楽しいインタビュー ― 2010年06月13日 00時42分51秒
今日は東京都現代美術館で、藝関連のシンポジウム。「清澄白河」というところを初めて知りました。シンポジウムについて思ったことは、また別途書くことにし、今日は、かものはしさんのたいへんありがたいコメントに乗って、「レインボウ」がらみのことを若干付け加えます。
かものはしさんが言及してくださっている「私と出演者の掛け合い」について注釈します。ナビゲーター役の私は、ストーリーの解説をしなくてはなりません。しかしオペラのストーリーはこんがらかっていることが多く、時間もごく限られていますから、なかなか、行き届いた解説は望めません。抜粋となるとなおさらです。
そこでいつしか、インタビュー方式を採るようになりました。劇中の人物に私がインタビューし、その人物について、また彼・彼女がこれから歌う歌について、イメージを焼き付けてもらう、という作戦です。そうしたら、これが案外面白い。歌い手の方は芸達者が多く、しかも皆さん、いい意味で目立ちたがりですから、上手にやってくださるのです。最近は前もって台本を作り、それに沿ってやっています。
《コジ》では、第2幕初めのセレナードを終えたところに、インタビュー・コーナーを設けました。求愛が功を奏するか否か、という大詰めで、それぞれの心境を語ってもらうことにしたわけです。姉妹の性格の違いや、男二人の置かれた状況の違いを印象づけることを主眼として、台本を書きました。こうしてお客様にドラマの中に入ってきてもらい、後半の名曲を二倍楽しんでいただこう、という作戦です。
《魔笛》では逆に、音楽の始まる前に、3人にインタビューしました。パミーナに「向上する愛」への理想を語っていただき、それには応えるべくもないパパゲーノに自分なりの願いを語らせ、こわーいモノスタートスから、愛への秘められた思いを引き出すという構想です。パミーナにはパパゲーノ流の愛を否定するせりふを用意し、それをパパゲーノが立ち聞きしている、という設定だったのですが、私が引き出す質問を忘れてしまい、高橋織子さんが立ち往生される結果になりました。
〉この間,ラジオのクラシック番組でパーソナリティの歌手の方が「素晴
〉らしいという気持ちがわきあがったら拍手していいと思います」とコメントされていたのを思い出しました。
私、この考え方には絶対反対です。これははっきり言って、歌い手の言い分です。歌が終われば音楽は終わり、という考えが根底にある。作曲者が心を込めて書いた後奏、それを心を込めて演奏するオーケストラやピアノ。その全体が、音楽なのです。典型は、《魔笛》のパミーナのアリアです。後奏がまさに、音楽のエッセンスになっている。バッハのカンタータやシューマンの歌曲ならそうする人はいないでしょうが、オペラでも、事情はほとんど同じだと考えます。
最後に。足本君の貢献にご評価をいただき、ありがとうございました。本当に、彼あっての公演です。喜ぶと思います。
かものはしさんが言及してくださっている「私と出演者の掛け合い」について注釈します。ナビゲーター役の私は、ストーリーの解説をしなくてはなりません。しかしオペラのストーリーはこんがらかっていることが多く、時間もごく限られていますから、なかなか、行き届いた解説は望めません。抜粋となるとなおさらです。
そこでいつしか、インタビュー方式を採るようになりました。劇中の人物に私がインタビューし、その人物について、また彼・彼女がこれから歌う歌について、イメージを焼き付けてもらう、という作戦です。そうしたら、これが案外面白い。歌い手の方は芸達者が多く、しかも皆さん、いい意味で目立ちたがりですから、上手にやってくださるのです。最近は前もって台本を作り、それに沿ってやっています。
《コジ》では、第2幕初めのセレナードを終えたところに、インタビュー・コーナーを設けました。求愛が功を奏するか否か、という大詰めで、それぞれの心境を語ってもらうことにしたわけです。姉妹の性格の違いや、男二人の置かれた状況の違いを印象づけることを主眼として、台本を書きました。こうしてお客様にドラマの中に入ってきてもらい、後半の名曲を二倍楽しんでいただこう、という作戦です。
《魔笛》では逆に、音楽の始まる前に、3人にインタビューしました。パミーナに「向上する愛」への理想を語っていただき、それには応えるべくもないパパゲーノに自分なりの願いを語らせ、こわーいモノスタートスから、愛への秘められた思いを引き出すという構想です。パミーナにはパパゲーノ流の愛を否定するせりふを用意し、それをパパゲーノが立ち聞きしている、という設定だったのですが、私が引き出す質問を忘れてしまい、高橋織子さんが立ち往生される結果になりました。
〉この間,ラジオのクラシック番組でパーソナリティの歌手の方が「素晴
〉らしいという気持ちがわきあがったら拍手していいと思います」とコメントされていたのを思い出しました。
私、この考え方には絶対反対です。これははっきり言って、歌い手の言い分です。歌が終われば音楽は終わり、という考えが根底にある。作曲者が心を込めて書いた後奏、それを心を込めて演奏するオーケストラやピアノ。その全体が、音楽なのです。典型は、《魔笛》のパミーナのアリアです。後奏がまさに、音楽のエッセンスになっている。バッハのカンタータやシューマンの歌曲ならそうする人はいないでしょうが、オペラでも、事情はほとんど同じだと考えます。
最後に。足本君の貢献にご評価をいただき、ありがとうございました。本当に、彼あっての公演です。喜ぶと思います。
6月のイベント ― 2010年06月11日 23時57分10秒
もう6月中旬。更新もいろいろ中途半端になっていますが、イベントのお知らせをまだしていません。今更ですが、簡単に。
今週の週末、土曜日は、藝術学関連学会連合のシンポジウムに出席します。詳細はこちらをどうぞ。http://wwwsoc.nii.ac.jp/geiren/
日曜日(13日)は、すざかバッハの会の例会です。今月は、クラシック音楽講座の第3回。「響いてくる風土-標題音楽に親しむ-」というテーマで行います。同じ企画の改訂版を、20日(日)の「楽しいクラシックの会」でもご紹介します。26日(土)の朝日カルチャー横浜校は、「成熟する世俗音楽」と題して、バッハのライプツィヒ時代におけるコンチェルト、ソナタ、カンタータをご紹介します。
たのもーさんのコメントについて、私感を少々。指揮者がいたらなあ、というご感想はよくわかることで、われわれの演奏の至らなさの的確なご指摘なのですが、指揮者のいないコンサートの経験も、もっともっと必要だと思っています。指揮者がいると「みんなが指揮者に合わせて演奏する」という形になりやすく、横の連携が希薄になることがしばしばあるからです。声楽の指導をすることが多い昨今ですが、オーケストラを聴く、ピアノを聴く、という価値観を重んじています。歌のパートのみを一生懸命歌い、あとはピアノがついてきてくれ、というスタンスの人、どうしても多いのです。
たのもーさん、安田祥子さんの声を絶賛しておられますが、私もまったく同感。のびのびとまっすぐに飛んでくる若々しい声で、最初のリハーサルのとき、鳥肌が立ちました。高橋織子さんの気品ある円熟した声とは、また別のよさです。昔はテノールやバリトンの声ばかり好きでしたが、最近は女性の美声にも、本当に惹かれるようになりました。
今週の週末、土曜日は、藝術学関連学会連合のシンポジウムに出席します。詳細はこちらをどうぞ。http://wwwsoc.nii.ac.jp/geiren/
日曜日(13日)は、すざかバッハの会の例会です。今月は、クラシック音楽講座の第3回。「響いてくる風土-標題音楽に親しむ-」というテーマで行います。同じ企画の改訂版を、20日(日)の「楽しいクラシックの会」でもご紹介します。26日(土)の朝日カルチャー横浜校は、「成熟する世俗音楽」と題して、バッハのライプツィヒ時代におけるコンチェルト、ソナタ、カンタータをご紹介します。
たのもーさんのコメントについて、私感を少々。指揮者がいたらなあ、というご感想はよくわかることで、われわれの演奏の至らなさの的確なご指摘なのですが、指揮者のいないコンサートの経験も、もっともっと必要だと思っています。指揮者がいると「みんなが指揮者に合わせて演奏する」という形になりやすく、横の連携が希薄になることがしばしばあるからです。声楽の指導をすることが多い昨今ですが、オーケストラを聴く、ピアノを聴く、という価値観を重んじています。歌のパートのみを一生懸命歌い、あとはピアノがついてきてくれ、というスタンスの人、どうしても多いのです。
たのもーさん、安田祥子さんの声を絶賛しておられますが、私もまったく同感。のびのびとまっすぐに飛んでくる若々しい声で、最初のリハーサルのとき、鳥肌が立ちました。高橋織子さんの気品ある円熟した声とは、また別のよさです。昔はテノールやバリトンの声ばかり好きでしたが、最近は女性の美声にも、本当に惹かれるようになりました。
絶妙のロケーション ― 2010年06月10日 23時29分39秒
「レインボウ21」の疲れからやっと立ち直りつつある状況です。たのもーさん、詳細な感想の書き込み、ありがとうございました。私自身はもちろんいろいろな感想がありますが、自分から書くよりは皆様に先に書いていただきたいという思いでいました。しかし私が書かないうちは書きにくい、と思われる方もあるようです。感想のおありの方、ご遠慮なくお願いします。いくつか書いていただけましたら、私の感想をレスポンスします。
私の実感を総合的にまとめておきますと、声楽、器楽、裏方すべての方々の献身的ながんばりで、これ以上は求められないというほどうまくいったと思っています。弟子たちとともにこういうコンサートをサントリーでやらせていただき、大きな幸福感に包まれたと、率直に申し上げます。みんな、ありがとう。最後は客席で拍手している方が謙虚な態度であると認識はしていたのですが、プリマドンナから招かれるまま、中央に出て行ってしまいました。右に《魔笛》のプリマ、高橋織子さん、左に《コジ》のプリマ、安田祥子さんという絶妙のロケーションで、手までつながせていただき、生きていて良かったという感じでした(笑)。
効率の良いトークをして時間を節約する必要があったため、昼間から、ずっと緊張していました。登場人物との対話を見せ場として、台本を配っていたのですが、ゲネプロではあちこち忘れてしまって、ミスの連発。大いに焦り、空き時間に準備を重ねました。結果として前半の《コジ》は完璧にうまくいき、一安心。でもそこで気が抜け、より確実に暗記していたはずの《魔笛》で間違えてしまったのですね。プリマを立ち往生させてしまいました。気を抜かず最後まで万全を期す、という当たり前のことの大切さを再認識した次第です。
私の実感を総合的にまとめておきますと、声楽、器楽、裏方すべての方々の献身的ながんばりで、これ以上は求められないというほどうまくいったと思っています。弟子たちとともにこういうコンサートをサントリーでやらせていただき、大きな幸福感に包まれたと、率直に申し上げます。みんな、ありがとう。最後は客席で拍手している方が謙虚な態度であると認識はしていたのですが、プリマドンナから招かれるまま、中央に出て行ってしまいました。右に《魔笛》のプリマ、高橋織子さん、左に《コジ》のプリマ、安田祥子さんという絶妙のロケーションで、手までつながせていただき、生きていて良かったという感じでした(笑)。
効率の良いトークをして時間を節約する必要があったため、昼間から、ずっと緊張していました。登場人物との対話を見せ場として、台本を配っていたのですが、ゲネプロではあちこち忘れてしまって、ミスの連発。大いに焦り、空き時間に準備を重ねました。結果として前半の《コジ》は完璧にうまくいき、一安心。でもそこで気が抜け、より確実に暗記していたはずの《魔笛》で間違えてしまったのですね。プリマを立ち往生させてしまいました。気を抜かず最後まで万全を期す、という当たり前のことの大切さを再認識した次第です。
様々な愛の形 ― 2010年06月08日 11時52分52秒
表題のコンサートに、これから出かけます。若い人たちが日に日に向上しているので、熱いコンサートになると期待しています。いらした方は、感想など書き込んでいただけるとありがたいです。では、行ってまいります。
主の恵みにより ― 2010年06月05日 12時25分06秒
オペラ専攻の学生たちの修士論文(研究報告)の指導をしています。今年は7人なのですが、なんとうち3人が、フランスのグランド・オペラをテーマとしました。マイヤベーア、オッフェンバック、マスネのオペラについて、彼らは研究しているのです。
先日話題にしたベルリオーズの《トロイアの人々》もこの系列ですが、今日はアレヴィの《ユダヤの女》を買ってきて、鑑賞しました。ウィーン国立歌劇場における2003年公演のライヴで、ニール・シコフが主演しています。
全5幕の壮大な構成、華麗な管弦楽、人海戦術のごとき合唱、といったグランド・オペラの特徴を典型的に備えた作品ですが、ストーリーが陰惨なのに驚きました。ユダヤ教徒がキリスト教徒から受ける迫害が主要テーマになっており、最後はユダヤ教徒の父娘が火刑にされてしまう。作曲者のアレヴィはユダヤ人ですから、きっと彼自身にとって、切実なテーマだったのでしょう。この救いのない内容で人気作となったことは、当時の社会背景を指し示しています。
《ユダヤの女》で唯一有名なのは、〈主の恵みにより〉というテノールのアリアですよね。私も、若い頃マリオ・デル・モナコのアリア集で親しんで以来、大好きな曲でした。これって、処刑を待つ牢獄で主人公が、やはり処刑を待つ娘を思いやって歌う歌なんですね。ニール・シコフの歌は、精魂込めた、感動的なものでした。内容のある歌い手です。
先日話題にしたベルリオーズの《トロイアの人々》もこの系列ですが、今日はアレヴィの《ユダヤの女》を買ってきて、鑑賞しました。ウィーン国立歌劇場における2003年公演のライヴで、ニール・シコフが主演しています。
全5幕の壮大な構成、華麗な管弦楽、人海戦術のごとき合唱、といったグランド・オペラの特徴を典型的に備えた作品ですが、ストーリーが陰惨なのに驚きました。ユダヤ教徒がキリスト教徒から受ける迫害が主要テーマになっており、最後はユダヤ教徒の父娘が火刑にされてしまう。作曲者のアレヴィはユダヤ人ですから、きっと彼自身にとって、切実なテーマだったのでしょう。この救いのない内容で人気作となったことは、当時の社会背景を指し示しています。
《ユダヤの女》で唯一有名なのは、〈主の恵みにより〉というテノールのアリアですよね。私も、若い頃マリオ・デル・モナコのアリア集で親しんで以来、大好きな曲でした。これって、処刑を待つ牢獄で主人公が、やはり処刑を待つ娘を思いやって歌う歌なんですね。ニール・シコフの歌は、精魂込めた、感動的なものでした。内容のある歌い手です。
「支えられる」スタンス ― 2010年06月04日 23時59分07秒
音楽大学の数の論理があると思いますが、とかく女性の優勢な、私の環境です。ちなみに私は、高校も大学も、女性は4分の1ぐらい。男性が多数、という環境で、人間の基礎を作りました。そのためか、いまだに、驚くようなことがあります。
ある授業で。発表の順番をクジで決めることにし、最後のシャッフルを、A君に依頼しました。その結果一番手に決まったのが、Aさん(←誰だか探さないでね)。そうしたらAさん、「Aくん最低!」と叫ぶではありませんか。5回ぐらい言ったと思いますよ(笑)。文句を言いながらも、Aさん、いい発表をしました。
今日は、A君の発表。そしたらA君、「Aさんが最初になって申し訳なかったので、今日の発表はAさんに代わってできるよう、連休に作ってあったものだ」と言うではありませんか。私は思わず、女の子はつけあがる、甘やかしちゃいかん、と叫んでしまいました。美談ではあるが、そこまで下手に出なくても、いいんじゃないかなあ。まさに、男が女を支える構造を、目の当たりにしたわけです。
それも、社会の趨勢。必然性も、長所もあることなのでしょう。私はと言えば、女性に支えられるという形で仕事ができていることを感謝した次第です。人生ここまで来ては、支えられるというスタンスしか、選びようがありません。
ある授業で。発表の順番をクジで決めることにし、最後のシャッフルを、A君に依頼しました。その結果一番手に決まったのが、Aさん(←誰だか探さないでね)。そうしたらAさん、「Aくん最低!」と叫ぶではありませんか。5回ぐらい言ったと思いますよ(笑)。文句を言いながらも、Aさん、いい発表をしました。
今日は、A君の発表。そしたらA君、「Aさんが最初になって申し訳なかったので、今日の発表はAさんに代わってできるよう、連休に作ってあったものだ」と言うではありませんか。私は思わず、女の子はつけあがる、甘やかしちゃいかん、と叫んでしまいました。美談ではあるが、そこまで下手に出なくても、いいんじゃないかなあ。まさに、男が女を支える構造を、目の当たりにしたわけです。
それも、社会の趨勢。必然性も、長所もあることなのでしょう。私はと言えば、女性に支えられるという形で仕事ができていることを感謝した次第です。人生ここまで来ては、支えられるというスタンスしか、選びようがありません。
子供のケンカに親が出る ― 2010年06月03日 23時50分46秒
《ヨハネ》の話が途中ですが、緊急のご案内をさせてください。
来週の火曜日(8日)の19:00から、サントリーホールのブルーローズ(小ホール)で、「モーツァルト×オペラ=様々な愛のかたち」と題するコンサートを行います。音楽大学から企画を募って催される「レインボウ21」と題するシリーズの一環で、いまや国立音大の伝統ともなった、木管アンサンブル伴奏によるモーツァルトのオペラの公演です。
若手の公演に私が出て行くのは子供のケンカに親が出るようで気が引けるのですが、頼まれましたのでトークで乗ることにし、練習も、ある程度仕切っています。それなりに出来上がってきたのと、キャストの全員が私の指導下の学生・卒業生ですので、ぜひ親しい方々にはご支援をお願いしたく、ご案内させていただきます。おっしゃっていただければ、2000円からさらに割引します。
後半の《魔笛》は、ドクターコースの院生中心のキャスティング。パミーナが高橋織子さんで、パパゲーナは阿部雅子さん、3人の童子が、山崎法子+川辺茜+高橋幸恵さん。男声は、葛西健治君がモノスタートス。他に、卒業生の大川博君(パパゲーノ)と髙栁圭君(タミーノ)が出演します。
前半の《コジ・ファン・トゥッテ》は、修士2年で、今年秋の公演を準備している人たちです。こちらのレベルも相当で、安田祥子さん(フィオルディリージ)と小堀勇介君(フェルランド)の二重唱にご期待ください。他に、鈴木望(ドラベッラ)、照屋博史(グリエルモ)、千葉祐也(ドン・アルフォンソ)の諸君が出演します。みんな、がんばっています。
来週の火曜日(8日)の19:00から、サントリーホールのブルーローズ(小ホール)で、「モーツァルト×オペラ=様々な愛のかたち」と題するコンサートを行います。音楽大学から企画を募って催される「レインボウ21」と題するシリーズの一環で、いまや国立音大の伝統ともなった、木管アンサンブル伴奏によるモーツァルトのオペラの公演です。
若手の公演に私が出て行くのは子供のケンカに親が出るようで気が引けるのですが、頼まれましたのでトークで乗ることにし、練習も、ある程度仕切っています。それなりに出来上がってきたのと、キャストの全員が私の指導下の学生・卒業生ですので、ぜひ親しい方々にはご支援をお願いしたく、ご案内させていただきます。おっしゃっていただければ、2000円からさらに割引します。
後半の《魔笛》は、ドクターコースの院生中心のキャスティング。パミーナが高橋織子さんで、パパゲーナは阿部雅子さん、3人の童子が、山崎法子+川辺茜+高橋幸恵さん。男声は、葛西健治君がモノスタートス。他に、卒業生の大川博君(パパゲーノ)と髙栁圭君(タミーノ)が出演します。
前半の《コジ・ファン・トゥッテ》は、修士2年で、今年秋の公演を準備している人たちです。こちらのレベルも相当で、安田祥子さん(フィオルディリージ)と小堀勇介君(フェルランド)の二重唱にご期待ください。他に、鈴木望(ドラベッラ)、照屋博史(グリエルモ)、千葉祐也(ドン・アルフォンソ)の諸君が出演します。みんな、がんばっています。
《ヨハネ》の週末(1) ― 2010年05月31日 12時48分36秒
《ヨハネ受難曲》づくしの週末でした。渡邊順生指揮のザ・バロックバンドがジョン・エルウィスをエヴァンゲリストに迎えて行う公演に対して解説と訳詞を提供し、国立公演のレクチャー(終了)とプレトークを行うというのが、私の役割です。声楽には「くにたちiBACHコレギウム」から何人も入れていただいていましたので、自分もスタッフのような気持ちがしていました。
土曜日は、横浜公演(神奈川県立音楽堂)へ。プレトークに魂を通わせるにはやはり聴いておかなければ、と思って出かけたのですが、これが大正解でした。最後のコラール〈ああ主よ、あなたのいとしい天使に命じて〉が突出して盛り上がったことに驚き、かつ感銘を受けて、このコラールがなぜこれほど効果的なのかをもう一度考え直してみよう、というところからプレトークを組み立てる構想が生まれたからです。ちなみに《ヨハネ受難曲》で断然すばらしいのは最後のコラールだと考えている人は存外に多く、渡邊さんと私も、その点で完全に一致していました。
日曜日の国立公演は、一橋大学兼松講堂。私の家から歩いて10分ほどですが、緑豊かなキャンパスに立つ風格のある建物で、すばらしいロケーション。国立に30年以上住んでいますが、初めて訪れました。
コンサートは15時からで、プレトークは14時15分から。よくある設定ですが、気分的には、とてもやりにくい。コンサートに合わせて来られる方がほとんどでしょうし(私ならよほどのことがないかぎり45分も前にはでかけません)、途中から数が増えてゆくのも、善し悪し。話の順序を逆転させるわけにもいかないからです。(続く)
土曜日は、横浜公演(神奈川県立音楽堂)へ。プレトークに魂を通わせるにはやはり聴いておかなければ、と思って出かけたのですが、これが大正解でした。最後のコラール〈ああ主よ、あなたのいとしい天使に命じて〉が突出して盛り上がったことに驚き、かつ感銘を受けて、このコラールがなぜこれほど効果的なのかをもう一度考え直してみよう、というところからプレトークを組み立てる構想が生まれたからです。ちなみに《ヨハネ受難曲》で断然すばらしいのは最後のコラールだと考えている人は存外に多く、渡邊さんと私も、その点で完全に一致していました。
日曜日の国立公演は、一橋大学兼松講堂。私の家から歩いて10分ほどですが、緑豊かなキャンパスに立つ風格のある建物で、すばらしいロケーション。国立に30年以上住んでいますが、初めて訪れました。
コンサートは15時からで、プレトークは14時15分から。よくある設定ですが、気分的には、とてもやりにくい。コンサートに合わせて来られる方がほとんどでしょうし(私ならよほどのことがないかぎり45分も前にはでかけません)、途中から数が増えてゆくのも、善し悪し。話の順序を逆転させるわけにもいかないからです。(続く)
胃カメラを後世に ― 2010年05月28日 23時29分36秒
»なるべくたくさんの方の胃にカメラを直接突っ込んでいただきたいと
»思っているのですが、最近は快適な方法が普及しているようで、残念
»です。
>・・・すみません、笑ってしまいました。こういう先生、好きです(笑)
chu-intermezzoさん、ありがとうございます(涙)。物事をよく解釈してくださる方って、いらっしゃるんですよね・・・。
人間としてどうあるべきか、という正統的な問題意識からすれば、教壇に立つ人間がそんな考え方でいいのか、ということに当然(←鳩山語)なります。私が重ねた苦労を他の方にして欲しくない、だから楽な検査方法が開発されて欲しい・・・そう考えるのが、正しい人間のあり方ではないか、という主張には、説得力がある。私の心には、まったく浮かびませんが(笑)。
>しかし50回は壮絶ですね、私は喉に麻酔(液体)を溜めてからという
>方法で、一回だけでしたが、相当キツかったです。
まったく麻酔なしで突っ込んだのは、1回だけ、ドイツでです。今からするとよくあんなことができたと思いますが(日本のより太かった)、"Sie waren tapfer!"(勇敢でしたね)と言われました。その後はchuさんと同じで、喉に麻酔を溜めるという方法で、数十回。それでも、だめなんですよ。ついに、習熟できませんでした。
点滴を入れるのはとても面倒で、時間もかかります。病院の方に負担をかけるので、申し訳ないと思うのですが、だんぜん快適。比較になりません。痛み止めレベルと半眠レベルがありますが、前者でも十分です。本当に、いい時代になったなあと思います。
でも、胃カメラは本当はそんなものではない、ということを、しっかり、後世に伝えていきたいわけです。麻酔には、ハードルを設定したい。50回やったら初めて特典を得られる、なんていう方式はどうでしょうか。
話が変わりますが、鳩山さんって、モーツァルトに似ていませんか?かりゆしを着て右下を見つめている写真を見たとき、ランゲ描くウィーン時代のモーツァルトの肖像にそっくりだと思いました。目が似ています。だからどう思う、ということではなく、客観的な認識です。
»思っているのですが、最近は快適な方法が普及しているようで、残念
»です。
>・・・すみません、笑ってしまいました。こういう先生、好きです(笑)
chu-intermezzoさん、ありがとうございます(涙)。物事をよく解釈してくださる方って、いらっしゃるんですよね・・・。
人間としてどうあるべきか、という正統的な問題意識からすれば、教壇に立つ人間がそんな考え方でいいのか、ということに当然(←鳩山語)なります。私が重ねた苦労を他の方にして欲しくない、だから楽な検査方法が開発されて欲しい・・・そう考えるのが、正しい人間のあり方ではないか、という主張には、説得力がある。私の心には、まったく浮かびませんが(笑)。
>しかし50回は壮絶ですね、私は喉に麻酔(液体)を溜めてからという
>方法で、一回だけでしたが、相当キツかったです。
まったく麻酔なしで突っ込んだのは、1回だけ、ドイツでです。今からするとよくあんなことができたと思いますが(日本のより太かった)、"Sie waren tapfer!"(勇敢でしたね)と言われました。その後はchuさんと同じで、喉に麻酔を溜めるという方法で、数十回。それでも、だめなんですよ。ついに、習熟できませんでした。
点滴を入れるのはとても面倒で、時間もかかります。病院の方に負担をかけるので、申し訳ないと思うのですが、だんぜん快適。比較になりません。痛み止めレベルと半眠レベルがありますが、前者でも十分です。本当に、いい時代になったなあと思います。
でも、胃カメラは本当はそんなものではない、ということを、しっかり、後世に伝えていきたいわけです。麻酔には、ハードルを設定したい。50回やったら初めて特典を得られる、なんていう方式はどうでしょうか。
話が変わりますが、鳩山さんって、モーツァルトに似ていませんか?かりゆしを着て右下を見つめている写真を見たとき、ランゲ描くウィーン時代のモーツァルトの肖像にそっくりだと思いました。目が似ています。だからどう思う、ということではなく、客観的な認識です。
30分の快感 ― 2010年05月27日 23時48分49秒
今日、2年ぶりに胃カメラ。鼻からというのが増えているようですが、聖路加はまだ、口からでした。痛み止めの点滴を入れてもらいながらだと、楽ですし、終わった後の休養の気持ちがいい。聖路加でもっとも快適なシチュエーションが、この「胃カメラを抜いた後」の30分です。
点滴なしの胃カメラを少なくとも50回は経験した私としては、なるべくたくさんの方の胃にカメラを直接突っ込んでいただきたいと思っているのですが、最近は快適な方法が普及しているようで、残念です。「ウトウトしていたら終わったよ」などと言われると、本当は違うんだけどなあ、と、切歯扼腕です。
NHKに回り、6月最後の週の「バロックの森」後半3日分を収録。24日(木)はヨハネ祭の音楽の特集で、バッハのカンタータ第30番その他を取り上げました。これからしばらく、カンタータは、ガーディナーの新シリーズを使おうと思います。表現意欲が鮮明なのが、何より。
25日(金)は、前話で言及したパーセルの《ディドとエネアス》。3幕の初めだけ、省略しました。26日(土)はゲオルク・ベーム(リューネブルク)の、オルガン曲、チェンバロ曲、声楽曲の特集です。ベームの音楽って、親密で優雅さもあり、魅力的ですね。日本人の心に伝わるタイプのバロック音楽ではないかと感じます。
収録後職場に戻り、6月8日にサントリーホールで予定されているコンサートの練習に立ち会いました。またご紹介しますが、今指導しているドクターの学生が全員出演します。今日も多忙でしたが、体調は再び上昇機運になってきました。
点滴なしの胃カメラを少なくとも50回は経験した私としては、なるべくたくさんの方の胃にカメラを直接突っ込んでいただきたいと思っているのですが、最近は快適な方法が普及しているようで、残念です。「ウトウトしていたら終わったよ」などと言われると、本当は違うんだけどなあ、と、切歯扼腕です。
NHKに回り、6月最後の週の「バロックの森」後半3日分を収録。24日(木)はヨハネ祭の音楽の特集で、バッハのカンタータ第30番その他を取り上げました。これからしばらく、カンタータは、ガーディナーの新シリーズを使おうと思います。表現意欲が鮮明なのが、何より。
25日(金)は、前話で言及したパーセルの《ディドとエネアス》。3幕の初めだけ、省略しました。26日(土)はゲオルク・ベーム(リューネブルク)の、オルガン曲、チェンバロ曲、声楽曲の特集です。ベームの音楽って、親密で優雅さもあり、魅力的ですね。日本人の心に伝わるタイプのバロック音楽ではないかと感じます。
収録後職場に戻り、6月8日にサントリーホールで予定されているコンサートの練習に立ち会いました。またご紹介しますが、今指導しているドクターの学生が全員出演します。今日も多忙でしたが、体調は再び上昇機運になってきました。
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