青春の燃焼 ― 2008年11月04日 09時06分20秒
学生4組の合同による芸術祭《冬の旅》、無事終わりました。
お客様が入らないことには、確信をもっていました。私以外に何人来られるか、いずれにしろ、ガラガラだろう、と。そうしたら、次々と入場されるお客様で椅子が足りなくなり、演奏者の椅子を全部提供して、それでも数人が立ち見。これには驚きましたが、芸術祭を楽しみに訪問される市民の方が少なからずいらっしゃることがわかりました。
演奏が未熟であることは、言うまでもなし。しかし気合いはすごく、どのペアからも、ほとばしるものがあったと思います。歌曲の演奏会は、歌の学生がピアノの学生を頼んで、という形になるので、ピアノは、ふつう助っ人。しかし今回はピアノの学生の意気込みと水準が並々でなく、歌がずいぶん助けられました。
後半になるにつれ思ったのは、このように燃焼の時間をもてる青春は幸せだなあ、ということ。今後《冬の旅》でステージをもてる人がこの中に何人いるかわからないのですが、今回挑戦したことが音楽とかかわる人生において大きな意味をもつに違いない、と感じつつ聴きました。
終了後、思いがけなくも、私に花束をくださるイベント。すばらしいご指導をいただいて、と言う言葉に嘘はないように思えましたので、ありがたくいただいておきます。今回の経験を通じて、《冬の旅》が相当理解できるようになりました。やはり後半になるほどよく、〈道しるべ〉から〈宿〉にかけて、大きな頂点がありますね。今度批評が回ってきたら、今までよりよく書けると思います。
〔付記〕作品に対する学生の共感に一種特別なものがあったのは、多くが4年生で、先行きの不安を感じていることと関係があったようです。音楽性の高いピアノを弾かれたある方も、音楽とは別の方向に向かわれるとか。残念ですが、これが一生の思い出になりますね。
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