格別の解放感2016年09月05日 09時26分14秒

仕事が集中している、この夏の終わり。前半のピークが過ぎたところです。

緊張と負担感の由来は、いつものごとく、合唱コンクールでした。今年は、埼玉県大会が昨日にかけて、土・日・日の3日間組まれていました。

その審査がたいへんなことは折にふれて述べていますが、もう一度強調させてください(笑)。開始が午前10時。表彰式の終わるのが、たとえば昨日は20時35分(演奏終了は19時13分)でした。その間、わずかの休憩を挟みながら、1団体数分の間に、演奏へのコメントやアドバイスを書き綴ってゆく。同時に採点をしつつ、順位を考えます。埼玉県のように参加数が多く実力伯仲が何団体も、というところでは、1秒もゆるがせにできない作業が続きます。

加えて、耳の疲労があるのですね。高い周波数を聴き続けるうちに耳が飽和してきて、聴覚の弾力が失われてしまうのです。この段階で大激戦が起こると、実感として、お手上げです。

それだけに、終わったときの解放感は大きい。ただしその前提は、後悔とか、罪の意識とかとの差し引きです。ある程度プラスになればいいのですが、マイナスになったら目も当てられません。

後悔や罪の意識は今年もありました。しかし疲労感も解放感も、かつてなく大きいと感じたのが今回でした。理想にはとても及びませんが、勉強の機会をいただいてきたおかげで、ある程度わかってきたかな、という気がしているのです。同時に、先生方との協力で進める審査の場合には、自分の価値観をブレずに貫き、そこで責任を取るのが最上、いろいろな配慮から修正しても結局いいことはない、という確信ももちました。当たり前と思われるかと思いますが、これは案外、困難なことなのです。

いろいろな団体をご紹介するゆとりはありませんので、とても感心し勉強になったことを一つだけ。

クール・ヴァン・ヴェールという女声合唱団がありますが、この団体はいつも、和声いのち、という演奏をされます。今年は自由曲にミクローシュの《サルヴェ・レジーナ》を歌われましたが、要所に出てくる不協和音をじつに美しく表現されることに感嘆しました。たとえばド・レ・ミが同時に鳴っている和音がフレーズの終わりにあるとしますね。普通はそれぞれの音程を正しく取ることが先決になりますが、この合唱団は、どうです、この和音美しいでしょう、と、耽溺するかのように立ち止まるのです。その集積として、なんとも甘美なマリア像が出現しました。

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