タクシーの乗り方2008年08月08日 23時49分48秒

ずっと以前、こんなことがありました。

食事に行こうと、何人かでタクシーに乗り合わせました。当時の助手(女性)が、まずまっすぐ、そこを右、そこを左、というように指示をしてひとしきり。クルマはデニーズに着きました。

すると運転手さんが激怒したのです。デニーズで食事するなら、なぜデニーズに食事に行くと最初から言わないのか、と。後ろにいた私は、お客にその言い方はないだろうと思いましたが、結局何も言いませんでした。

さて。JRの駅から当家までタクシーに乗ると、ポイントは3つあります。大通りをどこで曲がるか、その先にある二股をどちらに取るか、その先にある四つ角をどうするか。この3つです。

私は今まで、大通りの曲がるところを最初に指示しておき、曲がったところで二股を指示、最後に四つ角の扱いを指示、という風に、段階的にしていました。その後、二股まで事前に指示しておくように改めた。最近はさらに改めて、四つ角の処理までをすべて指示するようにしました。地元の運転手さんが多いですから、これだけで、ほとんど通じます。

そうすると、とてもスムーズになったような気がするのです。運転する側からしても、目的地が最初からはっきりイメージされているのと、どこまでいくかわからないのとでは、気持ちが全然違うでしょう。乗せてもらう方も、その方がありがたい。運転手さんがかつて怒った気持ちが、やっとわかるようになりました。

仕事再開2008年08月07日 22時55分49秒

カラオケの話題、一部にひんしゅくを買っているようですが、月曜日にまた行ってしまいました。今度は別メンツでしたが、やはり、高年齢で行くのとごく若い人と行くのでは、雰囲気が大きく異なります。しみじみしたメロディを、味わい深く歌うのが前者。強烈なリズムを爆発的なノリで歌うのが、後者です(←ものすごくうまい人がいて仰天)。その違いは大きい。高年齢の方が、今の歌は覚えられない、とおっしゃるのはよくわかります。旋律に、重きが置かれていないのですから。

延び延びになっていた仕事を、ようやく再開しました。やはり休養を取り、意欲を高めないと、本当には仕事ができません。今月のうちに、ザクセン選帝侯家のためのカンタータの本を、どうしても仕上げるつもりです。これが終われば、カンタータはすぐ終わるからと言って約束したDVDの本に取りかかれます。

また、私の第2の著作である『モーツァルトあるいは翼を得た時間』の文庫化が決まりましたので、そのチェックと補筆も行います。昨日ちょっと手を付けてみましたが、さぞ不完全なものかと思って見直すと、そうでもないですね。結局、進歩しているようで、人間、そうでもないんだとわかりました。進歩していることは意識されても、退歩している部分には、意識が及びません。差し引きのプラスが、さて、どれだけあるのか。ともあれ、その年代ならではの仕事をするのがいいようです。

なかなかの名曲2008年08月06日 12時39分20秒

大ブレーク中の《六本木》(ぎろっぽん)、いい曲ですね。忘れようにも忘れられなくなり、ネット動画を探索してしまいました。

たいへん、うまく作られている曲です。最初は、うら寂しい演歌。「ポッポ」の布石も打たれていますが、まだ目立ちません。サビに入ると突然リズミックになるが、その反復は休止なしにたたみかかけられるので、バッハのフーガで言えばストレッタのような効果になる。反復のたびに音程が上がっていくのは、「螺旋カノン」のよう(カノンじゃないけど)。しかもそのたびに、仕掛けのタイミングがずらされています。歌うの、むずかしいですよ。

鼠先輩という歌い手のキャラクターが、また卓抜ですね。一種裏街道的で、味がある。サビの躍動感、ワイルドなたたみかけ、どちらも見事です。ヒットチャート1位も、むべなるかなと思った次第です。

レパートリー2008年08月04日 07時55分06秒

土曜日の夜は、カラオケに行きました。同行したのは全員二期会所属の卒業生で、歌唱力、盛り上げ力ともA級。私にわかる曲目も準備されており、たいへん楽しく過ごしました。

カラオケというとよく尋ねられるのが、「どんな曲を歌われるのですか」ということ。公表しても何の意味もありませんが、話の種に、土曜日に歌った曲を並べておきます。昔のカラオケ熱が、多少よみがえりました。

井上陽水 少年時代/三浦洸一 踊子/森田公一 青春時代/バンバン いちご白書をもう一度/ロス・インディオス 別れても好きな人/東海林太郎 隅田川/沢田研二 勝手にしやがれ/同 危険な二人/同 時の過ぎゆくままに

こんな歌でもよろしければ、ご一緒しましょう(笑)。

8月のイベント2008年08月01日 23時28分14秒

恒例のイベント紹介です。詳細は、それぞれのホームページを検索してください。

2日(土) 10:00 朝日カルチャー新宿 「新バッハ・魂のエヴァンゲリスト~若き日に、死を見つめて」

9日(土) 13:00 朝日カルチャー立川「無伴奏シャコンヌの世界」

16日(土) 10:00 立川楽しいクラシックの会「ヘンデルの真髄、オペラ」

17日(日) 14:00 すざかバッハの会「バッハ最先端その4」 この1曲:《ブランデンブルク協奏曲》第3番ト長調 《マタイ受難曲》:オリーブ山にて

23日(土) 13:00 朝日カルチャー横浜「水上の音楽とヘンデル」

24日(日) 栃木県合唱コンクール審査

30日(土)、31日(日) 山梨県合唱コンクール審査

振り子状態2008年07月31日 22時50分58秒

すばらしい音楽に触れた興奮と、その反対の落胆と。今週はその両極を行ったり来たりしています。コンサートは、本当にさまざま。なにもそこまで、というほど磨きをかけられた演奏もあれば、この程度でいいだろうと見切りをつけているとしか思えない演奏もある。要は良識の差で、受け手の印象は、何倍にも違ってきます。

悪い目が出たときに批評に当たると、やっかい。とても辛い思いをします。でも読む方はどうやら、酷評に興味を持たれるのですね。すばらしかった、批評に書きます、と言うと話はそこで終わるのに、ひどかった、でも書かなくちゃ、と言うと、ぜひ読ませてください、となりますから(笑)。

思うにそれは、辛口の批評が少ないからかもしれません。切り捨て御免の批評の弊害はつねに指摘されますが、迎合的な批評の弊害も、長い目で見ると、大きいのではないでしょうか。とくに、宣伝が行き届き、大金が動いているようなイベントに対して甘口で対応するのは、批評の自殺行為です。もちろん批評するこちらが正しいとは限らないわけですが、私は自分なりに極力吟味した上で、理由を明示し、書くべきことは書くようにしています。いずれにせよ、上述した「良識の差」は、知名度、メジャー度と関係がない、というのが、繰り返し抱く実感です。

めったに来ない都市に今日はいますので、コンサート後、町をぶらぶらしました。でも演奏の記憶が残り、楽しくありません。昨夜の東京カルテットの演奏が、すばらしすぎたためでしょうか。

一足お先に2008年07月30日 00時06分41秒

携帯を変えました。ひひひ。

買い換えるごとに機能がぐっと上がる、という楽しさは、昔ワープロ専用機やパソコンでいつも味わって、最近忘れかかっていたものでした。しかし値段も上がっていますね。電車の中などで見ると、若い人たちが使っているのは新鋭機種ばかりです。みんな相当投資しているんですね。

今回初めて、シャープの機種を買いました。頭にSHがつくのがそれです。私は携帯電話をパソコンの代用として使うことが多いので、液晶が90°回転するところにホレました。ネットを見るとき、全然違います。さあ、迷惑メールの削除、がんばろう。

今日はパリ・オペラの公演で、バルトークとヤナーチェクを観てきました。感想は新聞に書きます。今週は、なんと5つのコンサートを覗く予定です。明日はいずみホールで、東京カルテットのベートーヴェンです。

友竹さんの思い出2008年07月27日 23時17分43秒

今日は、東京室内歌劇場40周年記念公演《夜長姫と耳男》(間宮芳生作曲)を、第一生命ホールに観に行きました。一瞬のゆるみもなく見入ってしまう迫真の公演で、すばらしかった。演奏も舞台もことごとく良かったと思いますが、そう思うのは何より、作品の良さがあったからだと思います。指揮:寺嶋陸也、演出:中村敬一、出演:大貫裕子、太田直樹、吉田伸昭、多田康芳、松本薫。

坂口安吾原作のこのオペラを脚色したのは、バリトン歌手の友竹正則さんだそうです。併せて演奏された《おいぼれ神様》(間宮芳生)の初演を歌ったのも、友竹さんだとか。それを知り、昔のことを思い出しました。友竹さんはだいぶ前に亡くなりましたが、才能と愛嬌のあるキャラクターで、茶の間の人気者だった方です。

私が中学3年生のとき、友竹さんが三浦洋一さんの伴奏で、学校に演奏に来てくれることになりました。松本でのことです。そのとき、プログラムをもらいに行くという大役を、私がおおせつかった。私(少年)はガチガチに緊張して、ホテル(だったかな)に出向きました。

プログラムは、歌曲だの日本の歌だの、何部かに分かれていました。でもちょっと、盛りだくさんすぎた。そこで三浦さんが「オペラ、カットしちゃったら?」とおっしゃり、いくつかのアリアがカットされました。当時すでにオペラ・ファンだった私は、内心、え~とがっかりしたことを覚えています。

コンサートで覚えているのは、三浦さんがリストの《水の上を歩むパオラの聖フランシス》を華々しく独奏された様子です。友竹さんも進むにつれて調子が上がり、私はめったに触れる機会のなかった生演奏に、興奮していました。アンコールが1曲入り、盛り上がりが最高潮に達したところで、なぜかPTAの会長が登場し、お礼の言葉。え~、もっと聴きたかったのに!と、心底がっかりしました。あとで聞いたところでは、友竹さんは「さあ、次何いきましょうか」と乗っていたのに、PTA会長が「お疲れではないか」と心配して、挨拶に移ったとのことです。残念だったなあ。その友竹さんが、今日のオペラの台本を書かれていたことを知り、感慨を新たにしました。

合宿にて2008年07月25日 23時16分53秒

大学の合宿で、河口湖に行きました。

私は夕食から合流し、食後の卓球大会で、準優勝。身体を動かしたのは久しぶりで、疲れました。続いてコンサート。学生のコンサートにはけっして寛大でない私ですが、今年はたいへん良かった。津軽三味線の名手が入学したことが、ものを言っています。音楽学の先生方がグレゴリオ聖歌から初期の多声が派生するさまをほとんど即興で実演したのには、驚嘆しました。さすが。

2年生幹事のみごとな仕切りで進んだ合宿は、飲み会の部へ。ここで、ウルトラCのアイデアが出ました。学年で固まるのを避けるために、血液型ごとにテーブルを分けることにしたのです。

音楽学の特殊性のゆえに、私のテーブルは最大派閥。それからはどのテーブルでも、血液型談義に花が咲いたようです。1時間経っても2時間経ってもその話をしているのだから、皆さん、関心があるのですね。私の同類がこれほど多いのも不思議で、やはり何か、集中する理由がありそうです。次回は、少数派の人たちに「血液型税」を課そう、という話になりました。こういう発想自体が、ある型を指向しています。

集中力2008年07月23日 22時46分17秒

将棋名人戦の激闘をまとめたテレビ番組の中で、レポーターが森内俊之前名人に、自身の集中力について尋ねました。森内さんは永世名人の資格をもつ強豪で、立派な人格を感じさせる方です。

森内さんがおっしゃるには、自分は音が気になるので、棋士の中では集中力が高い方とは言えないかも知れない、とのこと。なるほど、音なんか気にならない、というほど高い集中力のレベルがある、ということですね。

音が気になるのは、私も同じです。音楽大学では校庭で金管楽器の練習をしますから、聞こえてくると、思考が妨げられます。ですから私は、授業中、暑くても窓を閉めさせることが多い。静かになると、さあやっと集中できる、というわけです。でもそれが自分の集中力の乏しさだ、とは気づきませんでした。

そこで思うのですが、「ながら」と集中力の関係は、どうでしょう。なにかと「ながら」でやる人は、集中力が乏しいのか。あるいは、集中力が高いからこそ、「ながら」が可能になるのか。集中力がたいへん高ければ、集中の対象をスイッチのように切り替えることもできるのか。集中力の高さと、ものに熱中しやすいこととは関係があるのかどうか。

いろいろな疑問が湧いてきます。