なくなる夢 ― 2009年03月16日 23時50分34秒
テレビ・ニュースによりますと、宇宙飛行士はカルシウムがどんどん減って、骨粗鬆症になるそうですね。そういうことが、次々にわかってきます。味気ないかぎり。いま普及しつつあることも、長い目でみると、有害であることが立証されるかもしれませんね。たとえば近視の手術なんて、どうなんでしょうか。戦後杉をたくさん植えたことも、いま、多くの人の害になっているわけですよね。
昔は宇宙少年、天文少年でした。宇宙には夢を持っていて、宇宙旅行をしたかったし、その種のSF小説をたくさん読みました。昔の人の夢は、もっと、限りなく大きかったことでしょう。「竹取物語」の生まれるゆえんです。そう考えると、いまが夢のない時代と言われるのも当然で、夢をどこに求めたらいいのか、困ってしまいます。
壮絶な裏話 ― 2009年03月15日 22時48分38秒
本当に忙しい3月。ここ数日は、博士、修士の学生の発表会が続いています。声楽の学生の論文指導をしており、担当の学生が次々とステージに出てくるものですから、人ごとではない、という思いで真剣に耳を傾けています。ご紹介したい演奏もありますが、まだ進行中なので、あらためて。
『交渉術』(文藝春秋)、読了しました。このタイトルだと、箇条書きのハウツー本の一種に見えますよね。さにあらず。以前別著を紹介した佐藤優さんによる、国家間の情報戦裏話です。
すごい、と打ちのめされてしまいます。007のような世界が現実に存在するのを知るだけでも結構なインパクトですが、現場の最先端で裏活動をしていた人がぎりぎりまで実態を明かしてゆくのですから、迫力の度合いが違います。国際政治の現場というのは何と壮絶で、その実話を読むことは何と面白いのでしょうか。著者を尊敬します。
吹き出しが・・・ ― 2009年03月13日 21時49分13秒
何か、カウンタの存在が明らかになったとたんにせっせと更新しているようで気が引けるのですが、とりあえず、カウンタの手の内を読み取ろうという気持ちで、更新と順位の関係を調べています。
いままでは更新するとかならずアップし、しないでいると落ちていました。ところが今回初めて、更新したにもかかわらず順位が下がったのです。金曜日は更新ラッシュだった、ということでしょうか。25位から30位になったのですが、そしたら、吹き出しが癪。「ここにきて、ペースダウンかいっ!!」ですって。やかましい!!!
こんなものに踊らされていてははじまらないので、無視します。しかしその前に、吹き出しのバラエティを見極めておきたいと思います。でもアサブロの人たちって、みんな同じものを見てやってるんだよね。
セレモアで講演 ― 2009年03月12日 22時41分33秒
セレモアつくば立川の敷地内にコンサートホールがあることをご存じの方は少ないことでしょう。外からは見えませんが、永田穂先生設計のホールがあり、そこには、プレイエル、エラールなど4台のピアノが揃えられているのです(近々ヴァルターのフォルテピアノが入るとか)。
「セレモアコンサートホール武蔵野」というその空間で、今日レクチャーコンサートをやりました。私の音楽美学の切り札である時間論をわかりやすく編集した講演の中に、久元祐子さんの実演をはさんでいく形でした。演奏されたのは、シューベルト《音楽に寄せて》、ショパン《雨だれ》《小犬のワルツ》、シューベルト《水の上で歌う》、モーツァルト《ソナタヘ長調》の第2楽章、バッハ《平均律第1巻》のハ長調プレリュード。私の話の趣旨に完璧に即した久元さんの名サポートで、私としても会心の出来となりました。プレイエルの銘器の響きがすばらしく、お集まりいただいた立川法人会東砂川支部の皆さんと、心温まる音楽のひとときを分かち合うことができたと思います。
アンコールは用意していませんでしたが、ふと思いついて、冒頭に演奏した《音楽に寄せて》を再度演奏。山崎法子さんの感動のこもった歌唱がいちだんと冴えて、最後を飾りました。冒頭の曲がさまざまな体験の末に帰り、最初とまったく異なった感銘を与えるというのは、バッハが《ゴルトベルク変奏曲》や《マニフィカト》でやっていることと同じですね。コンサートの枠組みとして、ときどき使ってみたくなりました。
費用を考えないと ― 2009年03月11日 23時18分34秒
東京中央郵便局を残す残さないでもめている話が報道されました。私は現場を知らないので直接の判断はできませんが、強く思うのは、費用の問題を併せて報道して欲しい、ということです。なぜなら、一等地に大きな建物を文化財のような形で残すにはたいへんお金がかかり、高額の維持費が毎月かかってゆくことは間違いないからです。それを承知した上でどうするか、という話をしないと、あとがたいへんです。
私の済んでいる国立市にも、古い駅舎を保存するかどうかの問題が尾をひいています。また大分前ですが、どこかの大学で貴重な校舎を残すか否かの問題が起こり、そのことを訴えた文書をいただいた記憶があります。あちこちで起こっている問題でしょう。
昔の大切な思い出があるものは残してもらいたい、というのは人情です。歴史を保存することにも、もちろん意義があります。しかし、たとえば経済的に潤沢ではない自治体なり、大学なりがそれをやることは、現在と将来の教育のために使うお金のかなりを、それに割くことになります。しかもそれは、たいていの場合、驚くほど高額です。その負担に耐えていくか否かは、数字を知って、ケースバイケースでシビアに考えていくべきことではないでしょうか。「トキ」へのなぞらえも、乱暴なことだと思えてなりません。。
心地よいシャコンヌ ― 2009年03月10日 23時16分50秒
19日の「シャコンヌの祭典」(杜のホールはしもと)に向けて、シャコンヌの勉強をしています。複数の場でその報告もしましたが、シャコンヌとは何かを知るのに適した素材として直観的に思い浮かぶのは、カヴァッリの歌劇《カリスト》でした。カヴァッリはモンテヴェルディの弟子で、《カリスト》は『バロック音楽名曲鑑賞事典』の百選にも採り上げた作品。その幻想的な上演が、ルネ・ヤーコプスの指揮でDVDになっています。
シャコンヌは3拍子の舞曲でスペイン起源。もともとは、かなりテンポが速かったようです。バロック時代には「踊るシャコンヌ」の伝統もずっと受け継がれ、ラモーに至るまで、「シャコンヌを踊って終わる」オペラがたくさんあります。《カリスト》も、第1幕と第3幕の最後に、シャコンヌが踊られる。その音楽的な特徴は、オスティナート・バス、すなわち、短いサイクルで繰り返されるバス音型の存在で、形式的には変奏曲ということになります。
ヤーコプスの《カリスト》がなぜすぐ頭に浮かんだのだろう、と思って注意してみましたら、理由は、その独特な演奏法にあることがわかりました。
この演奏では、オスティナート・バスを主役としてクローズアップし、変化する上声部を相対的に軽く付随的に、ほとんど即興的に扱っているのです。朗々と反復されるバスのサイクルはたいへん気持ちがよく、いかにも「これがシャコンヌだなあ」という感じ。太い幹にいろいろな花が咲き代わっていくような印象です。
やりすぎといえばやりすぎかも知れませんが、シャコンヌの本質に即した演奏法として、記憶にとどめておきたいと思いました。演奏家の方はお試しいただけると面白いと思います。(この談話は、バッハのヴァイオリン用《シャコンヌ》はなぜシャコンヌか、という問題をめぐって生まれたものです。)
!!!! ― 2009年03月09日 22時12分27秒
37位だの28位だの、悪魔がうるさいですねえ(笑)。 1日間を置いてアクセスしたら、50位に下がっていました。その吹き出しが、「ブログの女王、目指してるでしょ!?」。目指してないって!!!
いま3つもびっくりマークを付けちゃいましたが、今の若い人のメールには、びっくりマークが多いですねえ。すべての文章の最後がびっくりマークという人、びっくり3つ、びっくり4つをさかんに使う人。私のところにもよく届きます。メールという媒体だとそう不自然ではないのですが、本当の文章を書くためには、よくないインフレですよね。まあ、内館牧子さんが死んでも使わないとおっしゃる「(笑)」を、私も使っているわけですが(笑)。
面接終了後10日を経て、明日、ドクターコースの合格発表があります。身近な人々による激戦だったので、明日の悲喜こもごもに、若干の緊張を覚えます。
準備は大切 ― 2009年03月07日 22時35分36秒
カウンタ、困るなあ。上がったときはいいのですが、1番でも下がると、吹き出しに「ランクダウンですよ~~~」などというメッセージが出てくる。放置しにくいじゃないですか。数から離れて、のんびりやろうと思っていたのに。
今日は朝日カルチャー新宿校で後期ロマン派の話をしましたが、やっぱり普段やり慣れていないところは、よほど準備していかないとダメですね。われながら不満足で、受講生の方に悪いことをしました。しかしマーラーの《第九》、バーンスタインとウィーン・フィルの映像はすばらしいなあ。音楽が人間にとってどこまで大切なものであり得るかの、感動的な証言です。音楽はしょせん軽い娯楽、と思っている人に、ぜひ見ていただきたいと思います。作品しかり、演奏しかりです。
ところで、論文集に収録予定の「生きなさい、死になさい、ここに憩いなさい~バッハにおける目覚めの考察」という文章、どこに掲載されたものかわかりません。どなたかご存じの方がいらしたら、お教え願えませんでしょうか。
神のみぞ知る ― 2009年03月06日 23時23分51秒
「一寸先は闇」という談話をつい最近書いたばかりですが、飛び込んでくるニュースにはその言葉を裏書きするようなものが多く、驚かされます。人間本当に、どんなことで穴に落ちるかわかりません。とくに、調子に乗っているときがあぶない。今回の場合であれば、よおし、政権奪取確実だっ、と盛り上がっていたわけですよね。うまくいく時ほど慎重に、というのは将棋の世界でも常々言われていることですが、そうはなかなかできないのが、人間です。
三島由紀夫の小説『天人五衰』は若い頃覚えるほど読んだものですが、そこにこんなシーンが出てきます。主人公が公園で情事をのぞき見しているところをつかまり、週刊誌に実名入り記事を掲載されて、80年の努力の積み重ねを一瞬にして喪ってしまうのです。まさに、「一寸先は闇」の世界です。類義語は、「神のみぞ知る」ということでしょうか。危険な手術に賭けるときなどに使われますね。こうした言葉が使われる場合、成功の可能性はまずないのだと思います。
数日前、ある方のクルマに便乗していたら、その方がちょっとした錯覚を起こし、大きな通りの右側を逆送してしまいました。向こうからクルマが来るのに私が気づき、左側にハンドルを切って事なきを得ましたが、本当に世の中、何があるかわかりません。わかっているのは神様だけです。皆さん気をつけましょう。
悪魔のささやき ― 2009年03月05日 23時06分31秒
かつて開設していたホームページには、アクセスカウンタが付いていました。一人入るたびに数が1つずつ増えていく、あれです。あれが付いていると、どうしても、増やしたいという気持ちになってしまう。記念番号プレゼントをやったり、記念パーティをやったりして、調子に乗りすぎました。
というわけで、ブログを開設するにあたって、カウンタは付けないことにしました。決める必要もなく、「アサブロ」にはアクセス数を示す装置がありませんでした。ひとつの目安は、コメントの数です。大江麻理子さんのブログなどは、ひとつ書き込むと応援のコメントが3桁の数で入る。まあこういう人と比べても仕方がありませんが、私のブログに書き込んでくださる方の数は決まっていて、それが読んでくださる方の範囲の狭さを示しており、それでいい、と思っていました。
ところが、つい最近アサブロで、順位を示すサービスが始まったのです。管理画面にログインすると、アサブロのブログの中で、自分のそれが何位かが示される。すると、意外に上位なのですね、これが(笑)。吹き出しにこんなコメントが入っている。「アクセスされ過ぎです。ああ、サーバへの負担がぁ・・・」。
いや、ここが踏ん張りどころ。順位を上げよう、としてはなりません(キッ)。
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