今回のオルガン・シリーズ2013年03月03日 07時25分33秒

もう1件だけ、ご案内させてください。いずみホールにおけるバッハのオルガン作品全曲演奏会、第2回が3月20日(水、休日)の16:00から開かれます。

今回はプレリュードとフーガBWV549に始まり《パッサカリア》を目指して進むという、ハ短調を基本にしたプログラム。ハ長調のコンチェルトBWV595や変ホ長調のトリオ・ソナタ第1番があり、それらの間に《装いせよ、わが魂》BWV654などのコラール、コラール・パルティータがはさまれてゆきます。題して、「鼓舞される心」。

出演者は小糸恵さん。ヴォルフ先生のリストに登場した、初の日本人です。長くローザンヌ(スイス)にお住まいで、キャリアからもCDからも実力は疑いなしですが、お客様にどのぐらい来ていただけるか、実のところ不安に思っていました。しかしすでに残券はわずかであるとのこと。どうぞお急ぎください。

3月のコンサートの翌日、よく公開レッスンを開いています。今年はそれに代えて、シンポジウムを開くことにしました(21日=バッハの誕生日、19時)。

これだけご評価をいただいているいずみホールのオルガンについて詳しいご紹介をする機会をもてずにいましたが、今回、製作者のイヴ・ケーニヒ氏(アルザス)をお招きし、一般向けの講演をしていただきます。そのあと、小糸さん、科学者でオルガン演奏もなさる佐治晴夫さんと私の3人で、質疑応答。小糸さんの演奏も4曲あります。入場無料。20日のコンサートに来られる方はフリーパスですが、それ以外の方は申し込みが必要で、すでにキャンセル待ちになっていると聞きました。

ハーゲン四重奏団のコンサートも熱気のうちに終わり、ホールに盛り上がりの感じられる早春です。

ソプラノってすばらしい!2013年03月01日 23時54分51秒

ご案内が続いてすみません。3月16日(土)の午後2時から、立川市錦地域学習館で行われるコンサートについてです。

「楽しいクラシックの会」(たのくら)が26年も続いているのは、錦地域学習館の視聴覚室をお借りできるおかげ。そもそも学習館(旧公民館)の「テレビ・セミナー」として、会は始まったのです。

そのお礼を兼ねて、毎年3月の「錦まつり」に、コンサートを出品しています。しばらく、「~って面白い!」という楽器シリーズを続けてきましたが、トロンボーンでひとめぐりしたと判断し、今年から声楽に戻ることにしました。

学習館の講堂を使っての入場無料のコンサートに、日本を代表するプリマドンナの澤畑恵美さんがご出演くださるというのですから、感激です。これでは、タイトルを「~ってすばらしい!」と変えざるを得ません(きっぱり)。しかもピアノで、久元祐子さんがお付き合いくださいます。私が言うのもなんですが、ぜいたくなコンサートです。

しかも、曲目がまた。アーンとドビュッシーのフランス歌曲に始まり(+ピアノ・ソロで《月の光》)、モーツァルトの幻想曲と、歌曲2曲。後半は池内友次郎さんの《プレリュード》に導入されて、お馴染みの日本歌曲5つ(《早春賦》、《さくら横丁》〔中田喜直〕、《花の街》、《小さな空》、《うたうだけ》。しかもしかも、締めが《ムゼッタのワルツ》!打っていて手が震えてきました(笑)。皆様、ご来場をお待ちしています。

3月のイベント2013年02月28日 07時57分31秒

時間が迫っていますので、講座関係のイベントを先にご紹介します。

朝日新宿校の世俗カンタータ講座は、3月2日(土)10:00が最終回です。世俗カンタータの豊饒を実感して、自分としても勉強になる講座でした。最後に残ったのは、2曲の結婚カンタータ。大曲のBWV210と、ひと頃話題になったBWV216です。

3月3日(日)は、まつもとバッハの会(14:00、松本深志高校教育会館)。「編曲を考える」というとマイナーなテーマのようですが、バッハの作品のかなりは、事実上の編曲です。コラールを扱った作品がたくさんあるからです。そこで、コラール、パロディを中心にお話しし、最後を後世の編曲で締めます。

16日(土)10:00は楽しいクラシックの会(立川)の例会で、《ローエングリン》の第2幕を扱います。14:00から「錦まつり」の重要イベントがあるのですが、これは別途ご紹介します。

23日(土)13:00は朝日横浜校のエヴァンゲリスト講座。今月は「シャイベのバッハ批判」がテーマです。シャイベはハンブルクの音楽理論家という認識ですが、その作品がじつはライプツィヒでたくさん演奏されていたという情報が、新しい『バッハ・ヤールブーフ』に出ています。

「日本のうた」20132013年02月27日 09時39分53秒

まごまごしていると、もうすぐ3月。私の仕切るコンサートが3つありますので、順次ご紹介します。最初に、8日(金)の14:00(←平日コンサートの枠)から始まる、「日本のうた」の今年度版について。

今回は、「なつかしの民謡、励ましの民謡」と題してお送りします。出演は、ソプラノの菅英三子さん、テノールの中井亮一さん、バリトンの三原剛さん、ピアノはもちろん花岡千春さん。菅さん、中井さんとは初めてご一緒するので、楽しみです。

「なつかしの」民謡は、前半を構成する外国民謡のイメージ。「励ましの民謡」は、後半を構成する日本民謡のイメージです。それぞれ2つの部分に分かれています。

第1部は、「唱歌になった外国民謡」。唱歌の始まりが明治10年代に出版された『小学唱歌集』全3部にあることはご存じの通りですが、第1部から第3部にかけて、課題が急速に高度になっていくことに驚かされます。その中で外国民謡が、やはり光っているのですね。よちよち歩きの第1部から《うつくしき》を、第2部から《霞か雲か》を、第3部から《才女》を演奏します。《才女》は《アニー・ローリー》として知られる曲の、もとの形です。加えて、讃美歌としても知られる《星の界》と、重量感のある《故郷を離るる歌》を演奏します。

第2部は、「日本語で親しまれた外国民謡」のナポリ民謡編。いわゆるナポリ民謡が一世を風靡したのは1960~70年代だったでしょうか。当時みんなの覚えた日本語の歌詞で、超美声の中井亮一さんに4曲歌っていただきます。《サンタ・ルチア》《忘れな草》《マンマ》《フニクリ・フニクラ》です。

第3部は、山田耕筰の日本民謡編曲。芸術歌曲のように精緻な楽譜の中に、民謡特有の要素をクラシックの表現と融合させようとした、耕筰の努力が窺える曲たちです。最後はオリジナルの《松島音頭》をにぎやかに。これ、いつかやってみたいと思っていました。

第4部は、耕筰後の日本民謡編曲から、石井歓のステージ向き編曲を2曲、間宮芳生さんのライフワークから、初期のものを3曲。このあたりは花岡千春さんにご教示いただき、私も勉強しました。多くの方にお聴きいただければ幸いです。

躍動する女子高生2013年02月25日 10時02分04秒

タイトルを見て、オッと身を乗り出されたあなたに質問。「池鯉鮒」と書いて、何と読むかご存じですか。では、「知立」は?

正解はどちらも「ちりゅう」。東海道の宿場町で、前者が当時の名、後者が今の市名です(にわか勉強)。その昔、在原業平を慕って八橋というところまで彼を追ってきた来た姫が入水し、そこに美しいかきつばたが花開いたという「姫塚」の民話が、この地(愛知県)にあるそうです。その哀しい物語から一連のオリジナル芸術を作り出し、「まちおこし」として展開しようというのが、「ちりゅう芸術創造協会」の構想。24日(日)に「パティオ池鯉鮒」(写真の総合文化施設)を訪れ、その本年度版であるダンスのイベントを見てきました。


演出・振付・主演を兼ねたダンサー、森山開次さんの新作、「光・かきつばた姫」に、すっかり魅了されました。現代の教室から当時を振り返る構想がじつにしゃれていて、近隣の光ヶ丘女子高校ダンス部の生徒たちとの強い連帯感のもとに、ステージが進められます。しゃれているといえば、板倉ひろみさんの作曲がまたいい。その質の高い音楽を、舞台奥のオーケストラ(角田鋼亮指揮の愛知室内オーケストラ)がしっかりと届けてきます。何より、ダンス部の女子生徒たちの若さ全開のパフォーマンスが圧巻。数十人が水も漏らさぬ統一をなしながら、一様に、キラキラした個の光を放しているのです。

地域に密着しつつ、これだけ質の高いオリジナル・イベントを作り上げるのはたいしたもの。企画に脱帽です。


川崎2013年02月24日 08時18分24秒

私の何かと立ち寄る町が、川崎です。南部線の谷保駅近くに住んでいますので、たとえば羽田に行くのは、川崎で京浜急行に乗り換える。それ以上によくあるのは、横浜で定期的にある仕事の前後に、川崎でお昼を食べることです。

23日(土)は早く起きましたが疲れていて仕事に集中できず、早めに出てゆっくり食事することにしました。仕事(朝日カルチャー横浜校)は1時から3時までですが、仕事前はあわただしい上にお店が混んでいるので、たいていは終わってからゆっくり食べます。しかし朝早く起きると、食べてから、と言う方が、調子がいいわけです。

いつもは当然東口を探索しますが、違うところにも行ってみるという最近の方針で、西口に出てみました。最近は川崎ミューザでたまにコンサートを聴く以外来たことがなく、いくつかお店があれば、というぐらいの気持ちで下車しました。

そうしたら、巨大な集客施設があるではありませんか。「ラゾーナ川崎」というそうです。広さも店舗数も目を見張るばかりで、人の流れがすごい。おいしそうなお店がたくさんありましたが、混んでもいたので結局見るだけで時間切れ。終了後再訪問して、お昼を食べました。ただし、レストラン選びは失敗でした。

川崎市は人口が140万以上あり、ミュンヘンより大きい。いままであまり人が多いという感じを受けませんでしたが、それは人の流れが東口から西口に移っているためだということがわかりました。「ラゾーナ川崎」のスケールの大きさに驚く一方で、商売の厳しさを実感。どこでも人口は減少しているわけですから、実態は、パイの奪い合いなのだと思います。

現役宣言2013年02月23日 01時43分29秒

現役最後の頃、定年になられた先輩とお話しするとき、「現役時代よりも忙しい」とおっしゃった方が、複数おられました。そんなはずはないだろうとしか思えませんでしたが、最近、そのように感じるようになったことを否定できません。もちろん、時間のかなりを占めていた本務校の仕事がないわけですから、気のせいだとは思います。しかし、以前よりかえって仕事に広がりが出て、かなり無理をしている感じもするわけです。

《ローエングリン》のあと、バッハのモテット、《ヨハネ受難曲》、《マタイ受難曲》について講演しました。準備をしている間に多々発見があり、いろいろな方と出会う喜びがあります。去年4月の段階では、一線を離れて徐々に収束していく、というイメージもあったのですが、それはない、とはっきり思うに至りました。勉強を続け、発信を続けたいと思います。若い人たちにいつも言ってきた、ベストを尽くし、先につなげろ、という言葉を、自分にも言い聞かせている昨今です。

少なくとも、『マタイ受難曲』と一対になるような、『ヨハネ受難曲』の本を書きたいと思います。その『マタイ受難曲』も、出版して19年。その後気がついたことがいろいろありますから、改訂新版を、考えるべきかもしれません。無欲になかなかなりきれない自分に気がつきます。

今月のCD2013年02月21日 00時44分16秒

今月、すばらしいベートーヴェン/交響曲全集に出会いました。ベルナルト・ハイティンク指揮、ロンドン交響楽団の2005、6年のライヴ。三重協奏曲なども入り、6枚組で6,000円です(キング・インターナショナル)。

大都会で新幹線に乗るようなベートーヴェンもよく聴きますが、これは、その正反対。都会の喧噪を離れ、深い森の空気を吸うような、なんとも安らぎにあふれたベートーヴェンなのです。音がやわらかく、みごとなバランスで綿密に演奏されていながら、すべてが有機性を帯びて自然。自己顕示がまったくなくて、作品が、生まれ故郷に帰ったように生きている。当然ながら、《田園》が格別でした。

最近台頭しているアンドリス・ネルソンスという指揮者、いいですね。チャイコフスキーの第4交響曲の、新鮮で心のこもった演奏に感心しました(オケはバーミンガム市響)。チャイコフスキーといえば、トリフォノフがゲルギエフと共演したピアノ協奏曲第1番も聴き応えがありました。

《ローエングリン》讃2013年02月19日 10時26分36秒

「楽しいクラシックの会」の今年のテーマがワーグナーですので、作品をひとつひとつ調べ直しています。

《さまよえるオランダ人》と《タンホイザー》の間にワーグナーの大きな成長があり、《タンホイザー》自体にも幕を追うごとに充実があって、第3幕のすばらしさは格別、という認識を得たのですが、さて、《ローエングリン》はどうか。何となくこの作品は苦手、というのが偽らざるところでした。

しかし第1幕を勉強し直してみて、脱帽の心境です。《タンホイザー》の第1幕と比べても、ワーグナーの世界は格段に深められ、発展しています。ポイントは3つで、玄妙な和声の美、三管編成と弦の分割による多彩をきわめた音色、卓越した劇的構成。その認識は以前からありましたが、今回調べ直し、ここまで進んでいるのかとあらためて驚いた、ということです。

私の尊敬する米沢の友人は、音楽をたいへん広く、深く聴いている人。昨夏訪れたとき、彼があらゆる音楽で一番好きなのは《ローエングリン》の前奏曲だ、と言ったのでびっくりしました。もちろん、聖杯の接近を暗示する第1幕の方です。

そこで、フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮した1930年の録音を引っ張り出して、聴いてみました。これが、すごい。聖杯の国が少なくとも芸術の中に存在することを確信していなければ、このように生命力のある演奏はできないでしょう。聴く方も、その確信を共有したい。ネズミの走り回るさまを見ながら聴く音楽では、絶対にありません。

こういう勉強ができ、作品に新たに感動できるのは、お仕事の場をいただいているから。「たのくら」に感謝です。

オチが淡泊と思ったら・・2013年02月16日 08時11分39秒

平素、読み物はほとんど文庫本を買っている私ですが、宮崎旅行にあたっては読む時間が多くなると考え、分厚い単行本を買いました。久しぶりに宮部みゆきで、『ソロモンの偽証』です。タイトルに惹かれた面が多分にありますが、自分が女性作家ばかり読んでいることに、自分で驚きます。

ディテールが愛嬌豊かにふくらんでいくのが宮部さんの特徴。それは出来事のめぐりを遅くする場合があり、今回も最初、その感なしとしませんでした。しかしひととおり布石を打ち終わって、それらが、すなわち一連の登場人物かみ合って回転し始めると、怒濤のような迫力。舞台が学校で感情移入しやすいということもあり、文字通り、読みふけってしまいました。

741ページもある大著。謎が次々に解き明かされるのを期待して最後を読みましたが、案外淡泊です。あのことはどうなったんだ、この人のことは書いていないな、などと、思いが残ってしまう。でも全部説明しないでそれを読者の心の中に残しておくのもスマートなのかな、と思ってふと気がつくと、「第一部 事件」となっているではありませんか!空恐ろしいほどの大きな構想があるようです。次が待ち遠しい。