須坂のクリスマス・コンサート2014年12月02日 09時48分26秒

「すざかバッハの会」恒例のクリスマス・コンサートをご案内します。今年は12月21日(日)の14:00から、須坂駅前シルキー・ホールで開催します。最初に私が、《ヨハネ受難曲》連続講座の締めくくりを行いますので、音出しは14:45ぐらいになるかと思います。

題して、「俊秀アーチストの贈る 麗しき古楽――ルネサンスからバッハまで」。ごの時期に、すばらしい出演者が登場してくださいます。「歴女」として人気のハーピスト、西山まりえさんと、日本を代表するテノール歌手、櫻田亮さんです。今年も塩嶋達美さんに、トラヴェルソをお願いしました。

プログラム第1部は、まず「ルネサンス・ハープの奏でるいにしえの響き」。並んでいる楽しい小品の中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの曲がありますね。どんな曲なのでしょうか。

第1部後半は櫻田さんお得意のイタリア古典歌曲で、カッチーニ、フレスコバルディ、モンテヴェルディの作品が、ハープ伴奏で披露されます。最初はもちろん、〈アマリリ麗し〉です。

プログラム第2部はバッハ。ます、チェンバロの名手でもある西山さんの演奏で、トッカータホ短調。次に《クリスマス・オラトリオ》とカンタータ第147番のテノール・アリアをチェンバロ伴奏(+トラヴェルソ)で聴き、最後が第147番のコラール〈イエスは変わらざる私の喜び〉です。櫻田さんの指揮で、合唱団員を多く含む会員の有志が歌います。

近くに温泉もありますので、遠くからの方もお出かけください。お待ちしています。

年末の朝はカンタータで2014年12月05日 09時52分20秒

ここ3日ほどたいへん忙しく、その中に神経を使う仕事が含まれていたものですから、コメントのレスポンスが遅れて失礼しました。ほっとしたところで、今月の「古楽の楽しみ」のご案内です。

ちょうどクリスマスにかかる時期に回ってきましたので、バッハのカンタータを、オルガン曲と組み合わせて特集しました。年末の朝には、ふさわしいのではないかと思います。おりおりカンタータを出していますが、まだ全体の3分の1しかやっておりません。全曲演奏がいかにたいへんか、わかりますね。

22日(月)は、教会暦の終わり、11月に初演されたカンタータから、テノール独唱用の第55番《私はみじめな人間》と、かつて最後のカンタータと考えられていた第116番《平和の君、イエス・キリストよ》。演奏は55がゲンツ+クイケン、116がガーディナー2000。その間に、コラール・パルティータ《おお神よ、汝義なる神よ》BWV767を、レオンハルトの演奏ではさみました。

23日(火)は、オルガンのファンタジーハ短調BWV562で開始し、大作の第70番《目を覚ませ、祈れ!》(11月21日初演)を中央に置いて、一番有名なコラール・パルティータ《ようこそ、慈悲深いイエスよ》BWV768を締めに。演奏はカンタータがガーディナー2000、オルガンが小糸恵。小糸さん、本当にすばらしいですね。

24日(水)は、クリスマス特集。クリスマス第1日のための第110番《われらの口を笑いで満たし》から開始し、オルガン・コラール《高き天から》を2曲(BWV700、701)をはさんで、クリスマス第2日用の第121番《キリストをいざ誉め讃えよう》を聴きます。演奏は110がバッハ・コレギウム・ジャパン、オルガンがハーラルト・フォーゲル、121がヘレヴェッヘです。

25日(木)がクリスマスですが、放送では年末までを先取りします。《オルガン小曲集》のクリスマス・コラール3曲を枕に、クリスマス第3日のための第133番《私はあなたにあって喜び》、コラールをさらに3曲はさんで、クリスマス後の日曜日用の第152番《信仰の道を歩め》というプログラム。演奏は133がレーシンク、オルガン・コラールがプレストン、152がコープマンです。

お楽しみいただければ幸いです。

《フィガロの結婚》終わりました2014年12月08日 02時11分49秒

いずみホールのモーツァルト年間企画、今年のクライマックスである歌劇《フィガロの結婚》の公演が終わりました(12月6日)。全力投球してくれたみなさん、ありがとう。終演後、舞台裏に駆けつけて撮った写真をまずごらんください。


私の隣、左から3番目が、指揮者として格段の進境を示された、河原忠之さん。その愛のある指揮のもと、みんながんばりました。オペラ用にはできていないいずみホールの空間をみごとに使い、お得意のイタリア語に分け入って理に適った舞台を作り出されたのが、演出の粟國淳さんです(前列中央右)。私もずいぶん勉強になりました。


主役の方々。東からも西からも、所属にかかわらず適役をお呼びできるのが、ホールのいいところだと思っています。しかも、初顔合わせが多かったとか。左から、抜きんでた貫禄だった黒田博さん(伯爵)、ほとんど完成の域と思うほど見事だった石橋栄実さん(スザンナ)、美と気品並びなかった澤畑恵美さん(伯爵夫人)、伸びやかに新風を吹きこんだお二人、向野由美子さん(ケルビーノ)と西尾岳史さん(フィガロ)。なかなかない顔ぶれだったと思います。

やっぱり、オペラはいいですね!いずみホールならではの公演様式を目指して、続けていきたいと思います。

重厚な研究2014年12月11日 08時41分27秒

今年出版された音楽書の中からとびきりのものとして、後藤暢子さんの『山田耕筰――作るのではなく生む』(ミネルヴァ書房)をご紹介します。

後藤さんは人も知る耕筰研究家で、『山田耕筰作品全集』(春秋社)、『山田耕筰著作全集』(岩波)といった大きなお仕事を主導して来られました。その蓄積をもとにしてのみなし得た評伝が、今回のものです。待望のお仕事だと思います。

山田の生涯と業績、作品と人柄、努力と理想、成功と挫折が、ここでは高い密度で、無駄なく著述されています。力みも誇張もないセンテンスの背後に、その数倍の研究が蓄積されていることが透けて見える。ノンフィクションの系列とは異なる、研究の結実です。

山田耕筰の音楽家としての大きさと重要性、また山田研究を通して見えてくる日本文化史の広がりに照らして、読み継がれていって欲しい本です。


正念場です2014年12月12日 08時29分32秒

久しぶりにお会いした方によく、「以前よりお忙しそうですね」と言われます。その都度、「そういう気はたしかにしますが、専任の仕事がなくなっているのだから物理的にそのはずはなく、年齢もあって、そう思えるのでしょう」とお答えしています。

しかし、掛け値なしの山場が、師走にやってきました。いまが山場、という方はたくさんいらっしゃるに違いないですが、私も21日の日曜日まではとんでもなく仕事が詰まっていて、乗り越えられるかどうか、不安が先に立ちます。

授業、カルチャー、市民講座、講演、放送録音、コンサートとゲネプロ、解説原稿、字幕作成、新聞原稿、会議、などなどの間に、忘年会が1つ。1日家にいられるのは今日だけなので、今日どこまでがんばれるかが正念場です。

気合いを入れるためにこの文章を書きました。後悔をする仕事だけは、したくないと思います。

【翌朝の付記】激励をいただき、恐縮です。私はThunderbird(メーラー)でToDoを管理しているのですが、昨日の段階で上記期間にやるべきことが14あり、うち2つを昨日済ませ、一覧から抹消しました。ところが今朝起きてみたら、残りのうち11が、一覧から消えているではありませんか。もちろん完了ではなく、項目の消失です。不適切な操作をしたのかもしれませんが、不思議なことがあるもの。いま、手作業で復旧したところです。今日もがんばります!

《冬の旅》!2014年12月16日 07時13分27秒

27日の《冬の旅》のために、解説と字幕を用意しなくてはなりません。「自筆譜稿による」なとど謳っていますから、研究が先決。このところ寸暇を惜しんでそれに取り組み、解説と対訳を完成しました。

自分で訳してみてはじめて実感できる、この作品のすごさです。なるほどそうか、こうつながるのか、と思えるところが、自分なりにずいぶんあり、目下、《冬の旅》に夢中。その成果(?)は当日を楽しみにしていただきますが、解説のワン・パラグラフだけ、引用しておきます。

「《冬の旅》は、詩も音楽も、考え得るかぎりの厳しい世界を展開する。だが確かなことは、主人公の旅は逃避でも自暴自棄でも狂気でもなく、明確な目的意識をもって頭を高く上げた者の意志的な選択であり、自己に課した修練だ、ということである。そこにあるのは妥協のない生への意志であり、死への願望は否定されてゆく。ミュラー=シューベルトは、生への意志が突き詰めて問われるのはぬくぬくした環境においてではなく、厳しい孤独においてなのだと主張している。」

梅津時比古さん(東京書籍)と三宅幸夫さん(春秋社)の《冬の旅》研究書に多くを学ばせていただきましたが、渡辺美奈子さんの博士論文(東北大学)『ヴィルヘルム・ミュラーの詩作と生涯~『冬の旅』を中心に』もじつに立派なお仕事で、勉強になりました。興味のある方にお薦めします。

今月のCD2014年12月20日 06時40分37秒

気候不順ですね。お困りの方もおられることでしょう。私も正念場消化中で、とても疲れていますので、寒さや雨に見舞われると、自分が「冬の旅」という感じです。今日の「たのくら」とモーツァルト講演、明日の須坂をこなし、月曜日の授業が終われば一息付けます。

N市のNさんのお誘いで、パドモア+ルイスの《冬の旅》に出かけたのが、5日のことでした(王子ホール)。これを、《冬の旅》モードに切り替えるきっかけとしました。ご両人のCDは《美しい水車屋の娘》に進んできましたので、今月のCD欄に取り上げました。次のように書きました。引用です。

「《冬の旅》に続く三大歌曲集第2弾。大バッハ歌手パドモアの、誰も真似のできぬ独創的シューベルトだ。本来テノールのための歌曲集を、パドモアはまさにふさわしい繊細な声で、羽のように軽く、時には切り裂くような鋭さで歌ってゆく。いや、語ってゆく、というべきかもしれない。フレーズへの耽溺はなく、言葉がいかにもシリアスに迫ってくるからだ。もう一歩ロマンがあっても、と時に思うのは、おそらく平凡な聴き手の甘さか。ルイスのピアノは骨太の支えで立派だが、この声にはやはり歴史楽器の響きが欲しくなる。」

完遂2014年12月22日 22時29分44秒

10日に及んだ「正念場」、今日(月)の授業で、完遂しました。手抜きなしでできたと思います。しかしずっと集中していましたので、体力はすべて使い切りました。肩の荷がすっかり下りた気分です。

後半は、さすがに危うい状況でした。乗り越えられた要因のひとつは、土曜日の講演が、モーツァルティアン・フェラインの方々のおかげでとても気持ちよくでき、元気が出てきたこと。土曜の夜、深夜に及んだ字幕作りは本当にアップアップでしたが、日曜日に須坂で、心に適うコンサートができたことです。「すざかバッハの会」の恩恵を、かぎりなく蒙っている私です。

市長さんも駆けつけてくださった、クリスマス・コンサート。ルネサンス・ハープとチェンバロの二刀流を、西山まりえさんが披露されました。ハープには、今までさほど興味のなかった私です。しかし、人間の指がガット弦に触れる響きのやさしさが心に染み、大いに感動。いにしえの人々の生活や思いに対して広がるファンタジーが、すばらしいのです。

そして、テノールの櫻田亮さん。《アマリリ麗し》を初めとする古典イタリア歌曲が、当時の楽譜と歌唱様式で、言葉を目いっぱい生かしながら歌われるさまを、多くの方に聴いて欲しいと思いました。歌のレベルの高さと、爽やかなお人柄が調和しているのです。チェンバロ、テノール、フルート(塩嶋達美さん)によるバッハ・コーナーの最後に、カンタータ第147番のコラールが、会有志の合唱団により演奏されました。

日頃合唱されている方々がよく練習しておいてくださり、それを櫻田さんがテキスト表現にこだわって指導されましたので、想定外の、心温まるハーモニーが出現。会にとって、本当に嬉しい瞬間が訪れました。写真を1枚。私から右へと、西山さん、すざかバッハの会会長の大峡喜久代さん、櫻田さんです。


これだけの無理は、もうできないかもしれません。できること、できないこと、望ましいこと、望ましくないことを、整理する勇気も必要だと思っています。

上昇の気配(?)2014年12月26日 07時16分24秒

クリスマス、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。過去形で書きますが、バッハの時代であれば、今日26日が三が日の中日です。今年は寒いので、レジャーどころではなかった、という方もいらしたことでしょう。

私にとって今年最後のイベントである《冬の旅》(サントリーホール・ブルーローズ)が、いよいよ迫ってきました。字幕作成も終わり、今日、ゲネプロです。緊張のせいか、早く目が覚めました。

ときおりプロデュース・コンサートをする私ですが、今回は京都のアーチストを紹介するという前提で出発したため、お客様に来ていただけるかどうか、少なからぬ不安をもっていました。夢に出てくるほどでしたので、私も販売に、いつもよりは努力を払いました。

チケットの売れ行きは把握していませんが、どうやら盛り上がってきているのではないか、という感触があります。15:00の演奏開始に先立ち、14:30から、プレトークを行います。梅津時比古さんとの対談です。

《冬の旅》が名曲であることは、どなたにも異存のないところでしょう。しかしこの作品が何を言おうとしているのか、となると、先日記したように、なかなかとらえがたいところがあります。そのあたりの意見交換を行い、今回の売りである「自筆譜稿」への見解もいただいて、演奏者に引き継ごうという計画です。田中純+渡邊順生の顔合わせにご期待いただきたいですが、主役はあくまで作品、というのが全員のスタンスです。

では明日、お目にかかります。

感謝をこめまして2014年12月28日 11時53分20秒

今年最後のイベント、《冬の旅》を無事終えて、ほっとしていること限りなしです。多くの方に支えていただき、田中純さんという、けっして広く知られているとは言えないバリトン歌手の芸術を、世に知らしむる一助になったかと思います。

私自身にとっては、《冬の旅》という作品としっかり向かい合う機会を得たのが、なによりのことでした。この尋常ならざる作品が、今では、ぐっと身近に感じられます。

楽器と演奏者が優れているならば、という条件付きですが、この曲にはフォルテピアノの使用に格別の価値がある、ということを確信しました。自筆譜に見られるシューベルトの「激しい」筆致を「激しく」表現して則を超えないのは、フォルテピアノであってこそです。軽いタッチによる繊細さと和声の透明感はもちろん、当日使用されたシュトライヒャーの楽器(いずみホールにもあります)の、4本のペダルによる音色の対比は、現代ピアノには求められないものです。〈菩提樹〉のそよぎが色合いを変えて浮かび出るさまは絶品でした。

田中さんはフォルテピアノの響きに耳を傾けつつ、その中に入りこんで歌っておられました。フォルテピアノの響きを初体験にしてこれほど喜ぶ歌い手は、そうそうおられないと思います。田中さん、渡邊順生さんの相互評価が熱烈であったことが、私の安堵の主因でもあります。

渡邊さんが田中さんに共感され、パンフレットの印刷から集客まで引き受けてがんばられている姿は、感動的でもありました。作品解釈については私との間にかなり隔たりがあったのですが、それを長文メールで率直にぶつけてくれるのが、渡邊さん。バトルの様相を呈する対立をお互いに勉強して乗り越えていくのが、私と彼の関係です。めったにないことと、感謝しております。

【訂正】ごめんなさい、「解釈に隔たりがあった」というのは、スタート時点のことです。その後落としどころも見えてきて、当日違和感はありませんでした。謹んで訂正します。