コピペについて2014年05月09日 21時38分50秒

ニュース等に、よく「コピペ」という言葉が出てきます。おおもとにある問題はさておき、私の体験的コピペ論を書かせていただきます。

授業の最後に、試験をする場合と、レポートを課す場合がありますよね。試験でカンニングをするのは、誰が考えてもいけないことです。レポートにおけるコピペも、実質的にはカンニングと同じだと、私は思っています。自分で考え、文章化して提出するべき課題に対して、他人が考えたこと、他人がどこかに発表した文章を、あたかも自分が書いたかのようにして提出するからです。

レポートを読んでいると、これはコピペではないか、手書きであれば、どこかの丸写しではないかという文章に、よく出くわします。妙に訳知りな文章、やけに完成された他人行儀の文章は、疑わざるを得ません。

残念なのは、たいていの場合、疑わしくとも証拠がないことです。突き止める努力をすべきだ、というのは正論ですが、たくさんあるレポートのひとつひとつについてルーツを探して回るというような作業は、気の遠くなるようなことで、普通はできません。では、どう採点するか。

論文やレポートでは、ほとんどの先生が、参考文献を明示せよ、と指導されていると思います。もっといいのは、それを明示した上で、筆者の意見と自分の意見を区別して書くことです。文献にこう書いてある、だから(or こう書いてあるがしかし)私はこう思う、という風に、たとえ小さなレポートでも書くべきなのです。私もそのように指導しています。しかしなかなか徹底しませんので、本当に自分で考えたのかどうかわからない、というものが出てくるわけです。

出所不明のものにいい点は出しませんが、かといって、落第させるのもためらわれます。こういうレポートを出す学生には、多くの場合、わからなければもうけものとか、どうせわからないだろう、という意識があるのではないかと思います。受験社会で育っているのだから、悪いことだという意識はあるはずですが、この授業ならいいだろうとか、あの先生ならわからないだろうとか、甘く見ているわけです。

学位のからむ論文のような場合、コピペはもちろん厳禁です。すべてに、出典の提示が求められます。しかし、序文なり一定部分なりを丸ごとコピペしても、出典を明示しておけば大丈夫だということではありません。自分の学説を組み立てるのは、問題提起から結論に至るまで、自分自身にしかできないからです。

私は、自分なりの文章で学問的成果を綴ることに苦心惨憺している若い人たちを、間近に見てきました。ですから、そのけじめが失われるような風潮、またそれを許容するような言論を、残念に思います。

コメント

_ かみや ― 2014年05月17日 23時55分35秒

コピペですか。。その前に大量に翻訳が要求されることがこんなに大変なのかと、このところ思い知らされております。英語なら見当がつくのですが、ドイツ語は。。泣いております。。(汗

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