季節柄の話題2008年03月31日 21時25分30秒

28日(金)、台東区のミレニアムホールに、絨毯座の公演を見に行きました。マリピエロとドニゼッティの作品によってコメディア・デラルテの真髄を伝えようとの趣旨の公演でしたが、恵川智美さんの演出が丁寧かつ徹底していて面白く、ひとつの発見をした思いでした。こう心から思えるのも、主演の今尾滋さん以下の歌い手がベストを尽くしていたからでしょう。目的のはっきりした、志の高い公演でした。

でも、季節柄の話題というのは、そのことではない。この日は、巨人対東京ヤクルトの初戦にあたっていたのです。その進行を気にしつつ、ホールに出かけました。

私の隣に座られたのは、尊敬する同業者、YM先生。優秀な方ですが、何もここまで、というほどの巨人ファンです。とにかく、相手の攻撃が、こわくて見られず、その間は別室に行っているという。私が野球の話題でつきまとうのを、概して忌避されます。

私「ここに来てる場合じゃないんじゃないの?」 YM「・・・」(笑顔のみ) 私「また、心休まらない日々が始まるねえ。」 YM「だから、ここへ気分転換に来てるんだよ。」 私「大丈夫、巨大戦力だから、ぶっちぎりですよ。」

戦いが始まったばかりの時点でこの会話を交わしておいて、幸いでした。オペラが今日だったら、気の毒で言うに言えないし、もし言ったら、友達をなくしてしまいますから。

バッハの信仰(2)2008年03月30日 22時41分46秒

小田垣先生は、信/不信の二重性、という表現を使われます。これを自分流にわかりやすく言い換えると、信仰には懐疑がつきものであり、懐疑が存在することによって、信仰はむしろ深いものになる、ということになると思います。

こういうことを礼拝の場でおっしゃる小田垣先生は、すごいなあと感嘆します。ずっと昔、教会や集会のようなものに足を運んだとき、いつも言われるのは、疑わず信しるのがいい、子供のように受け入れなさい、ということだったからです。そういうことを勧めた人は、懐疑を含まない「堅い信仰」の持ち主だったのだろうか。あるいは、内面では懐疑をもっていたが、立場上、建前を述べていたのだろうか。もし後者であるとすれば、その人は、懐疑を含まない信仰こそが理想的なものだ、と考えていたことになります。

バッハは、どうでしょうか。バッハの教会音楽と長いこと向かい合ってきた私が最近確信するに至ったのは、バッハはそのような懐疑の持ち主であった、ということです。

バッハのカンタータは、その多くが、現世の悩みや死への恐れにさいなまれた魂が、聖書に書かれたイエスの言葉を発見し、慰めにもたらされる、というドラマトゥルギーをもっています。私は、こうした筋立てを、不信の小羊を教え導くために使われた戦略だとは思いません。悩み、恐れる主体にはバッハの共感が深く入り込んでおり、それをバッハ自身の現実だ、と見なしてもいいように思う。バッハはカンタータを書くたびにイエスの言葉と新たに向かい合い、その都度イエスを再発見して、信仰を新たにしていたのではないでしょうか。自分の信仰はもう確立している、ほかの人を導くのだ、というスタンスでは、ああいう音楽にならないのではないかと思うのです。

と考えるようになったものですから、私はバッハに対してこのところ、「やわらかな信仰」という言葉を使っています。《ロ短調ミサ曲》におけるカトリックとプロテスタントの融和への視点も、そこから導き出すことができる。そして、その「やわらかさ」がまさに、バッハの宗教性が宗派を超え、国境を越えて訴えかける理由なのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

バッハの信仰(1)2008年03月28日 23時27分54秒

私の尊敬する神学者で、図書館長の先任者でもあった小田垣雅也先生の新著を読み、大いに感じるところがあったので談話に書きたい、と思っていました。

ところが、肝心の本がここしばらく見つからない。仕方がないので、署名だけでも正確に、と思い、検索してみると、先生の主宰しておられる「みずき教会」のホームページがあるのですね。そこに毎週の説教が、文章化されてアップされていることがわかりました。判明した正式の著作名は、『友あり--二重性の神学をめぐって』というものです。

同時に気づいて驚いたのは、私がメールでお送りした感想についてのコメントが、説教の中で言及されていたことです。すっかり先を越されていたわけですが、大事なことなので、こちらでも書かせていただきます。ちなみに私の談話とかかわる説教は、「信と不信」「Kさんから贈られたイースター・エッグ」の2つです。検索は、「みずき教会」でなさってください。

小田垣先生は、人生においてキリスト教信仰を深めてきた方です。そうした方が、自分の信仰には、信じられないこともたくさん含まれている、不信の要素を切り捨てることのできないのが自分の信仰だ、とおっしゃるのです。信と不信の共存、両者のダイナミズムの中に、生きた信仰の形がある、とも。

私はこの率直な述懐を読んで、電気が走るような思いをしました。なぜならこれは、私が最近「バッハのやわらかな信仰」という言葉で述べ、十分説明できていなかったことと同じことを述べている、と思ったからです。(続く)

散髪はくつろいで2008年03月26日 23時35分21秒

私が通っているのにつぶれないお店のご紹介です。

散髪にお金などかけたくない、というあなたとは、ここでお別れ。腕のいい人が丁寧にやってくれるお店でゆっくしたい、というあなたは、日本橋の「イガラシ」に行きましょう。

このお店、以前は京橋にありました。今の場所は、日本橋室町3-3-5、室三ビル1F(電話03-3275-3488)。三越から神田の方に少し歩き、右の路地を見ると、サインポールが回っているのが見えるはずです。ただし、料金は掲げてありません。こっそりお教えすると、6300円です。でも、その価値は十分にあると思います。

マスターの趣味は、豪快な海釣り。年賀状は、巨大な魚を釣り上げた写真と一緒に届きました。秋田産の奥さんとその妹さんがお手伝いしておられます。父親の代からの営業なので顔が広く、社長さんだの、会長さんだのが、毛の分量を問わずやってくる。無名なのは、サポセンこと齋藤正穂君ぐらいです。でも、ブログを見たあなたを歓迎してくださるそうです。ちなみに定休日は、日曜祝日と第2土曜日です。

声楽のCD3枚2008年03月25日 22時22分23秒

今月、新聞で選んだCDです。

まず、サントリーの《フィガロ》のスザンナ役として来日したダニエル・ドゥ・ニースの、ヘンデル・アリア集(デッカ)。燃えるように魅力的な舞台を《ジュリアス・シーザー》のDVD(クレオパトラ役)を見て驚き、すごい新人があらわれたと思っていましたので、サントリーがよく取ったものだと、感心していました。このアリア集も、コロラトゥーラの切れ味としい、爆発的な高揚感といい、たいしたもの。ものに臆するということが、そもそもない人に見えます。なんと、インタビューとギャラリーの入ったDVDがついている。頭もずいぶん良さそうですから、向こう20年は君臨するでしょう。オーケストラは、クリスティ指揮のレザール・フロリサン。

室内合唱の好きな私にうれしかったのが、ザ・シックスティーンの歌う2枚のCD(UCJ)。ロシア正教の音楽を集めた「イコン」も相当ですが、新聞には、「聖母マリアのための音楽」を採り上げました。ジョスカン、ブルックナー、フォーレらのアヴェ・マリアやサルヴェ・レジーナが高い透明度と心地よいリズム感で歌われ、至上の快感に包まれます。

同じ室内合唱の路線で、ヘンゲルブロック指揮、バルタザール・ノイマン合唱団、アンサンブルのパーセルのアンセム、葬送音楽、バッハの初期カンタータ、J.L.バッハのモテットを集めた1枚(DHM)も、楽しめました。温かさの中から、言葉がふっくりと浮かんでくるのです。第131番《深き淵より》の、久々の名演奏だと思いました。

他にも、マーラーの交響曲やリベラ・クラシカのシリーズなどいいものがあったのですが、私の持ち場である古楽の声楽にこだわった形です。

芸術への敬意2008年03月24日 23時07分01秒

3月12日、16日と、ヴィオラ奏者坂口弦太郎さん(N響)の出演が続きました。16日(日)のプログラムはシューマンの《アダージョとアレグロ》、日本の歌3曲、シューマンの2つの歌曲 op.91、そしてシューベルトの《アルペッジョーネ・ソナタ》でしたが、この方ならではの心にしみる音色と歌心にあふれたカンタービレを楽しみました。ヴィオラって、いいですねえ。

最近しばしば述べている「音楽には神様がいる」というテーゼに確信を抱くのは、こういう音楽に立ち会った時です。立川駅から離れた小さな公民館(地域学習館)の、体育館同然の講堂。ごくごくわずかな予算。ふらりと寄られた、地域のお客様たち。こうした条件にもかかわらず、坂口さんや、ベルリン在住のピアニスト元井美幸さん、アルト歌手の北條加奈さんがベストを尽くしたコンサートとやってくださるのは、やはり、音楽の神様に尊敬を捧げているからではないでしょうか。ありがたいことです。

芸術への敬意は、演奏家にとって、必ず必要なものです。そうしたものに欠ける人は、ヴィルトゥオーゾにはなれても、芸術家にはなれないと思う。研究にとっても同じことで、対象に対する尊敬がなければ、何のための研究かと思います。芸術に関する素朴な敬意は、どの分野でもいま、なくなりつつあるように思えてなりません。そうしたものを愚直に育てられないものか、と思案する昨今です。

迷惑メール後日談2008年03月22日 09時49分30秒

私はASAHII-netのアドレスにいただくメールをG-Mailに転送し、二重管理しています。それによって一定のメールがトラブルを免れた次第は、先日ご報告しました。そのさい、メインのメーラーに入らず、G-Mailの方にのみ入るメールがあって不思議だ、皆様も注意されたし、ということを言いましたよね。それに対するコメントもいただきました。この件の事情が判明しましたので、謹んでご報告します。たいへん説得力のある説明になります(きっぱり)。

対象となるのはひとりの学生さんでしたので、私はこういう事情だから「返信」を使わず、もう一度アドレスを打ち直して送って欲しい、とお願いしました。するとその方曰く、「私はG-Mailのアドレスに送っていました」とのこと。あれ、誰も知らないと思ったんだがなあ。それなら当然です(汗)。

ASAHI-netのフィルターを切って以来襲来している迷惑メールの数は、日ごとに増加しているように思われます。観察していてわかったのは、いくつかの同一メールが、ルートを変えて、さかんに入ってくること。これはもう付き合いきれないので、フィルターを復活させることにしました。

談話室のトラックバックにも、怪しげなものが届くようになりました。削除しても定期的に同じものが届くので、機械的に送信しているように思われます。公開後削除という設定を公開前削除に改めましたが、作業が面倒。トラックバックを廃止したい気持ちになってきています。もともとリンク代わりに使おうと思い、そういう使い方もしていただいているので、廃止もしにくいのですが・・・。こういう便利なシステムが、結局乗っ取られてしまうわけですね。

BWV106に画期的な新説登場2008年03月20日 22時37分29秒

カンタータ第106番《神の時は最良の時》は、多くのバッハ・ファンが、愛してやまない曲。私も昨年相模大野で、マニアックな「徹底研究」コンサートを開きました。その成立事情に関するマルクス・ラタイの画期的な新説が、『バッハ年鑑Bach-Jahrbuch 2006』に発表されました。

「アクトゥス・トラギクス」(哀悼の式)と副題されるこのカンタータが、何らかの葬儀に演奏されたことは確実です。でもそれが誰の葬儀かについては、いくつかの薄弱な仮説があるのみでした。ラタイはそれを、ミュールハウゼンの市長、アードルフ・シュトレッカーAdolph Streckerの葬儀であるとします。シュトレッカーは1708年9月13日に84歳で亡くなり、16日に埋葬されました。同年2月14日に初演された市参事会員交代式用カンタータ《神は私の王》BWV71には80歳の老人への言及がありますが、それはこのシュトレッカーを念頭に置いたものだと、すでにメラメドが指摘しています。

シュトレッカーはとりわけ信仰深い人で、BWV106の出典となっているオレアーリウスの著作や神学思想に親しんだ世代に属していました。彼はかなり長い闘病の期間に、ルターの教えによりつつ死に備えることを学び、現世の苦しみと神の栄光の永遠を対比して、そのテーマによる追悼説教を望んでいたそうです。

追悼説教を行ったのはフローネ牧師(バッハの上司)で、そのタイトルは「時(Zeit)と永遠における真のキリスト者たちの救い」というものでした。これは、「神の時」という台本の冒頭(出所不明)と響き合っていますし、フローネの説教全体も、カンタータの思想と響き合っていると、ラタイは指摘します。1708年9月というとバッハはもうワイマールに移っていましたが、ミュールハウゼンとの音楽的かかわりは続いていましたので、不都合はありません。今後、通説化されるに違いない卓見だと思います。

ウムラウトはどう打つ?2008年03月18日 22時16分45秒

どんどん高機能化するアプリケーション・ソフト。皆さん、正しく使っていますか?

私はワープロやメールソフト上で、ドイツ語をよく使います。このことのために、どのぐらい面倒な思いをしたか、わかりません。

以前は、ウムラウトを入力するときにはLatinaLadyというオンラインソフトを立ち上げ、あとからフォントの整合を行っていました。最近はATOKの「独語半角」というモードに入って、無変換キーを押しながらウムラウトを打つ。案外むずかしい技術です。メーラー(Shuriken)ではその前に、フォントを変更する必要がある。書式→言語→欧米→西欧→ISO-8859-1とたどって固定し、かな漢字変換を切り、「独語半角モード」に入って、ようやくウムラウトを打つことが可能になります。たとえ1字しか該当語がなくても、そうする必要がある。こうした操作を繰り返しながら何年も、たくさんドイツ語を打ってきました。

感心しているあなた。甘いですよ。なんでそんなバカなことをしているんだ、とおっしゃるあなた。ごもっともです(敬礼)。

今日初めて気がつきました。コントロールパネルの「地域と言語のオプション」からドイツ語のキーボードをインストールすれば、言語バーをクリックするだけで、ドイツ語←→日本語を簡単に行き来できるのですね。知らなかったなあ。

とても便利な、グーグル・デスクトップ・サーチ。私もよく使います。でも、あれ、たしか書いたはずなのにどうしたんだろう、と思うことが、ときどきありました。

その理由に、今日初めて気がつきました。グーグル・デスクトップは、一太郎ファイルを検索しないのです。私の研究ファイルは、最近のは大半が一太郎。な~んだ、検索していなかったのか。

ネットを調べたら、検索が可能になる便利なツールがあることがわかりました。これをインストールし(DOSの知識を動員して奮闘)、これからインデックスの再作成をするところです。

〔付記〕一太郎ファイルを検索できるようになりました!G-Mailを導入したため、グーグル・デスクトップがこれを検索してくれるのも、大きな要素です。便利、便利。

ドイツ料理2008年03月17日 23時10分57秒

ホームページをやっていた頃は、何人もの「店子」が、共同経営者として参加していました。そのうちの古株で、「押し入れ」のハンドルネームで愛されたNさんが上京。仲間たちと飲みに行きました。Nさんは大学の専任講師になられ、店子の中でも出世頭です。おめでとう。

お店は、有楽町のガード下にある、「レネップ」というドイツ料理店。加藤昌則さんに教えていただきました。飲み物も食べ物も本格的なドイツ仕込みで、よくある「ドイツ風料理」とは違います。Weissbierは白、黒(というのも変だが)と揃っており、ビール好きの方には、ぜひお薦めです。

かくいう私、40年にわたるビール党から、足を洗いました。目下、ワインにシフト中。それも、ドイツ・ワインから、イタリアなど、ラテン系のワインに好みが移ってきています。でもこのお店なら、ドイツ党に逆戻りです。ドイツきっての品質で、日本ではなかなかお目にかからないフランケンのワインが、このお店には並んでいるからです。お客様でいっぱい。私が通っても大丈夫とお見受けしました。