BWV106に画期的な新説登場2008年03月20日 22時37分29秒

カンタータ第106番《神の時は最良の時》は、多くのバッハ・ファンが、愛してやまない曲。私も昨年相模大野で、マニアックな「徹底研究」コンサートを開きました。その成立事情に関するマルクス・ラタイの画期的な新説が、『バッハ年鑑Bach-Jahrbuch 2006』に発表されました。

「アクトゥス・トラギクス」(哀悼の式)と副題されるこのカンタータが、何らかの葬儀に演奏されたことは確実です。でもそれが誰の葬儀かについては、いくつかの薄弱な仮説があるのみでした。ラタイはそれを、ミュールハウゼンの市長、アードルフ・シュトレッカーAdolph Streckerの葬儀であるとします。シュトレッカーは1708年9月13日に84歳で亡くなり、16日に埋葬されました。同年2月14日に初演された市参事会員交代式用カンタータ《神は私の王》BWV71には80歳の老人への言及がありますが、それはこのシュトレッカーを念頭に置いたものだと、すでにメラメドが指摘しています。

シュトレッカーはとりわけ信仰深い人で、BWV106の出典となっているオレアーリウスの著作や神学思想に親しんだ世代に属していました。彼はかなり長い闘病の期間に、ルターの教えによりつつ死に備えることを学び、現世の苦しみと神の栄光の永遠を対比して、そのテーマによる追悼説教を望んでいたそうです。

追悼説教を行ったのはフローネ牧師(バッハの上司)で、そのタイトルは「時(Zeit)と永遠における真のキリスト者たちの救い」というものでした。これは、「神の時」という台本の冒頭(出所不明)と響き合っていますし、フローネの説教全体も、カンタータの思想と響き合っていると、ラタイは指摘します。1708年9月というとバッハはもうワイマールに移っていましたが、ミュールハウゼンとの音楽的かかわりは続いていましたので、不都合はありません。今後、通説化されるに違いない卓見だと思います。

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