進歩もいいけれど2009年08月15日 23時21分46秒

DVDプレーヤーに併せてBDレコーダーを購入し、AV関係の環境が一通り整いました。ブルーレイディスクというものも初めて使ってみましたが、大容量は、たしかにありがたいですね。1枚で、本当にたくさんの情報を収められる。でもこれで音楽ソフトを作るとなるとたいへん。市場はどうなるのでしょうか。

CDがDVDになったのも、ついこの前のような気がするのです。当時は気が遠くなるほど大容量、と思っていたのですが、いまではシステムのバックアップ・ディスク作成にさえ、何枚も必要ですよね。すごい発展ぶりです。

私が困ったのは、DVD-RAMを使ってきたことです。私が導入したときにはディスクがケースに入って、保護されていました。しかしふと気がつくと、プレーヤーのマルチメディア化が進む一方で、パナソニックのレコーダーさえ、ケース入りのDVDを使うことができなくなっているのです。そこで、ケースをひとつひとつバラして取り出し(割らなくちゃならないのもあり)、BDに移す作業をしています。

こういうことって、本当に困りますよね。でも一番困っておられるのは、HD-DVDを買われた方かもしれません。

オペラの鑑賞数2009年08月14日 22時28分23秒

大整理を続行していますが、私がドイツ(ミュンヘン)にいた2年間に見たオペラの一覧表が出てきました。全部で56演目のオペラを、のべ106回見ています。上位は、次のようになっています。

1.ワーグナー《マイスタージンガー》 8回

2.モーツァルト《フィガロの結婚》 7回

3.ワーグナー《トリスタン》/J.シュトラウス《こうもり》 5回

4.シュトラウス《ばらの騎士》4回

5.モーツァルト《コシ》 《魔笛》/ワーグナー《オランダ人》 《タンホイザー》 《ローエングリン》 《パルジファル》/ヴェルディ《ドン・カルロ》 《オテロ》 3回

作曲家別にすると、ワーグナーが34でダントツ、次がモーツァルトの18、ヴェルディの11、シュトラウスの8、プッチーニの7と続きます。ワーグナーが多いのは、私のいるときに没後100年が訪れ、音楽監督だったサヴァリッシュが全舞台作品の上演を敢行したため。これに2度にわたるバイロイト詣でが加わりました。《こうもり》、《ばらの騎士》は、カルロス・クライバーが常時指揮をしていた曲目です。こうしたおりに集めたプログラムを、ばっさりと捨てたわけです(笑)。

便利なものはあるもので2009年08月13日 22時02分39秒

東芝のDynabookSSを買って、かれこれ2年ぐらい使っています。しかし携帯電話でメールを見られるようになりましたから、持ち歩くのは、仕事をしながらの遠出か、プレゼンテーションのおりぐらい。ノートではどうしても、仕事をしずらく感じます。

立川のビックカメラで購入するさい、当然のように、1ギガのメモリを付けてもらいました。さあ増設しようと思ったら、ネジが固く締まっていて、びくともしません。どうしても動かないので、ビックに持参しました。店員が大きな器具を持ち出して試みてくれたのはいいのですが、やっぱり動かず、「すみません」という話に。責任もってくださいよ、という言葉がのどまで出かかりましたが、まあそのうち東芝にもっていくか、ということで、引き上げてきました。

その後チャンスがないまま、少ないメモリで使い続けていました。しかし世の中には、便利なものがあるのですね。「ネジやま救助隊」という軟膏のようなチューブを見つけたのです。

この軟膏を1滴ネジ山に垂らす。そして渾身の力を込めると、なんと、動いたじゃありませんか。ネジ山のつぶれるのを防ぐ働きがあるのだそうですが、まるで魔法のようです。

おかげでVISTAを、増えたメモリで動かすことができるようになりました。これって、誰でも知っていることですか?

余命2009年08月12日 22時49分44秒

自分の死の時は、あらかじめわかったほうがいいでしょうか、わからないほうがいいでしょうか。

ほとんどの方が間髪を入れず、「わからない方がいい」とお答えになると思います。わからないからこそ、死を脳裏から遠くに追いやって、安穏と生きていられる。私もそうです。

そうしたら最近、ガンで亡くなった方(たしか有名人)の闘病をたどるドキュメント番組で、余命1年の患者さんが「わかったらどんなにいいか」と発言しておられたので驚きました。大きな不安に取り憑かれる状況では、わからないことのほうがずっと恐ろしい、ということのようです。これには、考え込んでしまいました。

相手が「死」でなかったらどうでしょう。夏休みが終わるのを恐れている毎日ですが、いつ終わるかわからないほうがいいか、わかっているほうがいいか。遠からず定年を迎えますが、いつ定年になるかわかっているほうがいいか、わからないほうがいいか。どう考えても、わかっているほうがいいですよね。計画を立てて、有効に対処できますから。

でもそう考えると、相手が死でも本当は同じことなのではないか、という疑念が湧いてきています。

新しい気持ちで2009年08月11日 23時37分35秒

ちょっとぎくしゃくしたところをお見せしてしまいました。すべて私の責任です。私のブログは本当に読み手に恵まれていて、いままでいただいたコメントに心ないものがひとつもないのは、驚くべきことだと思っています。ダヴィデヒデさんにも、つねづね感謝しております。

超若い女性さんがおっしゃるように「皆さんの人間らしい生き生きした会話」ができる場でありたいと私も念願するのですが、それができるのは、それを「楽しんでいる」とおっしゃってくださる方々が支えてくださるからです。その信頼感というか、一種の寛容さに甘えさせていただいて、建前でないトークを楽しむ、というのが、本来一番いい形ですよね。

この先の部分、どうも話が深刻になってきてしまったので、ブログの楽しさを取り戻した後、頃合いをみて掲載することにします。説明不足で申し訳ありませんが、とりあえず、気持ちの切り替えを優先させてください。

お騒がせしました2009年08月10日 23時34分02秒

書き込み、ありがとうございます。しかし、「差別」という言葉が出ては、もう続けられませんね。本来なら、隠居老人さんの7条件を吟味し、2つほど修正して、今風の案を提示しようと思っていました。あ、言葉を使われた方に悪気がないことは、よくわかっております。

〔付記〕遠慮なく書き込んでくださいと言いながら矛盾した反応になり、申し訳ありません。次の更新でお詫びかたがた、ご説明させていただきます。

「清純派」7つの条件2009年08月09日 23時44分40秒

昨日は失礼しました。嬉しい書き込みをたくさんいただきながら、話題への環境作りをしたいという気持ちが裏目に出て(←この言葉好き)、コワモテの反応になってしまいました。ぜひぜひ、気軽な書き込みをお願いいたします。

「清純」と「清純派」は違う、というのは卓見ですね。「清純派」というのはイメージですから、中味はどうかを問わないわけです。でも、性別は関係なくないんじゃないですか、N市のNさん!私は、美しい女性に対する分類のひとつ、と理解しています。ただ、昔ほど今は言われない価値で、言われたとしても、多分、内容がかなり変わっている。その意味で、隠居老人さんの定義には、昔懐かしい思いがしました。そこで、隠居老人さんの定義を吟味してみます。

隠居老人さんのコメントが挙げている条件は7つあります。必須なのは4つで、「清潔感」、「細面」、「色白」、「控えめな雰囲気」。加えて、「爽やかさ」、「地味な身なり」、「静かさ」の3つ。う~ん、考え抜かれていますね。古きよき時代の邦画を見るようです(笑)。

私が矢内理絵子さんを連想したのは、このうち6つがぴったり当てはまる、と思ったから。ふっくら顔なので第2条件が異なりますが、吉永小百合だってふっくら顔でしょ?私の周囲には、細面の人、少ないですよ。幅があった方が、いい声が出やすいのです。あとの6つは、矢内さん、ぴったりです。(続く)

レス急増に当惑2009年08月08日 23時04分02秒

逮捕報道に見入ってしまい、時間を浪費しました。マネージメントとの関係とか、まだ話題が続きそうです。

「このような話題になると俄然レスが急増」(隠居老人さん)したわけですが、ありがたい反面、当惑しております。なぜなら、こうした話題は私、概して避けるようにしておりまして、いつぞやの「叱ってくれる人」という発言が出たおりにも、私は興味深く耳を傾けるのみで、自分からは口を閉ざしていたからです。いろいろなタイプの女性が周囲におられるため、発言は慎重にしているのです。

一度、今は亡き「ドルチェ」で、うっかり清純派の話題に踏み込んでしまったことがあります。周囲の反応は冷たく、しかも翌日には、その話が広く回っていました。少なくともこの件をリセットしないと、新たに論じられないのですね(笑)。

皆様の意見はたいへん興味深く、また含蓄が深いものです。ですから充分に整理してから態度表明したいと思いますが、とりあえず具体例の出ているものに対して、いくつか。

エマ・カークビーですか。気がつきませんでしたが、どんぴしゃりですね。声、人品ともに。マーガレット・オブライエンというのは『若草物語」の四女をやった人ですよね?中学生の頃見て、魅惑されたのを憶えています。ジュディ・ガーランドというのは、映画の冒頭で〈虹の彼方に〉を歌っている人でしょうか。あれは感動的です。

中三トリオについては、たいへん失礼ながら、タイプと美しさの両面でハードルを設けるとすると、該当者なしではないでしょうか。タイプの方はおられますが。

隠居老人さんの定義はじつに的確で、すでに考えておられたのではないか、と思うほどです。一点を除き、同感します。隠居老人さんの定義で脳裏に浮かんだのは、将棋の矢内理絵子女王(前女流名人)なのですが、いかがでしょう。

自分の傍らにいる歌い手さんを判定せよ、と強要(?)する方がおられます。有資格者と認めざるを得ませんが、隠居老人さんの定義とは、若干反するところがあります。このあたりが議論のポイントになるかも・・・。

私としたことが、取り乱して散漫な文章になりました。書きにくいんですよ(笑)。

〔付記〕この文章を読むと、困るから書き込まないでくれ、と言っているように見えますか。そうではないですよ。興味深い話題なので、どんどん書き込んでいただければ、私も、書きにくさと乗り越えて参加します、という趣旨です。遠慮なくどうぞ。

有利なはずが・・・2009年08月07日 23時08分15秒

これだけ一日中放送されると、芸能ネタに乗らざるを得ませんね。酒井法子さん、けっして嫌いなタレントではなかったので、残念です。あれだけきれいならば人生相当有利だと思いますが、それを活かせなかったのはもったいないですね。「清純派がなぜ?」(某紙)というように、意外という受け止め方がもっぱらのようです。でも考えてみれば、麻薬と容姿は関係ありませんよね。

「清純派」という言葉に関心があるのですが、酒井さんに関して、私自身には、この言葉は浮かんで来ませんでした。「清純派」って、外国語ではなんて言うんだろう。日本にのみある、今なら流行語大賞になるような造語なのでしょうか。ラファエロの描くマリア様は、究極の清純派なのか、あるいは、そう呼んでは失礼なのか。

かつてはセクシーの反意語のように思っていた私ですが、少し考えが変わってきました。秘められた色気、というのが重要な条件であることに気がついたのです。それに対して、男のあこがれが発生するのだと思います。

スペースのための投資2009年08月06日 22時22分13秒

夏休みの重要課題のひとつが、部屋の整理です。今回は、物置の収納を減らし、書庫のような働きを与えることができないかと考えて、取りかかりました。当然、たくさんのものを処分しなくてはなりません。

2つの分野を処分することに決めました。ひとつは、音楽会のプログラム。バイロイト音楽祭やバイエルン歌劇場などの立派なプログラムがたくさんあり、開くとキャスト一覧などがはさんであって、なつかしさがこみ上げてきます。役に立ちそうな解説や論文も、たくさん入っている。でも、いらない!と決めました。年をとってからますますなつかしく思う可能性は脳裏をかすめましたが、これまで活用したわけではなし、これからも活用しないだろうと瀬踏みして、一掃を決意しました。

もうひとつは、レコードです。以前レコードを大処分したとき、思い切れずに残したものがそれなりの枚数、ありました。初期に繰り返し聴いたもの、古楽に目を開いてくれたもの、かつて膨大に書いた自分の解説が載っているもの・・。昔書いた原稿は手書きですから、パソコンには残っていません。

それでも今回、そのすべてを処分することにしました。自分を納得させた理由は、スペースという貴重なものをいわば購入するために、ある程度の投資は必要だ、というものです。過去をなつかしむより、いつまでも前向きに、音楽を聴いていきたいと思います。