《オテロ》に学ぶ2016年09月22日 10時38分39秒

「たのくら」でヴェルディの《オテロ》を、2回にわたり勉強しました。この偉大な作品に、まこと脱帽の思いです。70代の創作にして、この発展は信じられません。

会員にも好きな方、詳しい方がおられ、ヴェルディが当初タイトルを《ヤーゴ》と付けたがっていた、という話になりました。これは経緯を正確に調べてみるべき話で、職業柄そうしないで話題にするのもいかがかと思いますが、お目こぼしをいただきまして・・・。

オテロもヤーゴもすばらしい人物造形で、その対立も効果満点です。しかしどちらの人物がより独創的かと言われれば、ヤーゴでしょう。第2幕冒頭の〈ヤーゴの信条〉など、前代未聞の音楽と言っていい。

第1幕。ヤーゴはオテロの登場前からその場にいますし、名曲〈乾杯の歌〉の前後で、彼の目論見を実行する。しかし彼に本当にスポットが当たるのは、第2幕です。冒頭にキリスト教の〈クレド〉を裏返した〈信条〉があり、オテロをたぶらかす〈夢の歌〉がある。その最後に、両雄による〈復讐の二重唱〉があります。

豪快なオスティナート音型(←名旋律!)を先立てて始まるこの二重唱、私の好きな曲なのですが、気がついてみると、主旋律を歌うのはヤーゴで、オテロは上を付けているだけなんですね。力関係がこう明らかになると、歌劇《ヤーゴ》第2幕でもおかしくありません。

第3幕もそれでいけるでしょう。最後、ヤーゴは勝ち誇ってオテロを足蹴にしますから。ところが。第4幕でヤーゴは存在感を失い、逃げ去るだけになります。逆にオテロは空前の名場面で独壇場、という形になりますから、やはり《オテロ》第4幕と言わざるを得ません。このあたり、先行研究が存在することでしょう。

古今の演奏を比較すると、昔は大歌手の個人プレーが前面に出ていて、われわれがNHKのイタリア歌劇団に熱狂したのは、まさにそのような公演だった、と痛感します。それからというもの、レコードを選ぶにも、有名な歌手がたくさん出ている方を選んでいたものです。

しかしその後、大指揮者が仕切るオペラという形が世界で進行し、ドラマ優先のオペラが尊重されるようになりました。私は、今後のオペラはいっそうアンサンブルを尊重するようになると予測しています。クルレンツィスのような指揮者とともに、もうそれは始まっている。小さなコンサートホールでオペラをやる場合にはそうした方向が重要で、歌い手の方々にも、それに対応する柔軟性を求めたいと思います。

それは、ヴェルディ自身が求めたことでもあるのです。《オテロ》には精緻なアンサンブル楽曲が見え隠れしており、たとえば第3幕のヤーゴとカッシオの二重唱は、《ファルスタッフ》の世界を指し示しています。《ファルスタッフ》がいかに高度なアンサンブル・オペラに発展してオペラの歴史を塗り替えたかは、皆様ご承知の通りです。

コメント

_ 安易な男 ― 2016年09月22日 15時10分07秒

歌劇《オテロとヤーゴ》

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