)の《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》、プーランクの《オルガン協奏曲》という、フランスの名曲たち。そこに、エリザベート・コンクールのグランプリで時の人となった酒井健治さんの委嘱新作《Danse Macabre》が加わり、興味も魅力も満点の選曲になりました(指揮:飯森範親)。いずみホールのオルガンはフランス仕様なので、プーランクには、バッハ以上にぴったり。土橋薫さんが熱演してくださいました。
先日のご案内に、2つプラスするべきことがありました。18日(水)10:30からはやはりピティナのワークショップがあります(ピアニスト対象)。「バッハ演奏の最新事情~歴史的背景をふまえて~」というテーマを出してありますが、どこまで結果を出せるか心配です。21日(土)は、鈴鹿短期大学で講演をすることを忘れていました。郡山キャンパス・国際文化ホールで、13:00から。《ロ短調ミサ曲》について、新たな構想でお話します。宮崎から直行いたします。
今日は、いずみシンフォニエッタの定期演奏会。いずみシンフォニエッタは現代音楽の演奏を主目的に、最高水準のアーチストを選んで結成された室内オーケストラです。東日本の方々にはまだ馴染みがないと思うのですが、きわめてレベルが高く、覇気のある演奏をします。折があれば、ぜひ聴いてください。あ、私は一人のお客様で、西村朗さんに音楽監督をおまかせしています。
プログラムは、フランセ(生誕100年)の《セレナード》、ドビュッシー(生誕150年)の《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》、プーランクの《オルガン協奏曲》という、フランスの名曲たち。そこに、エリザベート・コンクールのグランプリで時の人となった酒井健治さんの委嘱新作《Danse Macabre》が加わり、興味も魅力も満点の選曲になりました(指揮:飯森範親)。いずみホールのオルガンはフランス仕様なので、プーランクには、バッハ以上にぴったり。土橋薫さんが熱演してくださいました。
先日のご案内に、2つプラスするべきことがありました。18日(水)10:30からはやはりピティナのワークショップがあります(ピアニスト対象)。「バッハ演奏の最新事情~歴史的背景をふまえて~」というテーマを出してありますが、どこまで結果を出せるか心配です。21日(土)は、鈴鹿短期大学で講演をすることを忘れていました。郡山キャンパス・国際文化ホールで、13:00から。《ロ短調ミサ曲》について、新たな構想でお話します。宮崎から直行いたします。
佐治敬三賞2011 ― 2012年07月12日 23時48分10秒
本年度の佐治敬三賞贈賞式がアークヒルズクラブで行われました。この賞は、「チャレンジ精神に満ちた企画でかつ公演成果の水準の高い」コンサートに対して贈られるもので、応募制です。受賞したのは2つの公演で、1つは林千恵子さん(メゾ・ソプラノ)の『アペルギス&クロボカール』。前衛唱法で綴られた無伴奏作品によるコンサートの鮮烈な印象については、過日当欄でも熱くご報告しました。林さんも読んでくださっていたようです。
その場となった、門前仲町の「門仲天井ホール」(小さなビルの最上階にある)。ここに初めて行ったのは、友人の建築家、遠藤さんに面白いホールがあるから、と誘われ、ハーモニカのコンサートを聴きに行ったときでした。よくしたものでその後ご縁ができ、現代音楽の実験的なコンサートを聴きに、数回訪れました。そうした試みにふさわしい空間なのです。ところが、この9月でいったん閉じられるとか。もったいなく思います。
もう1つは、22世紀クラブ主催の「900円コンサート」の一環として行われた、「児玉桃ピアノ・ファンタジーvol.1」というコンサートでした。児玉さんはドビュッシーの《喜びの島》を記念演奏されましたが、幾層ものレイヤーが微妙なソノリティで弾き分けられ、陰影豊かな立体感が浮かび上がる卓抜な演奏。そんなこんなでとてもいい式+パーティとなり、ワインを飲み過ぎてしまいました(笑)。
その場となった、門前仲町の「門仲天井ホール」(小さなビルの最上階にある)。ここに初めて行ったのは、友人の建築家、遠藤さんに面白いホールがあるから、と誘われ、ハーモニカのコンサートを聴きに行ったときでした。よくしたものでその後ご縁ができ、現代音楽の実験的なコンサートを聴きに、数回訪れました。そうした試みにふさわしい空間なのです。ところが、この9月でいったん閉じられるとか。もったいなく思います。
もう1つは、22世紀クラブ主催の「900円コンサート」の一環として行われた、「児玉桃ピアノ・ファンタジーvol.1」というコンサートでした。児玉さんはドビュッシーの《喜びの島》を記念演奏されましたが、幾層ものレイヤーが微妙なソノリティで弾き分けられ、陰影豊かな立体感が浮かび上がる卓抜な演奏。そんなこんなでとてもいい式+パーティとなり、ワインを飲み過ぎてしまいました(笑)。
「客員教授」始動 ― 2012年07月11日 23時44分24秒
今日は大阪音大の初仕事でした。豊中市のキャンパスを訪れると、まず学長から、額入りの「称号記」を拝受。「本学の教育研究の発展に対する貢献を期待して」という一文が入っていました。貢献しなくては。
大勢集まってくださった学生さん、先生方を前に、「研究と実践の協同--私の経験から」というテーマで講演。実際には、自分の生涯を振り返る形で、音楽研究の課題や困難についてお話ししました。90分、水を打ったように静聴していただき、良いスタートを実感できました。
終了後、中村孝義理事長以下、音楽学関係のスタッフ、学生さんと一緒に、味のよいイタリアンで会食。とても家族的な歓待をいただき(それが校風のようです)、もうすっかり一員として溶け込みました。「招聘教授」(東)としての仕事はまだ具体的にやっていませんが、「客員教授」(西)の仕事は、このような形で継続していきそうです。何事でもお役に立ちますという私に、「I客員教授の談話室」というネーミングはいかがでしょうか、という提案あり。考えこんでおります。
大勢集まってくださった学生さん、先生方を前に、「研究と実践の協同--私の経験から」というテーマで講演。実際には、自分の生涯を振り返る形で、音楽研究の課題や困難についてお話ししました。90分、水を打ったように静聴していただき、良いスタートを実感できました。
終了後、中村孝義理事長以下、音楽学関係のスタッフ、学生さんと一緒に、味のよいイタリアンで会食。とても家族的な歓待をいただき(それが校風のようです)、もうすっかり一員として溶け込みました。「招聘教授」(東)としての仕事はまだ具体的にやっていませんが、「客員教授」(西)の仕事は、このような形で継続していきそうです。何事でもお役に立ちますという私に、「I客員教授の談話室」というネーミングはいかがでしょうか、という提案あり。考えこんでおります。
カープ応援します ― 2012年07月09日 23時52分05秒
過日、今年は広島東洋カープの応援で行く、と宣言しました。その後ますますその気持ちが強まり、今やはっきり、カープ・ファンであることを自覚するに至りました。再度、宣言させていただきます。
私はCSを入れているので、どの試合も、見ることができます。でも最近は、カープの試合をもっぱら見て、巨人の試合はサブに確認する、という程度。カープ、本当にいいチームなんですよ。育ち盛りの若手が多く、はつらつとプレーしています。加えて、ファンが温かい。ブログ村を常時読みに行くようになりましたが、皆さん結果に一喜一憂しながらも、とても純朴な雰囲気で書いておられるのです。
たとえば、外国人選手に対して。最近のルイス投手とか、かつてのライトル外野手とか、カープは伝統的にいい外国人を取ってきて、彼らがチームを支えます。去年のバリントン、サファテ両投手の活躍は、すばらしいものでした。今年、この2人は結構打たれているのですが、それでもファンの方々はキレず、これだけの選手が広島に来てくれたことが嬉しい、なかなか援護できずにいるが、ぜひこれからも広島でがんばってほしい、という姿勢なのです。これって、どのチームにもあることではないような気がします。
広島愛を育てていたところへ、巨人ファンの友人からメール。さぞかし嵩にかかってくるのだろうと思ったら、そうではないのですね。その方は野球の応援に疲れ、努力の甲斐あってやっと抜け出すことができた、とおっしゃるのです。
文面によりますと、仮に6割勝って優勝したとしても、自分は4割の負けを我慢することができない。それは地獄の苦しみだ、というのです。そこで情報を遮断し、テレビはもちろん、コンビニでもキオスクでもスポーツ新聞の見出しを見ないようにするところまで努力して、気持ちの平静を得られたそうです。さらに、「今年は広島」という応援の仕方など信じられない、来年は「今年はDeNA」でもいいのか、とおっしゃいます。
じつはほぼ同じことを、別の方からも聞いたことがあるのです。その方は、テレビをつけていても、相手チームの攻撃は、恐ろしくて見ていられない、とか。それを一般化しますと、熱烈な巨人ファンの方は敗戦を許容できず、そのぐらいなら野球を離れる、ということなる。これって、他のチームのファンにはあり得ない特性ではないでしょうか。たとえば阪神ファンは、まったく違いますよね(笑)。
巨大戦力でこれほど好調な今年でさえそういう心境であるとは、巨人ファンも辛いものだと思いました。明日から、巨人・広島戦です。不肖私、「来年はDeNA」とは絶対なりません(きっぱり)。巨人出身の監督には、巨人戦でのみ、がんばっていただきたいと思います。
私はCSを入れているので、どの試合も、見ることができます。でも最近は、カープの試合をもっぱら見て、巨人の試合はサブに確認する、という程度。カープ、本当にいいチームなんですよ。育ち盛りの若手が多く、はつらつとプレーしています。加えて、ファンが温かい。ブログ村を常時読みに行くようになりましたが、皆さん結果に一喜一憂しながらも、とても純朴な雰囲気で書いておられるのです。
たとえば、外国人選手に対して。最近のルイス投手とか、かつてのライトル外野手とか、カープは伝統的にいい外国人を取ってきて、彼らがチームを支えます。去年のバリントン、サファテ両投手の活躍は、すばらしいものでした。今年、この2人は結構打たれているのですが、それでもファンの方々はキレず、これだけの選手が広島に来てくれたことが嬉しい、なかなか援護できずにいるが、ぜひこれからも広島でがんばってほしい、という姿勢なのです。これって、どのチームにもあることではないような気がします。
広島愛を育てていたところへ、巨人ファンの友人からメール。さぞかし嵩にかかってくるのだろうと思ったら、そうではないのですね。その方は野球の応援に疲れ、努力の甲斐あってやっと抜け出すことができた、とおっしゃるのです。
文面によりますと、仮に6割勝って優勝したとしても、自分は4割の負けを我慢することができない。それは地獄の苦しみだ、というのです。そこで情報を遮断し、テレビはもちろん、コンビニでもキオスクでもスポーツ新聞の見出しを見ないようにするところまで努力して、気持ちの平静を得られたそうです。さらに、「今年は広島」という応援の仕方など信じられない、来年は「今年はDeNA」でもいいのか、とおっしゃいます。
じつはほぼ同じことを、別の方からも聞いたことがあるのです。その方は、テレビをつけていても、相手チームの攻撃は、恐ろしくて見ていられない、とか。それを一般化しますと、熱烈な巨人ファンの方は敗戦を許容できず、そのぐらいなら野球を離れる、ということなる。これって、他のチームのファンにはあり得ない特性ではないでしょうか。たとえば阪神ファンは、まったく違いますよね(笑)。
巨大戦力でこれほど好調な今年でさえそういう心境であるとは、巨人ファンも辛いものだと思いました。明日から、巨人・広島戦です。不肖私、「来年はDeNA」とは絶対なりません(きっぱり)。巨人出身の監督には、巨人戦でのみ、がんばっていただきたいと思います。
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