混んだ電車で2014年05月11日 21時30分08秒

夕方、混雑する南武線に乗っていたときのことです。優先席ではない3人掛け、すなわち車両の端で、私は奥に入り、つり革につかまりました。

私の隣に白髪の、しかしまだ元気な女性(70歳ぐらい?)が立ちました。すると中央の席の女性(30代後半?)が立って、どうぞ、と席を譲ります。感心感心。ところが譲られた女性は自分で座らず、連れの女性を座らせたのです。座ったのは40歳ぐらいのしっかりした体格の人で、二人は親子に見えました。

すると、左側の席の女性(20代後半?)が立って、まだ立ったままの母親(?)の方に「どうぞ」を席を譲りました。「そうですか」と、彼女は座ります。流れるようにことは進み、親子(?)はああよかったと、盛んにおしゃべりを始めました。

隣で見ていた私は、不愉快になった。真ん中の席の女性は、高齢の方に譲ったのであって、若い方に譲ったわけではないからです。左の席の女性も、白髪にまだ立っていられたのでは、譲らざるを得なくなったのでしょう。妙にスムーズなので、初めてとは思えない。私は、善意で譲った結果立つはめになった元真ん中の女性が気の毒で、これは何か言ったものかどうかと、しばらく考えました。結局、言えないのが私です(汗)。

さて、途中の駅で、私の前の席が空きました。私は立っている善意の女性に、「どうぞ」と声をかけました。一瞬驚いたようですが、私が声をかけた意味は伝わったようでした。しかしその方もそこで降りてゆかれたので、私が座りました。

私が声をかけた意味は、座ってしゃべっていた二人にも伝わったようです。なぜなら30秒ぐらい、おしゃべりが途絶えましたから。彼女たち、得をしたんでしょうかね。そうは思えません。いつか、借りを返す時が来るように思います。

コピペについて2014年05月09日 21時38分50秒

ニュース等に、よく「コピペ」という言葉が出てきます。おおもとにある問題はさておき、私の体験的コピペ論を書かせていただきます。

授業の最後に、試験をする場合と、レポートを課す場合がありますよね。試験でカンニングをするのは、誰が考えてもいけないことです。レポートにおけるコピペも、実質的にはカンニングと同じだと、私は思っています。自分で考え、文章化して提出するべき課題に対して、他人が考えたこと、他人がどこかに発表した文章を、あたかも自分が書いたかのようにして提出するからです。

レポートを読んでいると、これはコピペではないか、手書きであれば、どこかの丸写しではないかという文章に、よく出くわします。妙に訳知りな文章、やけに完成された他人行儀の文章は、疑わざるを得ません。

残念なのは、たいていの場合、疑わしくとも証拠がないことです。突き止める努力をすべきだ、というのは正論ですが、たくさんあるレポートのひとつひとつについてルーツを探して回るというような作業は、気の遠くなるようなことで、普通はできません。では、どう採点するか。

論文やレポートでは、ほとんどの先生が、参考文献を明示せよ、と指導されていると思います。もっといいのは、それを明示した上で、筆者の意見と自分の意見を区別して書くことです。文献にこう書いてある、だから(or こう書いてあるがしかし)私はこう思う、という風に、たとえ小さなレポートでも書くべきなのです。私もそのように指導しています。しかしなかなか徹底しませんので、本当に自分で考えたのかどうかわからない、というものが出てくるわけです。

出所不明のものにいい点は出しませんが、かといって、落第させるのもためらわれます。こういうレポートを出す学生には、多くの場合、わからなければもうけものとか、どうせわからないだろう、という意識があるのではないかと思います。受験社会で育っているのだから、悪いことだという意識はあるはずですが、この授業ならいいだろうとか、あの先生ならわからないだろうとか、甘く見ているわけです。

学位のからむ論文のような場合、コピペはもちろん厳禁です。すべてに、出典の提示が求められます。しかし、序文なり一定部分なりを丸ごとコピペしても、出典を明示しておけば大丈夫だということではありません。自分の学説を組み立てるのは、問題提起から結論に至るまで、自分自身にしかできないからです。

私は、自分なりの文章で学問的成果を綴ることに苦心惨憺している若い人たちを、間近に見てきました。ですから、そのけじめが失われるような風潮、またそれを許容するような言論を、残念に思います。

南太平洋2014年05月07日 22時54分18秒

オランダ旅行中には、日本でもいろいろなことがあったようです。それによって押し出され、報道もされなくなったのが、南インド洋におけるマレーシア機の墜落事件。飛行機に乗る前に起こったことですので、関心をもってウォッチしていました。

南半球に行ったのは一度だけ。北オーストラリアのケアンズです。中学のとき「南太平洋」というミュージカル映画に魅了されて以来、南へのあこがれがずっと心にありました。まあ「南太平洋」という映画はハワイ・カウアイ島でのロケで、現実には北太平洋だったのですけれど。

でも事故の報道でわかったのは、南半球というのはそんなに甘いところではない、ということです。陸が少なく大半が海である結果、強風が吹いて海はたえず荒れ、「吠える40度・狂う50度・絶叫する60度」という言い方があるとか。南インド洋は地球でもっともわかっていない地域だ、という報道も読みました。

陸地が多く、人がたくさん住んでいる北半球は、恵まれているということなのですね。南半球に乗り出した昔の船乗りたちは、勇敢だったんだなあ・・・。

事件は、迷宮入りになりそうです。危険がありお金もかかる深海の探索はそうそうできないのだろうけれど、好都合な幕引きという面もあるようなので、気の毒に思います。

今月の「古楽の楽しみ」2014年05月06日 23時22分16秒

リューベックさんのご指摘をいただいて、今月のご案内をしていないことに気づきました。ご指摘があるということは、案内に基づいて聴いてくださる方がいらっしゃる、ということです。申し訳ありません。じつは連休中、ご厚意で招待していただいたコンサートの日にちを間違え、プラチナ・チケットを無駄にしてしまいました。フランクフルト以来、ツキがない・・・ということではないですね。ミステイクを重ねている私です。

というわけで遅きに失しますが、ご報告を兼ねて、一応。今月は「聖堂の響き」と題して、ドイツ・バロックのカンタータ(+モテット、アリア)を、オルガン曲で縁取りながら紹介しました。

5日(月)は、ブクステフーデの作品。6日(火)は、ヨハン・シェレのカンタータを、リューベックのオルガン曲と併せて紹介しました。ブクステフーデはもちろんですが、シェレ(バッハの先々代のトーマス・カントル)の作品もたいへん美しくて、感心させられます。

7日(水)は、パッヘルベルのオルガン曲を枠組みとして、エルレバッハ、クーナウ、グラウプナーのカンタータとアリアを。エルレバッハとクーナウの憂い、グラウプナーの豊かさ。知られざる作品の良さを、感じていただけると思います。

8日(木)は、ベームのオルガン曲とカンタータ、テレマンのカンタータ2曲です。テレマンのカンタータにも、ルター派の伝統をしっかり感じさせる、いい曲がありますね。こうした作品が、どんどんCD化されています。

次の出演は6月2日からになりますが、鋭意、準備中。バッハのフランス組曲のリレー演奏を、新しい演奏を中心にお届けします。忘れないでご案内しないといけませんね。

先月のCD2014年05月05日 23時49分06秒

先月のCD選は、オランダに行く前に、それまで集まった新譜で行いました。特選に選んだのは、モーツァルトのクラリネット五重奏曲と弦楽四重奏曲第15番ニ短調のカップリング。演奏は、アルカント・カルテットです(独ハルモニアムンディ)。

このカルテットはいいですね。ヴァイトハース、ゼペック、タベア・ツィンマーマン、ケラスという40代後半のソリストによって編成されていて、感覚が新しい。弦楽四重奏が、精妙をきわめたポリフォニーになっているのです。すなわち、4つの線がつねに生命力を保ち、柔軟に動いています。音楽的な主従関係が生じることはあっても、パート間の主従関係は生じない。それでいて名手にありがちな自己主張は抑制され、弱音を生かした透明な造りの中に、細やかな利かしが明滅してゆくのです。

イェルク・ヴィトマンのクラリネットはそう特別とは思いませんでしたが、クラリネットがこれほど弦に溶け込んだ五重奏は初めて聴きました。クラリネットのソロに弦が伴奏を付けるという演奏では(よくあります)、曲が生かされないと、あらためて思った次第。ニ短調四重奏曲もすばらしい演奏で、曲尾の意味深い弾き終わりに驚かされました。

今月のイベント2014年05月04日 11時10分21秒

平素のペースに戻り、ご案内を。

大きなものからいきます。26日(月)14:00から、いずみホールの平日コンサート枠で、日本のうた「日本映画の主題歌たち」を開催します。「1.戦前--映画の普及とともに」「2.大女優・高峰秀子に捧げる」「3.戦後--映画は歌とともに」「4.変わりゆく映画と歌」の4部構成です。

ご想像のように、この企画は、昨年における私の高峰秀子体験から出発しています。映画の歴史と歌のからみも、彼女の『わたしの渡世日記』から学んだもの。そこで、高峰さんと風貌の重なるソプラノ歌手、高橋薫子さんを、このシリーズ常連の田中純さんと組み合わせました。ピアノはもちろん花岡千春さんです。

私はしかし映画のフリークではなく、映画を語ることができません。そこで映画評論家の河内篤郎さんにゲストをお願いしました。第4部「変わりゆく映画と歌」は河内さんの選曲で、《男はつらいよ》とか、《少年時代》が入っています。曲目詳細は、いずみホールのHPをご覧ください。いま、近江俊郎の《南の薔薇》に凝っているところです。

カルチャー。朝日新宿校は7日(火)と21日(火)。10:00からのワーグナーは《ジークフリート》の第2幕、13:00からの《ヨハネ受難曲》は、十字架上の場面に入ります。朝日横浜校は24日(土)13:00からで、バッハの演奏史を「ピアノ VS チェンバロ」という形でたどります。

28年目に入った立川の「楽しいクラシックの会」は、ワーグナー・プロジェクトが受けて、4月29日にはかつてない盛り上がりになりました。《トリスタンとイゾルデ》の人気かもしれません。5月17日(土)10:00から、その第2幕です。

10日と11日には、郡山に参ります。 アマデウス室内管弦楽団のウィーン・フィル・メンバーが加わったリハーサルと本番を聴いてきます。以上、どうぞよろしく。

ヨーロッパ通信2014(17)/反響御礼2014年05月02日 09時40分58秒

このところ、外国旅行に行くたびに連載を行うようになっていました。皆様の反響に後押しされて、旅がいっそう印象的になるのも事実。同時に、皆さんに楽しんでいただける旅をしなくてはならない、というプレッシャーも、大きくなってきていました。ここもよかった、あそこもよかったというだけではご満足いただけないということを、ひしひしと感じていたからです。

しかるに今回は、機内持ち込みバッグをあざやかな手口で盗まれ、その後手ぶらになるという、大きな出来事が起こりました。愕然とする一方で、ああ、これで喜んでいただける、という安堵感が生まれたことは、既報の通りです。

出来事を喜劇的な色彩でご報告する私の脳裡には、皆様がどんな反響を寄せてくださるか、期待する気持ちが生まれていました。どうせなら、呵々大笑沸き返るような反響だといいな、という捨て鉢な気持ちもあったことは否定できません。

ところが、その反響がなかったのですね。しばらくしてtaiseiさんから、「すごいです!」というコメントが入りましたが、二の矢がない。あれほど期待感を表明しておられた何人かの方が、逼塞してしまわれたのです。どう反応したらいいか、思案しておられるご様子です。

業を煮やした私は、コメントで指名さえしながら、反響を促しました。同情してくださる方もあり、当惑しつつ慎重に言葉を選ぶ方もおられました。そりゃそうですよね。私が書く側でも、当惑すると思います。

でも逃げるのはダメ(笑)。100パーセント期待通りの、胸のすくような反応をくださったのは、taiseiさんです。これこそ男の友情、コメントのグランプリです!そこで、taiseiさんに感謝しつつ、コメントを平素読まない方にも読んでいただけるよう以下に引用して、連載の結びといたします。皆様、ありがとうございました。

「教授!すごいです!わざとでないとしたら((笑)(まさかネタのために盗難にあうとも思えませんので)、まさにツキの理論!期待にたがわぬ展開。他人の不幸を喜んでいるようで申し訳ない気持ちもしますが、教授も『安堵感』を感じておられるようですし、生命に危険の及ばない範囲のことの様なのでやっぱり『すごい!』
 さらに続きがある様子。今後どんな展開になるのかまさに『固唾をのんで』待つとはこのことです。期待しています!」(taisei)

ヨーロッパ通信2014(16)/総括2014年04月29日 23時55分30秒

自分の概念を広げてくれる、すばらしい旅行でした。ベネルクスに対する認識が乏しく、オランダとベルギーとの区別もろくについていなかったのは、恥ずかしいかぎりです。オランダとベルギーはどちらも古楽のメッカですが、じっさいにはまったく異なる世界ですね。私の見るところ、観光価値には大差があります。ベルギーが、圧倒的に上だと思います(私見です)。

なぜか。オランダは、新しい国です。17世紀に海洋国家として世界に雄飛し、みごとな市民文化を生み出した。レンブラントの宗教画、ロイスダールの風景画、ホントホルストの風俗画、ハルスの人物画・・・すばらしい美術が目白押しです。18世紀にはもう、衰えてしまったのですけれど。

でも、中世がないのです。近世の文化というのは、人間の所産として、ある程度想像がつく。しかしベルギーに行って中世の大伽藍に接すると、これは桁違いだ、と思わざるを得ません。思えばベルギーにはトゥルネー、クレルヴォといった由緒ある町があり、ルネサンス初期には、フランドル楽派の作曲家たちを輩出したわけですよね。やがて絵画には、ブリューゲル、ルーベンスが出てくる。この厚みは、行ってみて初めて実感したことです。

古い文化というのは、本当に大きな価値です。観光に訪れるわれわれは、町を訪れると何はともあれ、旧市街を目指す。そこに文化があるからです。ですから文化作りには古いものを尊重にする心がなにより大切だと、つくづく思いました。日本人も、変えよう、リセットしようとばかりしていると、将来には何も残らないことになりかねません。伝統に、伝統芸術に、敬意をもちたいと思います(画像は、リエージュ聖パウロ教会の礼拝堂)。


復活祭前のこととて、教会の祭壇画には、十字架降下、ピエタといった遺骸取り下ろしの画像が多数使われていました。オランダでも、ベルギーでもそうでした。遺骸の傷ついた足をいとおしむマグダラのマリアの姿などを見ていると、イエスの刑死がどれほどの悲嘆を周囲の人に呼び起こしたかに、思いを致さずにはいられません。

ああこれか、バッハの受難曲を貫いているものは、と思いました。こういう思いの深さから受難芸術は生まれている。ですから、受難にしっかり向き合わずしては、受難曲の感動は生まれないのです。それは洗礼を受けているかどうかの問題ではなく、想像力の問題、普遍的な宗教性の問題であると思われます。


私の鬼門フランクフルトも、中央広場のあたりはいいところです(汗)。


ヨーロッパ通信2014(15)/楽々と出国2014年04月28日 22時44分37秒

予約したホテルの名前は、なかなか覚えられないもの。直前にメールチェックをして確認するのが、いつものことでした。しかし18日(金)の場合、チェックするすべがありません。「駅前」に取ったはずだ、というのが唯一のヒントでした。

トランクをもって降り立ったユトレヒト駅。東口は長大な駅ビルになっていて、出たところに、簡易なホテルがいくつかあります。対して西口は、広々した再開発地域になっている。離れたところに、ホテルがぽつぽつ。順番に聞いていくつもりでしたが、幸い2軒目が、私の選択したホテルでした。

駅周辺はいたるところ工事中で、風の強い日だったせいか、寒々した印象。美しい街という印象は受けませんでした。一応、大聖堂とその塔の写真を掲載します。通信できないスマホの、最後のバッテリーで撮ったものです。



19日(土)。飛行機は14:40発ですが、もう観光のしようがありませんので、早々と空港に行きました。でも、空港に早く行くのはいいことですね。なにより安心。セキュリティ・チェックも、あっという間に済んでしまいました。手荷物がないのだから、当然です。でも楽ですよ!

早々と出国を済ませ、KLMのラウンジに行きました。はい、エコノミーの方は、入れてもらえないところです。厳重なチェックを要望します。

広々と静かなスペースが用意され、セルフサービスで、ハイネッケンのビールも、ワインもシャンパンも、自由に飲むことができる。飛行機で寝るためにはなるべく飲んでおこうという気持ちが働き、けっこう、たくさん飲んでしまいました。時間に合わせて動いたのでは、ここまで楽しむことはできません。次は、出発の時も、早く着きたいと思います。

買い物もしませんでしたから、行きよりもかなり少ない荷物で帰ってきました。成田でトランクを送れば、あとは手ぶらです。紛失したルーターは、案外高くつきました。まあ、いい勉強がです。帰った日本は、じつに清潔で美しいと思いました。

次は、旅行の総括をさせてください。

ヨーロッパ通信2014(14)/手ぶらと空腹2014年04月27日 09時09分17秒

事後処理をすませて、ホテルを出発。2時間ほどロスが生じました。手ぶらの旅行は、楽ですね。「珍道中」(N市のNさん)というには、気勢が上がりませんが・・。

円は鞄の中、ユーロは財布の中と分けていて、円の方が多かった。でもユーロも残りがありましたので、ケルンで、音楽と神学の文献を少し探そうと思いました。フランクフルトからケルンはICEで一駅。でも値段は高いです。ケルンでまず昼食、ビールでも飲んで頭を冷やそう、という計画を立てました。

ケルン着。国際列車は本数も少なく案外混んでいます。用意のいい私はまず指定券を確保しようと、自動販売機へ。次便は夕方になってしまいますが、文献探しにはちょうどいいか、と思いつつ、チケットを手にしました。

ところがよく見ると、発車は5分後。自動販売機の操作を間違えたようなのです。窓口で変更してもらう手もありましたが、もう行ってしまえという気になり、列車を探しました。停車中の列車は、今フランクフルトから乗ってきたICE。なんだ、停車中に切符を買い直しただけか。

ノドが渇き、眼が血走っていたかどうかわかりませんが、お腹は空いています。一等車では女性の車掌さんが食べ物を配っていましたので、ソーセージとビールを注文。腹が減っては、戦ができません。

しかし、待てど暮らせど来ないのですね。乗車が12時20分、オランダに入ってユトレヒト着が15:00でしたが、ついに配達がありませんでした。これって、怒っていいと思いません?

「泣き面に蜂」とか「水に落ちた犬は叩け」とかいう成句も浮かぶ状況でしたが、ケルンでの資料探しを割愛したのは、結局正解でした。ユトレヒトに着いたその足で、スキポール空港に行くゆとりが生まれたからです。

盗まれたバッグの中の最重要品目のひとつは航空券でしたが、これはパスポートで、無事再発行してもらうことができました。次いで、預けたままのトランクを出しに、コインロッカーへ。なにしろ前科があるのでコインロッカーにはいつも緊張しますが、これも無事に落掌。ようやくハイネッケン・ビールとサンドイッチで、昼食を摂りました。17:00近くです。

荷物と共に、再びユトレヒトへ。この日最後の懸念は、自分が泊まるホテルを探し当てられるかどうか、ということでした。言葉の問題ではありません。調べるすべがないのです。