透明感 ― 2015年04月24日 05時02分16秒
23日(木)、早稲田大学エクステンション・センター(中野校)に出講し、今年度の流れがだいたいつかめました。
中野駅の北口から西に行くと、駅前の印象とは異なり、再開発地域が開けてくるのですね。その一角にある中野校は、堂々とした建物といい教室の設備といいとても立派で、さすが大早稲田、という感じです。
自筆資料のさまざまをお見せしてバッハの仕事場を覗いていただくというのが第1回の課題でしたが、一区切りしてご質問を募ったところ、「あなたはNHKFMに出ておられる方と同一人物ですか」と尋ねられてびっくり。「そうです」としか答えられませんでした(笑)。
ところで、私は自分が最近、透明になってきたような気がするのです。世間が透明に見えてきた、という言っても良さそう。自分に都合良く考えれば、人生のステップをひとつ登ったとも思えますが、晩年の特徴として、世に広くあるものかもしれません。あるいは、何らかの肉体上の変化というものがあって、一時的に、そういう気分が生まれているとも考えられます。
で思うことは、モーツァルトの後期にあるあの曰く言いがたい透明感はこれと同質のものではないか、ということなのです。本当にそうかどうかは、わかりません。しばらく観察してみたいと思います。
中野駅の北口から西に行くと、駅前の印象とは異なり、再開発地域が開けてくるのですね。その一角にある中野校は、堂々とした建物といい教室の設備といいとても立派で、さすが大早稲田、という感じです。
自筆資料のさまざまをお見せしてバッハの仕事場を覗いていただくというのが第1回の課題でしたが、一区切りしてご質問を募ったところ、「あなたはNHKFMに出ておられる方と同一人物ですか」と尋ねられてびっくり。「そうです」としか答えられませんでした(笑)。
ところで、私は自分が最近、透明になってきたような気がするのです。世間が透明に見えてきた、という言っても良さそう。自分に都合良く考えれば、人生のステップをひとつ登ったとも思えますが、晩年の特徴として、世に広くあるものかもしれません。あるいは、何らかの肉体上の変化というものがあって、一時的に、そういう気分が生まれているとも考えられます。
で思うことは、モーツァルトの後期にあるあの曰く言いがたい透明感はこれと同質のものではないか、ということなのです。本当にそうかどうかは、わかりません。しばらく観察してみたいと思います。
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