WINDOWS7導入記(2):アップグレードのはずが・・・2009年11月21日 23時00分57秒

VISTAはいくつものタイプに細分化されていますので、アップグレードの可能性が狭くなっています。私のVISTAはデスクトップもノートもBusinessでしたが、7ではProfessionalにする意味があまりなく、Home Premiumで十分間に合いそう。しかしアップグレード・インストールをするためには、Professionaにしなくてはならないのですね。このことをうっかりしていました。

ノートにクリーン・インストールをするのは、既定路線。大学のXPマシンにも当然クリーン・インストールをしましたが、メイン・マシンのOSはメーカーのサービスに発注したものなので、アップグレード・インストールができるものと錯覚していたのです。そこで、ワインを飲みながら「やっとWINDOWS7ね、簡単簡単」などと相好を崩してインストールをはじめてしまったのでした。

あれ、途中で止まった、もう一度・・と作業して気がつくと、Cドライブにあるのは、新しいファイルだけ。クリーン・インストールしてしまっていたのですね。たしかに、必ずバックアップしろという警告は出たのですが、外付けのHDをインストール作業のため大学にもっていってしまっていたので、まあ大丈夫だろう、とそのまま実行してしまいました。皆様、他山の石としてくださいね。

油断の一因が、Dropboxに主要ファイルを上げているという環境にあったことは確かです。でも、ネットにつながらないという現象が発生しては、どうにもなりません。その不便なこと、昔の停電と同じです。仕事にならない。ipconfigとかpingとか、いろいろ勉強して試してみましたが、すべてダメ。そこで最後の切り札を切りました。

切り札というのは、ルーターを買い換えてしまうこと。一からつなげばまず大丈夫で、じつは過去に複数回経験しています。もったいないですが、この先使う時間やサービスマンを呼ぶ費用、面倒を考えると高くない、と判断しました。

最新のエアステーションは、つながらない場合の対処法をじつに丁寧に教えてくれます。それをきちんとたどって最終局面にたどりつき、ほっとしたところ、「プロバイダーに相談してください」の文字が。がっくりきました。しかし、それまでなぜかアクセスできなかった設定画面にアクセスできるようになっており、そこに一定の情報を入れることで、やっとつなぐことができました。やれやれです。インストールから4日後の解決でした。(続く)

WINDOWS7導入記(1):あわてる乞食はもらいが少ない2009年11月19日 23時15分45秒

風邪がようやく抜けて気力が戻ってきたのが、先週の木曜日でした。遅れていた原稿を昼間いっぱいかかって仕上げ(アーノンクールのカンタータ新録音で、BWV140、61、29の3曲です)、夕方から、《魔笛》の授業準備に取りかかりました。

鑑賞→研究→演奏のサイクルで進めていますので、研究の前日は、準備がたいへん。台本と楽譜を細かく見直し、多少は文献も調べて、曲ごとの着眼点をノートしてゆきます。深夜になり疲れてしまったので、残りは起きてからがんばることにし、ワインを飲み始めました。

そのとき、WINDOWS7をインストールしなよ、と、悪魔がささやいたのですね。私は8月にエイサーのデスクトップ機を新調し、格安でWINDOWS7にバージョンアップできる権利を得ていました。ところが、こういうときメーカーはゆっくりしているもので、待てど暮らせど、送ってこないのです。その間に、ノートパソコンと大学の旧機は、もうWINDOWS7マシンに。本機だけが取り残されていたのでした。つまり、いい加減待ちくたびれていた。これが、間違いのもとでした。

翌、金曜日。なんとか起床し、大慌てで残りを準備。譜例をスキャンしているうちに、遅れそうな時間になりました。そこで作成したファイルを印刷しようと思ったら、プリンターが応答しないのです。そう、プリンターのドライバーを、まだ入れていなかった。仕方ない、大学でやろうと思い、USBメモリーを手に、家を飛び出しました。

そんなときに限って、接続が最悪。目の前をバスが2台、タクシーが3台続いて通り過ぎ、次がぱったり来ません。電車も同様で、かなり遅れて大学に到着する羽目になりました。大いに焦った私は、大学のパソコンでプリントアウトを試みましたが、やはりできない。しゃくなことに、理由が同じなのです(ドライバーを入れていなかった)。それなら共同研究室で助手にプリントアウトしてもらおうと思って飛び出し、はっと気がついて戻り、一太郎のファイルをワードのファイルに変換。息を切らしながら研究室に飛び込むと、「助手 外出中」の張り紙が・・・。しょうがない、自分でやろう、と決めて立ち上げてみると、ああ、パスワードが・・・。

この時点で私はすべてをあきらめ、学生に謝罪して、翌週予定の鑑賞と入れ替えて、場をしのぎました。前の日にインストールさえしないでおけば、こうした混乱は避けられたのです(続く)。

友の逝去2009年11月18日 22時58分08秒

日曜日のこと。悪い夢を見ながら重い眠りの中に沈み、、いっこうに起きられません。ようやく起き出してみると、時間はなんと、お昼の1時近く。妻が「もう少し起きてこなかったら様子を見ようと思っていた」というので、「そしたら大往生だね」と答えました。なにしろ、中川さんの例があります。

こんな経験をしたあとで、訃報が2つ舞い込みました。ひとりは私より年下のいとこ。もうひとりは少し年上の方で、ゲルマニストの山科髙康さんです。まったく予想しないことで、どちらもびっくりしました。お気の毒でなりません。山科さんはヴィオラ・ダ・ガンバの熱心な愛好家でしたので、その筋でご存じの方もおられることでしょう。

山科さんとはたしか杉山好先生の授業で知り合ったのだと思いますが、その後、マッテゾンの読書会をご一緒しました。熱心な会で、合宿も何度か。私は当時大学院生でしたが山科さんはすでに大学でドイツ語を教えておられ、当然一歩上の力をお持ちで、難解な領域に関して、たくさんのことを教えていただきました。バロック時代のドイツ語に私が一定の読解力を培えたのは、杉山先生と並んで、山科さんのおかげです。

最近はお会いするチャンスもなく、どうしておられるかなあと時々思っていましたが、ご逝去され、葬儀もお済みとのご連絡をいただきました。かつてのご恩を思い返しつつ、ご冥福をお祈りいたします。ご一緒した頃に作った『完全な楽長』の訳文は、その後私がかなり増補した段階で、放置されています。いつか、完成できるといいのですが。

わかりにくい人2009年11月17日 17時29分20秒

わかりやすい人と、わかりにくい人がいます。私自身はどちらか。それは、今日は置いておきます。いずれにしろ、わかりにくい人というのは、評価がむずかしい。平凡かもしれないし、大人物かもしれないからです。死後評価が定まる、というケースも、こういう人の場合には考えられます。

念頭に置いているのは、鳩山首相です。人品高潔な感じはしますが、わかりにくい感も否めない。就任後述べておられるのは一貫して理想論で、昔学校で聞いたような美しい考えを本当に語る人がいることに、驚きます。現場の大臣たちが汗をかいている中でトップが理想論を語り続けるというのは、高度な戦略に基づいて意識的にそうしているのか、あるいは自分だけいい子になりたいという王子様気質なのか。いったいどちらなのか、興味があります。

なにかと語られる「先送り」も、長期的展望のもとにわざとそうしているのであれば、話は変わってきます。半年後、1年後に、なるほどそうだったのか、そこまで先を見ていたのか、となるのか、ならないのか。なる可能性もゼロではないような気がするので、注目しています。

どうしても気になるのは、副詞が過剰なことです。「適切でない」と断定すべきところで、「必ずしも適切でない」と、たいてい婉曲に表現される。もちろん、頭から「笑止千万」などと決めつける物言いは最悪ですが、物を書く職業である私からすると、「必ずしも」があるかないかで、意味は大きく変化します。少なくとも表現は、わかりやすい方がいいと思います。

お手上げ2009年11月16日 23時07分11秒

「Windows7導入記」というのを書こうかと思っていたのですが、それどころではありません。メイン・マシンがネットにつながらず、いろいろなことを試しているのですがお手上げです。それにしても、急にこれだけ不便になってしまうというのは、いかにネットに依存しているか、ということですよね。バックアップはもちろん、スケジュールもTo doもネット上に置いていますから、つながらないのでは何もなりません。やれやれ、いつ解決できるものやら。

具体的には、PPPOEで接続しようとしたときに、エラー651というのが返ります。考えてみると、PPPOE接続しなくてもVistaではつながっていたように思うのですが・・・。

人生の味わいではあるのですが・・・2009年11月15日 15時06分26秒

人生の味わいは選択にあり、というのが私の考えです。お昼ご飯に入りたい店が何軒かあっても、行けるのは1件だけ。魅力的なコンサートが複数あっても、聴けるのは1つだけ。優秀な若い人が複数いても、賞をもらえるのはひとりだけ。等々、辛い選択はいろいろあれども、そこで絞っていかざるを得ないというところに、味わいがあるわけです。

などと言ってられないほど困っているのが、いま。昨日から今月のCDの選考に入っているのですが、今月は、どうしちゃったのか、というぐらい、有力な候補が目白押しなのです。とくにバッハと、その周辺。

昨日の一次選考を通ったのが、この分野だけでもシフの《パルティータ》再録音/ポリーニの《平均律第一巻》/渡邊順生さんの《ゴルトベルク変奏曲》/リフキンの《ザ・バロック・ビートルズ・ブック》/桐山さん、大塚さんのヘンデル《ヴァイオリン・ソナタ集》とあります。いつもの月であれば、全部取り上げてもおかしくないレベルのものです。

他の分野にも強いのがいくつもありますし、DVDからも1点入れるとすれば、上記のものから1つしかとれないわけですよね。困りましたし、もったいないと思います。ともあれこれから心して、本審査に臨みます。

在位20周年2009年11月12日 23時10分01秒

風邪はどうやら乗り切りました。ご心配をおかけしました。いろいろ遅れが出たので、取り戻すのがたいへんです。まず明日を乗り切らなくてはなりません。

天皇陛下在位20周年だそうですね。陛下も皇后様も皇室の務めに献身されて、本当にご立派。頭が下がります。ドイツにいた頃、お世話になった老夫婦に、日本はカイザーがいるからいい、ドイツにはいないので残念だ、と言われたことを思い出します。ドイツには儀礼的な事柄を務める大統領がいますが、陰が薄い。やはり政治家が選ばれるというのでは、国民統合の象徴とはなり得ないようです。(いま調べてわかったのですが、現大統領はホルスト・ケーラーという人だそうです。皆さんご存じでしたか。)

「カイザー」は「皇帝」ですが、王と皇帝の違いは複雑で、なかなかむずかしいですね。そのうち勉強してみたいと思います。両陛下にはこれからもご健在であられるよう、心からお祈りいたします。

早口ですって?2009年11月11日 23時07分43秒

私のミステリー好きはご承知のとおり。一に松本清張、二に夏樹静子、というのも既報のとおりで、あとが続きません。夏樹作品がなぜか手に入りにくい昨今ですが、先日の大阪滞在中に大きな本屋さんに入った折、光文社文庫をまとめ買いしてきました。

夏樹作品がいいのは、美しい文章、きめ細かな仕上げに加えて、ウルトラC級のどんでん返しが、つねに用意されていることです。流行作家って、なかなかこれだけのレベルは保てないのではないかと思います。

買った本の中に、『往ったり来たり』というエッセイ集がありました。ご自身の内輪のことを、初めて綴られたものであるとか。これがまた、率直な心情が含羞を含んで綴られていて、すばらしいのです。ああ、こういう人の文章だからいつも読みたくなるんだなあ、と実感していたら、意外な一文が・・・。自分は文壇一の早口だと書かれているではありませんか。てっきり、春風駘蕩の高雅な口調を想像していました。

エッセイの形での価値観の披瀝に接して思うことは、やはり生命への豊かな慈しみが底流にあるのだということ。結婚と出産を奨励しておられることに共感します。やはり、次の世代を育ててゆく社会のシステムのおかげでわれわれ自身が存在し、そのおかげで日々生活できているわけですから、社会への恩返しが人生の基本だと、私も思います。

カツ丼の専門店2009年11月10日 23時31分05秒

私の通うお店がつぶれていくのはもう自然の摂理として淡々と受け止めています。それにしても、「陳麻飯」チェーンの閉店にはびっくりしました。あちこちに支店ができて、結構好きだっただけに、一夜にしてどこにもなくなる、というのはショックでした。急激な拡大のツケかもしれないですね。

先日ふらりと入り、面白いお店だな、と思ったのは、吉祥寺の新潟カツ丼「タレカツ」(検索可能)。卵を使わない揚げカツには好みが分かれるかもしれませんが、ご飯が真っ白に粒立ち、やけにおいしいのでふと気がつくと、「新潟から新米が入りました」と張り紙が。こだわっているんですね。個性的かつレベルの高いお店で、「カツ丼専門店」という概念をくつがえします。

正攻法の勉強2009年11月09日 23時05分22秒

徐行運転を宣言して始まった今週。弟子2人の発表するゼミは休めないので出かけ、結局、3つの会議と1件の打ち合わせを済ませて帰ってきました。博士課程の声楽専攻2人が発表の担当でしたが、2人ともかなりのレベルを示してくれたので、嬉しい気持ちになっています。

先の談話「博士論文」の内容に照らして特筆に値するのは、高橋織子さんのシュトラウス《4つの最後の歌》に関する発表でした。高橋さんはソプラノ歌手としてすでにかなりのキャリアをお持ちの方で、コンサートをご一緒したことも、複数回あります。その彼女がこの4月から博士課程で勉強し直す道を選び、私が論文の担当になっていたのでした。

しかし研究の基礎がとくにあったわけではありませんから、博士論文に向けてどう勉強していくか、なかなか方向の定まらない日が続きました。焦ってもいたようです。しかし、シュトラウスのオーケストラ歌曲を従来のリート美学とは異なった形で分析することを主張し、それにはニーチェの哲学がよき基礎を提供する、とする優秀な文献に出会い、それを読み進めることで発表を構成する、という道が開けてきました。

とはいえ、視野の外にあった哲学を、ドイツ語で勉強しようというのだからたいへんです。しかし彼女は驚くべき粘り強さを発揮し、聞くところでは、寝食を忘れて打ち込んだようです。その結果、思いの外短い期間に正攻法の研究の基礎が作られ、なかなか堂々たる発表ができあがりました。その過程で勉強のやり方がわかり、その面白さが感じられてくるというのは、まさに「博士論文」で提唱したやり方そのものです。これから挑戦する方の励みになり、モデルともなることだと思いますので、ご紹介させていただきました。