12月のイベント(1) ― 2008年12月01日 23時28分38秒
たいへん忙しい時期に入っており、緊張しています。ともあれ、大学でのイベントをご紹介します。
12月2日(火)18:30から国立音楽大学講堂小ホールで、バッハ演奏研究プロジェクトの発表コンサートその1を開催します。題して、「ピアノとチェンバロで弾くバッハ」。第1部が《平均律》受講生から選抜された4人の演奏。第2部は、関係してくださった先生方の模範演奏(加藤一郎、今村央子、近藤伸子、今井顕)。今村さんの演奏には、iBACHの声楽アンサンブルも加わります。曲目は、トッカータト短調や半音階的幻想曲とフーガなど。第3部は、大黒柱の渡邊順生さんのチェンバロ独奏で、曲は《パルティータ第6番ホ短調》です。
12月9日(火)は、同じ時刻、同じ場所で、発表コンサートその2。「くにたちiBACHコレギウム」の出演で、「ドイツ・バロックの宗教音楽~バッハ最初のカンタータに向けて」です。シュッツ、ブクステフーデ、トゥンダー、プレトーリウスの作品に加えて、バッハ最初のカンタータ第150番が演奏されます。ぜひお出かけ下さい。
これ、ホームページが整備されていれば、リンクで済むわけですよね。遅れを取っています。
競演!終了 ― 2008年12月03日 22時59分38秒
「競演!ピアノとチェンバロで弾くバッハ」のコンサート、無事終わりました。ご出演いただいた先生や受講生の方々、聴いていただいた皆さん、ありがとうございました。感想を書きたいのはやまやまですが、仕切った本人があれこれ言うのは僭越なので、もしよろしければ、感想を書き込んでください。お待ちしています。
第一級の知性 ― 2008年12月05日 23時03分31秒
昔はほとんど読んだことのなかった政界の裏話や国際関係の本を、ときおり読むようになりました。そこで手に取ったのが、佐藤優『自壊する帝国』(新潮文庫)。帝国とは、ソ連のことです。
読んで、度肝を抜かれました。すばらしい文章、たいへんな博識、情報獲得のための、最新にして大胆な行動。著者が第一級の知性の人であることは明らかです。しかもキリスト教神学が専門だと言うではありませんか。
佐藤優さんという方は、鈴木宗男関連でマスコミに採り上げられた方ですよね。そういう人が最近よくものを書いている、という程度の認識だったのですが、これほど優秀な人だとは知りませんでした。いろいろな章も取っていますから、お前今頃わかったの、ということのようです(汗)。さっそく、大宅賞受賞の『国家の罠』も買ってきました。
『自壊する帝国』には、要人との会話がものすごく克明に再現されています。全部記憶しているとも思えないので、ある程度創作しているのでしょうか、あるいは詳細なメモがあるのでしょうか。また、こんなに書いてしまっていいものでしょうか。疑問も生まれますが、ぐんぐん読ませる力は凄いです。
歩き方 ― 2008年12月06日 23時31分42秒
今日は、朝日カルチャーの講義を終え、サポセンこと齋藤正穂君と食事をしてから、打ち合わせのため、相模原文化財団に向かいました。相模大野の駅に着くと、後ろから、「礒山先生!」と呼びかけられます。いま助手的役割を務めてくださっている永田美穂さん(←弟子)が、同じ電車で到着したのでした。
ひっかかったのは、次の「お疲れのようですね」という言葉。たしかに自分でもわかるほど、足を引きずるように歩いていたのです。超過密スケジュールで、休んでいませんでしたから。
年齢って、どこにあらわれるのかなあ、と思います。どうも、歩き方のような気がするのですね。私の場合、新宿駅に到着(=目的地に緊張して向かっている)して歩くのと、国立駅に着く(=帰路でほっとしてる)のとでは、歩き方がまったく違ってしまう。後者は、とぼとぼ、よろよろになっていると、自覚しています。座席から立ち上がったときに、身体が動かないのです(笑)。数年後は、後者への統一が実現すると思います。
相模原市民文化財団の方々は何もそこまで、というほどの、いい方ばかり。「バッハの宇宙」のシリーズを、成功させなくてはいけません。意外でもあり、嬉しかったのは、18日の宗教音楽のコンサート(くにたちiBACHコレギウム)が、順調に売れている、ということでした。「ガラガラ」という副詞が、頭の中を回っていたからです。皆さん、よろしくお願いします。
本数 ― 2008年12月09日 07時57分25秒
私は自宅の近くからバスに乗りますが(「国立高校前」)、いちばんよく使う時間帯は10時前後です。ところがこの10時前後に、バスが少ない。バスを待つために、思わぬ時間を費やしてしまうことがたびたびです。
そこで、何本走っているか調べてみました。矢川駅の方から来る立川バスが、1時間6本。府中ないし聖蹟桜ヶ丘から来る京王バスが、1時間6本。これは9時以降昼間はずっと同じで、併せて5分おきです。
客観的に見ればずいぶん便利な方なのでしょうが、それだけに「すぐ来るのが当たり前」と思っていますから、来ないときの「来ない感」が大きい。バスというのは得てして繋がってきます。2台続けてというのはしょっちゅうで、これだと次が10分来なくなる。まれに3台連続、1度だけ4台連続ということがありました。その場合、理論上、15分、20分来ないことがありうるわけです。もちろん、通勤にその時間は見込んでいません。
国立駅でJRに乗り換え、立川まで行くわけですが、中央線の下りが、その時間、やけに来る。「続々と」と感じるほど走っていて、待たずに済みます。そこで何本走っているか、調べてみました。
驚いたことに、平日の9時台は20本あり、1日で一番多い。3分に1本か。よく来るわけですね。次が8時台で、16本。その次が意外や10時台で、14本。11時台、12時台は6時台、7時台と同じで10本でした。
逆の東京行きを見ると7時台がダントツの25本。次が8時台で17本ですから、東京に向かってゆく電車が9時台、10時台に続々と帰ってくることがわかります。それでなくては、数が合いませんものね。
7時台、8時台の電車で都心に向かわれる方々、ご苦労様です。
12月のイベント(2) ― 2008年12月10日 23時13分52秒
9日のコンサート、無事終わりました。感想はあらためてご報告します。この先、イベントがいろいろ控えていますのでそのご案内を先に。
13日(土)は去年に続いて鈴鹿短期大学で講演します(13:30)。「バッハの宗教性を考える」というタイトルをつけてしまいました。本質的な問題に関する最近の考えを、率直にお話ししようと思います。1回券500円とのことなので、同大学のホームページをご覧ください。
18日(木)は相模大野グリーンホールでの「バッハの宇宙」シリーズ第1回。くにたちiBACHコレギウムが出演します。まだお聴きになられていない方はぜひお出かけ下さい。シュッツやブクステフーデ、バッハ(カンタータ第150番)などを新鮮なアンサンブルでお届けします。前売り券は私まで。19:00からです。
20日(土)はたのくら(10:00)。今月のテーマは「年末はバッハで~カンタータ第147番を中心に」です。立川錦地域学習館、お問い合わせはGustavさんまで。Gustav <gustav@mtj.biglobe.ne.jp>
22日(月)から25日(木)までは、九州大学で集中講義です。「バッハの作品とバッハ研究」というタイトルで行います。帰って、27日(土)は朝日カルチャーのはしご。10:00からは新宿校の西洋音楽史講座でロマン派音楽の第1回。「広がりゆく幻想~花開くロマン主義美学」と題しました。急いで横浜に移動し、13:00からバロック音楽講座で、「ヘンデルのオペラ」です。
最後は28日(日)14:00で、「すざかバッハの会」での「バッハ最前線」。《音楽の捧げもの》のトリオ・ソナタ、《マタイ受難曲》捕縛場面の解説のあと、ハーフ・コンサートを開きます。大塚直哉さんを中心に、小島芙美子さん(ソプラノ)、小藤洋平君(バスバリトン)の出演で、バッハのカンタータ第203番その他です。
何か、とても忙しいような・・。
世俗カンタータ論脱稿 ― 2008年12月11日 23時48分16秒
今日もたくさん仕事をしました。私の場合「たくさん」と言えるかどうかのバロメーターは、夜ビールを飲んでいるときにもまだ仕事をしているかどうか、ということです。ここ数日していますので、こういうときには、「自分をほめてあげたい」という気持ちになります。
急いでいる仕事をいくつも並行して進めているのですが、今日で一応メドが付いたのは、「ザクセン選帝侯家のための祝賀/追悼カンタータ」の本。私の声楽曲研究はこれまで宗教音楽に偏り、私なりの聖書研究/キリスト教研究と組み合わせて行われてきました。しかし今回初めて世俗カンタータと取り組み、当時の歴史、社会、政治とからめる形で調べを進めました。新しい知識がたくさん広がったと感じています。リレー式で書いている総論のテーマは、「バッハとドレスデン」です。
198番、205番a、206番、207番a、213番、214番、215番を採り上げましたが、音楽が失われ台本のみ残っている数曲についても、かなり頁数を費やしました。それらにも、時代との密接な関連が見られるからです。まだ発売日は決まっていませんが、手にとっていただければ幸いです。CDとしては、バッハ・コンチェルティーノ大阪の演奏した213番が付いています。
木曽川を越えて ― 2008年12月13日 23時13分45秒
好天の旅。名古屋から近鉄に乗り換え、木曽川を越えて白子へ。木曽川はほとんど河口に近いそうで、新幹線から見るよりはるかに大きく、いくら渡っても終わらない。続く長良川も、揖斐川を吸収して大河になっています。増水したら、こわいに違いありません。私、川が好きなので、見てみたい気もします。
白子でお迎えくださった車に乗り、鈴鹿短大へ。ここで、短大と市の主宰するセミナーが行われているのです。今日は「バッハの宗教性を考える」というテーマで、カンタータ第199番などを例に取りながら、話をしました。最近の持論である「バッハのやわらかな信仰」(固い信仰の反義語として)をめぐるもので、時間もほどよく収まり、自分としては会心の出来でした。お世話いただいた方々、受講してくださった方々、ありがとうございました。
終了後、見覚えのあるすてきな方が来たと思ったら、10年ほど前に卒論を指導したM.K.さん。今はこちらで家庭をもち、お子さんもいらっしゃるとか。こういう再会のあるのが、出張講演のいいところですね。帰路には、三重牛を賞味しました。
予定を消化するごとに、残り日数が減っていきます。まだ急ぎの仕事が多く、予断を許しません。
意外に正確 ― 2008年12月14日 22時56分54秒
私は、楽譜の指示をきちんと守った演奏が好きです。もちろんそれは古楽の話ではなく、演奏家に楽譜通りの演奏が求められるようになった、近代の音楽に関してです。
楽譜の指示にはほどほどに従っておけばよい、という場合もあることでしょう。ヴェルディのオペラ、たとえば《オテロ》などの歌い手に対する演奏指示はものすごく細かいですが、あれをシンフォニーと同じような感覚で再現したら、かえって不自然になってしまうかもしれません。しかしその「案配」も含めて、なるべく楽譜を生かすことが大切だと思います。
先日あるゼミで学生が、プッチーニの《ラ・ボエーム》第1幕について発表しました。画面にはパヴァロッティの若い頃の映像が出ている。それを、少しですが、楽譜を見ながら聴きました。
そしたら、驚くほど正確なのですね。たとえば、フレーズの終わりがきちんと楽譜通りに、長い音は長く、短い音は短くなっている。歌の人は短い音でも延ばす人が多く、実演ではとくにそうなりやすいと思っていたので、意外の感に打たれました。
ところでパヴァロッティは、楽譜を直接読んで覚える人でしたっけ、それとも弾いてもらって、耳から覚える人でしたっけ?その時の話し合いでは、耳からの人の方がとことんやるので、かえって後まで正確なのではないか、ということになったのですが、どうなんでしょう。いずれにせよ、感心しました。
富士山 ― 2008年12月15日 17時51分53秒
私の住んでいる国立市には、富士山にちなむ地名がいくつかあります。拙宅のすぐ裏に広がる地域が「富士見台」で、そこにある団地が、「富士見台団地」。もうひとつは、国立駅から斜め前方(南西方面)に進む通りが「富士見通り」。逆に(南東方向へ)進む通りが「朝日通り」です。
今朝、用談のため駅から喫茶店に向かおうと富士見通りの方向を見ると、通りの先に、富士山がくっきりと見えているではありませんか。そういえばこの通りは、富士山に向かって作られたのだそうです。国立に32年間住んでいますが、この光景は、初めて見ました。思いの外大きく、近い富士山でした。
昨夜BSで、富士山の撮影に情熱を傾けておられる会社役員の方のドキュメントを拝見し、いい人生だなあ、と思ったばかり。やはり日本人にとって、富士山の存在は大きいですね。昔東海道を歩む旅人の感慨はどれほどだったろうか、万葉集の時代ならどうだったろうかとか、考えてしまいます。
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