見たことのない光景2015年09月03日 00時32分32秒

サントリー芸術財団の主催する「サマーフェスティバル」で、長木誠司さんの監修により、シュトックハウゼンの《シュティムング》が演奏されました(8月29日ブルーローズ、音楽監督ユーリア・ミハーイ)。

6人の歌い手が車座になるステージが中央にあり、それを囲むように、客席が配置されています。残り少ない席に座って音が出るまで、15分ぐらいあったでしょうか。客席は水を打ったように静まりかえり、緊張が支配しています。どんな作品だろう、それがどう演奏されるのだろう、と「固唾を吞む」感じでしょうか。

曲は、倍音を生かした声のスペクトルが、80分ぐらい継続されていくというもの。微細な変化を伴いながらも、えんえんと続いていきます。ところが、客席の「固唾を吞む」モードが、最後まで衰えないのです。終了後も、一種呪術的な呪縛が残存。これには驚きました。

6人の歌い手の方々はさぞ困難な訓練を重ねたことでしょうが、私の席から正面に見えた太田真紀さんなど、進むにつれて輝きを増してゆくのです。今年のベスト公演の1つだろうと思います(他に声楽は工藤あかね、金沢青児、山枡信明、松平敬の皆さん、そして音響が有馬純寿さん)。

翌30日(日)は、芥川作曲賞の選考演奏会。ノミネートされた3曲のオーケストラ演奏を聴いたあと、3人の審査員による審査が、公開で行われる。いや、面白かったのなんの。

ノミネート曲の作曲家はごく若い方々でしたから、名のある方々の踏み込んだ批評を、縮み上がるような思いで聴いていらしたことでしょう。しかしそのストレスには、数倍の見返りがあると思います。議論自体がとても勉強になるし、私を始めとする聴衆が、作品に親しみ、心に焼き付けますから。

審査は激戦で、ファーストチョイスが3すくみになった時には、客席から拍手が。賞史で初めてのことだそうです。私が気に入ったのは、辻田絢菜さんの《ヴォルパーディンガー》という作品。池辺さんと同じ感想をもちました(受賞は坂東祐大さん)。とにかくすごく面白いので、皆様、ぜひ足を運ぶことをお勧めします。

モーツァルトのヘ長調ソナタ2015年09月06日 13時04分11秒

9月3日(木)、今年のいずみホール・モーツァルト特集企画のプレイベントを、レクチャーコンサート方式で行いました。今年取り上げる1787年から91年まで(つまり最後の5年)をたどりながら、プログラムに含めることのできなかった作品を聴いていこう、との趣向。久元祐子さんのいつもながら潤いのあるピアノ(とオルガン)、鈴木准さんの鮮度高いテノールのおかげで、いい会にしていただいたと思います。

その途中、意外なところで大きな拍手が湧き、会場が盛り上がりました。それは、ピアノ・ソナタヘ長調の第1楽章が、ヴォルフの新説とのからみで弾かれたときです。モーツァルトのヘ長調ソナタはK.280、332、533(+494)とありますが、ここで演奏されたのは1788年のK.533です。

このソナタ、普通、やりませんよね。久元さんによると、モーツァルト・ファンからのリクエストをいままで一回も受けたことのないのがこの曲だそうで、私の中でも、存在が希薄な作品でした。

ところが、今翻訳中のヴォルフ本で、このソナタの画期的な意義が強調されているのですね。曰く、1787年末に宮廷作曲家に取り立てられ、大いに張り切ったモーツァルトが最初に書いた作品がこれであり、もっとも規模の大きな力作、出版者を急がせ、肩書きを付けて刊行し世に問うたものである、と。

バロック的な主題が単旋律で開始され、随所にポリフォニックな模倣がはさまれるなど、他のソナタとずいぶん趣が違います。ヘンデル風、バッハ風なところも。これがモーツァルトの開いた新生面であり、フーガ好きの皇帝へのタイムリーな表敬であるのだと、ヴォルフ氏。一般に評価が低いのは旧作K.494のロンドと組み合わせた急造感にも由来するが、そこのフォローはしっかりできている、と主張されています。

この夜のお客様はモーツァルト・ファンの方々でしょうから、ここで客席が湧いたのは、嬉しい驚きでした。このソナタが広く演奏されるようになれば、面白いと思います。

古武士の風格2015年09月08日 10時50分30秒

6日(日)は、全日本合唱連盟中信支部の合唱練習にお邪魔して、バッハ《マニフィカト》の講義をしました。お世話くださった福澤真理(しんり)さん(中学以来の友人)が翌朝クルマで迎えにきてくださり、木曽福島へ。恩師、井口利夫先生にお会いするためです。

井口利夫先生は、以前読書コーナーでご紹介した『われら在満小国民』というすばらしい本の著者。私と福澤さんが信州大学附属中学の生徒だったときに、国語と社会を教えてくださった先生です。深い木曽谷を走る車中でわかったのは、教えていただいたのが1年生のとき1年だけであること、その時先生は臨時の任用で1年だけこの中学の教壇に立たれたということでした。不思議ですね、それではなぜ、先生の印象がかくも鮮明で、心に生き続けているのでしょうか。

中学1年が13歳であったとすると、15歳年上だった先生は、28歳。繊細で優雅、しかし情熱は胸にたぎる、という方だったと記憶しています。木曽福島に近づくにつれ、私は緊張してきました。なにしろ、56年ぶりの再会。別人のようになっておられ、見分けがつかなかったらどうしよう、などという心配が心をよぎりました。

谷の中腹、神社に接したお住まいにたどり着くと、先生が外で待っておられました。すらりと背筋が伸び、お元気であることは一目瞭然。しかし、端然とした一種厳しいイメージは、その後身につけられたものかもしれません。「古武士の風格」と申し上げましょう。

きれいに片付けられた和室にお邪魔し、正座される先生を前に、私も何十年ぶりかで正座。さて、いつまでもつか・・・。昔の思い出、その後の来歴、近年取り組まれている木曽学についてなど、話題は次々に広がり、先生の知的な探究心と、地域、人間、教育を考える真剣な姿勢に、私は足の痛さも忘れて聴き入りました・・・とはいかず、しびれが極致に達して、ついに正座を放棄。子供の頃、お寺だのなんだのでよく正座し、たいへんな思いをしていたことを思い出しました。

これが私より15歳も上の方だろうか・・・そう思わざるを得ないほど、先生は気力充実し、前を向いておられます。帰り道、当地の名所、山村代官屋敷を見学。先生は、当主山村蘇門が芸術に幅広く通じた人物で、善政を施したことを説明してくださいました。じつは、その山村家の末裔が、「まつもとバッハの会」の現会長をやっておられるのです。縁はつながるものですね。



右端は福澤真理さん。中学同学年ですから、私と同い年です(注釈が必要)。

今月の「古楽の楽しみ」2015年09月12日 07時05分43秒

未明の地震に、飛び起きてしまいました。水害とか噴火とか本当にいろいろあり、地球が怒りだしたのではないかと、不安になります。思うことはいろいろですが、被害の少なからんことを祈りつつ、標記のお知らせへ。

今月は、テレマンの《ターフェルムジーク》特集です。大学生のときに無理して買ったヴェンツィンガ-指揮のアルヒーフ盤(6枚組だったでしょうか)は、私をバロック音楽に引き寄せた誘因の1つであったと思っています。

放送は、ちょうど連休の、21~24日。全3集を順番に聴いていくのでは芸がないので、ジャンル別に再編成しました。21日(月)が管弦楽組曲、22日(火)が四重奏曲、23日(水)が協奏曲、24日(木)が独奏曲、三重奏曲。全部を聴くには時間が足りませんでした。

演奏は、1960年代のブリュッヘン、ヴェンツィンガ-を部分的に使い、あとはゲーベル、コープマン、アーノンクール、ムジカ・アンフィオン、フライブルク・バロック・オーケストラといったところで構成しました。気軽に聴いていただけると思います。

どんなジャンルでも楽々と手がけているように見えるテレマンですが、自伝では意外にも、コンチェルトはたくさん作曲したが苦手だ、と述べているのですね。技巧を目立たせることが必要になるので、という趣旨のようです。

今回やってみて、それは確かにそうだなと思いました。テレマンらしい情感豊かな旋律、流麗な旋律の魅力は、室内楽(とくに四重奏曲)、ソロ曲にあると思います。ずらりと並べると、ちょっと甘すぎかな、という気持ちも生まれてきますが・・。

心地良い眠り2015年09月14日 13時11分27秒

起床11時。ゆっくり寝られたのは、昨日の疲労が大きく、しかも快いものであったからです。家族が「もう起きてこないのでは」という心配をしていたことは、言うまでもなし。

昨日は、埼玉県合唱コンクールの最終日、彩の国部門・大学職場一般部門でした。審査委員長であった私が部分的な感想を述べるのはいいことかどうかわかりませんが、採点は公表されていますので、個人ブログの私論ということで、少し書かせていただきます(「故人」と出てしまい、「個人」に変換)。

いい演奏が多かったです。感動して2回、涙が出ました。1つは、女声合唱団の「La Mer」。大竹教子さんの指揮のもと、いつも芸術性の高い優雅な演奏を聴かせてくれる団体ですが、今回はラテン語の宗教曲3曲が選ばれ、Ave maris stella(めでたし海の星)の大好きなテキストが、眼前に生き生きと展開しました。じーんと感動。

もう1つは、混声合唱団「あべ犬東」です。いつも創意に溢れた解釈に惹きつけられる団体ですが、まさに合唱の概念を覆す演奏だったと思います。先日「名伯楽の司るマスゲーム」という合唱タイプについて書きましたが、この日もその方向でぶっちぎり、という演奏が複数。それはそれで、すごいです。

しかし「あべ犬東」さんの合唱は、ひとりひとりが内側から湧き上がる感興によってハーモニーが共々作られていくという趣のもので、その自主性がすばらしいのですね。こういう音楽を引き出す中尾一貴さん(指揮者)の音楽観に共感します。ブルックナーの美しさは心に残るものでした。審査員の先生方からも大きな支持を得て、総合一位に。

紹介はこれにとどめますが、とてもいいものが多かったです。私は合唱コンクールの審査にいつも大いなる負担を感じ、毎度「できることならこの杯を過ぎ去らせてください」という気持ちなのですが、今回、自分なりの審査というものに少し光明を得た思いがしています。週末の鳥取で、さらに勉強したいと思います。

よく尋ねられること2015年09月17日 11時13分01秒

オリンピックの話題にからめて、著作権のことを尋ねられることが多くなりました。音楽ではどうなのか、昔はどうだったのか、といったことです。全部は論じられませんが、こういうこともある、ということをお話しします。

ことが重大になるのは、大きなお金が動く場合です。ある人のアイデアを使って他の人が大もうけするというのは、誰しも許容できない。もうひとつは、名誉にかかわる場合です。学位を取る、受賞する、といったことに盗用がからむと、ことは重大になります。コピペが何十ページもある博士論文などは、弁護の余地なしです。

分野によって常識が異なることはあるでしょうし、小さくないかもしれません。たとえば、創作と研究です。

私は研究の側ですから、正確な事実を知り、まっとうな考え方を発見したいと思って、つねにやっています。仮にそれが多少できたとして、正確な事実やまっとうな考え方というのは、私の所有物ではないですよね。少しでもそれが広がれば嬉しいし、そこに私の存在がからむ必要はない。これは誰それの考え方だ、という注釈が必要なのは、むしろ検証されていない新説や、特殊な考え方に対してです。(もちろん、専門的な論文執筆の場合は、出典の記述等、細心の注意が必要になります。)

創作は、どうでしょうか。権利の問題が、ずっとシリアスにからんできそうです。とはいえ、たとえばある旋律がパクリかどうかの線引きは、とてもむずかしい。歴史上の音楽を見ればわかるように、よく似た旋律というのは掃いて捨てるほどあるからです。音階とかドミソとか、音楽の基本ルールに従うなら、ある程度の類似は、当然発生します。しかしほんのわずかの違いが印象をがらりと変え、まさにそこに創意工夫が見てとれることも少なくありません。その中には、既成のモデルから出発した、という場合が隠れている可能性があります。

でもそうした場合に、もとのものと同じだからけしからん、ということが言えるかどうか。また、他と似ないように、という意識が先に来ることが、創作にとってもプラスであるかどうか。もっと根本的に言えば、名旋律があるとして、それはすべて作った個人の誉れなのか、あるいは才能を含めて、神様からいただいたものなのか。こうしたことが全部からんできますから、著作権の問題は複雑なのです。

分ければ太陽2015年09月18日 07時36分17秒

いずみホールには、「ランチタイムコンサート」というシリーズがあります。同名のシリーズもちらほら見かけるようになりましたが、いわば、その草分け。平日の11:30から13:00ぐらいまでコンサート、そのあとは、ホテルニューオータニその他で、ゆっくりお食事していただこうという趣向です。

幅広いジャンルにわたる多彩な出演者を、日下部吉彦先生がまとめてくださり、楽しいコンサートが続いてきました。この15日(火)は先生がお休みでしたので、私が代わりに司会を。嬉しいことに、大谷康子(ヴァイオリン)、藤井一興(ピアノ)という豪華な出演者です。

早朝のリハーサル。ヴァイオリンの最初の1音がオルガンのようにホールに響きわたったのにまず驚嘆。ストラディヴァリ「エングレマン」の威力はこれか、と思いました。大谷さんの演奏は純粋にしてスケールが大きく、造形力が並外れています。ベートーヴェンのソナタはシンフォニーのごとく響きますし、ロマ系の技巧曲は、快刀乱麻で盛り上げる。それを藤井さんのピアノが、一体感のある音色(注:ふつう一体化しない)で完璧にサポートしてゆく。会場は爆発的に盛り上がりました。

大谷さんとはサントリーの復興支援事業でご一緒していますが、何事にも全力投球される献身的な方だと痛感していました。このためひっぱりだこのご多忙で、いつ眠るのだろうか、ということが、音楽界の七不思議に数えられるとか。サイン会など当日のファンサービスも、体当たりでやっておられました。

太陽、月、星に分ければ、太陽のタイプ、お人柄の印象は明るく純真、天真爛漫、というのが衆目の一致するところだと思います(音楽と同じ)。しかし驚くのは、マイクを向けたときのお話が理路整然としていて、演奏と同様、しっかり筋が通っていること。すごいですね。脱帽の気持ちを抱きつつ、お別れしました。

ご挨拶2015年09月24日 07時52分40秒

皆様、シルバーウィークはどのように過ごされましたでしょうか。私は金曜日から水曜日までの6日間、山陰を中心に過ごしました。鳥取で3泊(中国合唱コンクール関係)、松江で1泊、最後に、予定外でしたが姫路で1泊。島根県を訪問して、全県制覇達成です!

皆様が期待されるようなことが起こったかどうかは別にして、写真など別途ご紹介します。連休明けの今日から、國學院大學が後期に入ります。前期はオペラ史でしたが、今期はバッハを取り上げます。とりあえず、つなぎをさせていただきました。

私のシルバーウィーク(1)2015年09月25日 09時27分51秒

「シルバーウィーク」というのは聞き慣れない名前だなと思っていました。今調べたところ、秋分の日が9月21~23日のいずれかでしかも水曜日になる場合に発生する大型連休なんですね。敬老の日が月曜日、はさまれた火曜日が「国民の休日」となるため、連休が成立するのだとか。皆さんはもうご存じでしょうが、私はずっと旅行中で、知らずにいました。気になるのは、「老けた」ネーミングであること。でも、敬老の日がはさまれているのでは仕方ありません。

18日(金)に家を出て、列車を乗り継ぎ、鳥取着。私はなるべく飛行機に乗らない、という主義なのですが、それだとさすがに、山陰は遠いです。福知山経由とか、取りたいルートはあったのですが、夜の懇親会に間に合わせるために、あきらめました。

19日(土)、20日(日)の全日本合唱コンクールは、中国支部の地区大会でした。各県の代表が出てきますからレベルは高く、特徴としては、ハーモニーを追究する演奏が多かったように感じます。以前一度お邪魔したことがあり、島根県が突出していたと記憶していますが、今回はそれぞれの県になかなかの有力団体があり、聴き応えがありました。

採点は困難で、反省もあります。しかし全国大会にも呼ばれている手前、予習のための絶好の機会として、勉強させていただきました。主催の皆様には本当によくしていただき、頭が上がりません。

日曜日の夜は、もはや移動の余地なしで鳥取泊。打ち上げに参加させていただき、翌朝から、お駄賃の旅行に入りました。なにぶんのシルバーウィークですから、鳥取も島根も、空き部屋は皆無。松江で1泊できたのも、連盟事務局のおかげです。

私のシルバーウィーク(2)~米子の巻2015年09月29日 09時31分40秒

28日の月曜日から、聖心女子大の後期がスタートしました。まず、前期にかかわる質疑応答をしばらく。次いで、「聖母マリアの音楽史」という授業テーマの継続に入ります。この日はモンテヴェルディの《ヴェスプロ》から〈天よお聞きくださいAudi coelum〉を取り上げたのですが、私の得意技が劇的なタイミングで出て、「九仞の功を一簣に虧く」形になってしまいました。

まずガーディナーのCDを聴き、テキストの意味と出典、音楽の趣向などを細かく説明しながら進めました。このレファレンスには、カントゥス・ケルンのものを使用。いい曲ですねえ。残り10分になりましたので、ガーディナーの映像を切り札として、感動的な仕上げを志しました。そうしたら、ケースはもぬけの殻。私はうろたえ、教室の士気は目に見えて下がって、戻りませんでした。こういうことが多かったので最近はしっかり確認し、家を出てからも持ち物をチェックするぐらいにしていたのですが、この日は、それをしていませんでした(泣)。

話は戻って、シルバーウィーク。合唱コンクールが終わり、月曜日の早朝に目覚めた私は、快晴の中、山陰本線を西に向かいました。目的地はまず、鳥取県西部の中心、米子です。

鳥取は砂丘が有名ですが、米子は中海に面する、水の豊かさが魅力。さっそく湖畔まで歩いてみました。面積第5位の大きな湖で、日本海から海水が入ってくるために水には塩分が混じっているとか。湖畔は公園になっています。


米子城への道を見つけ、登ってみました。知らない町を訪れたら、水のそばにいく、高いところに登る、というのが、私の鉄則なのです。吉川広家が基を築いたというお城は部分的にしか残っていませんが、中海と米子の眺めは一望できました。


お昼は境港でお魚を、と思い立ち、ローカル線で45分。行ってみると、なにぶんの休日で、たいへんな数の家族連れが訪れています。「水木しげる記念館」を始めとして家族向けの施設やお店がずらりと並び、私の脳裡に描く昼食のイメージと相違。いずれにしろどのお店も、行列になっています。

そこで食事を諦め、米子に戻ってお店を探しましたが、タイミングを逸したので選択肢がありません。やむなく駅の食堂でピラフを食べ、松江に向かいました。島根県は、私が足を踏み入れていない唯一の県。いよいよ来ました。松江、出雲の観光が楽しみです。

〔付記〕私の翌日、佳子さまが境港に行かれたことを知りました。