なつかしの1日2014年11月02日 22時54分52秒

定年を迎えるということは、一つには職場のために使われていた時間が、別の目的のためになし崩しになっていく、ということです。結果として、お世話になった職場のことも、意識から薄らいでいく。まさにそうなりかかっていたところへ、国立音楽大学から出番をいただき、31日(リハーサル)、1日(本番)と、久々にお邪魔してきました。

1日は、ホームカミングデーというイベントの日。卒業生の方々を年に一度お招きし、学内見学とコンサートを楽しんでいただいたあとパーティで旧交を温めよう、という企画です。そのコンサートに、山梨県の合唱団「La Consòrte」といっしょに、私のプロデュースする「モーツァルトの二重唱~恋の味さまざま」を出品させていただきました。

これは、管楽器の伴奏するオペラという、国音オリジナルとして追究してきた企画シリーズです。各県の卒業生の方々と共催して、ずいぶん演奏旅行をさせていただきました。2012年には、いずみホールでも披露しています。

感覚が戻るかどうかちょっと危惧しましたが、その心配はありませんでした。レクチャーをしながらの本番で本当に驚かされたのは、正味45分ほどの内輪のコンサートに、出演者の全員が、文字通り全力投球してくださったことです。その真剣さが客席も巻き込み、熱い盛り上がりが作り出されたと申し上げて、身びいきではないと思います。アンサンブルを大切にする音楽への向かい合いと、そこに生まれる温かさ、失われていなかった信頼関係。国音っていいところだなあと、あらためて思いました。

熱気にあふれた楽屋での写真を公開します。残念ですが、歌い手だけ。編曲で貢献した足本憲治君も、その場にいれば良かったのですが。


左から、葛西健治君(テノール)、松原有奈さん(ソプラノ)、私をおいて澤畑恵美さん(ソプラノ、最多出場)、成田博之さん(バリトン)。この表情を見ると、楽しくて仕方がない、というお言葉もどうやら本当のようです。また、どこかで生かしたい企画です。

11月のイベント(いずみホール篇)2014年11月05日 07時41分44秒

いずみホールの今年の年間企画は、「モーツァルト~未来へ飛翔する精神 充溢/ウィーンⅠ」。プレイベント、スペシャル・コンサートと終わり、いよいよ本番です。年内に3回(今月2回)、年明けに2回あります。

まず12日(水)に、「学び深める弦楽四重奏の世界」。ハイドン・セットの2曲(ニ短調K.421と《不協和音》K.465)にハイドンの《皇帝》を加えて、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団が演奏します。

次の水曜日、19日は、「友情のホルン」と題して、ホルン協奏曲2曲(第3番、第4番)と《リンツ交響曲》。ベルリン・フィルのシュテファン・ドールをソロに迎えます。指揮はクリスティアン・アルミンクで、オーケストラは、躍進著しい京都市交響楽団です。どちらも、19:00から。私も参ります。

来月6日(土)に、オールスター・キャストによる《フィガロの結婚》があります。これについては、またご案内します。全5回のコンサート、今年は出演者にいい顔ぶれが揃っているので、私も楽しみ。詳細はこちらで。 http://www.izumihall.co.jp/mozart2014/

雄渾な合唱2014年11月08日 08時06分02秒

「古楽の楽しみ」、今月はヘンデルのオラトリオを特集しました。

 昔の音楽史を読んでみると、ヘンデルはバッハと双璧に扱われ、その神髄はオラトリオ、と説明されています。でも、ヘンデル作品への関心はこのところオペラに移っていて、《メサイア》を別格とすれば、以前ほどオラトリオが演奏されないように思いますが、どうでしょう。

そこで、新しい録音のあるものを中心に、4作品を選びました。17日(月)が《サウル》で演奏はマクリーシュ。18日(火)は《エジプトのイスラエル人》で演奏はガーディナー(これだけ古い演奏)。19日(水)は《マカバイのユダ》(放送では《マカベウスのユダ》)で演奏はシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭のもの(ベック指揮)、20日(木)が《ベルシャザル》で、演奏はクリスティです。

すべて合唱オラトリオですから、4日間、壮麗でのびのびした合唱がスタジオからあふれました。広い音域が融通無碍に使われて、生命力絶大。やはり並外れた音楽だと実感しました。朝聴いていただければ、元気が出ると思います。いずれも甲乙つけがたい作品ですが、劇的構成に凝っているという点では《サウル》がよく、円熟味と演奏の魅力では《ベルシャザル》がお薦めかなと思います。

ヘンデルは今後も続けますが、12月はバッハのカンタータ、来年1月はチェンバロ音楽の特集を予定しています。よろしくどうぞ。

福岡で学会2014年11月11日 11時53分33秒

今年の日本音楽学会全国大会は、九州大学。私は選挙管理委員長でしたので6日の木曜日に入り、7日に開票と全国役員会。8日、9日とフルタイムで学会をこなし、暦が10日になってから(=深夜に)戻ってきました。たいへん疲れましたが、しっかり運営された、いい学会でした。

4つの教室で発表が進行し、さらに2つのシンポジウムが行われています。そんな重なり方でしたので、公平な概観はとうていできませんが、わずかの分母の中から、まったくの個人的感想を述べておきます。

最初から注目していたのは、「後期マッテゾンの音楽美学における宗教性」という、私がやっても不思議はないようなテーマを出された岡野宏さん(東京大学)の発表でした。幅広くテキストを読み、バランスのよい意味づけを与えたレベルの高い発表で、私が長いこと離れてしまっているマッテゾン研究の後継者を発見したような、嬉しい気持ちになりました。

中間発表を聞いたことがあったのが、京谷政樹さん(大阪音大)の「サーストン・ダートの音楽解釈」。その段階ではこの日の発表をまったく予想できず、驚かされました。なぜなら、京谷さんが研究した内容をすっかりわがものとし、自分のとらえ方、考え方を熱く語って、諸先達の評価を仰ごうとしていたからです。論文に集中することで若い人がいかに成長するかの好例に接し、さわやかな思いに誘われました。

選挙管理業務に奮戦した方の一人、神保夏子さん(東京藝大)の「マルグリット・ロンとフォーレ」。いい意味でとても面白く構成された発表で、展開に魅了された聴衆から、終わったとたんに拍手が湧き上がりました。普通は、質疑応答が終わったところで、拍手を差し上げるのです。

全体として、先輩から見たアドバイスというのももちろんありますが、それについては、稿を改めたいと思います。皆さん、お疲れさま。

臨死体験、若き日の思い2014年11月12日 15時58分27秒

飛行機にはなるべく乗らないようにしている私は、新幹線で福岡を往復しました。2冊、本を買って乗車しましたが、これが正解でした。

ひとつは、立花隆さんの『臨死体験』(文春文庫)。人間は幸福な気持ちで死ねるという命題をさまざまな体験例から論理的に追究している本で、これから死ぬ人すべてを勇気づけてくれます。まあ、そこにたどりつくまでがたいへんなのでしょうが。

確かだと思うのは、大病をしていったん死の近くまで行った人は、死がそれほどこわくなくなる、ということです。ささやかな実感として、そう思います。克服できるのであれば、という前提付ですが、大病には神の恵み、という側面があると思います。経験者は「普遍的宗教性」を志向するようになる、という記述にも、ひとごととは思えないものがあります。

もう一冊は、村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)。高名な村上さんですが、いままでは出会いの経験がありませんでした。2冊ほどかじった記憶がありますが、そのときはなぜか、出会いなし。

しかし今回は、これはすごい、世評むべなるかな、と驚嘆しました。整った文章で美しく精緻に運ばれる、正統派の文学です。『国境の南、太陽の西』からは若いころの魂の名残を揺さぶられるような気がしましたが、案外、代表作ということでもないようですね。また挑戦してみたいと思います。

神の降りる瞬間2014年11月14日 14時23分51秒

いずみホール、今年のモーツァルト・シリーズ本編が始まりました。「学び深めた四重奏の世界」と題した12日(水)のコンサートは、《ハイドン・セット》の2曲(ニ短調、不協和音)とハイドンの《皇帝》を、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団が演奏しました。

演奏は、じつに渋い。飾り気もなく見えも切らず、もちろんにこりともせず、ひたすら内方に集中する室内楽です。

もっと自由でもいいのではないか、もっと洒落ていてもいいのではないか、と思いつつ聴き始めましたが、ところどころ、神が舞い降りるとでも言いたくなるような、絶美の瞬間が訪れる。それは、何かに耳を澄ますように、すっと静かになるところ。ニ短調の四重奏曲の、ヘ長調によるアンダンテが、その意味ですばらしかったです。

地味ながら誠実かつ謙虚な、時間が経っても印象の薄れない、いい音楽でした。こういう演奏を本当に大事に聴いてくださるのが、いずみホールのお客様。終了後サイン会があり、写真も撮っていただきました。またお呼びしたいです。


【付記】9月のプレ・イベントで大阪デビューされたバロック・ヴァイオリンの須賀麻里江さんが、大阪国際音楽コンクールのアーリーミュージック部門で、1位なしの2位に入られたそうです。おめでとうございます。

研究発表のノウハウ2014年11月18日 12時34分39秒

学会でさまざまな研究発表に触れ、研究発表にはこれが大切だ、ということを申し上げたい気持ちになりました。それは長い経験のもとに今思うことで、私自身が実践してきたとは言えませんし、多少理想論かも知れません。

基本として大切なのは、研究発表と説明の違いをわきまえる、ということです。亡くなった友人が、昔「さっきの発表は授業みたいだった」と言ったことを覚えていますが、これはこのことと関係があります。授業は、説明にずっと近いものだからです。

説明は概して、上から下への方向を取ります。知っている人が知らない人に対して行うのが、「説明」だからです。しかし研究発表は「下から上」への方位をもつべきだと、私は思います。

発表者は、自分が問題意識をもって取り組んでいるテーマ(上にあるもの)に対して、自分がどのように取り組み、どんな方法で研究を進めて、どんな成果にたどり着いたかを(つまり向上のプロセスと結果を)、発表を通じて示すべきなのです。

学会や研究会に参加する聴き手は、キャリアはさまざまであるにしても、学問を志す同業者です。研究発表は、その人たちに「いっしょに考えていただく」というスタンスをもたなくてはなりません(ここが重要)。発表をできるだけわかりやすくするのは、聴き手が専門外でわからないからというのではなく、いっしょに考えていただくために、負担を軽減して条件を整えようとする作業です。

いっしょに考える作業は説明を受ける作業よりずっとクリエイティヴで面白いしですから、発表の終了後には当然、受講者はいろいろな質問や意見を出したくなります。ですから、生き生きした質問が飛び交ったか、あるいは重苦しい沈黙が支配したかは、発表の成功度を測る重要な指標になります。それは発表の学問的なレベルとは同一ではありませんが、重く受け止めるべきです。「質問が出なくてほっとした」という受け止め方は、間違っています。(続く)

「わかりやすさ」の意味2014年11月21日 08時34分21秒

研究発表には、「わかりやすくする」ための努力が欠かせません。なぜなら研究発表は、高い専門性をもつがゆえに、必然的にむずかしいものであるからです。しかし、むずかしすぎるものを生き生きと受け止めることは、人間にはできません。ですから、不必要なむずかしさを極力排除し、コアの専門的な部分を、よりよい形で「いっしょに考えていただく」必要があります。

不必要なむずかしさを生み出す大きな源泉は、書き言葉を連ねた、こなれていない原稿です。主語が出てくる前にいくつもの言葉を置いた、頭の重い文章。主語と動詞が、はるかに離れている文章。句点でつないでいるが、いつの間にか主語が入れ替わっている文章。判別しにくい同音異義語が使われている文章。また、むにゃむにゃと聞き取りにくい発音など、除去できる障害は、たくさんあります。除去のコツはただひとつ。聴き手の立場になってこれでわかるかどうか考える、ということです。コア以外の部分で、聴き手に労力を払わせるのは損です。

このようにわかりやすい言葉でスタートさせ、共有したい予備知識もさりげなく盛り込んでおけば、発表の中核をなす専門的な部分を、同業の聴き手は、気持ちよく「いっしょに考えてくれる」はずです。もちろん、助走が長すぎるのはいけませんし、最後までわかりやすいだけの発表は、説明どころか、紹介になってしまいます。

専門的な部分が難解なのは、お互い承知の上です。しかし、問題意識や取り組み方をつねに明確にしておくことによって、独走は避けられます。問題意識がはっきりしていれば、発表の結論や将来への展望も、効果的に語れるはずです。

発表の時間は概して短いものですから、すべての時間を意味深く使うのが理想です。記述をわかりやすくする代わりに、一度言ったことは言わない、説明は本当に必要な事項に限定する、あるいは、文章の流れが指し示していることは、できれば言いたいことでも思い切って省略する(=言外に伝える)といった措置も必要です。これによってスリム化できる分量は、思ったよりずっと多いものです。

研究発表のわかりやすさは、聴いてくださる人たちへの敬意から生み出されるものではないでしょうか。

今月のCD2014年11月23日 08時12分00秒

ハイドンの再評価が必要だなあ、とよく思う昨今。折しも鈴木秀美さん指揮するオーケストラ・リベラ・クラシカが、交響曲第67番ヘ長調の新譜を出しました(2013ライヴ、アルテ・デラルコ)。

67番と言ってあああの曲、と思われる方は少ないでしょう。もちろん私もダメです。すなわちワン・オブ・ゼム(ハイドンの場合、このゼムが多い)ということになると思いますが、鳴らしたとたんに流れ出た音楽の個性と生命力に、びっくりしました。明るく、人なつこく、ユーモラス。こんな風に演奏できるのはさすがに鈴木秀美さんで、ハイドンの真髄を突いていると思います。

同CD次に入っているのが、佐藤俊介さんをソロにしたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番。一般に、ほとんど注目されない作品だと思います。それが、じつに面白い。「後からの目」から見るとどうしても第1番は「まだまだ」と考えてしまいますが、「(歴史の)前からの目」で見ると、この創意はさすがだ、ということになる。その、古楽ならではの「前の目」で、第1番の魅力が解き明かされています。クリエイティブな演奏と言えば、その一語です。最後に納められたベートーヴェンの第4交響曲は、もちろんいいですけど、演奏として、まだ先があるように思いました。

競争相手はいろいろありましたが、新聞では、コンチェルト・ケルンがカルミニョーラをソロに迎えたバッハのヴァイオリン協奏曲集(アルヒーフ)に言及しました。芯のぴしりと通った演奏が心地よかったので。

そのアツさたるや・・2014年11月25日 08時23分24秒

話題になっていることと思いますが、新国立劇場の合唱指揮を務めておられる三澤洋史さんが、すごい本を出されました。題して『オペラ座のお仕事』、早川書房からです。

外からは窺うべくもない音楽創造の裏話が、ものすごいエネルギーと情熱を伴って、しかも人をうならせる洞察力をもって、ぐいぐいと展開されていきます。奔放で流れるような文章も、音楽と同じ。すばらしい頭脳をお持ちなのですね。

どの章もこの上なく面白く、一気に読んでしまいそうですが、そのアツさが並々でないので、一休みせざるを得ない。ときどき私のことを「アツい人」と評する方がおられ、半信半疑で受け止めていましたが、全然レベルが違います。さわると火傷をするような炎が、燃えさかっているのです。

外から見ているだけではわからないことをたくさん教えていただき、反省とともに読破しました。ぜひご一読ください。