古橋さんを悼む ― 2009年08月05日 22時52分02秒
私は仕事上のつながりから、住友生命健康財団の理事をやらせていただいています。毎年3月に帝国ホテルで理事会があるのですが、会議のあとの昼食がいつも楽しみです。というのは、各界の一流の方々が集まるので、普段聞けない面白いお話を、その道の名士の方から直接伺えるからです。
ローマで亡くなられた古橋広之進さんも、そうした名士のお一人でした。スポーツマンらしい素朴さとカリスマ的な人間的魅力を兼ね備えておられ、斯界における人望のほどが偲ばれました。そして、水泳にまつわる四方山話が豊富にあって、とても面白いのです。そういうお話がもう伺えないのは、とても残念です。
でも水泳競技の現場で亡くなるというのは、失礼な推測を許していただければ、本望だったのではないでしょうか。周囲がたいへん、という面もあるかとは思いますが、できれば自分の最後はこのように、とおっしゃる方によく出会いますから。ご人徳を偲びつつ、ご冥福を祈りたいと思います。
別館では、バッハとリュートの話題が出ております。http://groups.google.co.jp/group/alt-prof-i
理想の人 ― 2009年08月04日 22時33分50秒
「人格者」という言葉で、皆さんは誰を思い浮かべられますか。もちろん、私を思い浮かべる人が皆無であろうことは承知しております。でもこれから述べる人であれば、どなたも異論がないのではないでしょうか。
平素見ることのない「徹子の部屋」を見ました。ゲストは、王貞治さん。王さんの思いやりのある人格を物語るエピソードはいろいろに聞き知っていましたが(ここだけアンチ巨人を返上します)、本当に高貴な方で、涙が出ますね。
あれだけの方なのに自分優先のところがなく、まず、人のことを考える。周囲に求める前に、自分がもっとできたのではないか、と反省する。自分がいい時に、置いていってしまった人のことを思いやる。誰もまねができないほどの成果を挙げているのに、誇るより前に、もっとできたのではないか、と考える・・・。
こんな人もいるんだなあと思いつつ見ているうちにふと気がついたのは、バッハの《マタイ受難曲》が求めている内省的な人間像というのはこういうものではないかということです。バッハを天国から呼び出して紹介してあげられたらいいのに、と思いました。
せっかくの名著が・・・ ― 2009年08月03日 22時45分55秒
仕事の関係で、受験生が読むのに適当な、クラシック音楽のいい本を選ぶ必要が生じました。新書、文庫の中から、という条件がついています。そこでいくつかの本屋をハシゴし、最後に、新宿紀伊國屋書店の文庫階まで到達しました。
そこで感じたこと。第1は、新書、文庫の種類はこんなにあるのか、ということです。しかしそれは今日は置いておくこととし、第2の実感は、候補が本当に少ないなあ、ということでした。
少ないというのは、生きている、すなわち棚に置いてある本が本当に少ない、という意味です。続々と新刊が出て、そのたびに旧刊が押し出されていく、という仕組みの中で、あったはずの名著が、棚になくなっています。ひとつだけ例を挙げれば、柴田南雄先生の岩波新書『グスタフ・マーラー』。ネットで見たら「品切れ重版未定」という扱いで、この分類に、たくさんのクラシック本が入っていました。重版のシステムがどういうものか知りませんが、ぜひ復活してほしいものです。
今日、書斎と物置の連動を図ろうとして蔵書の整理を始めました。いい本、なつかしい本、多くを教えられた本が山のようにありますが、そのほとんどは、今本屋で見かけることはなく、手に入れることもできないものです。死屍累々と言ってはたとえが悪いかもしれませんが、本を書く作業というのは案外寂しいものだなあ、という感慨にとらわれてしまいました。演奏家の方も同じでしょうけれど・・。
自分向きの新マシン ― 2009年08月02日 23時16分17秒
ついに、新マシンを購入しました。私にとっては最初で最後の、Vistaプリインストール機です。
私のメイン・マシンは、デル→フロンティア神代→ソニー→エプソンダイレクトと無定見に変遷。今度も直販にしようと思ってネットを見ていたのですが、今までのようにハイエンドなものは、まったく必要がないような気がしてきました。そこで、せめてCPUはCore i 7に、ということにし、ヒューレット・パッカードの中クラスを候補として、ビックカメラに行きました。
コーナーでスペックの比較をしていたら、隅にあるものが、イメージにぴったり。店員を呼んでわかったのですが、HPでなく、Acerなのです。マシンの上に、「ゲーム向き」と大書してある。何となく恥ずかしい気持ちです。でも、性能を下げられないのは、ゲームをやるからに違いありません。
最近、前マシンが遅く、フリーズを起こすようになっていました。ということは、すべてをインストールし直すべきなのかな、とも思ったのですが、「パソコン引っ越し」というソフトを見つけて購入。一気に、環境の移行を図りました。
新旧マシンにソフトをインストールし、転送に挑戦。しかし相互認識がうまくゆかず、らちが明きません。そこで付属していたケーブルでつなぐことにし、2時間半ほどかけて転送を行いました。終了5分前にフリーズが起きたのには肝を冷やしましたが、あらかたのところは、移し替えることができました。
このOS、64ビットなのですね。ドキュメントスキャナが使えないじゃないの。等々、いろいろ起きてきそうですが、12万円という安さの割には、とりあえず快適なスタートです。
8月のイベント ― 2009年08月01日 23時17分57秒
ついに8月に入りました。余裕のもてる、うれしい月ではありますが、もう1日経ってしまったので、喪失感に悩まされる月かもしれません。そこで、今月のイベントです。
1日(土) 10:00~12:00 「新バッハ・魂のエヴァンゲリスト」 朝日カルチャーセンター新宿校 これはすでに終了。今日は「マタイにおける慈愛の熟成」の部分でしたので、モノグラフィ研究以前の自分の《マタイ》観を見直しました。未熟はぬぐえませんが、これは自分が研究を進めたから気がつくこと。他の部分も未熟なのに、研究を進めていないから気がつかない、という可能性もあります。
15日(土) 10:00~12:00 「ハイドンでリフレッシュ」 楽しいクラシックの会
22-23日(土、日) 埼玉県合唱コンクール審査
27日(木) 19:00~21:00 ロレンツォ・ギエルミ オルガン・コンサート「ライプツィヒの巨匠バッハ」 いずみホール ライプツィヒ・バッハ・アルヒーフとの提携によるシリーズの第5回。ライプツィヒ時代、すなわち円熟期の諸作品が、バッハ自身のプログラミングを模倣する形で集められたコンサートです。解説とインタビューを担当します。
29日(土) 13:00~15:00 「夭折の天才、ペルゴレージ」 朝日カルチャーセンター横浜校
30日(日) 14:00~16:30 「バッハ最先端第10回」 《マタイ》の連続講座は「流れ下る愛」(ソプラノ・アリアとその周辺)、「この1曲」はコーヒー・カンタータです。
以上、よろしくお願いします。あ、別館もよろしく。http://groups.google.co.jp/group/alt-prof-i
クラヴィコード! ― 2009年07月31日 23時51分25秒
水曜日は、バッハ研究所の前期最後のイベント。会場には渡邊順生さん秘蔵の楽器(クラヴィコード、チェンバロ、フォルテピアノ)とポジティヴ・オルガンが並び、それらを試奏しながら、大塚直哉さんがバッハと彼の楽器、およびその演奏法についてレクチャーするという、贅沢きわまりない企画でした。
バッハ研究の最先端の情報に精通した大塚さんのお話・演奏は世界的にみても最高レベルのものでしたが、私がとりわけ印象深かったのは、クラヴィコードです。ごく小さな、しかも精妙な音に集中して耳を傾けると、そこに広いファンタジーの世界が広がっている、というのは、私が最近もっとも貴重だと思っている音楽体験の形です。
終了後、クラヴィコードの周囲に人が集まったことは言うまでもありませんが、渡邊さんがそこで愛を込めて演奏した《平均律》の変ホ短調プレリュードの美しさは無類のものでした。「この曲はクラヴィコードがいいねえ」と申し上げたときの、嬉しそうな顔ったら。
レクチャーでは、〈私は満ち足りている〉のレチタティーヴォを、ソプラノの鏑木さんと4種の鍵盤楽器で演奏するという試みも行われました。え、クラヴィコードで歌の伴奏できるの、と思いたくなりますが、これができるのですね。アンナ・マクダレーナはおそらく終始ソット・ヴォーチェで、クラヴィコードのかそけき響きに耳傾けながらアンサンブルを楽しんだことでしょう。歌の伴奏か、じゃ音量のある楽器じゃなくちゃ、と考えてしまうのが、近年の音量主義。楽器が違えば、歌い方もまったく違ったにちがいないのです。
今どきの異性観 ― 2009年07月30日 00時15分14秒
火曜日の飲み会。合コンさながらの展開になったエピソード部分のさわりをご紹介します。
男子側から女子側に、デートのさい、次のどちらの方が好ましいかを尋ねました。①連れて行きたい場所を考えておき、「いいところだから、~に行こうよ」と働きかける。②「どこに行きたい?」と女性の意向を訊く。
これは、4名の全員が①と答えました。なるほど。次に、「どういう男の人に惹かれますか」という、月並みかつ定番の問いかけ。どんな返事が出てくるか、私も興味深く耳を傾けました。
「自分のやりたいことがはっきりしている人」「自分の世界をもっている人」という答が複数。代表的な返答かもしれませんね。でも現代は、自分の世界に入り込んでしまっている人、というのが案外多いようなので、そこからしっかり出てきてくれる人、という条件付けが必要なのではないか、と思ったり。やっぱりオタクでない方がいいでしょ?
おひとり、「叱ってくれる人」とおっしゃった方があり、これにはのけぞってしまいました。でもよく考えてみると、これって、なかなかの名答ですよね。それだけの内容と蓄積のある男性を求めているわけなので、高いハードルを設定していることになります。別の見方をすれば、それだけの高い目標を目指してがんばれば、待っていてくれる女性がいる、ということです。ともあれ、伝統的な価値観の方がまだたくさんいらっしゃることがわかり、少しうれしい気持ちになりました。
そこで私は、ある若々しく爽やかに見える芸能界の男性を思い浮かべ、「J.I.さんなどいかがでしょうか」と尋ねたところ、4人とも、そこはご遠慮したい、とのお答えでした。
こんなことを書いている拙宅にも、今回、別館ができることになりました。本宅とは別に、自由に話題を交換していただけるスペースです。ぜひご活用ください。http://groups.google.co.jp/group/alt-prof-i
珍しい飲み会 ― 2009年07月28日 23時32分28秒
今夜は、最近よく使っている国立のロシア料理「スメターナ」で、前期の授業科目「歌曲作品研究」の打ち上げ。参加した学生は男女4人ずつの8人でしたが、今どき珍しい光景を目にしました。
というのは、1人置きに座った男子学生が会話を完全に主導し、女子学生が聞き役にまわっていたのです。自分の若い頃はたしかにこれが普通でしたけれども、最近の飲み会は女子学生がにぎやかに主導し、男子学生は隅でおとなしくしている、というのがほぼ定番でしたから、びっくりしました。これはこれでなかなかいい形だと思いましたが、偏見でしょうか。
何を話したかが問題ですよね。みんな音楽が大好きで、音楽について熱く語り合う、という、音大ならではの形で進みました。この話題がロンド主題であるとすれば、エピソードは、異性に関するさまざまな思いでした。楽しかったですが、「ドルチェ」がありませんので、一次会で散会です。
人を教えること ― 2009年07月27日 23時41分23秒
博士論文執筆中の学生について昨日書きましたが、まだひとつの通過点ですから、具体的な情報は結果が出るまで控えておきます。しかし私の30年を超える教師生活において、これだけ急激に成長した例は初めてで、人を教えるということについて、根本的に考え直さなくてはいけないような気がしてきました。同時に、これだけ喜びと感動をもって発表を聞いたことも、ほとんどなかったような気がします。まじめに努力する若い人には、無限の可能性があるのですね。後の人が続いてくれるといいのですが。
平謝り ― 2009年07月26日 23時09分48秒
ここ数日徐行運転させていただいていたので、今日は久しぶりに気力が出て、部屋の積み重なりを一掃しました。その結果として、たちの悪いダブルブッキングを2つ発見。「最近ダブルブッキングないですね」と残念そうに言っておられたあなた、お喜びください。必然的に、平謝りのメール2通。どちらもまだ、返事が来ていません(汗)。
今日まで大阪でJSG国際歌曲コンクールが開かれており、私の周囲からも何人か参加していました。いましがた連絡があり、博士課程在学中の山崎法子さんがシニアの部で優勝されたそうです。1つ前の土曜日に「たのくら」に出演され、たいへん好調とお見受けしましたので、もともと内容的には折り紙付きの方ですから、あるいはと思っていました。おめでとうございます。
明日は、私の大学始まって以来の、博士論文の予備審査。声楽なので私の指導ですが、当該の学生は今年度に入ってから急上昇しているので、とても楽しみです。(普通は心配するものでしょうが、今回は自信ありです。)
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