近況 ― 2015年04月19日 09時23分18秒
新年度の流れが、ひとわたり見えてきました。人様の前でお話しする機会がいちだんと増えましたので、その準備をするのが、日々の基本です。時間とお金を使って聞いてくださる方に満足していただきたいという一念で、できるだけ準備しています。一生のうち、いちばん真面目に勉強している時期が、たぶん今です(笑)。
先週の頂点は、日本モーツァルト協会の講演(金曜日)でした。有名団体への初出演、詳しい方ばかりの前でのお話という緊張感があり、昨今の熱演傾向が加速して、後半、はなはだしい疲労を自覚する、という成り行きになりました(例:ご質問をいただいている時に、椅子にへたり込む)。
ちくまの『モーツァルト』のあとがきに、これがたぶん最後の著作、ということを書きました。そのため、まだ大丈夫でしょう、とおっしゃる方がときどきおられます。もちろんもうダメだとは思っていませんが(笑)、それはバッハに集中しなければならない、という意味です。しかし、ヴォルフ本の翻訳も急がなくてはならないので、モーツァルトにかなり時間を注ぐ状況になっています。向き合うにつれ、ヴォルフ本の内容のすばらしさに感嘆しています。
入れ込むことなく、リラックスしてお話しできるのが「たのくら」。今月から、オペラの歴史をたどり始めました。1作品2回という日程を立てましたので、複数のプロダクションを比較しながら楽しむことができ、作品への視野が広がります。
終了後会員の方々と昼食をご一緒できるのが、午前中に例会をもつ「たのくら」ならでは。そこである方から、「まだギリシャ語はやっておられますか」と訊かれました。「多分、もう・・」と顔に出ていましたので、お答えします。
『ヨハネ福音書』の第1章、受難の章(18、19)が済み、さてどうしようかと思ったあげく、『マタイ福音書』に入りました。いま最後の晩餐を終えて、オリーブ山のあたりです。『ヨハネ』も忘れないように復唱しながら、『マタイ』を少しずつ覚えています。じつに明晰な言語だ、と思うようになってきました。
先週の頂点は、日本モーツァルト協会の講演(金曜日)でした。有名団体への初出演、詳しい方ばかりの前でのお話という緊張感があり、昨今の熱演傾向が加速して、後半、はなはだしい疲労を自覚する、という成り行きになりました(例:ご質問をいただいている時に、椅子にへたり込む)。
ちくまの『モーツァルト』のあとがきに、これがたぶん最後の著作、ということを書きました。そのため、まだ大丈夫でしょう、とおっしゃる方がときどきおられます。もちろんもうダメだとは思っていませんが(笑)、それはバッハに集中しなければならない、という意味です。しかし、ヴォルフ本の翻訳も急がなくてはならないので、モーツァルトにかなり時間を注ぐ状況になっています。向き合うにつれ、ヴォルフ本の内容のすばらしさに感嘆しています。
入れ込むことなく、リラックスしてお話しできるのが「たのくら」。今月から、オペラの歴史をたどり始めました。1作品2回という日程を立てましたので、複数のプロダクションを比較しながら楽しむことができ、作品への視野が広がります。
終了後会員の方々と昼食をご一緒できるのが、午前中に例会をもつ「たのくら」ならでは。そこである方から、「まだギリシャ語はやっておられますか」と訊かれました。「多分、もう・・」と顔に出ていましたので、お答えします。
『ヨハネ福音書』の第1章、受難の章(18、19)が済み、さてどうしようかと思ったあげく、『マタイ福音書』に入りました。いま最後の晩餐を終えて、オリーブ山のあたりです。『ヨハネ』も忘れないように復唱しながら、『マタイ』を少しずつ覚えています。じつに明晰な言語だ、と思うようになってきました。
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