「わかりやすさ」の意味2014年11月21日 08時34分21秒

研究発表には、「わかりやすくする」ための努力が欠かせません。なぜなら研究発表は、高い専門性をもつがゆえに、必然的にむずかしいものであるからです。しかし、むずかしすぎるものを生き生きと受け止めることは、人間にはできません。ですから、不必要なむずかしさを極力排除し、コアの専門的な部分を、よりよい形で「いっしょに考えていただく」必要があります。

不必要なむずかしさを生み出す大きな源泉は、書き言葉を連ねた、こなれていない原稿です。主語が出てくる前にいくつもの言葉を置いた、頭の重い文章。主語と動詞が、はるかに離れている文章。句点でつないでいるが、いつの間にか主語が入れ替わっている文章。判別しにくい同音異義語が使われている文章。また、むにゃむにゃと聞き取りにくい発音など、除去できる障害は、たくさんあります。除去のコツはただひとつ。聴き手の立場になってこれでわかるかどうか考える、ということです。コア以外の部分で、聴き手に労力を払わせるのは損です。

このようにわかりやすい言葉でスタートさせ、共有したい予備知識もさりげなく盛り込んでおけば、発表の中核をなす専門的な部分を、同業の聴き手は、気持ちよく「いっしょに考えてくれる」はずです。もちろん、助走が長すぎるのはいけませんし、最後までわかりやすいだけの発表は、説明どころか、紹介になってしまいます。

専門的な部分が難解なのは、お互い承知の上です。しかし、問題意識や取り組み方をつねに明確にしておくことによって、独走は避けられます。問題意識がはっきりしていれば、発表の結論や将来への展望も、効果的に語れるはずです。

発表の時間は概して短いものですから、すべての時間を意味深く使うのが理想です。記述をわかりやすくする代わりに、一度言ったことは言わない、説明は本当に必要な事項に限定する、あるいは、文章の流れが指し示していることは、できれば言いたいことでも思い切って省略する(=言外に伝える)といった措置も必要です。これによってスリム化できる分量は、思ったよりずっと多いものです。

研究発表のわかりやすさは、聴いてくださる人たちへの敬意から生み出されるものではないでしょうか。